詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

教育無償化の罠(その2)

2019-05-13 09:21:31 | 自民党憲法改正草案を読む
教育無償化の罠(その2)
             自民党憲法改正草案を読む/番外263(情報の読み方)

 「高等教育無償化」のための支援法が成立した。その法案には、読売新聞の「社説」(2019年05月11日朝刊・西部版・14版、ただし「社説」は13S版)よれば、「条件」がある。

 授業料減免の対象となる大学には、実務家教育を担当する授業を、1割以上設定するよう義務づけるという。職業に結びつく教育を推進する狙いがある。

 その続報(?)が2019年05月11日読売新聞朝刊(西部版・14版)に載っていた。2面に、

大学の研究強化策/政府、年内に 企業と新機関 可能に

 という見出しで、こう書いてある。

 政府は、日本の化学技術力を底上げするため、国立大学などが出資して産学共同研究を行う新組織の設立を可能にすることなどを盛り込んだ戦略「研究力強化・若手研究者支援総合パッケージ」を年内に策定する。13日の総合科学技術・イノベーション会議(議長・安倍首相)で方針を決定する。

 「産学官共同」ということばはもう言い古されたことばだが、学問を産業の支配下に置く、ということだ。産業の役に立つ「学問」には国も企業も出資するが、そうではないものには金は出さない。
 「実務家教育」とは「実務」につながる、「産業」につながる教育のことだが、これにしたって学問を産業の支配下に置くを言いなおしたに過ぎない。なにか新しい「技術」をめざそうとしたとき、「で、それはどのような産業に役立つのか、その技術によって投資した金はどれくらい改修できるのか」ということが常に問題になる。
 最初は、「産学共同」が推奨されるだけだが、そのうちある「学問(教育分野)」が「産業に役立つかどうか」が先に審査され、産業に無縁だとわかれば、それはどんどん縮小される。場合によっては廃止される。教育はおこなわれても「大学教育」ではない形、つまり「無償化」の対象外としておこなわれるということになるだろう。しかも、その議論には官(安倍)がからんでくる。会議の議長は安倍である。
 「産学共同」というよりも、官によって産学を強制的に指導する。「産学官」ということばがあるが、「官→産→学」という支配構造の確立を目指したものだ。そうすることで「無償化」に投資した金(確か、消費税増税から支出されるはずだが)を、産業に還元し、産業から官へ「献金」という形で貫流させる。そういう仕組みのようである。

 「無償化」の対象に、「安倍批判の研究」というようなものは絶対に含まれないだろう。たとえば安倍批判をつづけている弁護士(実務者)などを招いて講座を解説し、「1割基準」を達成しようとしても、それが認められるとは私には思えない。

 「実務家教育」と聞いて、私は「芸術系大学」や「体育系大学」は「実務」とは関係なさそうだから、まず「無償化」の対象にならないんだろうなあと想像したが、演奏家などは「実務家」という定義らしい。「作家」も「実務家」という資格(定義?)で大学から雇用されるのだと、中沢けいさんから教えてもらった。
 「産学共同」に押されて、そういう「実務家教育」が締め出されないことを願うしかない。











#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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池澤夏樹のカヴァフィス(145)

2019-05-13 08:44:04 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
145 よく似合う白いきれいな花

二人でいつも一緒に行ったカフェに彼は入った。

 と書き出される詩。明確には書かれていないが「彼」は「二人」ではなく「一人」で入った。その隠されている「一人」がこの詩のテーマといえる。「彼」ではない「もう一人」は、理由は書かれていないが死んだのだ。殺されたのかもしれない。最終連の「ナイフ」がそう連想させる。

粗末な棺の上に花を置いた。
白いきれいな花は友人によく似合った。
二十年の生涯によく似合った。

 「よく似合った」の繰り返しが切ない。繰り返さざるを得ないのだ。繰り返したあとで、最終蓮が展開する。

この晩、彼がカフェに行ったのは商売のためだった。
稼がなくてはならないし、カフェはそのための場。
だがそこは二人が会っていたカフェだった。
心臓にナイフを突き立てられたような気がした、
その寂れたカフェが二人が会う場所だったから。

 ここにも繰り返しがある。「二人が会っていたカフェ」「寂れたカフェが二人が会う場所だった」。繰り返されているのは、「カフェ」と「二人」と「会う」もそうだが、「会っていた」「場所だった」ということばのなかにある「過去形」(過去)だ。
 ここから振り返ると「白いきれいな花は友人によく似合った」の繰り返しは、とても複雑である。友人には白い花が似合う。死んでしまっても、似合う。それは生きている友人を思うから「似合う」なのである。言い換えると「似合う」と思うとき、友人は生きている。棺に花をささげるとき、気持ちは「白いきれいな花は友人によく似合う」と「現在形」で動く。けれども、「彼」はそれを「似合った」と「過去形」にしている。
 なぜだろう。「過去形」にすることで友人を守っている。友人を「彼」の記憶の中だけにとどめておくのだ。だが、その「記憶」が最終蓮で、「彼」に復讐してくる。ここにドラマがある。

 このカフェが安っぽいとは、ここが同性愛者たちの出会いの場として底辺に位置するという意味だろう。二人で来たときは語らいの場だが、一人で来るのは商売のためなのだ。

 と池澤は註釈しているが、「底辺」とまで書く必要はないと思う。

 



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