詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「立て替え」ということばの重大さ(情報の読み方)

2020-12-27 14:44:30 | 自民党憲法改正草案を読む
 安倍が、桜を見る会の「補填問題」で「安倍の私的預金」を管理している(?)東京の事務所が、会費だけでは不十分な分を「立て替えた」と語った。
 私は、この「立て替えた」ということばにびっくりした。
 「立て替えた」は、きっと安倍の弁護士(?)だとか、安倍のとりまきの、「会見想定問答集」にはなかったことばだと思う。つまり、安倍が「独自に考えた」ことば、安倍の知っていることば。「無意識」が出たといえばいいのか。隠しておかなければならないのに、「尻尾」が出てしまった。

 ふつうは、どう言うか。私が安倍なら、絶対に「立て替え」ということばはつかわない。「立て替え」には「立て替えられる人」「立て替える人」のふたりが必要であり、そこには「関係」が発生してしまうからである。
 こういうときは、私なら、東京の事務所が「支払った」とだけ言う。金の動きを「事務所」と「ホテル」に限定して言う。
 安倍は必死になって、「実務は東京の事務所」「金の支払いは下関の事務所」であり、「連携」がとれていなかったと言っている。しかし、「実務は東京の事務所」「金の支払いは下関の事務所」という形で前夜祭が開かれていたのなら、それは業務を「分担」していたということである。「分担」というのは「連携」が前提である。「連携」なしの「分担」などはありえない。費用がいくらかかるか想定せずに会を催していては、予算が破綻するだろう。会計を担当する事務所の方も予算を伝えて、「この範囲で」と実務を依頼するのが一般的なことだろう。「総経費がいくらになるかは、あとで清算するから、実務は予算を心配せずにやってくれ」と言われないかぎり、「会の規模」を拡大などできない。
 そういう「前提(事前の連携)」があったからこそ、東京の事務所は「立て替え」たのだ。「立て替え」でなければ、安倍の「私的預金」から支払ったことになり、安倍がポケットマネーで有権者を買収したことになる。
 安倍もそう認識しているからこそ、ポケットマネーで支払ったわけではない。あくまで「立て替えた」と言ったのだ。
 これは、安倍が「ぼくちゃん知らない、ぼくちゃんの責任じゃない」という「方便」であり、「ぼくちゃん」の責任を他人に押しつけることなのだが、ここから新たな問題が生まれる。もし、下関の事務所が「補填」をしたのなら、その原資は支援者からの寄付金ということになるだろう。事務所ぐるみで、支援者から政治活動のために寄付してもらった金を買収につかったことにある。安倍にとって政治活動は「買収」ということになる。事務所ぐるみで「買収」をしていたことになる。

 「立て替え」ということばをつかわなくても、やっていることは同じだが、「立て替え」ということばをつかうとき、そこには「立て替える人」「立て替えられる人」の密接な関係が存在する、ということに安倍は気づいていない。
 おそらく人に高額の金を立て替えてもらったり、立て替えたりするとき、ふつうの人がどういうことをするか(借用書を書いたり、領収書を書いたり)を知らないのだ。一緒にランチに出て、財布を忘れたのに気づき、500円を立て替えてもらうのとはわけが違うのだ。
 「立て替え」ということばに反応せず、では「立て替えの返却の原資は何?」と質問仕返すことのできない議員やジャーナリストは、安倍と同じように国民の金銭感覚とは違う世界を生きているとしか言えない。この「私的預金」と「立て替え」の問題を追及しているのは、私が見た範囲で言えば共産党の田村だけである。
 政治家もジャーナリストも「ことば」が仕事である。ことばにもっと敏感に反応する必要がある。



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高橋睦郎『深きより』(24)

2020-12-27 11:16:25 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(24)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「二十四 旅に死んでなほ」は「芭蕉」。

宿の外は時雨 降ると思へば止み 止むと見れば又降り

 この絶え間なく変化する動きは、逆に、芭蕉の多くの「静謐な世界」を鮮烈にする。激しい動きが見えていたから、一瞬の絶対を芭蕉は見ることができたのだと感じさせてくれる。

雨脚しぶく夜闇のむかうは枯野 其処駈け廻るは
夢に変じた魂魄 わたしはいつより魂魄と化したのか

 私は驚いてしまった。枯野を駆けめぐっているのが「魂魄」と考えたことはなかった。芭蕉が「肉体」のまま駆けめぐる姿を想像していた。(ここには「わたくし」ではなく「わたし」と書かれているが、誤植だろうか。あえて、ここだけ「わたし」にしたのか、気になる。)
 高橋はこのあと、芭蕉を夢の中で長崎へ向かわせている。

石の道 石の大厦 石の城市 石の広場に炎のはしら
同じき景色は百 千 万と増えやまない 石の枯野

 「石の枯野」は芭蕉ではなく、高橋が夢見ている枯野だろう。高橋は長崎を越え、中国を越え、ヨーロッパを駆けめぐっているのかもしれない。
 前後するが、最初に引用した行の直前の一行のなかに「越え」ということばがある。

それでも芯は覚めてゐるのか 寝を囲む人びとを越え

 この「越える」という動詞が「肉体」を越えて「枯野」を越えて長崎まで旅するとき、その芭蕉と一体になっている高橋ならば、きっと長崎を越え、石のヨーロッパへ向かっているだろう。







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金田久璋『理非知ラズ』

2020-12-27 10:36:18 | 詩集


金田久璋『理非知ラズ』(思潮社、2020年11月23日発行)

 金田久璋『理非知ラズ』は詩集のタイトルになっている作品、それに関係する作品がおもしろいのだが、違う作品を取り上げて感想を書いてみる。
 「騙し絵」。サブタイトルがついている。このサブタイトルは「説明」になっているので、少し興ざめである。ない方が真剣に読むことができる。だから、ここではあえてサブタイトルは省略しておく。

一頭の雌鹿をめぐって
枝角をはげしく打ちつける
何度も 火花を放つほど ゆるやかな草のなだり
逆光にうかびあがる その雄姿のなんと崇高なことか

一名エルク 本来は
北米インデアンのショーニー族の言葉で
ワーピティ 白い尻と呼ばれた牡のアメリカアカシカが
ビャクシンやセコイアの密林に
襲いかかる捕食者からいっとき身を隠す

六本に分岐した 相似形の
雄々しい枝角が つつましく
木々の枝を真似ている

騙すつもりが みずから騙されるように
時には冬毛の鬣を幹に擦りつけ
交差する下枝に絡まり そのまま雁字搦めに
息絶えたアカシカの骨格が 標本を真似て
しらじらと樹間に晒されている
時間が降り積もり やがて化石になる ひとしずくの涙は琥珀に

 この「時間が降り積もり やがて化石になる ひとしずくの涙は琥珀に」が非常に美しい。この詩集の中で、私は、この行がいちばん気に入った。
 鹿に対する「同情」をつきやぶって、ことばが「絶対」に触れている。
 多くの詩の場合、「同情」がそのまま「抒情」になるのだが、「情」を拒絶する「非情さ」が、この一行にある。
 自然というか、宇宙というか。そういうものは人間の「情」とは無関係に、絶対的に存在する。そして、それが人間の「情」を拒絶するからこそ、そこに「美」が完璧なものとして存在する。
 こういう「美」を非人間的という理由で嫌うひともいるが、私は、とても好きだ。
 詩は、こうつづいていく。

万華鏡の星月夜が 落葉し
凍てついた枝組みの間に瞬く 星座のトランプルイユ
憐れむ神のまなざしの向うに
垣間見る 耀変天目の響きあう永遠

群れなすコヨーテの遠吠えが草原になびき
暮れ方の叢雲を呼びさます
巌を割る遠雷の轟き
稲光りが空に根をはりめぐらす

 最後の「稲光り」が下の「枝角」に見える。鹿は死んで、その「枝角」を宇宙に「根」としてはりめぐらせるのである。
 「ひとしずくの涙」と「宇宙に広がる稲光りの根」が鹿の死、残された「枝角」によって結びつく。この特権的なことばの動きは、現在の詩の状況の中では、非常にめずらしく、また貴重なものだと思う。

 という理由の他に、この詩をとりあげた理由がある。

一頭の雌鹿をめぐって
枝角をはげしく打ちつける

 この二行は、セックスと結びついている。そして、そのセックスは「エロチシズム」を超える。
 「理非知ラズ」という章にあつめられた作品はセックスを描いている。
 「理非知ラズ」は、こうはじまる。

添え乳しながら
長らく禁欲を強いられてきたつれあいと
乳繰り合いまぐわう 甘噛みの息づく薔薇色の
胸の小籠に 摘まれた桑の実のときめきに

 これは、まあ、「エロチシズム」を誘うかもしれない。しかし、「乳繰り合う」は、どうか。

という言葉だけで
なぜか勃起した思春期以来
もやもやは収まることなく

 あるいは、「涜神」は、どうか。

夢精を知り染めて 日頃
悪童呼ばわりされる少年たちが
不揃いの七人の背丈の向こうへと
みずから超えんとして 勇み挑む
ことの顛末の

放物線のさきになにが待ち構えているのか
野末の小屋の土間に古新聞を敷きのべ
一列に並んで 一斉に青い血潮の
滾ったいちもつをしごく

 こういうことばは、エロチシズムというよりも、「エロチシズム」が何かわからない「初めての性欲」のような潔癖さがある。そして、その潔癖さに同調するように、ことばそのものが非常に潔癖である。
 野生の純粋さがある。これは、鹿の性欲、雌を求めて死闘を繰り広げる雄鹿の「肉体」をつらぬき、突き破っていく力である。野生の力だ。
 考えてみれば「エロチシズム」というのは「野生」のものではなく、「文化の力」だね。
 金田のことばには、「文化の力」ではなく「野生の力」を感じさせる潔さ、全体的な非情さがある。








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