詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「象徴」の定義(安倍の戦略を考える)

2019-05-08 11:15:43 | 自民党憲法改正草案を読む
「象徴」の定義(安倍の戦略を考える)
             自民党憲法改正草案を読む/番外260(情報の読み方)

 きのう、安倍の平成天皇へのことば、新天皇へのことば、新天皇のことばを比較した。そして、そこに「日本国及び日本国民統合の象徴」ということばが共通してつかわれていることを指摘した。
 天皇は「象徴」なのだから、何も問題がないように見えるかもしれないが、私は重大な問題が隠されていると思う。
 「日本国及び日本国民統合の象徴」というのは、自民党が2012年に発表した「憲法改正案」にあることばであって、「現行憲法」は、そうは書いていない。

日本国憲法第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

自民党改憲草案第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、そこの地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 似ているが、違う。
 意味は同じと考える人が多いかもしれないが、意味が同じなら改憲草案で変える必要がない。現行憲法と同じ文言をつかっている部分が多いのに、「細部」にこだわって変更しているのは、変更した「細部」に重要な「秘密」が隠されているからだ。
 どう違うか、それを指摘するのはなかなか難しいが、平成天皇が2016年の夏に発表した「ビデオメッセージ」を参照にすると見えてくるものがある。平成天皇は即位するとき「象徴」ということばはつかっていないが、メッセージでは、ていねいに語っている。その部分を引用する。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二八年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 大事なのは、

時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

 平成天皇は、「国民の傍らに立つ」「常に国民と共にある」と象徴を定義している。そして、それを実践してきた。その実践の仕方のひとつに「皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅」があるが、もうひとつ忘れてはならないことがある。天皇は語っていていないが、語らせてもらえなかったのかもしれない。被災地の訪問である。そして、その実践の姿を思い出せば、それが「人々の傍らに立つ」というよりも「人々の傍らにひざまずく」であることがわかる。
 「日本国民統合」、その「統合」ということばを聞けば、なんとなく全体を「上から」まとめるという印象がある。天皇が「上から」国民を見下ろし、まとめるという感じがある。私は、「統合」から、どうしてもそう思ってしまう。
 しかし、平成天皇は、この「上から」を完全に否定し、国民のいる場で、しかもひざまずいてことばをかわしている。ひざまずいて、祈っている。祈りの中心になっている。これが平成天皇の「象徴の定義/象徴の実践」なのである。
 自民党の憲法改正草案のように「日本国及び日本国民統合」と「国」と「国民」をひとくくりにはしない。「国民」というのはひとりひとりである。だからこそ、ひとりひとりに直接会う。直接会うために、全国を旅した。

 こういう「定義と実践」を安倍は隠そうとしている。
 安倍は、退位、即位の日のことばで、さすがに「元首」ということばをつかっていないが、「日本国及び日本国民統合の象徴」と改憲草案にあることばをそのままつかっているのだから、どこかで「天皇は、日本国の元首であり」ということばを意識しているだろう。
 天皇を「元首」として利用して、独裁を進めたいという意識があると思う。
 改憲草案にも「象徴」ということばがあるのだから、「元首」ということばがあっても、「象徴」は守られるのではないか、と考える人もいるかもしれない。ちょうど、9条をそのままにしておくなら、自衛隊を追加しても平和憲法は守られると考えるのと同じように。
 だが、同じなら、変える必要がない。変えたなら、そこには以前とは違うものが確実に存在すると疑うことが必要だ。

 安倍の狙いは、新天皇に、平成天皇と同じことをさせないこと。つまり国民と直に接し、国民の視線の高さ(ときにはひざまずいた高さ)を持たせないことだ。あくまで「国」を意識し、「上から」(あるいは、みえないところで)「統治」するときの「目印(象徴)」にすることだ。
 天皇の強制生前退位を審議する有識者会議で、何人かの人が「天皇は皇居にいて、つまり隠れて祈っているだけでいい」と主張した。この「見えない天皇」というのが、安倍一派の「理想」である。国民には「見えない」から、何も判断ができない。安倍(権力)は天皇に会う(天皇を見る)ことができる。そして、会ったあと「天皇はこう語っていた」と話をでっちあげることもできる。国民はそれが真実かどうか判断する材料を持たない。安倍の話(ことば)をそのまま天皇のことばとして受け入れるしかない。「日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴」のことばとして、受け入れるしかなくなる。
 天皇を隠すことによって(国民と触れさせないことによって)、安倍が天皇の代理になる。つまり「元首」になる。独裁が、そうやって完成される。この「天皇の利用の仕方」は、何かを思い出させないだろうか。第二次大戦を思い出させないだろうか。
 私の考えでは、安倍は「日本国及び日本国民統合の象徴」ということばをつかうことで、またそれを新天皇に言わせることで、平成天皇を抹殺したのだ。
 平成天皇のビデオメッセージで、天皇は「天皇には国政に関する権能はない」と繰り返し語ったが(同じ表現ではないが)、これも「言わせられた」と私は感じている。そんなことを言う必要はない。でも、それを言わせることで、安倍は天皇の口封じをしたのである。
 私はこれを「沈黙作戦」と呼んでいる。天皇さえ沈黙させることに成功した。国民を沈黙させることなど、わけはない、と考えているのだろう。

 なぜ安倍は今回「日本国及び日本国民統合の象徴」という表現を繰り返しつかったのか。繰り返し聞いていると、それが耳になじんでしまう。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とわざわざ「象徴」を繰り返さなくても、それでいいんじゃないかと思ってしまう。刷り込みというか、洗脳である。そうやっておいて、改憲案に「日本国及び日本国民統合の象徴」ということばをつかっても、だれもなにも感じないだろう。ことばが変えられたことさえ気がつかないかもしれない。誰も問題にしない。
 これが狙いである。そして、これも「沈黙作戦」の手法のひとつだ。

 安倍は「沈黙作戦」とは言わずに「静かな環境」と呼ぶ。
 天皇の強制退位も「静かな環境」の「有識者会議」で道筋をつけた。天皇の退位/即位も「静かな環境(政争から離れた環境)」ということで統一選のさなかの「 4月1日」は回避された。一方、「静かな環境」を主張しながら、「元号」の発表などで安倍はテレビに出てくる。顔を見せる。国民に自民党をアピールするためである。
 改憲問題も「憲法審査会の静かな環境で」と言っている。
 究極の「静かな環境」は、国民が「沈黙」を強いられる「独裁」だが、これが安倍の狙いである。



 「沈黙作戦」をまた思い出すのが、05月08日読売新聞(西部版・14版)の次のニュース。

日朝会談「無条件で」/方針転換 首相「実現を優先」/日米電話会談

 いままでは「拉致問題解決が重要」と言っていたが、「拉致問題」を棚上げするというのである。いつやるとは書いていないが(相手があることだから、安倍の都合では決められない)、狙いは「参院選」だろう。「参院選」前に会談し、安倍の存在(自民党の存在)をアピールすることだ。
 拉致問題の解決よりも、参院選で自民党が勝利し、改憲を進め、安倍独裁体制を確立することが狙いなのだ。
 だから、たとえ日朝会談があったにしろ、そのとき国民が「拉致問題を解決しろ」と要求しようとすると、それは「口封じ」にあう。重大な会談である。「静かな環境」で会談しなければならない。国民は安倍批判をしてはいけない。安倍批判をすれば、北朝鮮に有利である、ということだ。
 山口であった日露会談も、ラブロフが経済援助は日本が言ってきたもの(北方四島を見返りにロシアが要求したものではない)と事前にばらし、失敗がみえみえになると、「静かな環境でおこなわれるべきだ」とさまざまな批判を封じた。

 これから、さらに「静かな環境」ということばが繰り返されるだろう。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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池澤夏樹のカヴァフィス(140)

2019-05-08 08:33:27 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
140 キモン、レアスコスの子、二十二歳、ギリシャ文学専攻の学生(キュレネにて)

だから、ぼくは悲しい。彼の早すぎる死は
ぼくの怨みをすっかり拭い去った。
マリロスがぼくからエルモテリスの愛を
奪ったことへの怨みを。
今もしエルモテリスがぼくに戻ったとしても
以前と同じということにはならないだろう。
自分が何を感じ取るかよくわかっている。
マリロスの影が二人の間に入ってくる。
彼は言う、ほら満足だろう。
望みどおり彼は戻ったよ、キモン。
ぼくのことを怨む理由はもうないよ、と。

 「自分が何を感じ取るかよくわかっている。」という一行を中心にことばの展開の仕方が変わる。それまではキモンという男からみた「現実」が描かれる。ところが、そのあとは「現実」ではなく、空想(想像)である。
 しかもその内容は、自分の「思い」ではなく、死んでしまったマリオスの行動(ことば)なのだ。
 つまり、ここで「主役」がかわる。
 しかしかわったはずの主役が目立たない。
 カヴァフィスの詩の特徴は、作品の登場人物(主役)が誰であれ、その人の「声」が直接聞こえる。しかし、この詩の役では、交代したはずの主役の声が聞こえない。
 それを想像するキモンが舞台に居残っている。

ぼくのことを怨む理由はもうないよ、と。

 この最後の、「、と。」が邪魔している。ことばを補うと、これは「、とマリオスが言う。」になる。原文は、どうなっているかわからないが、「、と。」が、とても目障りだ。

 池澤は、こう書いている。

 カヴァフィスには珍しいことに、これはほとんど短篇小説だ。

 カヴァフィスの詩が「短篇小説」なのか、池澤の訳が「短篇小説」の枠構造になっているのか。もっとカヴァフィスらしく訳す方法がなかったか。




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