詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

伊藤俊也監督「日本独立」(★)

2020-12-22 23:02:41 | 映画
伊藤俊也監督「日本独立」(★)(2020年12月22日、中洲大洋スクリーン4)

監督 伊藤俊也 出演 浅野忠信、宮沢りえ、小林薫

 白洲正子を宮沢りえが演じるというので見に行ったのだが。
 無惨な映画。人間がぜんぜん浮かびあがってこない。どの役者も、ほんらいなら非常人間くさい存在感を発揮するのに、この映画では単なるストーリーの紹介のための「書き割り」。いや、というよりも、宮沢りえなどはときどきストーリーを超える演技をするので、そこだけが浮かびあがって、とても奇妙。
 そして、そのストーリーも浅野忠信(白洲次郎)、小林薫(吉田茂)が中心になるはずなのに、脇に追いやられている。二人がなぜ「意気投合」しているのか、そのことがぜんぜんわからない。
 では、この映画は何を描きたかったのか。
 時間をかけて、というか、二度もくりかえされる小林秀雄のセリフが、この映画の中心になっている。
 小林秀雄は、戦艦大和の生き残りの乗組員が書いた「小説(?)」を高く評価している。それを発表しようとするが、GHQの検閲にひっかかって、果たすことができない。白洲次郎もその作品を世に出そうとするが、なかなか実現しない。(何年か後には出版されるが。)
 その小説のどこがポイントなのか。
 小林秀雄のことばは、まず小林秀雄の口から語られる。「GHQは戦争で生き残った日本人と戦死した日本人のつながりを完全に断ち切ろうとしている」と。これは、戦死した日本人の精神を否定しては日本は成り立たない、死者の思いを思想としてきちんと引き継いで行かなければならない、という意味なのだろう。それは、一回で十分であるはずなのに、その作者が小林秀雄が自分を評価してくれたと意識しながらとぼとぼと帰るシーンで、もう一度語られる。とぼとぼと帰る男の姿に、小林秀雄のことばがもう一度かぶさるのである。
 伊藤俊也が描きたかったのはこれなのである。
 しかも「ことば(セリフ)」として、描きたかった。忘れたころに、もう一度その「ことば(セリフ)」が出てくるのではなく、念押しするように、すぐにくりかえされる。なんともあからさまな「宣伝」である。
 そして、その作品の一部も、わざわざ「セリフ」をとうして紹介する(小林秀雄が朗読する)という年の入れようだし、白洲次郎にも「文字」を読ませている。
 それならそれで、「脇役」として映画にもぐりこませるのではなく、その男を主人公にして映画を作り、その背景に憲法制定をめぐる政治の動きを描けばいいのだ。そうせずに、あくまでも憲法制定をめぐる吉田茂と白洲次郎の動きを中心にし、しかもその「接着剤」として宮沢りえをもってくるという非常に「姑息」な映画のつくり方をしている。
 こういうつくり方は、正面切った「日本国憲法批判」よりもタチが悪い。
 「憲法」にどういうことが書かれているか、ではなく、アメリカがやっつけで作り、それを日本に押しつけただけが強調される。その強調の手段として、若いアメリカの女性を登場させ、憲法学者でもなんでもない女性が「自分の作成した条文がそのままつかわれている」と自慢しているという批判として映画に出てくる。これは、日本からなかなか消えない女性蔑視の風潮を利用して、アメリカ押しつけの憲法はデタラメという主張をもり立てるためのものだろう。
 繰り返しになるが、この対極(無関係なアメリカの女性の対極)にあるのが、大和の乗組員の手記なのだ。
 吉田茂については、私はよく知らないが、この映画では憲法9条の「第2項」の立役者のように描かれている。具体的には、そういう描写は出てこないのだが、再軍備の「余地」を引き出した人間として描かれている。吉田とマッカーサーの「密談」があったことは、口外してはならないという形で、この映画では「公表」されている。この部分の、マッカーサーが「公表してはならない」と言ったことを公表することで、「これが真実なのだ」と告げる(見せかける)方法をとっているのも何とも手が込んでいて、私はいやあな気持ちになってしまった。
 前後してしまうが、「戦争」そのものも、戦艦大和の生き残りの男を通してのみ描かれているのも、非常に非常に、うさんくさい。「なぜ、戦艦大和の兵士は死んでかなければならなかったのか」「死を受け入れるために、思想(ことば)をどう整えたか」。これが、憲法のことばをどう整えたかと向き合わされる形で展開する。戦争のために死んでいった人(広島、長崎の原爆の犠牲者、各地の大空襲の被害者)は、戦争と憲法から排除された形でストーリーが描かれる。
 幣原が、電車のなかで聞いた男の声から「戦争放棄」を思いついたというようなことは、当然のことながら描かれない。「国にだまされた」という男の声は、どこにも出てこない。
 GHQという勝者が押しつけることばと、大和の死んでいくしか生きる方法がない男たちのことば。それを対比することで、日本国憲法が日本人のことばではない、と主張するのである。
 日本国憲法に対して、無惨、無念の思いを抱いた男たちだけの声で、この映画は作られているのだ。
 この映画ではなく、松井久子監督の「不思議なクニの憲法」をぜひ見てください。「2018年バージョン」からは、私も出演しています。宮沢りえも浅野忠信も小林薫も出演していないけれど。








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高橋睦郎『深きより』(23)

2020-12-22 10:54:55 | 高橋睦郎『深きより』
高橋睦郎『深きより』(23)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「二十三 立ちぞ浮かるる」は「宗祇」。

連歌こそがわたくしを産み わたくしを育てた
連歌がわたくしに命じるので わたくしは旅に出た
旅に次ぐ旅の中で わたくしはわたくしになつていつた

 この「論理」はあまりにも論理的で、味気がない。芭蕉は、この宗祇にならったということだろうし、ほかの詩人たちも「旅」を生きたどうかは別にして、「ことばがわたくしを産み、わたくしを育てた」「ことばのなかでわたくしはわたくしになつていつた」と言えるだろう。
 宗祇の、宗祇性は、どこにあるのか。

武将たちは束の間のたのしみに 連歌の座を設けたがつた
そこに現はれて一座を捌くわたくしは 漂白の乞食神

 「捌く」という動詞に、高橋は、宗祇を見ている。「座」を捌く。しかも「一座」を捌く。このときの「一座」とは「一期一会」の「一」を含んでいる。その瞬間にだけ「現はれる」ものである。そして、それは「捌く」ことによって「一」を超えて「永遠」になる。「捌く」は姿を整え、完成させるということである。
 高橋が試みているこの詩集そのものが、高橋の「捌き」によって初めて成立する「一回かぎり」の「永遠」なのである。
 「捌く」ことによって、その「座」に存在する「座」そのものを、「定着」ではなく「漂白」させる。「ことば」そのものを「漂白」させる。新しい旅、誰も体験したことのない、しかし、誰もが知っている旅へと誘い出す。
 そこで、ことばは「古今」に、「源氏」に、「伊勢」に会う。それもやはり「一期一会」なのだ。

 稗田阿礼から出発して、何人ものことば(人生)を「捌き」ながら、高橋は、「わたくしはわたくしになつていつた」という過程を、この詩集のなかで、新しく実践して見せている。






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どこが「特ダネ」?(情報の読み方)

2020-12-22 09:31:10 | 自民党憲法改正草案を読む
どこが「特ダネ」?(情報の読み方)

 2020年12月22日の読売新聞(西部版・14版)1面。「桜」前夜祭の続報。(番号は、私がつけた。記事は必ずしも番号の順番で構成されているわけではない。)

安倍前首相 任意聴取/東京地検 不起訴の公算/支所は略式起訴 週内にも

①安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、東京地検特捜部が安倍氏から任意で事情を聞いたことが関係者の話でわかった。
②特捜部は、安倍氏が前夜祭費用の補填などの実態を知らなかったとの見方を強めており、不起訴とする公算が大きい。
③一方、政治団体「安倍晋三後援会」の代表を務める安倍氏の公設第1秘書については、週内にも政治資金規正法違反(不記載)で略式起訴する方針。

 デジタル版(ネット)では「独自」のマークがついている。「特ダネ」である。でも、どこが「特ダネ」なのか。すでに、あちこちで推測が書かれていたこととどこが違うのか。やっぱりという既視感が強い。「推測」ではなく「確認した」ということが「特ダネ」なのか。
 ①「関係者の話でわかった」とあるが、「リーク元」は匿名のままである。「いつ」かも明確にされていない。
 ②「見方を強めており」は誰の推測(判断)なのか。「不起訴とする公算が大きい」もだれが、そう推測(判断)しているのか。取材した記者(読売新聞)だろう。だから見出しにも「公算」と書いているのだが、このジャーナリズムが多用する「公算」は、非常に無責任である。「公」という文字が大手をふるっている。恣意的である。誰の判断か明記せず「公算」ということで、世論をリードしようとしている。
 ③の「略式起訴」(見出しの最後にとっている部分)が「特ダネ」なのかもしれない。「起訴」ではなぐ「略式起訴」。
 この部分については、記事の「末尾」で、ていねいに、ていねいに、ていねいに、こう解説している。

④不記載罪の法定刑は、5年以下の禁錮または100万円以下の罰金など。略式起訴を受けた簡裁は通常、公開の法廷を開かず、書面審理だけで刑を言い渡す「略式命令」を出す。
⑤ただし刑事訴訟法は、事案が複雑で慎重な審理が必要だと簡裁裁判官が判断した場合などには、正式裁判を開く必要があるとしている。

 ④からわかるように、略式起訴だと「公開の法廷を開かず」、処分が決定する。起訴の罪さえ「公開の公判を開かない」なら、安倍の関与についてはもちろん公判を開かない。つまり、これは「安倍不起訴」を補強するための材料として書かれている。
 ⑤は一見、まだ秘書の起訴がありうるかもしれないと言う意味を含んでいると読むことができるが、逆だろう。「事案が複雑」と「簡裁裁判官が判断」するわけがない、と念押ししている。
 秘書は、

⑥公設第1秘書は特捜部の聴取に対し、「前夜祭の収入と支出は後援会の収支報告書に記載すべきだった」などと供述しているという。

 と「罪」を認めている。「否認」していない。何ら「事実関係」を調べる必要がない。

 ここからが問題だ。
 「桜を見る会」で問われているのは(世間が注目しているのは)、「政治資金規正法違反(不記載)」ではない。
 ②の「安倍氏が前夜祭費用の補填などの実態を知らなかった」かどうか、という問題である。この問題は、安倍が「東京地検特捜部」に「実態知らなかった」(デジタル版には見出しにとっていたが、記事中には、そういう文言は明記されていなかった)と言えば解決することなのか。知っていても「知らなかった」と言うことはできる。「知らなかった」は「忘れていた/覚えていない」とも言い直せる。
 このことについては、読売新聞は、こう書いている。

⑦安倍氏は首相当時の国会答弁で「後援会としての収入、支出は一切なく、収支報告書への記載は必要ない。補填したという事実は全くない」と述べていた。
⑧ただ、安倍氏は後援会の役職には就いておらず、安倍氏周辺によると、不足分を補填していないか安倍氏が確認した際、事務所担当者は「支出していない」と虚偽の説明をしていたという。
⑨特捜部は、捜査を尽くすためには安倍氏の認識を問う必要があると判断し、聴取を実施。安倍氏は不記載などへの関与を否定したとみられる。

 ⑦は国会答弁として記録に残っているので、「事実」である。
 ⑧は安倍が嘘をついたのではなく、秘書が嘘をついた(安倍はだまされた)ということを語っている。
 ⑨は、安倍が「関与を否定したとみられる」という憶測。
 このとき、問題になるのは、なぜ⑧の秘書が安倍に「虚偽の説明」をしたのか、その「理由」のようなものがわからないことである。⑥でわかるように、秘書は「記載の必要性」を認識している。知っていて、嘘をついたのはなぜか。
 ありふれた例でいえば、秘書が事務所の経費を「私的流用」した場合、「金を使っていない」と嘘を言うことはある。自分のためにつかったのだから。ところが、今回の場合は、自分のふところには入れていない。もちろん、ホテルに補填した金額からいくらかのキックバックを受けている(私的流用をしている)という可能性はあるが、そういうことをしているという「供述」は表面化していない。
 なぜ秘書が嘘をつく必要があったのかが解明されないかぎり、安倍と秘書は「口裏を合わせている」ということになる。
 すでに書いたが、この問題がニュースになったとき、秘書はたしか「安倍にうその答弁をしてもらった」というようなことを語っている。
https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/6cda4fed1cb8e654a15cd5014f262468
 「してもらう」というかぎり、そこには「打ち合わせ」がある。
 11月25日の読売新聞には書かれていたことが、きょうの新聞では「省略」されている。つまり、ここでは「情報操作」がおこなわれている。
 そして、いま多くの国民が注目しているのは、この「情報操作」なのである。安倍と秘書がどんな「情報操作」をしたのか。その「情報操作」に対して東京地検はどこまで踏み込むのか。国会は、その「情報操作」をどこまで追及できるのか。

 もし、きょうの読売新聞に「特ダネ」があるとすれば、11月25日に報道したことを「隠蔽」しようとしている、「情報操作」に加担しているということを明確にした点か。すでにわかっていることだが、「読売新聞は安倍の味方」であることをアピールしているのが「特ダネ」。
 それは、きょうの読売新聞の記事のどこを読んでみても、「安倍が不起訴でいいのか」という疑問が書かれていないことからもわかる。東京地検の動きを「不起訴の公算」と伝え「不起訴」へ向けて、世論を説得する(安倍は知らなかったのだから、罪は問えないと宣伝する)ことがジャーナリズムの仕事なのかどうか。ジャーナリズムがしなければならないのは、東京地検の不徹底な態度、国会の安倍の虚偽答弁を許す姿勢への追及だろう。安倍を擁護することではなく、安倍の問題点を厳しく追及することだろう。









#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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アマゾンや一般書店では購入できません。
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