詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ジャック・オーディアール監督「ディーパンの闘い」(★★★★)

2016-02-26 09:23:13 | 映画
監督 ジャック・オーディアール 出演 アントニーターサン・ジェスターサン、カレアスワリ・スリニバサン

 スリランカの内戦を逃れてきた難民の物語。見知らぬ男と女、少女が家族を偽装してフランスへ入国する。女の方はフランスではなく家族(親族?)がいるイギリスへ行きたかったのだが、割り振られた入国先がフランスだった。そういうこともあり、この「偽装家族」はなかなかすんなりとは暮らせない。
 やっと見つけた仕事はアパートの管理人。ただし、このアパートというのがドラッグの売人の巣窟。(でもないのかもしれないが、そういうひとが多くで入りしている。)女はそこで老人介護の仕事を見つけるが、その息子はドラッグの売人。で、その売人同士のトラブルに「一家」が巻き込まれていく、というストーリーなのだが。
 忘れられないシーンがふたつある。
 ひとつは主人公の男が見る悪夢(?)。木の葉が揺れる。何かが動いてくる。何かわからない。ぼんやりした暗闇のなかから、突然、巨大な塊があらわれる。象、のように思える。象の顔のアップ。左半分くらいしか映っていない。
 主人公がジャングルに逃げ込んで見た象なのかもしれない。
 そのとき主人公は何を感じただろうか。「悪夢」と最初に書いたのだが、もしかすると「悪夢」とは逆なものだったかもしれない。象に殺される、というよりも、象もまた「内戦」を逃げてきて、ジャングルに隠れているのかもしれない。隠れて、生き延びているのかもしれない。そういう「共感」も感じたのではないのか。人間と野生の「共生」も感じたかもしれない。それは、そのまま、もう一度ジャングルのあるスリランカへ帰りたいという深い欲望の象徴かもしれない。
 もうひとつは、スリランカから難民として逃れてきたひとたちのコミュニティーといえばいいのか、交流といえばいいのか。「祝日(だと思う)」に寺院(?)に集まり、そのあとピクニックにゆく。娘が野の花を摘んで、男に渡す。男はその花束を女に渡す。偽装の家族だが、この一瞬、「家族」になっている。その象徴が「野の花」。これは男が夢に見る象とは対極にあるのだが、対極だけれど「同じひとつ」でもある。自然とともに生きている暮らしである。ここでも「共生」ということばが自然と思い浮かぶ。
 故国を離れているが、故国を忘れてしまうことはできない。そういう感じが、このふたつのシーンにあふれている。
 主人公の男も、強い印象残す。
 偽装家族(夫婦)だからセックスの関係はないのだが、同じアパートに暮らす男と女だから、どうしてもそういう関係になってしまう。なってしまうが、それがそのままなし崩しに「夫婦関係」になっていかない。欲望を抑えている。その抑圧が、逆に、なまなましい。それをドアのすき間から見える女の体の半分(半分はドアや壁に隠れている)姿に象徴させている。ジャングルのなかで象の顔とぶつかったときは、顔が近すぎて半分しか見れないのとは逆に、女の体は全身が見ることのできる近さにあるのにドアと壁に隠されて半分しか見ることができない。
 何か、いつも、半分なのだ。完全でないのだ。
 この「半分」隠している、という感じが「全身」からあふれてくる。常に自分自身の「半分」をどこかに隠して生きている感じが、とてもなまなましい。
 で、その隠されていた「半分」がラストのドラッグ密売組織の「内紛(?)」に巻き込まれた女を助けにゆくときに、ぱっと解き放たれる。硝煙で薄暗いアパート。その階段を男がしっかりと上がっていく。銃撃戦がある。それをかいくぐり、女を助ける。あ、内戦のときの、反体制側の兵士だったのだということが、このとき「肉体」として表現される。(それまでも、ことばで、そしてやはり難民として逃れてきた「上官」との対面などで、それは表現されるのだけれど……。)修羅場を潜り抜けてきた力が、そこに動いている。

 ほんとうの最後。ドラッグ組織の内紛から生き延びた「偽装家族」は女の親類がいるイギリスに渡りほんとうの家族になっている。こどもが生まれている。血のつながらない少女もいっしょにいる。三人は四人になり、女の親類の家族といっしょに明るい陽差しのなかにいる。--これは、「現実」なのか、それとも男の新しい「夢」なのか。
 どちらでもいいと思う。
 それにしても、と思うのである。
 「難民」が「難民」となるのも、むずかしい。つまり、「難民」として故国を逃れ、異国にたどり着くことも非常にむずかしいが、「難民」が「国民(市民)」になるのも、とてもむずかしい。まず、仕事がない。男はアパートの管理人という仕事を手に入れるが、そのアパートは都会の安全なアパートではない。田舎の、ドラッグの密売人がたむろするアパートである。女も仕事を見つけるが、老人の介護という手間のかかる仕事である。どちらも、いわばその国(フランス)で、誰もがつきたいと思っている仕事ではない。だから、「難民」にそういう仕事を押しつけるのである。ほんとうの「共生」ではない。
 でも、まだ「難民」を受け入れているから、ヨーロッパの諸国は難民問題といきちんと向き合っているといえるだろう。こういう映画がつくられることも、難民問題を自分の問題として見つめる姿勢のあらわれだろう。日本はどうなのか。「難民」が日本に助けを求めてやってきたとき、どう向き合うのか。どう「共生」していくのか。そういうことも考えさせられた。
                       (2016年02月20日、KBCシネマ2)










「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
預言者 [DVD]
クリエーター情報なし
トランスフォーマー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする