セルゲイ・ロズニツァ監督「国葬」(★★★)(2020年12月26日、KBCシネマ2)
監督 セルゲイ・ロズニツァ
スターリンの国葬のドキュメンタリーだが、なんとも不気味である。スターリンが脳溢血(?)で倒れてから死ぬまでの経過を国営放送が克明に語る。医学用語をつかった病状報告が克明すぎるのである。こんなことを知らせてどうなるんだろう、と思う。そして、こんなことが放送されるのは、他につたえることがないからではないか、と思う。あるいは、放送したこと(内容)が問題になり、「粛清」されてはたまらない、だから「科学的(医学的)事実」だけをつたえようというのか。
その一方、続々と国葬のために集まってくるひとたちの声はひとことも聞こえない。共産党の役職者や労組(?)の代表は追悼のことばを発表するが、国民はみな無言である。そして、その無言の顔がこれでもかこれでもかというくらいに映し出されるのだが、この膨大な顔を見ても、「声」が聞こえない。想像できない。悲しんでいるのか、ほっとしているのか、見当がつかない。涙を拭いている人もいるが、その涙の意味がわからない。ほんとうに追悼の気持ちがあって涙が流れたのか、涙を流しておいた方がいいと判断したのか。
大勢の人が集まっているが、その人と人を結びつけるものがさっぱりわからない。
これがテーマであり、これが監督の言いたいことかもしれない。スターリンが死んだとき、国葬がおこなわれたが、その国葬に対して国民が何を考えていたか、それはそのとき語ることができなかった。国民は「声」を奪われていた。ただ、無言で、つまり権力に対していっさいの批判をせずに生きることを強いられていた。それはスターリンが死んだからといって一気に解決することではない。
自分を抑圧しているものに対してどう戦うか。それを知らないのだ。そして、その「知らない」というか、「ほかのことを考えさせない」ために、たとえば「放送(ジャーナリズム)」がある。「ことば」の統制がある。冒頭のスターリンの死を告げる放送が、とても特徴的なのだ。
私は最初何を言っているのか、さっぱり理解できなかったが、この理解できないは「感情移入ができない」である。つまりスターリンの死を告げる放送は、「理解できない事実」というよりも「理解する必要のない事実」だけを語る。感情移入による「共感」、感情の「連帯」が生まれないことば語り続けることで、「感情」の共有、「感情」による「連帯」を遠ざけている。「悲しみ」さえ、共有させないのだ。「国葬」で「悲しみ」を共有している国民はいないのだ。これは考えようによっては(考えなくても)、ひじょうに残酷なことである。しかし、そういう残酷を産み出してしまう、ものを考えないためのことばの統制がソ連ではおこなわれていたのではないのか。
流通することばは、自分自身の「暮らし」とは無関係である。しかし、それを聞かないといけない。そんなことは私には関係がないと言えない。そんなことは聞きたくはないとも言えない。
それが、そのまま「国葬」のとき、「現実」としてあらわれてくる。スターリンが埋葬された廟へいつたどりつけるかわからない。それでもその前まで行って追悼しないと、きっと追悼しなかったことを問い詰められる。反論することばがない。「悲しみ」も共有できないが、「反論(怒り/その反動としての喜び)」も共有できない。だから、群集のなかにかくれて自分自身を守る。群集の中で「個人」を守る。生き抜く。言いたいことを言わない。言いたいことが言えないという苦しさが、言いたいことを言わないと決めた瞬間から、すこし苦しくなくなる。こうしいてれば生きていける。そのほんの少しの安心を求めて、さらに無言がつづいていく。
ここから国民がことばを取り戻すために、どれくらいの時間がかかるのか。スターリン批判はたしかにあったが、それはどのような形で生まれてきたか。ほんとうに国民の声として「暮らし」のなかから生まれてきたのか、それとも共産党の内部で生まれてきただけなのか。どちらにしろ、「批判」がことばになり、それが「行動」になるまでには時間がかかる。
これは……。
スターリン独裁下だけの問題ではない。独裁があるところ、かならず起きることだ。一度独裁が確立されたら、そこから国民がことばを取り戻すためには長い時間がかかる。ことばを守ることが独裁を防ぐ方法であるということを、逆説的に語ることになるだろう。
どこまでもつづく無言の顔。それを見る必要はある。この無言の顔に対して、私はいろいろ書いたが、そのことばが彼らの無言には届かないとも思う。あの膨大な無言の顔にきちんと向き合えることばがいったいどこにあるのか、想像もつかない。ただ、「無言」にはなりたくない、とだけ思う。
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自分を抑圧しているものに対してどう戦うか。それを知らないのだ。そして、その「知らない」というか、「ほかのことを考えさせない」ために、たとえば「放送(ジャーナリズム)」がある。「ことば」の統制がある。冒頭のスターリンの死を告げる放送が、とても特徴的なのだ。
私は最初何を言っているのか、さっぱり理解できなかったが、この理解できないは「感情移入ができない」である。つまりスターリンの死を告げる放送は、「理解できない事実」というよりも「理解する必要のない事実」だけを語る。感情移入による「共感」、感情の「連帯」が生まれないことば語り続けることで、「感情」の共有、「感情」による「連帯」を遠ざけている。「悲しみ」さえ、共有させないのだ。「国葬」で「悲しみ」を共有している国民はいないのだ。これは考えようによっては(考えなくても)、ひじょうに残酷なことである。しかし、そういう残酷を産み出してしまう、ものを考えないためのことばの統制がソ連ではおこなわれていたのではないのか。
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