詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(143)

2019-05-11 11:31:06 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
143 ミリス、アレクサンドリア、紀元三四〇年

 ミリスが死んだ。キリスト教徒だ。その葬儀の家に行った。そして、

回廊に立ったぼくは
その先に進むのを控えた。
遺族たちがあからさまな
困惑と不快の目でこちらをみていたから。

 「困惑と不快」にはふたつの意味がある。ひとつは「ぼく」がキリスト教徒ではないこと、もうひとつは二人の中が「不品行」のものだから。キリスト教徒からすればキリストではない神を信じる人間も、禁じられた恋も排除したいものだろう。
 この詩はとても長い。池澤によれば、

 カヴァフィスが刊行した詩の中ではこれがいちばん長い。ほとんど短篇小説のようなストーリー性を持っている。

 長くなった理由について、私は、この詩では「声」が出ていないからではないかと思った。「声」のかわりに「論理」が動いている。
 引用部分の四行目。「困惑と不快の目でこちらをみていたから。」の「から」はない方が「声」になる。「から」と思ったことを「理由」にしてしまうから、感情ではなく「論理」が動く。
 詩の終わりは、「頭」で「ぼく」の心理をつかまないと、何が書いてあるかわからない。「論理」しか動いていない。

ぼくはこの恐しい家から走り出した。
自分の中のミリスの思い出が捕らえられ、
キリスト教徒によって歪められるのを怖れて。

 ここに「から」を補うと、いくらかわかりやすくなる。「怖れて」という現在形を、「走り出した」にあわせて「怖れた」にし「から」をつづける。「怖れたから」。こうすると「論理」が落ち着く。ミリスの思い出を純粋に自分のものだけにしておきたい、そこに余分なものが入ってきてはさびしくなる。
 「論理」はいつも自分に言い聞かせる「自己弁護」だ。だから、どうしても長くなる。自己弁護ははじめると終わりがなくなる。
 カヴァフィスの原文に「から」があるかどうか、わからないが。
 



カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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教育無償化の罠

2019-05-11 08:37:26 | 自民党憲法改正草案を読む
教育無償化の罠
             自民党憲法改正草案を読む/番外262(情報の読み方)

 「高等教育無償化」のための支援法が成立した。私は、安倍が「教育無償化」を提唱したときから、ずっとひとつの「懸念」を書き続けた。
 その懸念は、「洗脳教育」である。無償化の代償として洗脳教育がおこなわれる。これは逆に言えば、洗脳教育のために国民の税金をつかうということ。独裁を進める安倍にとって、こんな都合のいい制度はない。
 支援法の細部は私は知らないのだが、安倍に近いと言われる読売新聞には「貴重な情報」が載っていた。(山口でおこなわれた日露首脳会談の前にも、ラブロフが事前協議の内幕をばらしたという貴重な記事を読売新聞だけが書いていた。大失敗は、そのときからわかっていたのだ。)
 その「貴重な情報」は「社説」に書かれていた。(2019年05月11日朝刊・西部版・14版、ただし「社説」は13S版)。こう書いてある。

 授業料減免の対象となる大学には、実務家教育を担当する授業を、1割以上設定するよう義務づけるという。職業に結びつく教育を推進する狙いがある。

 あいまいな書き方だが、どんな教育をしようが(どんな学問を展開しようが)無償になる、というのではないのだ。大学を卒業後、企業に就職し、その企業の方針に従順にしたがう人間を育てる教育(学問)をしないかぎり、無償化はしないというのだ。
 逆に考えてみればいい。何度も何度も同じ仮定を書くが、たとえば「安倍批判」を研究する人は「教育費無償」の対象になるのか。ならないだろう。ひとりの学生だけではなく、そういう講座を持つ大学があるとすれば、その大学の学生は全員対象外になる可能性すらある。
 少しでも「条件」をつければ、その「条件」はあっと言う間に拡大される。「学問の自由」は完全な「自由」でないと意味がない。
 もし「条件」をつけるなら、「無償化対象の大学は、空名図、権力批判を研究する講座を開設すること」でなくてはならない。どんな権力も腐敗する。腐敗を防ぐには批判が不可欠である。批判の自由があってこそ、学問の自由が保障される。
 そこまで「度量」のある権力は、日本では無理だ。特に安倍には、そういうことは絶対に期待できない。街頭の選挙演説で批判されただけで、批判する国民に向かって「あんなひとたち」という人間である。
 国民は主権者である。つまり、いつでも「国(権力)」を倒す権利を持っている。「国(権力)」は国民を倒す権利(否定する権利)を持っていない。安倍はまったく逆である。国民を支配する権利を持っているのが政権だと考えている。
 「実務家教員」の「条件」は、それをはっきり示している。
 「保育園の無償化」も中止しないといけない。「森友学園」では失敗したが、「教育勅語を暗唱させる」「運動会で安倍総理大臣万歳と言わせる」という「条件」をつけてくるかもしれない。いまは、そういう「条件」はないようだが、今後もないとは言い切れない。保育士の確保が問題になっているが、「教育勅語を暗唱できれば保育士の資格を与える」という形ですりぬけることもできる。






 「沈黙作戦」をまた思い出すのが、05月08日読売新聞(西部版・14版)の次のニュース。

日朝会談「無条件で」/方針転換 首相「実現を優先」/日米電話会談

 いままでは「拉致問題解決が重要」と言っていたが、「拉致問題」を棚上げするというのである。いつやるとは書いていないが(相手があることだから、安倍の都合では決められない)、狙いは「参院選」だろう。「参院選」前に会談し、安倍の存在(自民党の存在)をアピールすることだ。
 拉致問題の解決よりも、参院選で自民党が勝利し、改憲を進め、安倍独裁体制を確立することが狙いなのだ。
 だから、たとえ日朝会談があったにしろ、そのとき国民が「拉致問題を解決しろ」と要求しようとすると、それは「口封じ」にあう。重大な会談である。「静かな環境」で会談しなければならない。国民は安倍批判をしてはいけない。安倍批判をすれば、北朝鮮に有利である、ということだ。
 山口であった日露会談も、ラブロフが経済援助は日本が言ってきたもの(北方四島を見返りにロシアが要求したものではない)と事前にばらし、失敗がみえみえになると、「静かな環境でおこなわれるべきだ」とさまざまな批判を封じた。

 これから、さらに「静かな環境」ということばが繰り返されるだろう。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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