詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎の世界(5)

2019-05-26 21:43:27 | 現代詩講座


谷川俊太郎の世界(5)(朝日カルチャーセンター(福岡)、2019年05月20日)
                         

 「よなか」「まいにち」「ふたり」を読んだ。参加者は、池田清子、香月ハルカ、井本美彩子、青栁俊哉、萩尾ひとみと私(谷内修三)。きょうは「よなか」をどう読んだかを紹介する。

よなかっていういいかたがすきだ
おれいま
よるのまんなかにすわってる
あかりはつけてない
つきもでてない
めをあけてもなにもみえないから
めをつむってもおんなじ
かとおもうとちがう

はじめはまっくらです
でもだんだんみえてくる
そとにあるものじゃなくて
じぶんのなかでたえずうごいているもの
いろもかたちもなくていきているもの
こわいようなおもしろいような

それがいったいなんなのか
いいたいけどどういえばいいのかわからない
なみのようなくものようなそのうごきに
おれ ただよっている

--まず、ここが好き、ここが嫌い、ここがわからない、ということろから語り始めましょうか。
「めをつむってもおんなじ、ということろが好。夜中が何をあらわしているかな、というのが気になった。宇多田ヒカルの歌で『目をつむれば夢も現実も同じ』があって、そのことを少し思った。対比すると、谷川は『同じ』とは言わずに『おんなじ/とおもうと違う』といっているのだけれど」
「でもだんだんみえてくる/そとにあるものじゃなくて/じぶんのなかでたえずうごいているもの。お昼じゃなくて、夜中だからそういう感覚になるのかなあとも思う。私も夜が好きで、夜に自分に戻れるということころがあって、そういうことと重なる」
「私も、じぶんのなかでたえずうごいているものが好きを中心にした三行。目をつむって、動いているものを感じるところが人間の人間の深いところをとらえていて、とてもおもしろい。人間の不思議さが描かれている。こういうことを書くひとはあまりいないかなあと思う。つかわれていることばは簡単だけれど、思っていても言えない。簡単なことばで深いことを表現するところがすばらしい」
「最後のおれ ただよっている。真っ暗なところは私は怖いイメージがある。そのなかで動いているものを、谷川は『こわいようなおもしろいような』と書いているけれど、自分には怖い方が強い。でも、そもその動きに最後で漂っているというところで、自分が救われる感じがする。怖いのじゃなくて、楽しんでいるところが出てきたので、そこが好きだなあ」
「おもろいですね、その部分」
「じぶんのなかでたえずうごいているもの。だれもが感じていることとも思うけれど、まだことばになる前の意識の状態が描かれている」
--いま出てきた感想のなかで「対比」ということばがあったけれど、「同じ」と「違う」のように、この詩のなかには「対比」がたくさんありますね。ほかにどんなことばが対比になっていますか?
「何も見えないから、だんだん見えてくる」「外と自分の中」「こわいとおもしろい」
--三連目にはないですか?
「いいたいけどどういえばいいのかわからない」
「目をあけても何も見えない、目をつむっても同じは、開けてもとつむるが対比になっている」
--この詩には、いま指摘があった「ない」ということばがたくさん出てくる。見えないもそうだけれど、明かりはつけてない、月も出てない、とか。この「ない」の反対のことば、対になっていることばはないだろうか。
「ある。だんだん見えてくるものがある」
--そうですね。見えてくるものがあると、あるを補って言ってくれたんだけれど、「そとにある」ということばのなかには、そのまま「ある」がありますね。谷川は「ある」ものと「ない」もの、見えるものと見えないものがある。その組み合わせでいろいろ書いている。でもその組み合わせが奇をてらっていない、とても自然なので意識しにくい。その見過ごしてしまいそうな対比を追いかけていくと、谷川の書こうとしていることが、また違った感じで見えてくると思う。
 それを探すために、今度は逆のことをしてみましょうか。「対比」は違うものを比べる。そうではなくて、同じことを言い換えたものはないか。たとえば一行目の「よなか」を同じようなことばで言い換えた部分はないですか?
「よるのまんなか」
--そうですね。言い換えると、思いが少しずつ深くなっていく。対比もそうなのだけれど、ほんとうにいいたいことが少しずつわかってくる。最初からいいたいことがあってそれを書くというよりも、いいたいことを探しながら書いていく。そうしてだんだんかわっていく。もちろん最初から書きたいことがぜんぶ決まっている人もいるかもしれないけれど、多くのひとは書きたいことを少しずつ確かめながらことばを進めていく。谷川の場合、そのときつかっていることばがとても日常的なことばなので、なかなか気がつきにくいけれど、やはり対比や言い換えをくりかえして、少しずつ動いていると思う。作為が見えないので、自然な感じが強い。
 「めをあけてもなにもみえないから/めをつむってもおんなじ」は対比だけれど、同時に言いなおしでもある。繰り返しですね。
 でも、この一連目の「めをつむってもおんなじ/かとおもうとちがう」は何が同じで、何が違うんだろう。わざわざいいなおしているのはどうしてなんだろう。何がいいたくて同じだけれど違うと書いたんだろう。
「目を開けても見えない、というのは外にあるものが見えない。現実に見えない。でも、めをつむっても、こころのなかにあるものは見える。外にあるものは見えないけれど、心の中にあるものが見えるということが違う」
--そうですね、外と内側の違いがある。これを二連目で言っている。だから、二連目は一連目で言えなかったことを言いなおしていると読むことができる。夜、外にあるものは何も見えない。けれど、目をつむると、外ではなくて、自分のなかにあるもが見えてくる。二連目の一行目に「めをつむると」ということばを補うと、二連目と一連目の違いがわかりやすくなると思う。「めをつむる」と「自分の中をみつめる」が自然につながっている。
 この二連目の「じぶんのなかでたえずうごいているもの」を言いなおしたのは、何になりますか?
「いろもかたちもなくていきているもの」
「なみのような、くものような」
--そうですね、二連目につかわれていることばだけでさらに言いなおすと?
「こわいようなおもしろいような」
--そうですね。少しずつ言い換えてるんですね。色も形もないから見えない。でも、動いているのを感じる。それを「こわい」と感じ、また「おもしろい」と感じている。そして、見えていると感じるのは、こわいと感じたりおもしろいと感じたりするからですね。どちらが先か言えないけれど、重なり合っている。何かを感じているかぎりは、そこに何かが「ある」ということになるのだと思う。「こわいようなおもしろいような」のあとには、その前の行にあった「もの」ということばが省略されている。けれど、そこには何か「もの」があるんですね。
 で、もうすこし言い換えを見てみましょうか。「じぶんのなかでたえずうごいているもの」の「動いている」という動詞を言い換えたことばがありませんか?
「いきている」
--そうですね。私も生きているだと思います。生きているから動いている。これをうけて三連目が始まると思います。「それがいったいなんのか」。「それ」と呼ばれているのは二連目全体が書いていることだけれど、動いて、生きている、目に見えないけれど、「ある」もの、ですね。
 谷川は、それを「なんなのか」と自問自答しながら、同時に読者にも問いかけていると思う。谷川自身は「いいたいけどどういえばいいのかわからない」と、明確ではないけれど、答えを探すようにしてことばを動かしている。「わからない」といいながら、そのあともことばを動かしている。ここが、詩のおもしろいところですね。
 算数やなんかの場合、1+1=2のように決まった答えがあるんだけれど、詩には答えがない。文学には答えがない。自分で、自分なりに探し出して「答え」にしてしまえる。ときには1+2、また1+3という問い方もできるので、答えも違ってきてしまう。
 それで、とてもおもしろいのは、
 「なみのようなくものような」
 と言ってしまうと、それが「なんなのか」「わからない」はずの「答え」になってしまう。同時に、もし、それが答えだとすると、
 「いいたいけどどういえばいいのかわからない」
 という一行はなくてもいいことになる。なくても、「意味」(答え)は変わらないですよね。
  それがいったいなんなのか
  なみのようなくものようなそのうごきに
  おれ ただよっている
でも詩は成り立つ。谷川のいいたい「結論」のようなものは、わかる。
 でも、谷川は書かずにはいられない。
 それでさっき、感想の中に「自分のなかでことばになる前に動いている無意識のようなもの」という指摘があったけれど、それが、この「いいたいけれどどういえばわからないもの」になりますね。「いいたいけれどどういえばわからないもの」というのが、ことばになる前のことですね。
 それでもう一度二連目に引き返す形で詩を読み直すと、二連目の「うごいている」(動く)という動詞が、三連目で「うごき」という名詞になってますね。ここからも、「じぶんのなかでたえずうごいているもの」を言いなおすと「なみのようなくものような」になることがわかる。
 で、いま感想を言い合う形で、一連目、二連目、三連目の全体の構造というか、ことばの動きがわかったと思うけれど、もう一度一連目から読み直してみましょうか。
 いま見てきた「対比」は「暗くて外が見えない」「けれど自分のなかで動いているものが見える」という対比だったけれど、自分の中が見えるというのはとても抽象的な言い方ですね。もっと具体的な対比を探してみましょうか。
 詩の最終連ので「おれ ただよっている」が好きという意見があったけれど、その「ただよっている」ということばの対局になることばはないだろうか。それを「対」と考えることはできないだろうか。
「すわってるかな。じっとしている」
--そうですね。谷川は、一連目で「すわってる」。けれど三連目で「ただよってる」と動いている。変化している。でも、どうして「すわってる」が「ただよってる」になってしまったのだろう。何が変わったのだろう。それを考えてみましょう。どういう変化があったのだろう。
「波のように雲のように絶えず動いているから、漂う」
--座ってるから、動いているに行って、そのあと漂ってる。そうですね。見えないものが見えるようになって、それが見えるようになったのは動いていると気づいたからですね。
 まず、座っている。外を見ると真夜中なので、真っ暗で何も見えない。けれど、自分の中を見ると、何かが動いているのが見えた。感じられた。その結果、漂い始めた。そうすると、自分の中を見ることによって、動いた、動きが始まったということがわかりますね。自分は何者なのかな、とかいろいろ考えることが動きにつながったと思う。ここには視線が自分の外から、自分の中へと動いている。
 そのほかに、私は、この詩にはとても大きな変化があると思う。
 井本さんは、この詩をみんなと一緒に読んでみたいといったとき、「おれ」ということばがつかわれているのが珍しい、と言ったのだけれど。この「おれ」は最初から最後まで「おれ」ですか?
「じぶん、ということばが二連目に出てくる」
--そうですね。いま萩尾さんが「じぶん」ということばを見つけ出してくれたんだけれど、二連目の「じぶん」は「おれ」でもかまわないですよね。「意味」は変わらないですよね。「おれのなかでたえずうごいているもの」と言ってもいいのに、谷川はなぜ「じぶん」ということばをここで選んだのだろう。
「じぶんって、もしこれが私(井本)だったとしても、ことばとして成り立つ」
「そとから見えるものじゃなくて、からだのなかで感じるものだから、じぶん。内面だから」
「おれというと、一人称ですよね。でもじぶんというと、そこにある人間のかたらのようなものを思い浮かべる」
「おれ、の場合は、何か意志のようなものを感じる」
「おれの方が客観的、かなあ」
--対比で言うと、「おれ」の反対側にはだれがいるんだろう。
「おまえ」
--自分の反対側には?
「あなた」
--この詩の場合は、もしかすると「読者」ということになるかもしれない。井本さんが言ったように、この自分には、読者がだれでもすっと「自分自身のこと」と思わせる力がある。「おれ」と書いてあると、男性は自分を重ねやすいかもしれないけれど、女性は自分を重ねる前に、対象として見てしまう、客観的に見てしまうかもしれないですね。
 で。前回「キーワード」について、私は言い換えの汚いことばを「キーワード」と読んでいるという話をしました。この詩の場合は、この「じぶん」がキーワードだと思う。「おれ」と言ってもいいのに「じぶん」と言いなおしている。
「じぶん、というのは普遍的ということですか」
「この自分ということろで、井本さんが言ったように、自分自身になってしまいますね」「おれは、わたしから見て他人なのだけれど、ここまで読むと、あ、自分のなかに動いているものがあると気づく」
--そうですね。それから「じぶんのなか」の「なか」ということばも不思議ですね。だれでもつかうことばだけれど。ほかにも「なか」が出てきますね。「よなか」「よるのまんなか」とか。それで、一行目の「よなかっていういいかたがすきだ」と書いてあるけれど、何と比べて好きなのかなあ。「よる」が好きと書いているわけではない。これは私だけの感じかもしれないけれど、「よなか」というとそここそ「よるのまんなか」、夜の内面という感じがしませんか? 広がりがあって、その広がりの中と、自分の中が重なっている気がします。
「夜中じゃないと、たぶん自分のなかのものは見えない」
「私、夜中を夜の真ん中と感じたことがなかったです。12時とか1時とか、時間のことを指しているのだと思っていた。それで、ほーっと思いましたね」
「夜中と真夜中の違いが、よくわからない」(笑い)
「時間的に夜の真ん中と思っていて、夜というものの真ん中を考えたことがなかった。ことばをそんなふうにつかうことを考えたことがなかった」
「時間とは別の広がり、時空間を感じさせる」
--夜というと日が沈んで日がのぼるまでの時間を指すのがふつうだけれど、この詩のなかの「よなか」というのは時間のことじゃないということですね。「よるのまんなか」というのはそれを強調している感じですね。
 もうひとつ。三連目に「いいたいけれどどういえばいいかわからない」ということばがある。「ない」ということばは、一連目に「あかりはつけてない」「つきもでてない」「なにもみえない」と繰り返されている。それが二連目で「外にある」と「ある」が出てくる。ただし、この「ある」は、すぐに「じゃなくて」と一瞬にして消えてしまう。けれども、たしかに「ある」。そのあと三連目で「わからない」ということばが出てくる。「おれ→じぶん→おれ」という動きにあわせるように、「ない→ある→ない」も動いている。この重ね合わせがあって、詩がとても自然なのだと思う。
 ところで、この「いいたいけどどういえばわからない」というのは、ふつうの言い方ではあるんだけれど、ほかにはどういう言い方をします?
「どうしていいかわからない」
「いいたいけど、とは言わずに、どういえばいいかわからない、だけかな」
--いいたいけどいえないと、いいたいけれどどういえばいいのかわからないは、どう違うんだろう。
「言いたいけれど言えないは、言えるんだけれど言わない。言わないを選んでいる」
--言いたいけど言えないは、「わかってる」ということですね。わかっているけれど、言わない。
「そこのところが、なんかいらいらしますね。おれ ただよってるが結論じゃなくて、もっとわかるように言ってほしいという気持ちになる」
--あ、それおもしろいなあ。もし、池田さんなら、最後はどうする?
「えっ、わからない。でも、動いているものを、もっとはっきり言ってほしい。ただ、それに漂っているのではなくて」
--うーん。二連目の、「こわいようなおもしろいような」、三連目の「なみのようなくものような」のこの「ような」をなんといいますかね。
「比喩」
--比喩というのは、何か言いたいことを強調したり、あるいはうまく言えないので別なことばで言うことだと思う。この詩では、的確に言えないので比喩にしているのだと思う。だから、わかるように、というのはむずかしいなあ。わからないから比喩にしている。ここがわからないといわれたら、詩人は困るかなあ。はっきり言えない。だから「ような」ということばで何かを示そうとしている。それを「ような」をつかわずに言いなおすのはむずかしい。たぶん、「ような」を明確にすることは、読者ひとりひとりに任されている。
 それで、さっき対比について語り合ったとき、二連目の「こわいようなおもしろいような」を対比ととらえたけれど、ふつうは「こわい」の反対、対になることばは何ですか?
「楽しい」「安心」「やさしい」
--こわくないがいちばん簡単な反対のことばじゃないですか? こわくないを言いなおすと安心とか、平気になる。
 で、この「こわいようなおもしろいような」というのは、体験したことあります? どういうとき「こわいようなおもしろいような」を感じます?
「ジェットコースター」
「恐怖映画」
「こわいけれど、わくわくする」
--それで、自分のなかで動いているものというのは、私はそういうことじゃないかなあと思う。はっきりしないけれど、何かが起きる。何が起きるかわからないからこわいのだけれど、それをしてみたい気持ち。味わってみたい気持ち。それが「こわいようなおもしろいような」にあらわれている。「こわいようなこわくないような」とは違うと思う。ドキドキ感が出てこない。自分の中に、そういうこわいと同時におもしろいと言えるものがあるんだという気持ちがここに書かれている。それが動いてきて、最後に「ただよっている」になっていると思う。
 この「ただよっている」はちょっとずるいというか、それこそもっとはっきり動いてほしいという気もしますが。
 で、井本さん、一人で読んでいたときと、こうやってみんなで感想を言いながら読んだときと、印象が変わりました?
「さらに難解になったかなあ。(笑い)あ、ここまでことばにこだわって読むんだと驚いた」
--谷川のこの『バームクーフン』の詩は、ひらがなで書かれていて、ふつうに使うことばばかり出てくる。何を書きたいのか、ぱっとは言い切れないですね。「平和を訴えている」とか「誰かを慰めている」とか簡単に要約できない。それがおもしろいかなあ。でも、こういう気持ちがあるんだということを書きたいのかなあ。
「谷川の詩を読んでいると、ソクラテスを思い出す」
--あ、そうですか?
「詩を書きながら哲学をしている。だから、ことばに色気がないですよ。西脇順三郎のことばに比べると、背景とか風景とか、とてもシンプルですよ。ぜんぜん違う気がします」
--いまの、色気がないというのは、言いことばだなあ。言い得て妙というか、どきっとしましたね。谷川に聞かせてやりたいですねえ。
「谷川のことばは日常的なことばばかりですよね。どういうのが、色気があることばなんですか?」
「詩ではないけれど、源氏物語のことばなんか、古典は色気がありますね。西脇もそうだし。むしろ、谷川みたいな人が少ないような気がする。まどみちおの詩が谷川に近いかなあ。簡単で、童謡に近い。」
「ぞうさんの詩とか、童謡になってますね」
--むずかしいですね。谷川とまどみちおは似ているけれど違うかもしれない。まどみちおは好きだけれど谷川は苦手という人もいますから。逆は少ないかもしれない。色気の問題なのかなあ。私も西脇のことばは色気があるなあと思う。
「どういうことろが?」
「西脇は色とか形を具体的に言っている。目に見えないものを書いていない。目に見えるように書いている」
--曲がったなすとかがよく出てくるのだけれど、ことばがあるというよりも、まず「もの」が直接見えてくる、ほんものがある、という感じ。色気を定義するというのはむずかしいけれど、そこに「もの」があるという存在感のあることばに私は色気を感じる。谷川の場合は、具体的な「もの」というよりも、いったん抽象化し、整理しているという感じがしますね。

次回は6月3日(月曜)13時-14時30分
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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(6)

2019-05-26 08:21:32 | 嵯峨信之/動詞
* (ここやあそこの町や村々に)

ああ その時
ぼくの傍らを通りすぎる者がある
そのしずかな無名の通行人
はて知れぬ遠くへ去つていくその者こそ
たえずぼくを呼んでいた者である

 「しずかな」と「呼ぶ」という動詞が呼応しているのを感じる。
 「しずか」は無言である。「呼ぶ」は声を出す。だから、それは「矛盾」だが、矛盾だからこそ、そこに詩がある。
 「しずか」が肉体が抱えている無言の声、発せられなかった「声」を聞き取る。それは聞き取った人にだけ「呼び声」として聞こえる。
 強いつながりが生まれ、そのつながりのなかで主客は交代する。
 嵯峨は、町や村々を静かに通りすぎる人になることで、詩人になる。




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