詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石毛拓郎「獄中●●の木橋」

2020-12-31 17:36:57 | 詩(雑誌・同人誌)
石毛拓郎「獄中●●の木橋」(「飛脚」26、2020年11月03日発行)

 石毛拓郎「獄中●●の木橋」は、こうはじまる。

だが 腑に落ちない●●点もある
あの時 十三歳の少年は
哀しみの荒野にいて
それも 身ひとつで
なによりも 手ぶらであった
根雪がふる ふりつもる
木橋は揺れるように そこに見えていた
かれは その橋を渡らないことには
何も始まらないことすら わからなかった

 「●●」は何か。タイトルの●●と一行目の●●は同じものか。「一行目の」と書いたのは、この詩には●●が何度も出てくるからである。

まだ 腑に落ちない●●面もある
なぜ 凶器を使ったのか
かれは 虎の影に追いかけられ
どこへ行っても 憐憫の瓦礫が目をふさぐ
塹壕のどん底から
樹木の高みへと 逃げる術など
思いもよらなかった
狂気のせつなさ 雪がしぐれてくる
手ぶらの狂暴が 熱くささやいた

 ●●を修飾することばが同じだから、そこに同じことばが入るかどうか。同じことばを入れてみたい気がする。ことばを入れて「答え」を出したい気持ちになる。
 これが問題なのだと思う。
 私はなぜ答えを求めるのか。なぜ●●をことばとは受け止めないのか。私の知らないことばがある、ということだけで私は満足できないのか。
 「腑に落ちない」と繰り返されることばは、はたして同じか。「だが」ではじまろうが、「まだ」でひっぱりだそうが、同じことばか。そもそも「だが」と「まだ」はどう違うのか。「点」と「面」はどう違うのか。
 何もわからない。
 わからないということで、すべてのことばは●●とつながっている。
 「十三歳」も「少年」も「哀しみ」も「荒野」もわかる。わかったつもりでいる。「哀しみの荒野」ということばは「身ひとつ」とか「手ぶら」ということばと向き合って一つの精神的な情景を浮かびあがらせる。精神を感じさせる。
 だが、これだって、あやしいものだ。
 だから、私は、あらゆることを保留する。「答え」を出すことを拒絶する。
 「木橋は揺れるように そこに見えていた/かれは その橋を渡らないことには/何も始まらないことすら わからなかった」という「十三歳の少年」になりかわって発せられたことばを拒絶する。「木橋」「揺れ」「渡る」「始まる」「わからない」の意味を拒絶する。
 だが、ことばのリズムは私の肉体のなかに入ってくる。ことばを統一するリズムが、石毛の「ほんとう」として聴こえてくる。「狂気のせつなさ」ということばがあるが、どのことばも「せつない」響きを持っている。「せつない」の定義はむずかしいが、それ以外に、ことばはない、という追い詰められた感じがする。追い詰められ、追い詰められ、ことばがみつからないまま●●と書くしかなくなる。あらゆることばが●●と向き合っている。
 そこには、ほんとうはことばはないのだ。
 試してみるといい。●●をなかったこととして石毛のことばを読んでも、意味は変わらない。というか、「意味」が通じるだろう。意味が通じるとは、そこにある意味がそのまま流布する(共有される)ということである。省略しても意味が意味は変わらないからこそ、それが重要なのだ。省略してはいけないのだ。
 「流通している意味ではない何か」「意味を拒んでいる何か」つまり、「解読されたくない何か」がそこにあって、石毛は、その解読できない何かを通して永山則夫と対峙しているのである。そこにもしことばがみつかり、●●を●●ではないものにした瞬間に、その永山と石毛の関係は消えてしまう。●●を省略した瞬間、世間で言われている「意味」になってしまうことからも、そのことがわかる。
 繰り返される「腑に落ちない」ということば。それが指し示すものだけが石毛をささえている。

耳にひそむ誘惑に 嵌ったのか
やむをえず かれは極刑をえらんだのか
まだ 腑に落ちない●●事がある
東京拘置所に架かった木橋は 足をかけると
あの日 あの時のように揺れた

 ●●を通して石毛は永山になるのだ。それは省略できない「腑に落ちない」という「せつない」気持ちだ。



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「特ダネ」?(情報の読み方)

2020-12-31 10:13:58 | 自民党憲法改正草案を読む
「特ダネ」?(情報の読み方)

 2020年12月31日の読売新聞(西部版・14版)24面に「桜を見る会」の続報。あるいは、「解説記事」というべきか。

「桜」追及 法の壁/報告書不記載 時効5年 保管義務3年

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」前夜祭を巡る政治資金規正法違反事件では、同法の不備も浮かび上がった。検察は、政治資金収支報告書に前夜祭の収支を記載しなかったとして、公訴時効にかからない5年分の立件を検討したが、略式起訴したのは4年分にとどまった。収支報告書の法定保存期間を超える分が廃棄されていたことが一因で、識者から保存期間の延長が必要との声もあがる。

 簡単に言い直すと、収支報告書に関する時効は5年。しかし、安倍の事務所は、収支報告書の保存義務期間が3年と定めているために、5年前の分は廃棄していたため、不記載の「証拠」がなく、4年分しか略式起訴できなかった(4年前の分は、11月に廃棄する予定だったが、まだ廃棄されずにあった)。これに類することは、すでに秘書の略式起訴、安倍不起訴の報道のときに書かれていた。今回は、それをていねいに書き直したもの。(詳細は、本記部分に書かれているのだが、省略。)
 これは、法律問題だね。
 ここに書かれていることに間違いはないだろう。しかし、問題は、なぜ、いまこの記事が書かれているかである。しかも、ネット(デジタル版)とは「独自(特ダネ)」のマーク付き。なぜ、いま? しかも、この記事のどこが「特ダネ」? 

 視点を替えて、読み直す必要がある。
 「桜を見る会」で問題なのは、何か。桜を見る会というとき、「法の壁」とは何か。
 桜を見る会の一番の問題点は、安倍の関与である。追及の「矛先」は「収支報告書」そのものではない。
 この問題を読売新聞は、今回の記事では取り上げていない。純粋に「収支報告書の保存期間(3年)」と不記載(不実記載)の公訴時効(5年)との間に隔たりがあり、そのために文書が廃棄されていた5年前の分は控訴の対象にならなかった、と書いている。秘書の「略式起訴」が相当だったかどうか、というところに、問題の視点がすりかえられている。
 つまり、この記事は、安倍追及の視点を逸らすために書かれていることになる。あべは、その「不記載」や「補填原資」にどうかかわったのか、そのことへの言及がひとこともない。

 国会でも問題になったが、「3年間の収支報告書」の訂正は、単に「支出」の訂正であり、その「支出」に出てくる「補填」の原資がわからない点である。「時効」の問題ではない。
 読売新聞が「法の壁」と呼んでいるのは、むしろ「政治資金規制法」の「限界」というものであり、安倍が「不起訴」になった根拠としての「法の壁」ではない。
 「法の壁」というような大げさなことばで読者の視点をひっぱっておいて、「安倍不起訴」とは無関係な「法律論」を書くのは、明らかな「目くらまし作戦」である。

 注目すべきは、見出しにとっていない次の部分である。

 収支報告書は所在地の選挙管理委員会や総務省に提出され、同省や選管は、原本や領収書などの関係書類を公表日から3年間保存することが同法で義務づけられている。山口県選管はこれに基づき15年分をすでに廃棄し、16年分は今年11月に廃棄することを決めていた。
 安倍氏側は23日付で、17~19年分の3年間の収支報告書を訂正し、前夜祭の収支を記載した。16年分は略式起訴の対象だったが、保存期間が3年であることなどから訂正しなかった。25日に開かれた衆院の議院運営委員会では野党から、こうした対応を疑問視する声もあがった。

 書き方が非常に微妙である。
 「16年分は今年11月に廃棄することを決めていた」は「11月〇日に廃棄していた」ではない。さらに「16年分は略式起訴の対象だったが、保存期間が3年であることなどから訂正しなかった」と言う。
 これは、つまり、16年分は、「廃棄は決めていたが、捜査を始めたときはまだ廃棄してないかった」であり、16年の収支報告書を訂正することはできるのに、それをしなかったである。訂正すべき箇所があるのに、保存期間を過ぎている(廃棄を決めていた)から訂正しない、というのはおかしいだろう。「無駄」に見えるかもしれないが、「無駄」を承知でしなければならないことは、世間にはいくらでもある。

 だから、もし、見出しとして指摘するならば、

安倍側、16年収支報告書訂正せず/保存期間3年理由に

 なのである。秘書の「罪」を少しでも軽くし、同時に、秘書の罪が軽いから、安倍の責任はさらに軽い、と言いたいのだろう。
 問題視しなければならないことは、たくさんある。しかし、読売新聞の「見出し」は、その問題点を単に「保存義務期間」だけにしぼっている。
 こんな視点でニュースを報道していいのか。こんな視点で捉えたニュースを「特ダネ」と言っていいのか。





 







#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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