詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

フランシス・フォード・コッポラル監督「ゴッドファーザー」(★★★★★)

2019-05-28 10:07:17 | 午前十時の映画祭
フランシス・フォード・コッポラル監督「ゴッドファーザー」(★★★★★)

監督 フランシス・フォード・コッポラ 出演 マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ジェームズ・カーン、ロバート・デュバル、ダイアン・キートン

 語り尽くされた作品。私も何度か感想を書いた。もう書くこともないのだけれど、スクリーンで見る機会はもうないだろうから、少しだけ書いておく。
 とても手際のいい作品。いくつものエピソードがとても自然に組み合わさっていて、なおかつ、それぞれのシーンでの人物の描き方がしっかりしている。ストーリーの要素として動いているというよりも、そこに人間がいる感じがする。
 今回特に感じたのがダイアン・キートンの出てくるシーン。アル・パチーノと一緒に、アル・パチーノの妹(姉?)の結婚式へやってくる。幼稚園だか、小学校の先生なので、「ゴッドファーザー」一家の雰囲気になじめない。その「違和感」をさりげなく、しかし、しっかりとスクリーンに定着させている。カメラアングル、フレームのとり方に力がある。浮いていない。結婚式の片隅で、そこだけ違った世界になっている。アル・パチーノは状況がわかっているから、いわば「秘密」を隠す感じの演技をしている。ダイアン・キートンはアル・パチーノにあれこれ質問をする。ダイアン・キートンが「攻め」の演技、アル・パチーノが「受け」の演技ということになるのかもしれないが、ダイアン・キートンが演じると逆になる。「秘密」というか「違和感」に気づきながら、アル・パチーノに声をかけるのだが、それが「受け」になっている。質問攻めなのだが、答えが返ってくるのを受け止めるという印象が強い。アル・パチーノの「苦悩」が引き立つ。
 一家の秘密を知り、さらにアル・パチーノが雲隠れしたことを知る。そのアル・パチーノの行方をたずねてくるシーンも好きだなあ。ロバート・デュバルが相手をし、「手紙を受け取ると、どこにいるか知っていることになるから受け取れない」と言われて、書いた手紙をそのままもって帰る。このときの、「組織対個人」というと大げさになるかもしれないが、「個人」の悲しみのようなものが、ふっとのぞく。アル・パチーノの妹の悲しみ、絶望の表現と比較すると、「個人」という感じがわかると思う。アル・パチーノの妹は夫の浮気に苦しんでいるが、彼女には「一家」がある。けれど、ダイアン・キートンには「家族」がない。「家族」になるはずのアル・パチーノは、どこかに隠れたままだ。もう一人の主要な女性、アル・パチーノが逃亡した先のシチリアの娘と比較しても同じことが言える。彼女にも「一家」がいて、さらに親類もいるのに、ダイアン・キートンは一人。「個人」としてアル・パチーノ「個人」に向き合っている。その「線の細さ」、なんとかつながりを引き寄せようとする感じが、情報を求めてロバート・デュバをたずねていく短いシーンにも、しっかりと表現されている。この時のフレームというか、全体の構造も好きだなあ。
 アル・パチーノがシチリアから帰って来て、幼稚園で目をあわせるシーン。公園を歩くシーンもいい。
 何よりも、ラストシーン。アル・パチーノが「ゴッド・ファーザー」になる瞬間を隣の部屋から見てしまうシーンもいいなあ。ダイアン・キートンは「一家」にはなれない。アル・パチーノと一緒に生きるけれど、「一家」にはなれず「個人」として生きている感じがとても象徴的に表現されている。ダイアン・キートンが頼りにするのは、最初から最後まで、彼女自身の、「個人」の感覚だ。「個人」であるからこそ、苦しい。「一家」にはなれない悲しさがある。
 そして奇妙なことだが、この「個人」でしかないことの苦悩、絶望が、もしかすると「ゴッド・ファーザー」という「組織」を生み出していく要素だったかもしれないとも思えてくる。マーロン・ブランドが「ゴッド・ファーザー」になれたのは、アメリカに移住してきて(移民としてやってきて)、「個人」であることを知らされた結果、「個人」の限界をのりこえようとして手に入れたのが「組織」だったかもしれないとも感じさせる。こういう見方はロマンチックすぎるだろうけれど、ロバート・デ・ニーロが若い日のマーロン・ブランドを演じた「パート2」を思い出してしまうのである。ほんとうに求めているのは「組織」ではなく「個人と個人」のつながり。それが「集団と個人」に変わってしまうとき、ひとは、それとどう向き合うか。
 「ゴッド・ファーザー」はいわば「男の映画」だけれど、そこに差し挟まれた「女」の部分が、とても切なく感じられる。
 こういう感想になってしまうのは、ひとつには公開当初衝撃的だった殺しのシーン(暴力シーン)がいまは「ありきたり」になってしまって、そこに目が向かなくなっているからかもしれない。首を絞められた男が車のフロントガラスを蹴り破ってしまうシーン、そのガラスの割れ方など夢に見るほど美しく、あのシーンをもう一度見に行きたいと思ったくらいだったけれど。ジェームズ・カーンの車が高速道路の入口で蜂の巣になるシーン。アル・パチーノがレストランで二人を銃殺するシーン。いまでも、ほんとうに大好きだけれど。
 (午前十時の映画祭、中洲大洋スクリーン3、2019年05月18日)
ゴッド・ファーザー (字幕版)
フランシス・フォード・コッポラ,マリオ・プーゾ,アルバート・S・ラディ
メーカー情報なし
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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(8)

2019-05-28 09:09:18 | 嵯峨信之/動詞
* (魂しいのはずれを)

魂しいのはずれを
ひとびとが通つている
そこをぼくはふるさとへの道という
でもだれひとりそこへたどりついた者はいない

 「魂しい」という表記は嵯峨独特のものである。ふつうは「魂」と書く。
 なぜ「魂しい」と書いたのか。
 「悲しい」「嬉しい」「淋しい」という表記を連想してしまう。
 「魂」は体言だが、「悲しい」「嬉しい」「淋しい」は用言。嵯峨は「魂しい」と書くことで、その存在を「用言」としつかみ取っていたのではないだろうか。

 私は「魂」というものを見たことがないので、その存在を信じていない。私自身からは「魂」ということばをつかうことばない。誰かがつかっていて、それについて何かを言うときだけ、仕方なしにつかうのだが。
 でも嵯峨の書いている「魂しい」が「名詞」ではなく「用言」なら、それは信じてもいいと私は思う。動いているものは見えなくても動きそのものを感じることはできる--たとえば風。
 「魂しい」とは、どういう動きをするのか。どういう動きを「魂しい」と呼ぶのか。

魂しいのはずれを
ひとびとが通つている
 
 どこかの「はずれ」(中心ではないところ)を通ること、その動きを「魂しい」と呼んでいる。そこにとどまるのではなく、あくまで「通る」。つまり「過ぎていく」。そこには通った後(軌跡)が残る。通ったという「軌跡」を残す運動を「魂しい」と呼ぶ。
 「軌跡」はまた「名詞」であるけれど、「通る」はたぶん完結しない。永久に「通る」。だから「軌跡」も未完のままの運動だ。
 通る、歩く。けれど「たどりつけない」。嵯峨はたどりつけないではなく「たどりついた者はない」と書くのだが。
 その「ない」という否定よって、初めて見えてくるもの。

 冒頭の「魂しい」を「悲しい」「淋しい」と読み替えてみたい気持ちになる。たぶん、そう読み替えても詩として成り立つ。人によっては「悲しい」「淋しい」ではなく「悲しみ」「寂しさ」というような形で書くかもしれないけれど。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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トランプ報道を読む(3)

2019-05-28 08:29:02 | 自民党憲法改正草案を読む
トランプ報道を読む(3)
             自民党憲法改正草案を読む/番外270(情報の読み方)

 2019年05月28日の読売新聞(西部版・14版)の一面の見出し。

トランプ氏/日朝会談「前面支持」/日米首脳会談 貿易交渉を加速

 これだけ読むと、見出しになるニュースは何もなかったのだなあ、とわかる。
 日朝会談に「反対」と言うとしたら、それは「おれ(トランプ)の交渉に口を挟むな」と言うことであり、こういう場合は「支持する」としか言えない。「だいたい拉致問題は日朝の問題なのだから、おまえ(安倍)が責任を持て。おまえが解決しろ。おれにいちいち頼むな」と言うのがトランプの言い分だろう。
 貿易交渉は「8月には発表する」と宣言しているのだから、「加速」も何もない。読売新聞の記事によれば、トランプは

「8月には両国にとって非常に良い発表ができるだろう」と述べた。

 とあるが、「両国にとって」というのは、とてもあいまいな言い方である。たとえば、アメリカの農産物に対する関税を撤廃する。アメリカの農家は農産品が売れるので収入が増える。日本の消費者はアメリカの農産品を安く変えるので、家計が助かる。アメリカの軍需品を日本が大量に購入する。アメリカの軍需産業は儲かる。日本は防衛力が高まる。これを「両国にとって良い」交渉結果と、トランプは言うことができる。
 でもそれは逆の見方もできる。アメリカの安い農産品が大量に入ってくると日本の農産品は売れなくなる。日本の農家は打撃を受ける。アメリカの軍需品を大量購入する。そのとき、日本の福祉予算を減らし軍事予算にまわさないといけないかもしれない。日本の国民は、国を守るという名目で苦しい生活を強いられる。
 どのような状況も立場が違えば評価も違う。「ことば」を読むときは、そのことばを「立場」に還元して読まないといけない。だいたい「外交」のことばは、「立場」を配慮した「あいまい」な部分があり、そこに「かけひき」のすべてがある。簡単に鵜呑みにしてはいけない。
 だいたい、日朝会談をほんとうに支持していて、会談によって日朝の関係がよくなることを期待しているのだとしたら、アメリカが武器を日本に売りつける理由はどこにある? 日本が武器を買わなければならない理由は? 単に米軍需産業を設けさせるだけであり、日本は不必要な軍備を抱え込むということになる。
 アメリカにとって好都合なことが日本にとって好都合というわけではない。
 もし日本にとっても「良い発表」なら、参院選の前に発表した方が国民は安心する。自民党の支持も高まるだろう。日本にとっては「悪い発表」だから「8月」までのばすのだろう。
 ほんとうに「見出し」として書くべく部分は、農産品をめぐる次の記事の中にある。

日本政府は農産品の関税水準を環太平洋経済連携協定(TPP)と同程度に収めたい考えだが、トランプ氏は記者会見で「(米国が離脱した)TPPに縛られていない」とけん制するなど、貿易交渉を巡るずれが見られた。

 この記事はもっと踏み込めば、アメリカの農産品にかかる関税はTPPのものより低い、つまりオーストラリアなどから輸入されている肉よりも安い牛肉がアメリカから大量に輸入される。アメリカの畜産家はもうかり、日本の消費者も助かる。でも日本の畜産家は大打撃をうける、ということだ。
 こういう「密約」だから参院選が終わるまでは公表できない。

 書くべきニュースがなにもないから、3面の解説には、きのうは記事から取り下げた「イラン」がまた復活してきている。その見出し。

日米会談/首相、橋渡し外交/「イラン緊張緩和」成果狙い

 アメリカとイランは書く合意をめぐり対立している。アメリカはイランへの経済制裁を強めている。そのあおりで、日本はイランからの石油輸入が難しくなっている。困っているのは日本である。イランも日本に石油を輸出できなくなれば経済が苦しくなる。でも、日本とイランの経済問題は、アメリカには関係がないだろうなあ。トランプにしてみれば、石油が必要ならイランからではなく、アメリカから買えよ、と言うことにもなる。さらに、イランにしてみれば、単に経済の問題だけではなく、イスラエルとの関係があり、そのためにアメリカと対立している。さらにその先には新聞に書いていないパレスチナ問題がある。世界がほんとうに求めている「橋渡し」は、読売新聞には書かれていない「イラン-イスラエル」、あるいは「イスラエル-パレスチナ」の橋渡しである。パレスチナとどう向き合うか、中東の平和をどう実現するかである。安倍のやっていることは、トランプのご機嫌とりに過ぎない。イランは、いざとなれば石油を日本には売らないという「切り札」を出すこともできる。対イスラエル戦略の関係で、他の中東諸国も石油を日本に売らないということで歩調をあわせることだってありうるかもしれない。
 アメリカとイランの対立関係は、アメリカと北朝鮮の対立関係とはまったく性質が違う。北朝鮮はアメリカと戦っているが、イランはアメリカと戦う前にイスラエルと戦っている。中東で起きていることを書かずに、「橋渡し」という美しいことばをばらまいても意味はない。
 トランプについてまわるだけでは、何も成果が上げられない。安倍はただ「顔出し」の機会を増やすことだけに専念している。










#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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