詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

エフゲニー・ルーマン監督「声優夫婦の甘くない生活」(★★+★)

2020-12-18 22:01:13 | 映画
エフゲニー・ルーマン監督「声優夫婦の甘くない生活」(★★+★)(2020年12月18日、KBCシネマ2)

監督 エフゲニー・ルーマン 出演 ウラジミール・フリードマン、マリア・ベルキン、アレキサンダー・センドロビッチ

 ソ連からイスラエルへ「移民」してきた(?)声優夫婦を描いている。知らない俳優ばかりなので、ちょっと知らない世界を覗き見している感じになる。
 映画のなかで「声」をテーマにするのはむずかしいし、初めて見る役者なので「声」に聞き覚えがないから、その「つかいわけ」にもついていくのがむずかしい。★2個は、映画の「でき」というよりも、見ている私の「限界」をあらわしたもの。イスラエルに住んでいる人なら、もっと★がつくだろうと思う。
 声優だから「声」を演じる。「声」を演じながら、実は「人間(人生)」そのものを演じる瞬間があり、また演じた人生によって役者が虚構から仕返しを食う、ということもあるだろう。つまり、自分が求めているものを発見する、ということが。★を1個追加しているのは、その部分が、静かに描かれていて、味わい深いからである。
 妻の方は、「声優体験」を生かしてテレフォンセックスの若い女性を演じる。そこに吃音の男から電話がかかってくる。興奮すると、どうしても吃音になってしまう。それをセックスというよりも日常会話で癒していく。それが男の好奇心を誘う。妻の方も、嘘(演技)のはずなのに、そこに日常が入り込んでしまう。「すきま風」の吹いている夫との関係とは違う「温かさ」を感じてしまう。男も女も、求めているのは「セックス」よりも「日常のこころの通い合い」なのである。そして、それこそが「セックス」なのだ。肉体がふれあわなくてもこころが触れる。そして、この「こころ」を「声」が代弁する。しかも、それは「代弁」のはず、「日常からはなれた虚構」のはずなのに、それこそ「虚構」からのしっぺ返しのようにして、ふたりを揺さぶってしまう。
 アメリカ映画なら(あるいはフランス映画なら)、ここから「新しい人生」がはじまるのだが、すでにソ連を捨ててイスラエルへ来た、「新しい人生」を踏み出している人間には、そこからもういちど「新しい人生」へ突き進んでいくというのは、なかなかむずかしい。アメリカ映画のようにも、フランス映画のようにもならない。
 この踏みとどまり方は、なかなかおもしろい。「列島改造」という角栄のやった「それまでの在庫総ざらえ決算」が一度しかできないのとおなじである。それを、イスラエルに「移民」としてやってきた人間が、肉体として受け入れていく。この問題を追及していけば、それはそれでまた第一級の映画になるが、あまり踏み込まず、さらりと描いているのは、それを「哲学」にしてしまうのは、とてもむずかしいということなのだろう。
 これは、夫が妻の仕事を秘密を知るシーンに、間接的に、とても巧みに描かれている。夫は、「魔がさした」かのようにテレホンセックスのダイヤルをまわす。そこに妻が出てくる。それは「演じられた娼婦」なのだが、その「声」を夫は覚えている。夫が妻の声を初めて聞いた、そしてその声に恋をしたのが「娼婦役」の「声」だったのだ。役者(声優)として成功するとき、すでに妻は(たぶん夫も)自分を「大改造」している。そのときの「痕跡」を夫はしっかりと見てしまうのである。
 もう、そこからは「大改造」はできない。「大改造」が引き起こしたものを、しっかりと踏みしめて生きていくしかない。残りの資産はないのだ。つまり、ふたりで、いままでの「声」をぜんぶたたきこわして、「新しい声」を生きていくというようなことは、よほどのことがないかぎりできないのだ。この問題を「さらり」と描いて、「哲学」をおしつけていないところが、この映画の見どころかもしれない。
 しかし、再び書くが、これは「耳になじんでいない役者」の「声」で聞いても、私の「肉体」にはしっかりとは響いてこない。私の耳は、どちらかといえば鈍感の部類なので、「これはまいったぞ」と思いながら見るしかなかった。
 随所に、隠し味として「映画」が出てくるが、さりげなく「声」についての「哲学」を語っているのも泣かせる。夫は、かつてダスティン・ホフマンの声を吹き替えたことがある。「クレイマー・クレイマー」の声である。夫はダスティン・ホフマンは小さいが(夫は、大男である)、声には芯があり、強い。その声を「自分の声」を獲得するのに苦労したというようなことを言うのである。なかなか、おもしろい。






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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(108)

2020-12-18 18:16:48 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (十月の高い空の下にのびている私の道)

落下が私を永遠にのみこんでしまう道
でも
私はそこにひかれる

 「でも/私はそこにひかれる」と言い直しているところは散文的だが、散文的だからこそ直前の「落下が私を永遠にのみこんでしまう道」が強烈に復活してくる。
 「落下」ならば「穴」なのに、「道」。その奇妙さのなかで、「のみこむ/のみこまれる」と「ひかれる」がひとつの動詞のように動く。
 「落下(する)」は自動詞だが、「のみこまれる/ひかれる」は自動詞ではなく「受け身」。自動詞/他動詞だけではなく「態」が変わっている。
 いや、これは「落下が」と「私は」という「主語」の交代というところから見ていくべきなのか。
 「文法」で説明しようとするとめんどうなものが、ことばを制御している。このことばを統合している「めんどうなもの」が詩である。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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ものすごく、いやあああなニュース

2020-12-18 11:45:58 | 自民党憲法改正草案を読む
共同通信が、こんなニュースを配信している。
安倍前首相、国会招致応じる意向/「桜」夕食会費用疑惑で

https://this.kiji.is/712482045412884480?fbclid=IwAR2ZoK-t3-fZqFrMU9HzA30OwjkPAChgoEQssrW4giFnKT8sUJ2bGJIaiRo

安倍晋三前首相は18日、「桜を見る会」前夜の夕食会費用補填疑惑に関し、捜査終結後の国会招致要請に応じる意向を示した。国会内で記者団に「誠実に対応していきたい」と語った。
↑↑↑↑
いやあああな感じのする「書き方」。
きのう夜、TBSが「安倍国会招致」の「特ダネ(?)」の形で報道した。
でも「特ダネ」ではなくて、「情報のばらまき」だったことは、きょう18日の新聞を見るとわかる。
そして。
TBSのニュースにも、各新聞にもなかったことばが、ここに書かれている。
「捜査終結後」
これって、どういうこと?
TBSや各紙の報道を読むかぎり、自民党(幹部)が安倍に働きかけているような印象。
つまり「捜査」とは関係ないような書き方だったが、実は「捜査」と密接に関係している。
そうすると、きのうのニュースの大元の「リーク元」は「捜査関係者」?
地検か特捜本部かしらないけれど、そこから何らかの「情報」が自民党関係者にもたらされ、打ち合わせがあった。それを踏まえて自民党関係者が「国会招致」を語った。
もちろん、その「情報」というのは、「安倍は逮捕しないから」ということなんだろうなあ。
「逮捕されないことを確認したから、国会で何か言えよ。そうすれば菅の人気もちなおす。自民党への批判も弱まる」
そういう「筋書き」か。
「逮捕されない」という確証を得たから「誠実に対応していきたい」と言ったんだろうなあ。
態度の急変の「根拠」は、それしかない。
このニュースのいちばんのポイントは、「捜査終結後」だね。
そして、TBSが最初に報じたように、「国会招致」が「年内」ということなら、年内に捜査が終わる、というとだ。
ニュースは、見だしにならないところにある、といえるかも。
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安倍国会招致の狙いは?(情報の読み方)

2020-12-18 10:36:08 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍国会招致(情報の読み方)

 「桜を見る会補填問題」をめぐり、「安倍国会招致」のニュースが17日の夜から飛び交った。私がそれを知ったのは、知人がTBSの報道を知らせてくれたからである。TBSの「特ダネ」かと思ったが、各紙の朝刊に載っている。「特ダネ」ではない。しかし、伝え方のトーンが微妙に違う。

①TBS
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4154533.html?fbclid=IwAR2vqfo4GUSHiKM3vhiFLofsyq0yqdqp8vgL3_un1NQnZprKhLjGDQ9qOk0

安倍前首相の国会招致を検討、「桜を見る会」前夜祭の費用補てん問題
「桜を見る会」の前夜祭をめぐり自民党が、安倍前総理大臣の国会招致を検討していることが党幹部への取材でわかりました。
(略)自民党幹部の1人は「安倍さんに何らかの説明をしていただく必要はある」と話していて、与党側は司法の判断を待ったうえで、早ければ年内にも安倍氏を国会に参考人として招致する検討を進めています。

 最後のくだりは、当初は、「自民党幹部の1人は「何らかの説明をしていただく必要はある」と話していて、自民党は、早ければ年内にも安倍氏を国会に招致する検討をしているということです」だった。「検討している」が「検討をすすめている」にかわり、前にはなかった「参考人」が付け加わっている。
 これを読んで、私はフェイスブックに次のように書いた。

 国会は12月4日に閉会したのでは? もちろん閉会中も審議はできるが。わざわざ「年内」に開く? 「年内」って、実質何日? いままで野党の要求を拒否し続けてきたのに、急に方針転換をしたのは何故?
 私はなんだか菅の人気取りに利用されているような感じがする。学術会議、コロナ対策(菅自身の定員オーバー忘年会)で菅の人気はガタガタ。それを立て直すためなら、安倍を利用しようということなのでは? ほんとうに「年内招致」なら、それはそれで画期的な前進だけれど。
 私は、ずるずると引き延ばし、「年末年始のGOTO停止(コロナ感染の推移)」を見ながら、感染拡大がおさまるなら、「やっぱり、やめた」と方針転換するのでは、などと疑ってしまう。もしほんとうに「年内国会招致」なら、菅は、よほど「コロナ対策失敗」(人気の急落)が身にこたえていることになる。
 そして、自民党内が、いまテンヤワンヤなことがわかるニュースだなあ。なんとしても人気を回復したい一心なのだろう。

②東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74981?fbclid=IwAR39zCZ0gEiop0w5l2H1Cn-M2uPYkgpZFGsZSQKCza-CMHNRaoyBXr_tVkM

「桜を見る会」前夜祭 安倍前首相が国会で「虚偽答弁」陳謝へ 自民、年内実施を検討
 自民党は17日、安倍晋三前首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜の夕食会の費用補疑惑に関し、安倍氏を国会に招致する方向で調整に入った。東京地検特捜部の捜査や安倍氏の意向を考慮しながら早ければ年内にも実施したい考えだ。疑惑解明に努める姿勢を見せなければ世論が離反し、菅義偉首相の政権運営にも影響しかねないと判断した。安倍氏は国会での説明が結果的に「虚偽答弁」となったことを踏まえ、陳謝するとみられる。複数の関係者が明らかにした。
 来年1月18日召集の通常国会をにらみ、自民党内では「安倍氏を招致し、早めに区切りを付けなければ野党が追及を強める」(閣僚経験者)との懸念がある。次期衆院選への影響は不可避だとの危機感も判断を後押ししている。閉会中審査での対応を想定し、招致する場は野党と協議して決める見通しだ。

 TBS報道にはなかった「閉会中審査」と「陳謝するとみられる」がある。
 この記事の問題点は「陳謝するとみられる」。これは「複数の関係者」の見方。安倍が「陳謝する」と言ったわけではない。つまり、複数の関係者は「安倍に陳謝させる」という形で状況を打開したいと狙っているということだ。
 ここからも、菅の(あるいは菅を支える自民党内部の)混乱と、必死さがつたわってくる。

③毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20201217/k00/00m/010/419000c

「桜を見る会」前夜祭 安倍氏が国会で経緯説明 自民検討、年内の実施も視野
自民党は安倍晋三前首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭の費用の一部を安倍氏側が補 (ほてん)していた問題を受け、東京地検特捜部による捜査が終結するなど進展した場合、安倍氏が国会で一連の経緯について説明する検討に入った。安倍氏の意向も踏まえ、判断する。早ければ年内の実施も視野に入れている。
(略)自民党は安倍氏については衆院議院運営委員会などに出席し、一連の経緯を説明することを想定している。安倍氏が公的な場で直接説明することで、世論の反発や疑惑を払拭する狙いがある。

 「陳謝(謝罪)」ではなく「経緯説明」と毎日新聞は書いている。そしてここでも「説明する」は安倍の意志ではない。安倍がそう語ったのではない。自民党(菅総裁)が「安倍に説明させる」ということにある。目的は「世論の反発や疑惑を払拭する狙い」と指摘している。狙いはあくまでも「選挙対策」(菅の人気回復)である。

④読売新聞(18日朝刊、西部版・14版)は政治面(4面)で2段の見出し。

安倍氏招致 自民幹部が言及/「桜」前夜祭 「国会で説明 必要」
安倍前首相側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡る問題で、自民党幹部は17日、「捜査に一定の区切りがつけば、安倍氏が国会で説明することも必要だろう」と語った。安倍氏の国会招致を検討する考えを示したものだ。ただ、党内では招致に反対する声が強く、実現は容易ではない。

 私が読んだ記事の中ではいちばん淡々としている。毎日新聞は「経緯」と書いていたが、読売新聞は「経緯」を省略し、「安倍氏が国会で説明する」とあるだけで、何を説明するかが明示されていない。まだ安倍との間で調整が進んでいないことがわかる。さらにこの「説明する」には「ことも必要だろう」ということばが追加されている。「ことも必要だろう」にさらにことばを追加するなら「と考えている」である。言い直すと、「安倍氏が国会で説明することも必要だろうと考えている」である。あくまで、個人的な考えである。
 さらに「党内では招致に反対する声が強く、実現は容易ではない」と補足している。
 TBSの「特ダネ」と見えたのは、「リーク」というよりも「情報のばらまき」。「ばらまき」だとわかって、読売新聞は「リーク元」以外の自民党のほかのひとの声を取材し、「裏取り」をしようとしたのだろう。その結果「招致に反対する声が強く、実現は容易ではない」と書いたことになる。
 だからこそ、見出しも「自民党検討」ではなく、「自民幹部が言及」となっている。ある幹部が語った、というところで留めている。慎重である。一面ではなく、政治面に小さく載っているというのも、慎重な見方をあらわしている。
 読売新聞は、こんなところに「正直」を発揮している。TBSの「特ダネ」に見えたものは、実は「特ダネ」ではないと書くことで、まだ、安倍よりの姿勢も維持しているということか。

 さて、ここからわかることは何か。
 何もわからない。
 ただ、自民党内部が「菅の支持率下落」に動揺していることだけはわかる。このままでは選挙に勝てない。何をすればいいか。「悪人」を叩いて、菅の「正義」をアピールするしかない。
 ここで「正義」と書いたのは、安倍を国会に呼ぶことは「政策」でもなんでもないからだ。
 コロナ対策や学術会議は、国民生活の「今後」がかかっている。安倍の問題には安倍の今後がかかわっているが、国民の生活は関係ない。別なことばで言えば、「予算」が関係しない。もちろん「政治倫理」の問題として関係してくるともいえるが「政治倫理」ということばが象徴するように、それは「倫理」が基本問題である。
 「倫理」に対して「正義」を主張することは、国民に納得してもらえ、なおかつ菅自身には直接影響がない。
 そして、「正義」はいつでも「国民受け」がいい。「正義」が嫌いな人などいないからである。
 で、さらに、こんなことも考える。
 菅が「正義」をふりかざして安倍を追及し、菅自身の正しさをアピールするとき、その反動として安倍も「正義」をふりかざして菅を追い詰めることを考えるだろう。ひとりだけ政治の世界から追放されるということを受け入れるわけがない。すでに「鶏/卵」にからんでやり玉に挙がっている人がいる。
 もう「正義合戦」ははじまっているのだ。
 そして、この「正義合戦」がつづくとき(つづけてほしいと私は思うけれど)、コロナ対策や学術会議問題がわきにおいやられてしまう。そのことが心配だ。とくに「学術会議」の問題は、「批判」(反対意見)を民主主義にどう生かすかという問題と関係しているのに、いまは追及する声が聞こえにくくなっている。ジャーナリズムに登場しにくくなっていることが心配だ。






#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

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