詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

草野早苗『ぱららん』

2020-12-26 13:01:01 | 詩集
草野早苗『ぱららん』(金雀社、2020年11月30日発行)

 草野早苗『ぱららん』には不思議な音がある。

春夕焼けキリンが角で交信す

スペインの牛黒さ増す秋の雨

ただならぬ卵殻のひび新米来

青セロファンが重なる大気冬木立

 ここには一つの共通の音がある。情緒的な意味ではなくて、即物的な意味での「共通音」がある。「ン」である。「新米」は漢字で書いてあるのでわかりにくいが「ん」がある。「交信す」にも「ん」が隠れている。
 で、この「ン/ん」なのだが、日本語の「ん」の音は実は一つではない。
 舌が口蓋にきちんと接触する閉鎖的な「ん/N」と、舌が口蓋にきちんとつかない「ん/n」、さらにフランス語に通じるように鼻音がある。(N/nという書き分けは正しいかどうか知らないが、便宜的に、書き分けてみた。)
 そして、このNとnなのだが、私は実はNの音が苦手である。ついついnになってしまう。Nを発音するときは、非常に意識しないとできない。「新年」のように次にな行の音が来るときはNの方が楽というか、必然的に感じるが、このNにしても私の場合はnで発音することが多い。(鼻音は省略)。
 どこが違うかというと。
 感覚的なものを含むので、説明がむずかしいが、Nは前後の音をぶつんぶつんと切る感じ、nは音が消えて前後の音を繋いでいる感じ。
 なぜ、こんなことにこだわって書いているかというと。
 俳句は5・7・5の音から成り立っているがNはそのうちの明確な一音。でもnは数えなくてもいい音。前の音に含まれてしまう「呼吸」のようなもの、という感覚が素人の私にはある。俳句を専門に書いているひとは、一定の決まりを持っているかもしれないし、「歳時記」のように決まりそのものがあるかもしれない。
 そして。
 草野はきっと「ん」をしっかりと「一音」として指を折って数えるひとだろうなあ、と思ったのだ。私が曖昧にしているn音もN音として数えている。そういう感じがある。
 そのため音が「ごつごつ」している感じが生まれる。
 俳句とか和歌とか、日本伝統の文学は、万葉をのぞけば、あるいは古今以後は「ごつごつ」が少なく「さらさら/すべすべ」という感じだが、草野の音には「角」がある。ぶつかりながらすり減るのではなく、ぶつかりながら「音」の奥を貫いているものが流動する感じ。表面的ではなく、内部の大きな流動が、表面のぶつかりあいを押し退けて進む感じがある。私の感じる「万葉調」がある。
 「万葉の俳句」というと、変だけれど、そう呼びたいものを感じる。
 草野が俳句を声に出して読むかどうか知らないし、草野の日頃の口調を知っているわけではないのだが、きっと「ん」をNとしっかり発音するひとなのだろう。

 たまたま開いた42、43ページの見開きには、

冬賞与二箇月分で犬を飼ふ

息詰めて開く骨盤オリオン座

ジャンパーに包みて猫の爪を切る

 とやっぱり「ん」の音を含む句がならび、私はそこに「音」を感じてしまう。「ジャンパーに」を5音と数えるには「ジャ」「ン」「パ」「ー」「に」となるのだろう。私の感覚では「ジャン」「パ」「ー」「に」になる。音引き(伸ばされた音)を一音と感じるのはnと違って肉体に力が入るからだろうなあ。
 「ん」を含む句は、ほかにも

初夏の横須賀線が弾み来る

林檎一個カードで買ひぬ乗り継ぎ地

 どれも、なんとなく「好き」と思ってしまうのは、やっぱり「ん」の音が妙に響いてくるからである。こういう句も。

満月に飛ぶほど父に叩かれて

ベランダにいづこから来て石榴ある

ビニールのペンギンを置く冷蔵庫

 で、句集のタイトルになっている、

ぱららんとトランペット鳴り梅雨明くる

 この句にも「ん」があるでしょ? トランペットに「ン」があるのだから「ぱっぱらら」でもいいはずだし、私の感覚ではトランペットの音は最後は閉じずに開放的だから「ん」はなじまないのだが、草野は「ん」と閉じる。その結果、その前の「ぱらら」が強調されるのかもしれないけれど、草野は「ん」の音が書きたくて「ぱららんと」したんだろうなあ。句集のタイトルにするとき「と」があると「ん」が目立たなくなるから「ぱららん」にしたんだろうなあ、と私は思うのだった。









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「連携」の意味は?(情報の読み方)

2020-12-26 08:59:22 | 自民党憲法改正草案を読む
「連携」の意味は?(情報の読み方)

 2020年12月26日の読売新聞(西部版・14版)。9面に安倍の国会質疑の詳報が載っている。詳報といっても1ページだから限りがある。
 そのなかで疑問に思ったこと。
 安倍は、こう言っている。(番号は、私がつけた。)

①前夜祭を開催する責任は東京の事務所が負い、主催は(地元の)安倍晋三後援会だった。東京と地元の事務所が連携していれば、こうしたことは起こらなかったと思う。
②前夜祭の運営やホテルとの交渉、支払いなどを行ったのは、東京の(事務所の)責任者だ。私が「5000円で賄っているか」と聞いたのも、東京の責任者だ。地元の公設第1秘書は「安倍晋三後援会」の代表者であり、主催者としての責任があった。実際の運用は東京で行ったため、支払いについて十分、地元の公設第1秘書に伝わっていなかった。

 ①で「連携」ということばがつかわれている。「連携していれば、こういうことは起こらなかった」と。
 しかし、今回の「補填」は「連携」していたからこそ起きたのではないか。
 また「連携していない」ということが本当ならば、安倍の買収(贈賄)は、いっそう明確になる。「補填」の原資は、安倍の「私的貯金」と主張している。「私的な金」をそのまま会費の不足分としてつかったのだ。「私的な金」だから、「政治資金収支報告書」に記載しなくていいと判断した。言い換えれば「私的な金」で票を買い集めた(有権者を買収した)から、「政治資金収支報告書」に記載してはならないと判断したということだろう。
 その認識が東京の事務所と地元の事務所で共有された結果、政治資金収支報告書にはそれが記載されなかった。こういうことを「連携」といわずに、どういうことを「連携」というのだろうか。
 さらに、「詳報」には書かれていないからわからないのだが、これまでの報道では、桜を見る会の収支についてどう記載すればいいのか、地元の秘書は総務省に問い合わせたということが何回か報道されている。「記載すべきだった」という認識も持っていた、とも報道されている。
 「連携していなかった」という「証拠」として安倍は②で、こう詳しく言い直している。
 「前夜祭の運営やホテルとの交渉、支払いなどを行ったのは、東京の(事務所の)責任者」であり、「地元の公設第1秘書は「安倍晋三後援会」の代表者であり、主催者としての責任があった」。これは「実務」は「主催(名義/名目)」の担当者は別々だった。「分担していた」ということを言いたいのだと思うが、「分担する」とは「連携する」と同義である。「連携」しないことには「分担」は不可能である。
 「論理」が完全に破綻している。(この点を、質問者が指摘しているかどうか、私は知らない。)
 「分担」しているのだから、②の「実際の運用は東京で行ったため、支払いについて十分、地元の公設第1秘書に伝わっていなかった」はまったく奇妙な話であり、本来なら「実際の運用は東京で行ったため、支払いについて、地元の公設第1秘書は十分に詳細を把握し、それを報告書に記載すべきだったのに、怠った」ということだろう。「分担の結果を共有することを怠っていた」ということになる。
 そして、この「怠った」は偶然ではなく、「意図的」である。一度ではなく、複数年にわたって連続している。わざとしないかぎりは、こういうことはおきない。そして、「怠った(忘れた)」と気づいたなら、それをすぐに訂正するはずなのに、それをしなかった。これも、「意図的に連携」しないかぎりはできないことだろう。「記載することを意図的におこなった」だけであり、「補填した事実」は共有し続けたのである。
 だいたい、これまでは「私的預金」から立て替えたと言っているが、立て替えたのなら、立て替えた分が地元の事務所から東京の事務所に支払われていたはずである。それも一回ではなく、連続して複数回である。こういうことは「連携」していないとできない。
 もっと別なことばで言えば、そのときの借用書/領収書(収支報告)が東京や地元の事務所に残っているのか。もしそういうものが存在しないとしたら、それこそ「連携」しているからである。「連携」が強固でないところで700万円だったか800万円だったかの金が行き来するはずがない。もし、「連携」のないところでそういう金が動くのだとしたら、もうそれは「資金を管理している」とは言えないだろう。東京の事務所も、地元の事務所も金の動きに無頓着である。そして、安倍も、「私的預金」がどのうよにつかわれているかまったく気にしていないことになる。
 そんなことをそのまま信じられるのは、「自分の金」が他人によっていくらつかわれようが気にしないよほどの金持ちだろう。あるいは、「自分の金」という感覚がないからだろう。たぶん、安倍は後者なのだ。「金は国民から吸い上げて(納税のことを、安倍は国会で「吸い上げる」と言っていた)、自分のためにばらまけばいい」と思っているのだろう。事務所で管理しているのは「税金」ではないが支援者などから集めた献金だろう。そして、それはもしかしたら「安倍の私的預金」に流用されているかもしれないということも考えてみるべきである。「私的預金」と「後援会の管理する政治資金」がごちゃまぜになっているという「実情」が今回暗示されたのではないのか。「私的預金」から「立て替えた」。けれど、その「立て替え」を証明する「明細」も、「立て替え」を返却したという「文書」ものないのではないのか。
 「私的預金」で「立て替えた」という安倍の主張は、単にホテル代金の補填を超える問題を含んでいる。それこそ「政治資金」と「政治家の個人資金」の問題にも関係してくる。支援者の献金は、もしかすると、別の有権者の「買収資金」としてつかわれたかもしれないのである。言い換えれば、「支援者」が有権者を間接的に買収していたということかもしれないのである。

 読売新聞の「詳報」では、「原資」について、共産党の田村だけが、きちんと問題点を指摘している。

③収支報告書の訂正を見ると、支出部分は増えているが、不足分がどこから払われたか、記載がない。原資が分かる資料を提示していただきたい。

 安倍は「東京の事務所(安倍の私的預金を管理している)」と「地元の事務所(政治資金規制報告書を提出している)」は「連携」してない、と言っている。「事実報告(補填の報告)」、つまり「ことば/認識(文書)」を共有するという「連携」はしていないが、金のやりとりはするという「連携」があれば、それは「連携」である。
 「連携していな」というかぎりは、不足分をどこから収入として得たのか、「原資」がどこからなのかを明確にしなければいけない。「原資は安倍の預金」だけれど、「連携はしていない」というようなことは、何を言っているのか、わからない。その場その場で、ことばをごまかしているだけである。



 







#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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