詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

リドリー・スコット監督「オデッセイ」(★★★★)

2016-02-08 10:25:51 | 映画
監督 リドリー・スコット 出演 マット・デイモン、ジェシカ・チャステイン

 SFというか、宇宙ものにはふたつのパターンがある。ほんとうに宇宙を舞台にしてひとが動き回るもの。たとえば「スター・ウォーズ」。もうひとつは、隔絶した密室を描くもの。「2001年宇宙の旅」「惑星ソラリス」。「オデッセイ」は後者である。ただし主な舞台は「宇宙船」のなかではなく、「宇宙基地」というのが、とてもおもしろい。
 「宇宙基地」がなぜおもしろいかというと、「大地」があるだけに、観客の日常と近い。遠い世界という感じがしない。そこでは誰もが知っていることが繰り広げられるからである。(「惑星ソラリス」は「宇宙船」のなかを日常にして描いていて、とてもおもしろい。日常の妄念、欲望を描いた傑作だ。)
 舞台は火星。地球ではないのだが、おこなわれていることは地球と同じ。食べ物に限りがあるので、食べることができるものをつくらなくてはならない。畑をつくり、じゃがいもを植え、収穫し食べる。土には「肥やし」がいる。そこで、人糞をつかう。有機野菜だ。なんでも工夫してくつりだすことができる科学者なので「化学肥料」もつくれるはずであるが、化学肥料ではなく人糞をつかうところが、とてもおもしろい。これなら科学者ではなくて、ふつうの人間でもできそう……そう思わせるところから、この映画のサバイバルが始まる。
 じゃがいもを育てるのに水も必要。その水は水素と酸素を結合させてつくることができる。これも中学生が習う科学。だれもが知っている。何気ないが、だれもが知っていることをつみかさねて、そこから少しずつ、高級な(?)科学、数学、物理へと話を展開していく。
 この手順がとてもていねい。
 地球との通信をこころみるところが、さっと描かれるが、ここにも同じ工夫がしてある。まず、「YES」「NO」を手書きで、つまり「アナログ」で送信する。初期のテレビだ。つぎにアルファベットを効率的に送信/受信する方法を「16進法」をつかって考え出す。「16進法」なんて、私にはわからないが、それが円周上に並べられたアルファベットと「暗号表」の組み合わせで次々に文字に変換されるのを見ていると、うーん、そうか、と思ってしまう。
 自分だけではできないことを、そうやって他者(NASA)から受信し、教わり、パソコン通信まで進化させていく。この過程は、かなり省略されているが、そういう専門的なことは観客(私)は見ていてもわからないから、省略されている。ただ、こうやって、通信手段を工夫し、通信を進化させていったということだけは、はっきりわかる。人糞で野菜を育てるのと同じで、誰でもがわかることだけをていねいに描いて、あとは省略してしまうという手法なのだが、最初がていねいなので、すっと納得してしまう。
 これは、すごいなあ。
 クライマックス直前の、宇宙船を地球の引力をつかって加速させ、マット・デイモンを救出に向かうという手法。これも、「新しい」ようで、そうではない。これに似たことを誰もが知っている。少なくとも「宇宙」に少し関心があるひとなら知っている。アポロ13号が故障したとき、アポロ13号は月の引力を利用して、月の裏側を回ることで地球へ帰還する軌道に乗った。あれの応用である。ほんとうは複雑な計算があるのだが、それは省略。宇宙船の軌道を画面に表示して見せた瞬間に、あ、アポロ13号とだれでも思い出す。
 さらに、ほんとうのクライマックス。
 火星から脱出した衛星と宇宙船が離れすぎている。どうやってドッキングする? 結局、マット・デイモンが宇宙服に穴をあけて、その噴出する空気の力をエンジン(?)にして宇宙船に近づいていくのだけれど。そのときの「説明」。「アイアンマンみたいに」。あ、それって「娯楽映画」じゃないか。だれものか知っている方法じゃないか。
 その最後。無事、船長にキャッチされたマット・デイモンのまわりに、オレンジのロープ(救命綱)が、たぐりよせたときにできる何重もの「輪」のまま広がっている。これはそのままマット・デイモン救出へのさまざまな協力の輪の象徴とも言えるのだけれど、そんなめんどうくさい意味を吹っ飛ばして、ただ美しい。無重力の美しさ。そうか、無重力では、ひもはからみあわないのか……。

 この映画は、もうひとつ見どころがある。マット・デイモンだ。私の感じでは、マット・デイモンはどこか「どんくさい」。華がない。逆に言うと「地味」。そして、それがこの映画ではとても効果的だ。ジョージ・クルーニーが主役だったら、じゃがいもを育てるのに人糞はつかわないだろう。化学肥料をつくりだすだろう。ブラッド・ピットだったら「笑い話」になってしまうだろう。マット・デイモンには人糞が似合う、ひとの「体温」が似合う。そういう「あたたかさ」がある。問題をひとつひとつ解決していく、という積み重ねが似合う。
 エキサイティングなストーリーなのだけれど、地味。そして、その地味を具現化している。アカデミー賞の「主演男優賞」の候補に上がっているようだ。この映画で受賞すると、おもしろいと思う。
                        (天神東宝3、2016年02月07日)





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ピアニッシモ

2016-02-08 00:00:00 | 
ピアニッシモ

 私は遅れてその部屋に入っていったのだが、「ピアニッシモ」というのは、すぐに「比喩」だとわかった。わざと抑えた欲望という意味と、知れ渡った秘密の共有という意味に分かれて、それがそのままそこにいるひとを区別した。白い皿と、中央に置かれた果物のいくつかの色を跳び越えるように、ことばが行き交ったが、語られるのは思ってることではなく、それぞれが知っていることであった。したがって、ひとを区分けしているのはことばの内容というよりも、ことばといっしょに動く意味深な目配せや、唇の端に浮かぶゆがみであり、それを不注意に「感情」と誰かが言い換えてしまったために、突然、沈黙が広がってしまった。
 「いまのお考えについて、どう思われます?」
 決して他人と同じ意見を言わないひとが、私に問いかけてきた。私は、質問とは無関係に、私の順番がきたら言おうと思っていたことばを、何度も何度も頭の中で繰り返していたのだが、言わなければならない瞬間にのどがこわばり、声がかすれてしまった。「あのピアニッシモのタッチには、独特の感情というよりは、数年前に流行したスタイルの影響が感じられますね。何かの衝動に負けて動いてしまうというよりも、そういう雰囲気をだそうとしている。私はむしろ、それを意思と呼んでみたい気がします。」



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