徳永孝「狩る人漁る人」、青柳俊哉「三日月の形になって」、池田清子「配列」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年12月22日)
「かつては自然と人間が対等の関係だったが、それがくずれていく。いまの世界から欠けていくもの描いている」「壮大な感じがする。自然と動物の営みが、東、北、南と展開する」という感想が聞かれた。
「どこに、対等というものを感じたか」と私は問いかけてみる。
「四連目、特に自然の自然のもたらすものを人々が要ると思うだけ受け取る、という行。必要なものだけを受け取る。そこに対等、調和がある。いまは、それがくずれている」 たしかにそうなのだと思うが、私はもう少し「意味」をではなく、「ことば」にこだわって読みたい。
たとえば一連目の「タコに話しかける」、二連目の「キツネが訴える」には、人間とタコ、キツネがことばをかわしている様子が書かれている。ことばをかわすことができるのは、タコ、キツネ、人間が対等だからではないだろうか。三連目ではそれが魚に「人に対するようにhim と呼ぶ」という形で書かれている。「人に対するように」ということばには「同じように」が省略されている、と読むことができる。
人に対する(のと同じように)ようにhim と呼ぶ
この「人間に対するのと同じように」は、一連目では「人間に対するのと同じように、タコに話しかける」という形で補うことができ、二連目では逆にキツネが「キツネに対するのと同じように、アイヌの長老に、アイヌの若者の不当な仕打ちを訴える」という形で書かれている。
「話しかける」「訴える」「呼ぶ」に共通するのは、「ことば」である。
「ことば」をつかって人間と自然が対等に会話する。四連目に「対話」ということばで、それは要約されている。
そう読むと、この詩は「起承転結」をふまえて構成されていることがわかる。
一、二、三連は「起」である。具体的に三つの「ことばのあり方」が語られる。それを四連目で「対話」という形に整えて、言い直す。「承」である。
五、六連目は「承」で要約したことを、さらに別の角度から言い直す。「転」である。一、二、三連目で書かれていたことが、その瞬間のことだったのを、「歴史」という長い時間の中で見つめなおす。
歴史の中で人間と自然の関係は、どう変わってきたか。人間自身はどう変わったか。それが自然に対してどういう変化を与えたか。
「壮大な感じ」がするのは、この「転」が一瞬ではなく、歴史的視点をもって書かれているからだろう。
最終連の三行(結)は、短くて、象徴的である。この短くて、象徴的であることも、この詩を強くしている。「意味」をはっきりとは特定しない。読者に考えさせる。詩は、読者に何かを教えるためにあるのではなく、何かを考えさせる、何かを感じさせるためにある。読者が考え、感じれば、それで詩の仕事(あるいは、ことばの仕事)は成功したのである。「答え」を教えるのではなく、何かを考え、何かを感じる、という「動詞(生き方)」という方向へ読者を誘えば、それでいいのだ。
最後の行の「影」は特に象徴的である。「自然の逆襲」と読んだ受講生がいる。私は、この「影」を四連目に出てくる「栄華」と関係づけて読みたい。「栄華」は「光」であり、その対極にあるものが「影」だろう。だから「自然のもたらすものを人々が要ると思うだけ受け取る」という関係が崩壊したあとの「できごと(事件)」が「影」。それはたしかに「自然から逆襲」しもしれないが、私は「答え」は保留して、この「影」は詩のなかでは、どのことばと向き合っているのだろうか、と考えるのである。また、この「影」は六連目の「薄れてゆき」という動詞とも関連づけて読むことだできる。ただし、その「薄れる」は「影」が薄れるのではなく、「栄華(光)」が薄れ(弱くなり、失われ)、その結果として「影(闇)」が大きくなるという形で動いているといえる。そう考えると、「暗い海」の「暗い」ということばも納得できる。「意識から薄れていく(意識されない)」は「はるか遠く」とも重なる。
この詩には、また、多くのことばの呼応があり、それが詩を引き締めている。たとえば五連目の「農耕/作物/人/育てる」と「工業/食品/商人/買う」の簡潔な対比なのである。
*
「ことばひとつひとつが美しく、全体のイメージも美しい」「絵にしたら、好きな絵になる」という受講生の感想。
「ホワイトワイン・フランスティー」「ストロベリー・トースト」は音そのものとしても美しいと思う。美しすぎるかもしれない。それが「イメージ」という印象を与える。現実ではなく、イメージ。
それは、しかし、青柳の狙いであり、思想(肉体)だろう。「現実」そのものを描くのではなく、「精神的内面」を描く。
それはことばでしか成り立たない世界を「ある」ものとして「いま/ここ」に出現させることでもある。
三連目の「なつかしい未来」。ふつうは「過去」がなつかしい。未来には記憶がないから「なつかしい」と呼ぶことはできないのだが、それでも「なつかしい未来」と聞いた瞬間に何事かを思い起こす。夢見続けてきた未来、自分にとってはとてもよく知っている未来。「未来」を「夢」と言い直しているが、長い間夢見続けていた夢が実現したときは、うれしいと同時に「なつかしい」と感じるかもしれない。
この「地上」と、一連目の「空」が呼応して、ひとつの世界を作っている。
ことば独自の世界、という点では「地上の朝から 一斉にハトが飛び立つ」も、そういう世界だということができる。「朝、地上から」ではなく「地上の朝から」と「朝」という時間を「場所」のように書いている。「時間」と「場所」が一体になった「時空間」をさっと思い起こさせることばである。スピード感のあることばだ。私は、こういうスピード感のあることばが好きである。
感想を語り合うなかで話題になったのは、二連目の「風雅な合戦」である。武器ではなく、百合や水仙の花を手にしている戦いだから「風雅」になる。青柳は、平安時代だったか、カエルの合戦の絵がある。それがヒントになった、と「種明かし」をしてくれた。
*
「書き出しにびっくり」「意味はわからないが0と1の並べ方にドラマがあるのかも」「二進法なのでコンピューターのことを思い出した」
私も二進法を考えた。一行ずつがある瞬間(時期)の「わたし」か「あなた」かをあらわしていると思った。二連目には0、1のいずれかがあなた、わたしと書いているけれど。
あなたとわたしの出会いを思い、過去を振り返る。四連目の「どう歩き」がなんでもないような表現だけれど、過ぎ去った時間の長さを信じさせる。歩いてきた人生、ということばをふと思い出させる。
五連目は、ちょっとおもしろい「読み違い」があった。受講生は、「また別の行き違いがあったかな/案外 すさまじい戦いをしていたりして」「もっとずっと長く一緒にいられたのかなあ」という具合に、「すさまじい戦い」と「長く一緒に」を切り離して読んだのに対して、わたしは「すさまじい戦い」をした方が「長く一緒に」いられたかも、と読んだのである。私の読み方は、いわば「雨降って地固まる」のたぐい。
そのあとの最終連。これがとてもおもしろい。
亡くなった夫のことを思い出しているのだが、「悲しみが、ふわっとしている」という受講生の感想がすばらしかったが、まさに「ふわっとしている」。3とか5とかが入ってきたら、もう二進法の世界ではなく、別世界なのだが、そういうことは想像されていない「安心感」がある。安心した上で、よかったなあという感じをかかえたままで、ことばが動いている。
それを象徴している(?)のが「ぐちゃぐちゃ」である。
これを自分のことばで言うと何になる? 私は、いつもこういう「答えられない質問」をして受講生を困らせる。「答え」がほしいのではなく、考えたいから。「ぐちゃぐちゃ」ということばは誰もがつかうが、その意味は? 言い換えることができるか。
「混乱」「支離滅裂」というような「言い換え」があったが、それはこの最終行には似合わないね。「ふわっとした感じ」とは少し違ってくる。そうしてみると、この「ごちゃごちゃ」はとてもいい表現なんだ。
似たことばに「めちゃくちゃ」がある。同じことばの繰り返しでは、意味は違うが「ねばねば」とか「ねちゃねちゃ」というのもある。「ぐちゃぐちゃ」よりも何か粘着力があって悲惨だ。
「ぐちゃぐちゃ」もネガティブなことばなのだけれど、悲惨や後悔とは少し距離がある。そういうことを私たちは無意識に、肉体で判断し、この「ふわっとした感じ」を納得するのだと思う。
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狩る人漁(すなど)る人 徳永孝
東の海では
漁師の女がつかまえられ逃げるタコに話しかける
老いた漁師は魚は天のくれらすもんでござすと語る
北の大地では
キツネがチャランゲでアイヌの若者の不当な仕打ちを訴える
アイヌの長老はそれを聞き
キツネの神様(カムイ)に許しを請い祈る
南のカリブ海では
老人がこれから釣り上げようとするカジキマグロを
人に対するようにhim と呼ぶ
狩る人漁る人と獲物との対話
自然のもたらすものを人々が要ると思うだけ受け取る
これ以上の栄華のどこにゆけばあろうか?
農耕が始まり
作物は人が育てるものとなった
工業化社会となり
食品は商人から買うものとなった
ヒトの呼吸する酸素を
生きる糧を生み出す自然は
ヒトの意識から薄れてゆくき
気づかぬうちに その力は失われていく
はるか遠く
暗い海の上に
影がはい上る
「かつては自然と人間が対等の関係だったが、それがくずれていく。いまの世界から欠けていくもの描いている」「壮大な感じがする。自然と動物の営みが、東、北、南と展開する」という感想が聞かれた。
「どこに、対等というものを感じたか」と私は問いかけてみる。
「四連目、特に自然の自然のもたらすものを人々が要ると思うだけ受け取る、という行。必要なものだけを受け取る。そこに対等、調和がある。いまは、それがくずれている」 たしかにそうなのだと思うが、私はもう少し「意味」をではなく、「ことば」にこだわって読みたい。
たとえば一連目の「タコに話しかける」、二連目の「キツネが訴える」には、人間とタコ、キツネがことばをかわしている様子が書かれている。ことばをかわすことができるのは、タコ、キツネ、人間が対等だからではないだろうか。三連目ではそれが魚に「人に対するようにhim と呼ぶ」という形で書かれている。「人に対するように」ということばには「同じように」が省略されている、と読むことができる。
人に対する(のと同じように)ようにhim と呼ぶ
この「人間に対するのと同じように」は、一連目では「人間に対するのと同じように、タコに話しかける」という形で補うことができ、二連目では逆にキツネが「キツネに対するのと同じように、アイヌの長老に、アイヌの若者の不当な仕打ちを訴える」という形で書かれている。
「話しかける」「訴える」「呼ぶ」に共通するのは、「ことば」である。
「ことば」をつかって人間と自然が対等に会話する。四連目に「対話」ということばで、それは要約されている。
そう読むと、この詩は「起承転結」をふまえて構成されていることがわかる。
一、二、三連は「起」である。具体的に三つの「ことばのあり方」が語られる。それを四連目で「対話」という形に整えて、言い直す。「承」である。
五、六連目は「承」で要約したことを、さらに別の角度から言い直す。「転」である。一、二、三連目で書かれていたことが、その瞬間のことだったのを、「歴史」という長い時間の中で見つめなおす。
歴史の中で人間と自然の関係は、どう変わってきたか。人間自身はどう変わったか。それが自然に対してどういう変化を与えたか。
「壮大な感じ」がするのは、この「転」が一瞬ではなく、歴史的視点をもって書かれているからだろう。
最終連の三行(結)は、短くて、象徴的である。この短くて、象徴的であることも、この詩を強くしている。「意味」をはっきりとは特定しない。読者に考えさせる。詩は、読者に何かを教えるためにあるのではなく、何かを考えさせる、何かを感じさせるためにある。読者が考え、感じれば、それで詩の仕事(あるいは、ことばの仕事)は成功したのである。「答え」を教えるのではなく、何かを考え、何かを感じる、という「動詞(生き方)」という方向へ読者を誘えば、それでいいのだ。
最後の行の「影」は特に象徴的である。「自然の逆襲」と読んだ受講生がいる。私は、この「影」を四連目に出てくる「栄華」と関係づけて読みたい。「栄華」は「光」であり、その対極にあるものが「影」だろう。だから「自然のもたらすものを人々が要ると思うだけ受け取る」という関係が崩壊したあとの「できごと(事件)」が「影」。それはたしかに「自然から逆襲」しもしれないが、私は「答え」は保留して、この「影」は詩のなかでは、どのことばと向き合っているのだろうか、と考えるのである。また、この「影」は六連目の「薄れてゆき」という動詞とも関連づけて読むことだできる。ただし、その「薄れる」は「影」が薄れるのではなく、「栄華(光)」が薄れ(弱くなり、失われ)、その結果として「影(闇)」が大きくなるという形で動いているといえる。そう考えると、「暗い海」の「暗い」ということばも納得できる。「意識から薄れていく(意識されない)」は「はるか遠く」とも重なる。
この詩には、また、多くのことばの呼応があり、それが詩を引き締めている。たとえば五連目の「農耕/作物/人/育てる」と「工業/食品/商人/買う」の簡潔な対比なのである。
*
三日月の形になって 青柳俊哉
三日月の形になって
空にくつろいでいる少女
ホワイトワイン・フランスティーに
ストロベリー・トーストを浸して
トランペットが晴れやかに吹かれて
地上の朝から 一斉にハトが飛び立つ
百合や水仙を手にして
神さまたちの風雅な合戦がはじまる
真っ白い紙に
なつかしい未来をうつす少女
この夢が
地上におりてきますように
「ことばひとつひとつが美しく、全体のイメージも美しい」「絵にしたら、好きな絵になる」という受講生の感想。
「ホワイトワイン・フランスティー」「ストロベリー・トースト」は音そのものとしても美しいと思う。美しすぎるかもしれない。それが「イメージ」という印象を与える。現実ではなく、イメージ。
それは、しかし、青柳の狙いであり、思想(肉体)だろう。「現実」そのものを描くのではなく、「精神的内面」を描く。
それはことばでしか成り立たない世界を「ある」ものとして「いま/ここ」に出現させることでもある。
三連目の「なつかしい未来」。ふつうは「過去」がなつかしい。未来には記憶がないから「なつかしい」と呼ぶことはできないのだが、それでも「なつかしい未来」と聞いた瞬間に何事かを思い起こす。夢見続けてきた未来、自分にとってはとてもよく知っている未来。「未来」を「夢」と言い直しているが、長い間夢見続けていた夢が実現したときは、うれしいと同時に「なつかしい」と感じるかもしれない。
この「地上」と、一連目の「空」が呼応して、ひとつの世界を作っている。
ことば独自の世界、という点では「地上の朝から 一斉にハトが飛び立つ」も、そういう世界だということができる。「朝、地上から」ではなく「地上の朝から」と「朝」という時間を「場所」のように書いている。「時間」と「場所」が一体になった「時空間」をさっと思い起こさせることばである。スピード感のあることばだ。私は、こういうスピード感のあることばが好きである。
感想を語り合うなかで話題になったのは、二連目の「風雅な合戦」である。武器ではなく、百合や水仙の花を手にしている戦いだから「風雅」になる。青柳は、平安時代だったか、カエルの合戦の絵がある。それがヒントになった、と「種明かし」をしてくれた。
*
配列 池田清子
10100101
01011001
10101010
00010101
0はあなた わたしは1
0はわたし あなたが1
どこか一か所でも
配列が違っていたら
わたしたち
どう出会い
どう歩き
どんな暮らしをしていたかしらね
また別の行き違いがあったかな
案外 すさまじい戦いをしていたりして
もっとずっと長く一緒にいられたのかなあ
いやいや
3とか5とか入ってきて
もうぐちゃぐちゃだったりして
「書き出しにびっくり」「意味はわからないが0と1の並べ方にドラマがあるのかも」「二進法なのでコンピューターのことを思い出した」
私も二進法を考えた。一行ずつがある瞬間(時期)の「わたし」か「あなた」かをあらわしていると思った。二連目には0、1のいずれかがあなた、わたしと書いているけれど。
あなたとわたしの出会いを思い、過去を振り返る。四連目の「どう歩き」がなんでもないような表現だけれど、過ぎ去った時間の長さを信じさせる。歩いてきた人生、ということばをふと思い出させる。
五連目は、ちょっとおもしろい「読み違い」があった。受講生は、「また別の行き違いがあったかな/案外 すさまじい戦いをしていたりして」「もっとずっと長く一緒にいられたのかなあ」という具合に、「すさまじい戦い」と「長く一緒に」を切り離して読んだのに対して、わたしは「すさまじい戦い」をした方が「長く一緒に」いられたかも、と読んだのである。私の読み方は、いわば「雨降って地固まる」のたぐい。
そのあとの最終連。これがとてもおもしろい。
亡くなった夫のことを思い出しているのだが、「悲しみが、ふわっとしている」という受講生の感想がすばらしかったが、まさに「ふわっとしている」。3とか5とかが入ってきたら、もう二進法の世界ではなく、別世界なのだが、そういうことは想像されていない「安心感」がある。安心した上で、よかったなあという感じをかかえたままで、ことばが動いている。
それを象徴している(?)のが「ぐちゃぐちゃ」である。
これを自分のことばで言うと何になる? 私は、いつもこういう「答えられない質問」をして受講生を困らせる。「答え」がほしいのではなく、考えたいから。「ぐちゃぐちゃ」ということばは誰もがつかうが、その意味は? 言い換えることができるか。
「混乱」「支離滅裂」というような「言い換え」があったが、それはこの最終行には似合わないね。「ふわっとした感じ」とは少し違ってくる。そうしてみると、この「ごちゃごちゃ」はとてもいい表現なんだ。
似たことばに「めちゃくちゃ」がある。同じことばの繰り返しでは、意味は違うが「ねばねば」とか「ねちゃねちゃ」というのもある。「ぐちゃぐちゃ」よりも何か粘着力があって悲惨だ。
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