詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

セリーヌ・シアマ監督「燃ゆる女の肖像」(★★-★)

2020-12-05 14:59:00 | 映画
セリーヌ・シアマ監督「燃ゆる女の肖像」(★★-★)(2020年12月05日、キノシネマ天神1)

監督 セリーヌ・シアマ 出演 ノエミ・メルラン、アデル・エネル

 予告編、ポスターでは気がつかなかったのだが、たぶん、真剣に見ていないからだ。実際に映画が始まると、私はかなり真剣に映像を見るのだろう。「タイトル」がスクリーンにあらわれた瞬間、映画を見終わった気分になった。フランス人はそういうことを感じないだろう。日本人だけが(あるいは中国人も)感じる「いやあな・もの」が突然映し出される。「燃ゆる女の肖像」というタイトル。「燃ゆる」の古くさい響きはまだ「気取っている」というだけで許せるが、「肖像」の「肖」に私はげんなりした。ワープロなので表記できないが「肖」の漢字が「鏡文字」になっている。「肖」は左右対称の漢字に見えるが、よく見ると左右対称ではない。第一画と第三画は「筆運び」が違うし、最後の「月」も「はね方」が違う。大きなスクリーンだと、目の悪い私にもくっきり見えてしまう。この「鏡文字」のどこに問題があるか。ストーリーを先取りしてしまっている。「文字」が演技してしまっているのだ。
 「肖像」は描かれるひとの肖像である。画家はモデルを見て、その肖像を描く。これは一方通行の視点。しかし、この映画は、そういう一方通行の視点で描かれるわけではなく、モデルがモデルでありながら画家を見つめることを暗示している。見つめ、見つめ合い、たがいに相手の中に自分を見つける。つまり「鏡」を見るようにして自分を発見していく。そういうストーリーになることが暗示されるのである。というか、暗示を通り越して、あからさまに語られてしまう。
 実際、ストーリーが予想していた通りに展開してしまうと、もう映画を見ている感じにはぜんぜんなれないのだ。なんというか……。さっさと終われよ。くどくどくどしい、と思ってしまう。タイトル文字を考えたひとは「気が利いている」と思ったのだろうが、観客をばかにしすぎている。
 せっかく二人以外の女、家事手伝いの女を登場させ、堕胎までさせる。そのときの情景を画家に描かせるというような、「描くとは何か」(見るとは何か)という問題を提起しているに、「肖」の「鏡文字」のせいで、台だしになっている。堕胎する少女の手を、まだ歩くこともできない赤ちゃんが無邪気につかむところなど、「鏡文字」がなかったら生と死の非対称の対称が浮かびあがって感動してしまうのだが、「すべては鏡文字ですよ」と最初に説明されてしまっているので、なんともつまらない。
 途中で何回が出てくる「本物の鏡」さえも「鏡文字」を明確にするためのものにしか見えない。映画がタイトル文字のために奉仕させられている。
 ラストシーンの、画家がモデルを遠くから見つめるシーンも、「鏡文字」がなければ感動的なのだが、「鏡文字」があるばっかりに感動しない。つまり、ラストシーンでアップでスクリーンに映し出されるモデルのこころのふるえ、音楽に共鳴しながす涙は、同時にそれを見つめる画家の顔なのである。同時に、それは観客の顔でもある、と最初から説明してしまっているからである。
 もう一度タイトルを映し出せ、ものを投げつけてやる、といいたい気分になる。
 途中の女たちだけの祭りで歌われる歌がとても印象的だった。映画が終わったあとのクレジットの部分でも少し流れる。フランス語なのでよくわからないが「なんとかかんとか、ジレ」と聞こえる。「わたしは行こう」なのか「わたしは行ってしまう」なのかわからないが、「別れ」のようなものが歌われていると聞いた。これに途中に出てくる「後悔するのではなく、思い出すのだ」というセリフが重なる。そういう意味ではここも「鏡文字」なのだが、フランス語の歌の文句がよくわからないだけに(字幕もないので)、勝手に想像することができて楽しい。
 なんでもそうだけれど、最初から「答え」を見せられるのは楽しくない。わからないなりに、これはなんだろう、と自分自身の「肉体」の奥にあるものをひっぱりだしてきて、いま、そこで展開されている「こと」のなかに参加していくというのが楽しいのだ。このよろこびを奪ってはいけない。
 タイトルの「肖像」がふつうの文字で書かれていたら、私はきっと★を4個つけたと思う。でもタイトルにがっかりしてしまったし、そのがっかりを促すように映画が進んでいくので、ほんとうに頭に来てしまった。「字」がかってに演技するな。







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読売新聞の菅記者会見報道からわかること

2020-12-05 09:20:24 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の菅記者会見報道からわかること

 2020年12月05日の読売新聞(西部版・14版)に菅の記者会見の記事がある。私は「記者会見」を見ていないので(たぶんテレビ中継されたと思う)わからないのだが、読売新聞の報道の仕方から見えてくることがある。
 1面の見出しと、前文。(番号は、私がつけた。)

環境投資2兆円基金/首相会見 コロナ時短対策1・5兆円/ひとり親世帯 給付再支給

①菅首相は4日、首相官邸で記者会見し、8日に決定する追加経済対策で、2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする目標に向け、環境分野の技術革新などに投資する企業への支援策として2兆円の基金を創設する意向を表明した。
②デジタル関連で1兆円超の関連予算も計上し、
③新型コロナウイルスの感染拡大で疲弊した経済の再生を進める決意を示した。

 これにつづく記事には「記者会見は、4日に臨時国会が事実上閉会したことを受けて行われた」とあるが、国会で話題になったことは、あまり書かれていない。
 国会では、まず「学術会議の6人任命拒否」「GoTo批判(コロナ対策)」「安倍の桜を見る会」が問題になった。しかし、見出しと前文からは、「学術会議」に関することはすっぽりと抜け落ちている。
 ①は臨時国会の主な議題ではない。たしかに菅は温室効果ガスについても主張しているが「2050年」へ向けた展望は、いま問題になっていることとはまったく関係かない。「2兆円」というのは今後30年間にとってどれくらいの「価値」があるものかも、私には見当がつかない。「2兆円」を前面に出した単なる「宣伝」にすぎない。
 ②も菅のやりたいこと、やりつつあることの「宣伝」であり、国民がいま求めている緊急の問題ではない。
 ③でやっと「コロナ対策」が登場するが、これでは、わざわざ記者会見を開いて、国民に直接訴えることにはならないだろう。これでは、国民の行動指針にはならないだろう。
 「見出し」にとっている「コロナ時短対策1・5兆円」や「ひとり親世帯 給付再支給」は国民生活に影響してくるが、年末年始の買い物対策、帰省対策など、身近なことがぜんぜんわからない。「国民まかせ」で知らん顔している。

 この「記者会見」は、逆に読んでみる必要がある。読売新聞は、なぜ「学術会議」や「桜を見る会」の問題を見だしにとっていないのか、というところから記事を読み直していく必要がある。
 そうすると、3面に「記者会見」というよりも「国会閉会」に関して、おもしろいことが書いてある。「『実績重ね解散』戦略」という見出しでくくった記事である。

今後の政権運営で焦点となるのが、衆院解散・総選挙の判断だ。(略)自民党内でも内閣支持率が好調なうちに早期解散を望む声が多かった。ただ、感染者の急増に加え、安倍晋三前首相や吉川貴盛元農相を巡る「政治とカネ」の問題が浮上したことで機運はしぼんだ。

 首相の仕事は、自民党議員を何人当選させるかという「選挙対策」だけらしい。政策は、つまり「公約」(たとえば、環境投資2兆円基金)というのは、「当選したい/国会議員として金儲けをしたい」を隠蔽するための「方便」にすぎないことがわかる。
 という「表面的」なことよりも。
 この3面の記事でいちばん問題にすべきなのは、ここから「学術会議」が消えていることである。
 「学術会議の6人任命拒否」には菅の「違法行為」が関係している。学術会議法を読むかぎり、菅は6人をそのまま任命しなけれどいけない。しかし、そうしなかった。首相が違法行為をしているという意味では「桜を見る会」とおなじなのである。しかも、「桜を見る会」の問題のように、「秘書」に責任をなすりつけてごまかすことのできない問題である。
 このことから読売新聞がスクープした「桜を見る会」問題は、菅が、菅の違法行為への批判を隠蔽するために、安倍を利用するためのものであることがわかる。つまり、「リーク元」が菅(側近)であることがわかる。
 「学術会議6人拒否」は菅の「タブー」になっている。だから、読売新聞は、それについては触れないようにしている。
 4面にも、おもしろい記事がある。おもしろいというのは、記事の書き方がおもしろい、ということである。ここに、この日の新聞ではじめて「学術会議」が登場する。(番号は、私がつけた。)その「触れ方」が非常におもしろい。

⑥今国会は、首相が学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題で論戦がスタートした。
⑦首相は任命拒否の具体的な理由は答えず、「推薦された方々を必ずそのまま任命しなければならないわけではない」と正当性を主張し続けた。一方で、学術会議の会員の選考方法を「閉鎖的で既得権益のよう」と指摘し、組織の問題点に矛先を向けた。
⑧野党は、学術会議問題への世論の関心が高まらないと見ると、中盤からは新型コロナウイルスの感染拡大を受けた政府対応の追及に軸足を移した。感染拡大の原因は、首相が旗振り役を務める政府の観光支援事業「Go To トラベル」にあると指摘し、事業の中止を要求。首相は事業は地域経済に欠かせないとして、感染対策と経済回復の両立を訴えた。

 ⑥は「6人任命拒否」がなぜ「問題」なのか、その説明を省略している。すでに報道しているから書かないという理由は成り立つことは成り立つが、それでは不十分である。
 ⑦は菅の一方的な言い分である。菅は「正当性」を主張しているが、その根拠は示されていない。読売新聞は単に菅の主張をそのまま「宣伝」しているだけである。
 ⑧の「世論の関心が高まらない」という問題は、単に野党だけの責任ではない。ジャーナリズムが、この問題をどう報道してきたかも関係する。この問題が発覚したとき、読売新聞はどう報道してきたか。すでにブログで書いたが、読売新聞は「梶田新会長」という人事を大きく扱い、「6人拒否」はわきにおいやる紙面構成で報道していた。(他紙は「6人拒否」が主力で「梶田新会長」を見出しにとっているのは毎日新聞くらいであり、しかも単に人事の紹介なので1段見出しだった。)世論の関心が「6人拒否=菅の違法行為」にむかないように情報操作をしてきた読売新聞が、その責任を「野党」におしつけるのは筋違いだろう。
 「学問の自由侵害」はかならず「報道の自由(表現の自由)侵害」につながる。政府を批判する「言論」は弾圧される、ということを招く。被害を受ける最先端の報道機関が、この問題から目をそらさせるような操作をしてきて、「世論の関心が高まらない」と書いてはいけない。
 そして、この「世論の関心が高まらない」という書き方そのものが「情報操作」なのだということに気づくべきだ。「学術会議」よりも将来の温暖化対策(環境問題)の方が重要だ、デジタル対策の方が重要だというのは、「学術会議問題(権力の学問の自由の侵害)」を隠蔽することだ。

 読売新聞の記事を1面、3面、4面とつづけて読んでいくと、そこには「国会」で問題になったことが一応全部書かれている。だから読売新聞は、何も「嘘」は書いていない、ということにはなる。
 しかし、ことばというのは、何をどういう順序で語るかという「方法」のなかに、語った内容と同等の、あるいはそれ以上の「思想」を含んでいる。
 「学術会議問題」を「世論の関心が高まらない」と切り捨て、何もなかったかのように装う。そこに「思想」がある。読売新聞の、権力にべったりと寄り添い、すがりつく姿勢が見える。
 この問題が発覚したとき、私は、菅は国民からいちばん遠いところから「独裁」を始めたと指摘した。国民から見ると「学者」というのはもともと手が届かない世界である。「学問」として語られることは、難しくてわからない。だれが正しくてだれが間違っているのか。どの部分が正しくてどの部分が間違っているか。それを「学者」と対等に語り合える国民などほとんどいない。だから、そのひとたち「学術会議会員」に任命されようがされまいが、ぜんぜん気にならない。だいたいだれが選ばれたかを気にしている一般国民はいないだろう。(したがって、その会長にだれがなるかなんて、全く関心がない。それなのに読売新聞は、だれが会長になったかが大問題であるかのように3段見出しで報道している。)そういうところから「弾圧(独裁)」を始め、徐々に国民生活そのものにまでしめつけをくわえる。それが菅の手法なのである。
 「学術会議」問題は、コロナ対策や「桜を見る会」とは違って、これからも延々と尾を引き、徐々に「効力」を発揮してくる。コロナは最終的には医学が問題を解決するだろう。「桜を見る会」は安倍の握っている権力が弱まれば、それで決着するだろう。しかし「学術会議」の問題、権力の暴力、「学問の自由侵害」はさまざまな形で「言論の自由」を圧迫し、その力を強めてくるだろう。民主主義の本質にかかわる問題なのだ。
 だからこそ、菅はそれを隠蔽しようとしている。そして、読売新聞はその隠蔽に加担している。
 記者会見がどういうものだったのか、読売新聞の記事からはいっさいわからない。記者会見で、記者が「学術会議問題」を追及したかどうかもわからない。もし、記者が「学術会議」問題に対して質問しているのに、そのことをいっさい書かないのだとしたら、ここにも「隠蔽工作」がおこなわれていることになる。











#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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