高橋睦郎『深きより』(22)(思潮社、2020年10月31日発行)
「二十二 魔界へ 虚無へ」は「一休宗純」。
世阿弥で語られていた「自然」が言い直されている。
大悟とは何の大悟 悟りを求めぬこそ真の悟りならずや
「真の悟り」とは「悟りを求めぬ」こと。この「真」が「自然」である。「自然の悟り」。「自然」の定義はむずかしいが、「ほんらい」、もとのかたちとつかんでみよう。
たとえば、それは
やむなく許されて 腰萎えの老師の屎尿の濯ぎ役
昼は都に出ての香袋づくり・雛人形の顔描き稼ぎ
ということと、
印可状など破り去り 昼も夜も入り浸る魚肆・淫房
老い耄けては盲の女芸人を仏と崇め 啜淫・雲雨の契り
は同じことと。「違い」を持ち込まない。この「違い」は「境」と言い直されて、最終行にあらわれる。
入り難い魔界を得たとは 即ち詩禅一如の虚か無の境?
「境」などない。「境」に人間の「理性」が持ち込んだものであって、「迷い」にすぎない。「理性」をとっぱらえば、世界は「一つ」になる。それが「自然」の状態であり、「悟り」ということになる。
そう「頭」で理解して(あるいは、誤読して)、その上で思うのだが……。
記憶の如きはないではない 仄かな乳汁の匂ひと
白い胸乳の暖かさ あれが世に母というものか
この「母」の描写には、乗り越えられない「境」がある。「母」は「私」ではない、「母」は「私」から切り離された存在である、という「認識(理性)」がある。
高橋が「悟り」に到達できないとしたら、それは「母」の記憶があるためだ。また高橋が「悟り」を求めずにはいられないのは「母」の記憶があるからだ。高橋を個人的に知っているわけではないが、「母」は高橋にとって非常に重大なテーマなのだということが、この詩から感じられる。
「母」は「自然」であると同時に「自然」を否定する。「母」を「ことば」と言い換えるなら、「ことば」は「自然」を求めて「詩」になろうとする。「ことば」が「詩」になったとき、そこに「自然」が姿を現わす。高橋は、その「出現」を待っている。
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