藤井晴美『不明の家』(裏白、2019年04月05日発行)
藤井晴美『不明の家』の「死の失効」。
直感として、こういうことを考えたことがある、体験したことがある、と感じる。そして、こういうときにいちばん困るのは、ここにある「論理」を「論理的」に説明することがむずかしいということだ。
詩は、たぶん、この困難さの中にある。逆に言うと、こういう困難さが噴出してくることばの動きが詩なのだ。詩を書きたいなら、この困難さをことばにしなければならない。それを省略して、「文体」だけ「困難」を装っても仕方がない。
二連目は、こうつづいていく。
「つづいていく」と書いたが、あるいは、一連目は、こう書かれる二連目によって切断されると言い換えてもいい。
これは「目覚めた」つもりだが、実は眠りにおちてしまった夢なのか。それとも別な時間の現実なのか。
どうとでも読むことができる。
「そういう読み方をしてもらっては困る」と藤井が言おうがどうしようが、それは関係がない。書かれてしまったら、そしてそれが読まれてしまったら、そこから始まるのは読んだ人間と、そこにあることばの関係である。
この二連目では「初めて」が二回繰り返される。
「初めて」なのに、どうしてそこに起きていることが「わかる」のか。「わかる」かぎりは、すでに知っていなければならない。知っていること以外、私たちは何も「わからない」と私は考える。
だからこそ、これは「夢」なのだ、と思う。「夢」は体験したことの、無意識に見逃してきたことを「初めて」のように体験することだ。「初めて」という印象が強いほど「夢」になる。
実際には、どこかで「知っている」のに「初めて」と感じるから、「わからない」という意識も動く。そして「わからない」ものを私たちはもちつづけることができないから、「かもしれない」ということばで「知っている/わかっている」ことに結びつける。
こういうことを一連目のことばを使って言いなおせば、
いま起きていることは、いま起きていることではなくすでに起きたことの一部なのか。
この感覚は三連目にもつながる。いや、また同じことをくりかえして言おうか。この感覚を裏切って、切断して、三連目は動く。
一連目には「自分」、二連目には「男」が出てきて、三連目では「男」と「私」が出てくる。「男」と「私」は客観的に分離独立した存在であるはずなのに、「気づく」という動詞を中心に、するりと入れ代わる。「私が気づくと」と書いてあるが、実は「気づいた男はすぐに」と「主役」が入れ代わる。どちらが主人公というか、ことばを動かしていく主体なのか、わからない。たぶん「ことば」が主人公になって、人間をわりふってしまう。
その結果、ことば全体が、
このことばは、自分の体験していることを書くために動いているのではなく、すでに書かれてしまったことの一部を体験にするために動いているか。
という具合に読み直すことができる。
「夢」が無意識を生み出すように、「ことば」は現実を生み出す。その瞬間を、現実としてではなく、ことばとして提出する。噴出させる。
この奇妙な一文は、「学校文法」から見れば文法が破壊された文体ということになるが、破壊されたまま、ばらばらの断片ではなく、あくまでも「ひとつ」になって動いていく力そのもの、運動そのものとして、ここにある。
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「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
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ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
藤井晴美『不明の家』の「死の失効」。
これが他人の人生だとしたら。眠りにおちる直前そう思った。思ったらだんだん目が覚めてきた。自分は、自分というものではなく他人の一人なのか。
直感として、こういうことを考えたことがある、体験したことがある、と感じる。そして、こういうときにいちばん困るのは、ここにある「論理」を「論理的」に説明することがむずかしいということだ。
詩は、たぶん、この困難さの中にある。逆に言うと、こういう困難さが噴出してくることばの動きが詩なのだ。詩を書きたいなら、この困難さをことばにしなければならない。それを省略して、「文体」だけ「困難」を装っても仕方がない。
二連目は、こうつづいていく。
1キロほど歩いたところで男は、自分一人しかいないことに気づいた。いつもなら老人が何人も散歩しているのに出会うのだが、きょうはだれも歩いていない。こんなことは初めてだった。すると急に不安になった。しばらく行くと、猫がさっき降った雨で濡れた道路の真ん中で平たくうつ伏せになっていた。いったい何をしているのかわからなかった。これも初めての光景だった。耳が片方動いたので、死んでいないと思ったが、もしかすると死にかけていたのかもしれない。
「つづいていく」と書いたが、あるいは、一連目は、こう書かれる二連目によって切断されると言い換えてもいい。
これは「目覚めた」つもりだが、実は眠りにおちてしまった夢なのか。それとも別な時間の現実なのか。
どうとでも読むことができる。
「そういう読み方をしてもらっては困る」と藤井が言おうがどうしようが、それは関係がない。書かれてしまったら、そしてそれが読まれてしまったら、そこから始まるのは読んだ人間と、そこにあることばの関係である。
この二連目では「初めて」が二回繰り返される。
「初めて」なのに、どうしてそこに起きていることが「わかる」のか。「わかる」かぎりは、すでに知っていなければならない。知っていること以外、私たちは何も「わからない」と私は考える。
だからこそ、これは「夢」なのだ、と思う。「夢」は体験したことの、無意識に見逃してきたことを「初めて」のように体験することだ。「初めて」という印象が強いほど「夢」になる。
実際には、どこかで「知っている」のに「初めて」と感じるから、「わからない」という意識も動く。そして「わからない」ものを私たちはもちつづけることができないから、「かもしれない」ということばで「知っている/わかっている」ことに結びつける。
こういうことを一連目のことばを使って言いなおせば、
いま起きていることは、いま起きていることではなくすでに起きたことの一部なのか。
この感覚は三連目にもつながる。いや、また同じことをくりかえして言おうか。この感覚を裏切って、切断して、三連目は動く。
傾いたアパートの前で、タバコを吸いながらこっちを見ている男がいた。家から出たところで私が気づくと、男はすぐに身をひるがえしドアを閉めてアパートの中に入ってしまった。部屋に入ると男は、テーブルの上に置いてあったノートに書き始めた。「いったいどんな悪いことをしたらあんな新築に住めるのか。いま、そこから背の低い貧相な老人が出てきた」。
人を殺して慶事から金をもらうなんて、この男は今までどんな悪いことをしてきたのだろう。この手品、その境界線上をすべるように、すり抜けていく男。
一連目には「自分」、二連目には「男」が出てきて、三連目では「男」と「私」が出てくる。「男」と「私」は客観的に分離独立した存在であるはずなのに、「気づく」という動詞を中心に、するりと入れ代わる。「私が気づくと」と書いてあるが、実は「気づいた男はすぐに」と「主役」が入れ代わる。どちらが主人公というか、ことばを動かしていく主体なのか、わからない。たぶん「ことば」が主人公になって、人間をわりふってしまう。
その結果、ことば全体が、
このことばは、自分の体験していることを書くために動いているのではなく、すでに書かれてしまったことの一部を体験にするために動いているか。
という具合に読み直すことができる。
「夢」が無意識を生み出すように、「ことば」は現実を生み出す。その瞬間を、現実としてではなく、ことばとして提出する。噴出させる。
この手品、その境界線上をすべるように、すり抜けていく男。
この奇妙な一文は、「学校文法」から見れば文法が破壊された文体ということになるが、破壊されたまま、ばらばらの断片ではなく、あくまでも「ひとつ」になって動いていく力そのもの、運動そのものとして、ここにある。
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「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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