詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

アルメ時代 19 小倉金栄堂

2019-05-18 16:49:51 | アルメ時代
19 小倉金栄堂



 平積みの新刊書の横を通った。つややかな色であった。踊り場で出版案内を呼んだ。細かい活字が目の奥で微熱になった。二階でミンコフスキーについてたずねた。眼鏡の店員がノートをめくって二、三教えてくれた。タイトルや内容は忘れてしまった。機敏さだけがもちうる温かさが印象に残っている。人間が人間に伝えられるものは、ととのったことばの形では明らかにできないものである。これは本屋で考えるのにふさわしい内容とは言えない。書棚の陰をまわって文庫本の目録をめくった……。
 三階でペーパーバックをめくり思い出せない単語に出会ったとき、私は私の行為を反芻した。記憶の流れを阻んでいるものを取り除くために。
 状態ではなく、存在そのもののような手応えを持った心理をさすことば--私が思い出したいのはそれだ。しかし私は知っている。平積みの新刊書から順を追って反復しても、決して見出せないことを。記憶をつまずかせるものがほかにあることを。
 順を追って本屋の中での行為をたどり、わけありげな註釈を加えてみたのは、わだかまりから遠ざかるための方法に過ぎなかったのかもしれない。しかし、遠ざかろうとするものはいつだって、引き寄せられてしまうしかない。より深い力で引き寄せられるためだけに、私たちは遠ざかるという方法をとるのだろうか。
 記憶を折り曲げ、もつれさせているのは自動扉のわきにたっていた女である。女は男を待っている。本屋の中で待たないのは、男が本屋に入るような人間ではないからだ。しかし確実に前は通る。たぶん、いつも同じ道順を生きる男なのだろう--想像にはいつも自分の行為が逆さになったりねじれたりしながら統一を与えてしまう。などと考えながら、私は電車どおりの向こう側から女を見ていたのだった。信号が変わった。動き始めた人にうながされるように舗道をわたり、女のたっぷりとしたコートの色を見つめ、本屋に入った。
 「本屋に入り込み、あれこれ活字を眺めまわすのは、何もすることがない人間のすることである。」どこかに沈んでいたことばが、自動扉の開く音をぬって、鼓膜の表面に浮きでてきて波紋のように広がる。少し揺れながら、そんな人間の一人であると自覚するしかなかった。というのも、私が最初にしたのは、新刊のなかに男の肖像を探すことだったからである。ついで、心理学書に待つという行為に耐えるこころの力を探そうとした。カポーティのなかに、男女のいざこざのきっかけを探そうともした。そして突然、ありふれた、しかしそのために日本語ではあまり口にしない単語にぶつかったのだった。
 何とルビを振るべきか。私は人を待つようには答えがあらわれてくるのを待つことができない。待つということは気持ちが悪い。金栄堂の前の女が気にかかるのも、その気持ち悪さをさらけだされたように感じるからだ。
 私は何かがあらわれるのを待てない。見つかるあてがなくても探しに歩きださずにはいられない。そうして強い抵抗にぶつかって神経がぽきりと折れることを願っている。動き回ること、探し回ること、それは私にとって謎を問いにととのえることと同じ意味なのかもしれない。

 「女のこころに謎などありません。それが謎なのかもしれません。」さっきからそこにいたというかのように、書棚の細い通路を通って、すばやくあらわれた女は、私の指さした単語を訳すかわりにそういった。相槌を打つでもなく、再び同じ単語を指さすと、女は本を閉じてしまった。「けさ、私は、ヒゲを剃るとき男は両足をひろげて立つと気づいて笑いだしそうになりました。本を読むと、そうしたポーズというか、型がいくつもあらわれ、私を驚かします。男はいつまでたっても変声期の少年のようです。女という概念に発情し、目の前のものに目もくれず、その奥にあるもの、ほんとうはそんなものなどないのですが、男たちが勝手に概念と名づけたものを追いかけていきます。そうして遠ざかっていく男に女が耐えられる理由はひとつしかありません。男のこわばった感性の運動を見るとほほえましい気がするからです。たしかに感性といいました。私は精神とか知性というものを信じません。つつみこむ感性と入り込もうとする感性があるだけです。つつみこむためにみずから形をかえる感性と、分け入るために自分以外のものを変形させて平気でいる感性、そのふたつがあるだけです。」

 本と女には似たところがある。気ままに開き、気ままに加筆する。すると私がねじれ始める。不定形の鏡の世界へ連れて行かれる。ぼんやりと浮かびあがってくる像は確かに私なのだろうが、納得できない。自分の思うままの像に対するこだわりがあるからだと女はいうだろうか。
 つったたったままの私に、女は新しい本を開いてみせる。「現代物理学は物体から手応えをとりはらった。そのとたん宇宙の似姿ができた。極大を考えることと極小を考えることに夢中で、自分にあった大きさ、手応えの世界を置き去りにした。」

 ことばにふれるたびに、私がずらされていく。あるいはひきのばされていく。しかし不快ではない。むしろ、そのあいまいな感覚がひとつの手応えになってくる。私のもとめていたのは、ひきのばされ空虚になっていく構造をみたす力だったのか。あまい分裂をかかえながら一階から三階までを往復すれば、女はやがて帰ってしまう。
 天井の灯がふたつみっつ増えて、私の影が一瞬まばたき、再びひとつになる時間になっていた。




(アルメ240 、1986年03月25日)
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池澤夏樹のカヴァフィス(150)

2019-05-18 09:00:40 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
150 少しは気を配って

 主人公は政治家(政治屋?)か。自分を売り込もうとしている。

まずはザビナスに接近しよう。
もしあの知恵足らずに拒まれたら、
いつも張り合っているグリポスの方に行こう。
仮にもあの愚鈍がわたしに背を向けるなら、
まっすぐヒルカノスのところに駆け込もう。

 信念がないのが、この主人公の真骨頂か。言い換えると信念を持たないことを信念にしている。
 それをこう言い換えている。

三人の誰がわたしを選ぼうと
わたしの良心は痛まない。
シリアに害を為す点では三人とも同じだから。

 「意味」はわかるが、どうも「信念を持たない」という開き直りのような強さ、ふてぶてしさが、ことばの響きのなかにない。「意味(主張の論理)」はわかるが、「声」が聞こえてこない。
 ことば(訳語)の運びが「論理的」過ぎるのかもしれない。
 「三人とも同じだから」の「だから」に、特に「論理性」を感じてしまう。
 どんな人間にも「論理(意味の構成力)」というものはあるが、「……だから」というような「粘着力」のある論理、ある意味「陰湿な」論理ではなく、もっと「飛躍力」のある論理が「信念を持たない男」にはふさわしくないだろうか。
 「だから」を省略するだけで、印象はずいぶん変わると思う。ギリシャ語の原文には「だから」に通じることばがあるのだろうか。

 池澤の註釈。

 主人公は架空の人物だが、時代は紀元前一二八年から一二三年の間と限定される。

 理由は詳細に書いてあるが、私は歴史の知識がないので、その詳細を読んでも理解できない。思うのは、池澤の註釈に書いてあるように厳密に歴史のなかに詩を組み入れて読んでも、「架空の人物」にカヴァフィスが託した人間の「本質」はつかめないのでは、ということ。「声」にこそこの男の「本質」がある。それは「論理」ではないだろうなあ。





 



カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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食品ロスとコンビニ

2019-05-18 08:59:28 | 自民党憲法改正草案を読む
食品ロスとコンビニ
             自民党憲法改正草案を読む/番外266(情報の読み方)

 2019年05月18日の読売新聞(西部版・14版)の一面。

食品ロス コンビニ動く 大手3社が次々対策

 という見出し。売れ残り食品を廃棄していたが、値引き販売は始めるという。記事の書き方は見出しにあるように「食品ロス」対策。食品ロスを少なくするというのは確かにいいことなのだが、ほんとうに無駄に対して意識が強まってそうなったのかどうか。
 むしろ、この背景にはアベノミクスの失敗、つまり「不景気」があると見なければならないのではないか。不景気(売り上げが伸びない)と書けば、安倍批判につながる。だから、そうは書かずに環境問題にすりかえて報道している。そう思えてならない。
 3面には解説。

コンビニ戦略 転機/「24時間」見直し・食品値引き

国内6万店 飽和状態/人手不足 深刻

 「食品ロス」のことも書いてあるが、ポイントはいちばん最後の見出し。「人手不足」だ。
 なぜ、人手不足?
 労働人口が減っている。これは、もっともらしい「説明」。でも、「説明」というのは、どんうなふうにしてでもつけることができる。「説明」はいつでも「後出しジャンケン」である。
 人手不足なのは、簡単に言えばコンビニの店員の給料が安いから。
 最近は、どのコンビニへ行っても外国人労働者ばかりである。外国人労働者の方が賃金が安いからだろう。外国人労働者と同じ賃金だと日本人が集まらない。これが人手不足の要因。
 コンビニ店員の時給を2000円に上げてみればいい。日本人が殺到するだろう。
 時給2000円を払っていたら経営が成り立たない。なぜが。ものがそんなに売れないからだ。これも不景気(国民の所得が減っている)からだ。
 簡単に言いなおすと、アベノミクスが「悪循環」に入り込み、もうどうすることもできなくなった。低賃金で労働力を確保するのも、もう、限界。だから「24時間」も見直せば、「食品値引き」もする。そうやって、少しでも労働力不足と売り上げを維持する。
 入管法を改正し、外国人労働者受け入れを進めようとしているけれど、日本の劣悪な労働環境(使い捨て)が外国人にも知れ渡り、日本で働く人が増えない、ということだろうなあ。入管法は改正されたばかりだが、「効果」をみきわめる「眼力」は現場の経営者の方が鋭いということだろう。安倍の「机上の空論」(嘘だらけのアベノミクス)にさっさっと背を向けて生き残り作戦に転換したということだろう。
 その端的な「証拠」がセブンイレブンの「値下げ」が誰に対しても値下げするのではなく、電子マネー「ナナコ」の所有者へのポイント還元という形をとっていることでもわかる。「値下げ」ではなく、客の「囲い込み」、次も来たら「ポイント」がつかえますよ、というだけ。ほんとうに「食品ロス」対策なら、誰に対しても「値下げ」し、売れ残りを減らすべきだろう。「食品ロス」対策ではなく、それを看板に「顧客確保作戦」を始めたということ。

 身近なコンビニがこうなのだから、人目に触れにくい職場ではもっといろんなことが進んでいるだろうなあ。進むだろうなあ。
 「改元」でいくらあおっても、不景気は「表面」の問題ではない。
 「不景気」を「食品ロス(環境問題)」とすり替えているようでは、もうどうしようもない。トヨタの社長が終身雇用に疑問を投げかけたり、パナソニックの社長が感謝の存続に疑問の声を上げたり。どこもかしこも悲鳴を上げている。
 これからますます労働者の賃金は下がる。経済崩壊が、市民の目にも見える形で始まったのだ。

 しかし、思うのだが。
 新聞は、こんな形で「不景気の問題(アベノミクス失敗の指摘)」は、「食品ロス」対策を書いたととき「人手不足」の問題として触れておきました、というような「証拠づくり(アリバイづくり)」ような書き方を、もうやめるべきだ。
 きちんと問題点を解説すべきだ。


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