詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

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2019-05-29 22:53:25 | 詩集
池澤夏樹訳『カヴァフィス全詩』を読む

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秋川久紫『フラグメント奇貨から群夢まで』

2019-05-29 11:14:50 | 詩集
秋川久紫『フラグメント奇貨から群夢まで』(港の人、2019年05月15日発行)

 秋川久紫『フラグメント奇貨から群夢まで』は作為に満ちた詩集である。「あとがき」にこう書いてある。

五部構成の断片の内側に、位相の異なる四部構成の断片を折り込む手法

 同時にこういうことも書いている。

経済用語や会計用語、IT用語などを、漢語や古語、彩色された超獣への置換による韜晦を施しながら、半ば強引に詩の構成要素に引きずり込んだ

 で、この二つ目の引用の「言語」の問題に関して、秋川は

現代詩らしからぬ試み

 と書いているのだが。
 では、「現代詩らしい試み」というのは何なのだろうか。
 「経済用語」がどういうものであるかしらないけれど、さとう三千魚が『貨幣について』(書肆山田、2018年08月20日発行)を出版している。これは傑作だった。
https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/54a94ad0c148c2bc9366a0182f6a0968参照 
 さとうの場合、「用語」ではなく、肉体を通した「ことば」になっている。
 でも、秋川の場合は、あくまで「用語」なのだと思う。
 で、私の考えでは、「用語」を用いるのは詩ではない。「用語」と呼ばれるものを、用語ではなくしてしまうのが詩である。
 つまり、秋川のやっていることは、あくまで「試み」であって、詩になっていないと私は思う。

 どう書いても抽象的になってしまうかもしれないが、「火焔と屹立を巡るエスキス」の最後の部分。

黄龍税法一三二条第一項が、係累黄龍と非係累黄龍との間の徴租負荷の均衡を維持する趣旨であることを鑑みれば、当該営為又は計量が、理財上の合理性を欠く場合には、相互に情交関係のない冷却者間で行われる交易は異なっているものと解するのが相当であり、その判断にあたっては、個々の黄龍が吐く火焔の状況や、その熱量に即した検討を要するものと解するべきであろう。

 簡単に言いなおせば、セックスと金のやりとりのことを書いているのだろう。愛情がなくてもセックスはできる。そしてセックスをすれば、愛情がなくても生理的反応は起きる。生理的反応があったからといって、愛情があったとはいえない。両者の関係をどう「客観的」に判断するか、そして弱者の利益をどう保障するかというために法律はある、ということなのだが。
 こういう「架空」のことばの運動は、私の考えでは、「後出しジャンケン」であって、いつでも、どうとでもなる。つまり「屁理屈」になってしまう。
 「現代詩」は「屁理屈」であってはいけない、とは思わないが。
 私は「屁理屈」が嫌いだ。
 めんどうくさい。
 そして、なぜ、ことばの運動を「屁理屈」と感じてしまうかといえば、ことばに「凝縮」された感じがないからだ。「余剰」というのとも違う。ことばがありあまって暴走していくというのなら、それはそれで楽しい。別なことばで言えば「リズム」がない、ということかもしれない。いや、どういうことばにも「リズム」そのものはあるから、「リズム」の統一感がないといえばいいのか。
 「用語」の持っているリズムと、「用語」を運用させるリズムが違う。「用語」がもっぱら「漢語(漢字熟語)」で構成されているが、「漢語(中国語?)」というのは私の印象では「語順」である。「語順」が「意味」を決めてしまうという文体リズムだと思う。けれど日本語は「語順」も大事だが「助詞」が主語と動詞の関係を支配するので、「漢語」とはリズムが違う。それを処理しないまま、「屁理屈」にするから、読んでいて面倒くさいと感じる部分が多くなる。

 きっと誰かが好意的な批評を書くだろうと思うが、私は、こういう文体にはなじむことができない。





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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(9)

2019-05-29 10:12:11 | 嵯峨信之/動詞
「地名、人名」

* (氏名 人間は)

氏名 人間はそれをなぜつけたか
雲には名前はない ひたすらながれて いつとなく消える

 書かれていない動詞がある。「ある」。人間には名前がある、雲には名前がない、と言いなおすと「ある」と「ない」が対比されていることがわかる。
 「ない」は「流れる」「消える」という動詞といっしょに動いている。そうならば、書かれていない「ある」は「流れない」「消えない」といっしょに動いている。
 人間に名前をつけるのは、人間を「消さない」ためである。そこには祈りが「ある」。





*

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