詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』

2020-12-09 10:58:09 | 詩集


木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』(澪標、2020年12月01日発行)


 木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』は木村がブログで書いてきた詩歌の批評集。私はあまり本を読まないので、知らないことばかりが書いてある。さらに私は、本を読むとき好き勝手に読んでいるので、「常識」とはかけはなれた読み方をしてしまう。木村の批評に出会って、えっ、そういう意味だったのか、とびっくりする。「そういう意味だったのか」と書いたが、私にあらかじめ感想があるわけではなく、そのとき初めて知った作品に対してそう思うのだけれど。
 その例をひとつ。
 飯田蛇笏の「老いの愛水のごとくに年新た」という句を引いて、こう書いている。

彼は、老いの愛は「水のごとく」と詠むが、今の老人がどうかは読者の想像にまかせたい。

 この木村の批評を読んで、あ、「老いの愛/水のごとくに/年新た」と詠むのかとはじめて気がついた。私は「老いの/愛水のごとくに/年新た」と読んでいたのだ。そう読んで、この「愛水」を木村はどう読むのか、と期待した。
 その期待(?)に答えるように、木村は

老人にも「愛」の感情とか「性」の欲求というものは、あるのである。

 と書き始めている。「性」ということばがちゃんと出ている。

今の時代は、文明国では人々は長生きになり、老人も「性」を貪るらしい。
飯田蛇笏は七七歳で亡くなっているが、いまの私は彼の没年を超えた。

 と文章はつづいている。
 いよいよ木村自身が「性」を語るか、と思っていたら、冒頭に引用した一行である。あ、「愛水」ではなく、「愛/水のごとく」なのか。「愛=水」なのか。
 まあ、「淫水」ということばはあるが、「愛水」ということばはないようだから、私が誤読しただけなのだけれど。「淫水」ではなく「愛水」か、ちょっとしゃれているなあ、詩につかえるかもと思ったのが間違いの最初だったのだ。
 詩は、テキトウなことば、でたらめな(つまり流通していない)比喩があたりまえというか、「売り」のひとつになっているから、「新しいことば」に出会うと、私はついつい興奮してしまう。その「癖」がでたということか。
 しかしね、

■八十の恋や俳句や年の花 細見しゆうこ

こうなると、「すごいね」と言う他はない。
ピカソは八〇歳にして何番目かの妻に子を産ませているから不思議ではない。

 と木村は書いている。
 やっぱり「性」について書いている。だったら「愛水=淫水」であってもいいじゃないか、と思うのである。
 私の大好きなスケベなピカソのことも書いてあるし。
 で、少し脱線して書いておくと、ピカソが何回結婚したか知らないが、七人の恋人がいる。そして子どもは四人。最後の子どもはパロマで、1449年生まれ。ピカソは1881年生まれだから、八十歳のときの子どもではない。ただし、ピカソの最後の妻(恋人)ジャクリーヌとは1953年に出会っている。七十歳すぎである。このジャクリーヌとの出会いがもう少し早かったら、「私はピカソの隠し子」として生まれていた可能性がある。……私は、どこまでもどこまでも、自分中心に「世界」を見つめるくせがあるので、こんなことを考えたりもするのである。
 こういう私の「脱線」を修正するためではないだろうけれど、木村は、こんなふうに締めくくっている。

最後に、きれいな、美味な、美しい句を引いて終わりたい
■明の花はなびら餅にごぼうの香
(略)
この餅を貫いている「棒」は、「ごぼう」を棒状にカットして甘く柔らかく煮たもので、微かに牛蒡の香りがする。掲出句は、それを詠んでいる。

 なるほど。
 しかし、「棒」とか「貫く」ということばは、やはり、私には性につながることがらを思い起こさせる。
 いくらていねいに説明されても、なかなか最初の「思い込み」を洗い落とすのはむずかしい。

 こういう奇妙なことは、ふつうは思っても書かないかもしれない。でも、私は思ったことは思ったこととして、それが間違いだとしても、あるいは筆者に対して失礼だとしても、書いておきたいのである。
 何かしらの「必然」があって、私はことばを「誤読」する。もちろん「必然」というものはなく、単なる「無知の誤読」ということかもしれないけれど、それはそれで「無知」であることが私の生き方なのだから。

 別のことも書いておく。坪野哲久というひとの短歌が紹介されている。そのなかに、こういう一首がある。

母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎えて雪零すなり

 なんともいえず「肉体」そのものに迫ってくる。「夜天は炎えて雪零すなり」という情景を、私は知っている、と思う。私の母は冬ではなく、五月に死んだのだが、冬に死んだらやっぱり「夜天は炎えて雪零すなり」という日だったか、と夢想する。私は冬に生まれ、雪になじみがあるので、雪にひっぱられるようにして、そう読んでしまうのだろう。
 この歌について、木村は、こう書いている。

ふるさと石川県に臨終の母を看取った時の歌であろうか。
ときあたかも冬の時期であったようで、能登の怒濤の寄せる海の景物と相まって、母に寄せる心象を盛った歌群である。

 私は富山の生まれである。能登半島の付け根である。だから能登の海は知っている。能登の雪も知っている。
 知らず知らずに、私は私の「肉体」が覚えていることを通して坪野の歌に向き合っていたことになるのだろうか。
 こんな歌も、坪野は書いている。

母のくににかへり来しかなや炎々と冬濤圧して太陽沈む

 この冬の海も、私は「肉体」で知っている。「肉体」が覚えている。私は「肉体」が覚えていることをひっぱりだしてくれることばが好きである。
 木村の書いていることへの「批評」ではなく、私の「肉体」が感じていることを、木村が書いているものを借りて書いてみた。木村が引いている膨大な詩歌(短歌、俳句が中心)のほとんどが私の知らないものである。「頭」で読み、「頭」で書いても、きっと「誤読」になる。おなじ「誤読」なら、「肉体」が感じるままの「誤読」の方が嘘を書かずにすむだろうと私は考えている。












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敵圏外から攻撃能力?

2020-12-09 09:19:18 | 自民党憲法改正草案を読む
 2020年12月09日の読売新聞(西部版・14版)の一面に、安倍が辞任会見した直後に報道された「特ダネ」、敵基地攻撃能力をもった「武器」を開発するという記事の続報が「特ダネ」として掲載されている。続報だから、どこが新しいのか目を凝らさないとわからない。

長射程程ミサイル開発/敵圏外から攻撃能力/来年度予算案

 「長距離射程ミサイル開発」に関して言えば、すでに「敵基地を射程にした装備」と言っているのだから、新味は「ミサイル」ということばが具体的に出てきたところか。
 しかし、「敵圏外から攻撃能力」とはどういうことか。
 仮想敵国がどこか明確には書いていないが、北朝鮮も中国もすでに日本を射程にしたミサイルをもっている。ロシアももちろんもっている。日本はすでに「敵圏外」ではない。だいたい「敵の圏外」にいるのなら、その「敵国」は日本にとって危険ではないだろう。緊急の危険性を感じる必要はないだろう。
 「敵圏外から敵基地を攻撃できるミサイル」とは、何か。
 記事には、こう書いてある。(番号は、私がつけた。)

①政府は、年末までに検討中の「ミサイル阻止」の新たな方針の一環として、敵ミサイルの射程圏外から攻撃できる長射程巡航ミサイル(スタンド・オフ・ミサイル)を新たに開発する方針を固めた。
②地対艦ミサイルを改良し、艦艇や航空機からも発射でき、地上目標も攻撃できるようにする。来週にも閣議決定する。

①に「長射程巡航ミサイル」ということばが出てくる。ここから「巡行」ということばを省略して、読売新聞は「長射程ミサイル」と見出しにしている。
②では「敵圏外」を「艦艇や航空機からも発射でき」るが、と具体的に言っている。「艦艇や航空機」は移動できる。つまり、敵国から攻撃されにくいということである。地上基地に固定化されたミサイルは、基地を攻撃されたらつかえなくなる。しかし、「艦艇や航空機」は「地上基地」に比べて攻撃されにくい。これが「敵圏外」の意味なのである。
 このことを、こんなふうに言い直している。

③艦艇からも発射できる新型巡航ミサイルの開発で、相手の対応をより困難にし、抑止力の強化につなげる狙いがある。

 「相手の(敵の)対応をより困難にする」が「敵圏外」ということになるが、これはあくまで「対応をより困難にする」であって、完全に「敵圏外」を意味しない。読売新聞(あるいは、この特ダネをリークしたひと)は、このミサイルを「抑止力の強化」呼んでいる。
 だが、別の見方もできる。
 「艦艇や航空機からも敵の地上目標を攻撃できる」ということは、たとえ日本の地上の基地が攻撃によって完全破壊されても、なおかつ敵基地を攻撃し続けるということである。これは言い直せば「戦争が長引く」、戦争の長期化を意味する。どこまでも破壊がつづく。
 「抑止力」というと聞こえはいいが、私は「戦争の長期化」を想定しているだけだと推測する。安倍から菅が「継承」する「政策」が、これである。絶対に戦争をする。戦争は、絶対に「長期化」させる。これは、言い直せば、「軍事独裁」の期間をより長く維持するということである。
 菅は、戦争の「長期戦」を目指している。「長期戦」の「手段」が「艦艇、航空機から発射できる長距離巡行ミサイル」なのだ。もう、これは「防衛」でもなんでもない。読売新聞が見出しにとっているが「攻撃」でしかないのだ。
 新聞(ジャーナリズム)に求められているのは、「リークされたことば」をそのまま垂れ流すのではなく、ことばを分析し、批評し、解説を加えて記事にすることだ。
 「長距離巡行ミサイル」は何のために、どうやって運用するのか。その結果、どういうことが起きるのか。単に敵基地を攻撃する(反撃する)ということ以外のことが起きる。それがわかる見出しと、記事の構成が必要である。

 まあ、読売新聞は「攻撃能力」(見出しに注目)と、いつものように「正直」をさらけだしているのが、おもしろいところではある。しかし、「正直」に「攻撃能力」と書いてしまったのだから、そのあとも「正直」をつづけないといけないのに、それができない。
 そこに問題がある。

 おなじ紙面の「編集手帳」には、有馬朗人を忍んで、こういうことを書いている。

<友の死や雲の峯よりB29>。敗戦から75年の今夏、十四歳の空襲体験を詠んだ。「戦争で軍事施設のみ攻撃されるなんて嘘だ」と本紙に語っている。 

 戦争は、はじまれば、もう「戦争」しかない。終わりなのである。
 長距離巡航ミサイルで「敵基地」を攻撃する、抑止力を高めるというが、戦争になればきっと「敵基地」以外も攻撃する。日本も「基地」以外も攻撃される。つまり「防衛手段」を持たない国民は、いつでも簡単に殺され続ける。
 そういうことを体験してきたからこそ、憲法で、国に対して戦争をさせないと宣言している。それを国の指導者が率先して破り続ける活動をしている。憲法違反をしている。
 それをごまかすために「敵圏外」だとか、「抑止力」ということばをつかっている。








#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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