詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇94)Joaquin Llorens Santa “S. T”

2020-12-08 21:26:57 | estoy loco por espana


Joaquin Llorens Santa “S. T”

Si estas dos curvas no se estuvieran moviendo a esta altura, ¿cómo cambiaría la impresión?
No solo las dos curvas, sino también el delgado pilar que las sostienen las dos también son la obra.
Y la sombra en la pared.
Hay una alegría misteriosa.
Curvas, pilar, sombra, incluso pared blancas juegan juntas.
En el momento en que de repente me reí de la diversión.
De repente pienso en este trabajo es un niño.
Las dos curvas son la cara y las manos.
Un niño pequeño que acaba de aprender a dibujar, la retrato de persona dibujado por nino tiene las manos y los pies conectados alrededor de la cara.
Para el niño, la persona está formados por rostro, manos y pies.
Una escultura a modo de "autorretrato" de un niño que hizo tal dibujo.
Creí ver el "corazón de niños" de Joaquín.


もしこのふたつの曲線が、この高さで動いていなかったら、印象はどう変わるだろうか。
ふたつの曲線だけではなく、それを支えるしたの細い柱もまた作品なのである。
そして、壁にうつる影も。
不思議な喜びがある。
曲線も柱も影も、白い壁さえも一緒になって遊んでいる。
その楽しさにふと笑った瞬間。
私は突然、この作品を、幼い少年だと思う。
ふたつの曲線は、顔と手である。
描くことを覚えたばかりの幼いこどもの描く人間は、顔の周りに手と足がつながっている。
その子どもにとっては人間は顔と手と足とでできている。
そういう絵を描いた少年の「自画像」としての彫刻。
ホアキンの「童心」を見た、と思った。


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高橋睦郎『深きより』(18)

2020-12-08 14:39:30 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(18)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十八 たとへば篠笛」は「式子内親王」。

まづは神なる夫の思ひを心耳に聞き 言の葉に書き止め
つぎには妻なる人の思ひを聲にして 神前の闇に呼びかける
いつしかこの身はおのづから男うたになり 女うたになつていつた

 「男になる」「女になる」ではなく「男うた」「女うた」になる。それは「ことば」である。しかし、この「ことば」は、もう一度、変身する。いや、さらにもう一度。またもう一度。

歌を詠むわたくしは 詠むごとにわたくしを脱いで透きとほり
つひに残つたのは歌のうつは たとへていふなら一管の篠笛
吹き込まれる息もわたくしならず 宙宇にただよふ霊の息

 「うた」は「歌のうつは」に、そして「一管の篠笛」に。そのとき「うた」は「篠笛」のための「息」になり、「息」になった瞬間「わたくし」は「霊」になる。
 それは、どれも仮の名前に過ぎない。
 そこには「歌う」という動詞だけがあり、「動詞」はそのときそのときに応じて「名詞(主語)」を引き寄せる、あるいは誕生させる。「この身」は同時に「うつわ」にすぎないが、「うつわ」は「この身」を永遠の「遊び」へと招いている。「遊び」のなかに「宙宇/宇宙」がある。
 この「遊び」としての「宙宇」を高橋は「エクスタシー(わたくしという境を超え出た存在)」と呼び、まだ「自由」と呼んでいる。

わたくしを出た歌はわが名をまとひつつ 名からいよよ自由に
男・女の境を超えて生きつづけよう 百とせ・千とせののちを










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自衛隊派遣

2020-12-08 14:00:58 | 自民党憲法改正草案を読む
自衛隊派遣

 2020年12月08日の読売新聞(西部版・14版)の一面。

コロナ拡大/大坂に自衛隊派遣へ/北海道も検討 医官や看護官

 政府は7日、新型コロナウイルスの感染が拡大している北海道と大阪府に対し、正式に要請があれば、自衛隊の医官や看護官を派遣する方針を固めた。看護師などが不足する自治体側の実情を踏まえ、政府は地域医療体制の確保に全力を挙げたい考えだ。

 なんとも「いやあな感じ」がする見出しと記事である。
 私は「自衛隊派遣」を実現するために、菅はわざとコロナを拡大させているのではないかとさえ考えてしまう。コロナ感染を抑止できていれば、自衛隊派遣などしなくてもする。感染拡大防止のために何をしてきたか、それを検証もしないで「自衛隊派遣」で乗り切ろうとしている。
 しかも。
 自衛隊の派遣というのは国が勝手にできることではなくて、自治体から要請かあって派遣するという形をとるので、一義的には国の判断ではない。自治体まかせ、という面がある。
 これは逆に言えば、コロナ感染拡大については国には責任がない。自治体が適切な政策を実施しなかったために感染が拡大している。そういう地域に対しては、国はいつでも自衛隊を派遣し、支援すると、いわば「恩を売る」形をとることだ。そうすることで「自衛隊はやっぱり必要だ」という意識を国民に植えつける。
 何か変だなあ、と思うのである。
 読売新聞の記事は、最後に、こう書いている。

 防衛省によると、医官と看護官は約1000人ずつおり、各地の自衛隊病院や部隊で活動している。新型コロナを巡っては、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」でのPCR検査の実施などにあたった実績がある。

 これはたしかにその通りだが、このときのコロナ騒動は一種の「自然災害」のようなものである。どうして発生したのか、どう対処すればいいのか、まだだれもわからなかった。自治体の能力を超えていた。
 でも、それから半年以上もたっている。何が有効か、何が問題かも、だんだんわかりつつある。それなのに有効と思われることをせず、危険と思われることをすすめておいて、「自衛隊派遣」というのはおかしくないか。
 各地に隔離病棟を建設する、医師・看護師確保のための方策をつくす。感染者を拡大させないという施策をとる。しかし、それでもなおかつコロナ感染の拡大が抑制できず、自衛隊の支援を求めるというものではない。
 それなの「自衛隊派遣」が大きな政策のように平気な顔で発表する。新聞は新聞で、それ菅の「大判断」であるかのように宣伝する。
 これって、統治者(首相)として恥ずかしいことではないのか。
 自分の打ち出した政策ではコロナ感染者を抑制できなかった。そのために自衛隊を派遣しなければならないところにまで追い込まれた。大宣伝する前に、まず国民に謝罪すべきことだろう。国民に謝罪し、自衛隊に対しても、自分の失政のために派遣せざるを得なくなったと謝罪すべきだろう。
 ジャーナリズムの立場からいえば、菅の失政が招いた事態として、厳しく追及すべき問題だろう。




#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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