詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池田清子「そうか」、青柳俊哉「暁」

2020-12-19 14:47:11 | 現代詩講座
池田清子「そうか」、青柳俊哉「暁」(朝日カルチャーセンター福岡「現代詩講座」、2020年12月07日)

そうか    池田清子

一人でいることは
嫌いではないけれど
失った悲しみは
静かにたまっていく

「はらへたまっていく悲しみ」と
八木重吉の詩にある

そうか
これからは
腸活をどうするかっていうことか

 「わかりやすいけれど、説明だけではない」という感想を語ったひとがいる。
 刺激的な感想だと思う。
 「わかりやすい」はむずかしいことばがつかわれていない。「説明」というのは、むずかしいことを「わかりやすく」言い直したもの。そうすると「わかやすいけれど、説明だけではない」というのは、「一見わかりやすいけれど、ちょっとわかりにくいところがある。説明不足のところがある」という意味になるだろうか。
 では「説明不足」は、どう言い直せるだろうか。
 「ことばに飛躍がある」という感想もあったが、この「飛躍」が「説明不足」を言い直したものと考えることができる。
 私「飛躍というの、言い直すと?」
 「連の変わり目に、飛躍がある。軽く反転する感じがある。前を引きずらない感じ」
 「前を引きずらない」を言い直すと「反転する」。必ずしも「反対」の方向へ行く、引き返すというのではなく、違う方向へ行くという意味だと思う。
 このときの「飛躍」の距離感が「一定」だと、そのリズムに乗りやすい。一歩ごとの飛躍が違いすぎると、ついていく(自分の肉体で受け止めて再現する)ということがむずかしいが、「一定」だと乗りやすい。
 「一人でいる」は「悲しい」につながる。「失った悲しみ」はそのまま「一人でいる」あらわしている。ここには飛躍はない。「悲しみ」を「嫌い」ということろにも飛躍はない。しかし「悲しみ」を「嫌いではない」というと、少し飛躍がある。なんとなく「なぜ」と聞きたい気持ちになる。疑問を誘うものが飛躍だね。説明を聞きたくなる。これに対して、池田は「静にたまっていく」とことばをつないでいる。「静か」は「一人」にも「悲しみ」にも通じるが、「たまっていく」は少し奇妙な感じもする。ふつうは、そうは言わないけれど、言われればなんとなくそう感じる。
 この「たまっていく」を池田は、八木重吉の詩で説明している。言い直している。八木重吉は、やはり「たまっていく」ということばを「悲しみ」といっしょにつかっている。ただし、それが「どこに」たまっていくかというと、たとえば「こころ」ではない。
 もっと、即物的(?)。
 「はらへまたっていく」そのことばに触れて、池田は「腸活」ということばを思い出す。池田の造語だから、思い出すではなく、思いつくか。「はら」は「腸」。(「胃」ではないのは、「腸」の方が音の響きが「カツ」とあうからだろう。また、「胃」よりも落ち着いた感じがするからだろう。)
 ここには「こころ(精神)=悲しみ」か「肉体」への転換、飛躍がある。
 「悲しみ」が「腸」にたまるのはいいけれど、たまったままでいい? いや、それなりの消化、排泄なども必要だろう。「肉体」にとっては。そして、それは「こころ=精神」にとってもということかもしれない。
 「たまった悲しみ」をそのままためておくのではなく、どうすればいいのかな、と考える。しかし、重大問題にならないように、軽く処理している。
 そこがいい。
 この静かな悲しみは、寂しいにも似ているが、そしてそれはそれで大事なものだが、それを引きずらずに「そうか」と違うことを考える。
 ことばに「ひととなり」というか「ひとがら」がだんだん滲むようになってきた。池田の詩には。これは、いいことだと思う。
 詩を読みながら、そこにそのひとがいる感じがするのはとてもいい。そして、そのひとがそこにいることが苦にならない、というのは「ひとがら」がそう感じさせるのである。



暁(あかつき)  青柳俊哉

内面に 果てしなくすきとおる
暁の野原 かけめぐる黄色い雛(ひな)たちの
ぬれそぼる羽 初めての土は青く苦く
息が芒(すすき)の穂のように灯(とも)る

ふるびた木箱の中に
立ち尽くしている鶏(にわとり) この町の
通りも家々も 硬く小さくふるびて
意識の深みへ降りていく

暁の雲をあつめて
鳳凰(ほうおう)に似た鳥たちが 月の中空(なかぞら)うまれる
通りも家々も 内面を深くひとつにかさねて
雛たちの羽にぬれる

 「内面」ということばが二回出てくる。最初は「果てしなくすきとおる」、二回目は「深くひとつにかさね」る。「内面」は透きとおることで、広がっていく。広がって行った両端をたたむようにして重ねる。そうすると、その重なりの中にまた「新しい内面」が誕生することになる。不思議な往復運動がある。この「新しい内面」とは「意識の深み」のことかもしれない。
 私は、この詩では「初めての土は青く苦く」ということばが非常に印象に残った。すこし朔太郎を思い起こさせる感じがあるが、内面の透明さ、水の透明さのようなものが、ぬれるということばと重なり、土を青く黒くする。
 「雛」と「鶏」は通じるが、「鶏」と「鳳凰」はどうか。少し飛躍がありすぎるかもしれない。「鳳凰」ということばで「雛/鶏」の対極にあるものを表現しているのかもしれないが、「鳳凰」が架空の鳥なので、ちぐはぐな感じがする。
 また、この詩は連を入れ換えると印象が変わると思う。青柳自身、「二連目は、最初は一連目として考えていた」という。そうすると、こうなる。

ふるびた木箱の中に
立ち尽くしている鶏(にわとり) この町の
通りも家々も 硬く小さくふるびて
意識の深みへ降りていく

内面に 果てしなくすきとおる
暁の野原 かけめぐる黄色い雛(ひな)たちの
ぬれそぼる羽 初めての土は青く苦く
息が芒(すすき)の穂のように灯(とも)る

暁の雲をあつめて
鳳凰(ほうおう)に似た鳥たちが 月の中空(なかぞら)うまれる
通りも家々も 内面を深くひとつにかさねて
雛たちの羽にぬれる

 現実の描写からはじまり、「意識の深み」へ降りていく。つまり「内面」へ入っていくと、「内面」はすきおとり、そこには現実を透明にした別の世界が見える。その「内面」内面のまま存在するのではなく、さらに「深く」なり、「深く」なるものを「かさね」ながら、また新しい次元へと動いていくという感じでもいいかもしれない。
 青柳のオリジナルの形では、「内面」を見ていたら、そこに「現実」の世界が見えた。(内面は、現実を反映したせいかである。)その内面(意識)をさらに掘り進める(深みへ降りていく)、ある瞬間に、突然、鳳凰が飛びだし、それが「宇宙」をつくる。「内面」が「宇宙」に転換するということになるのだろうけれど。
 こういうことは、何よりも作者の「描きたいもの」が優先するので、作者が決めるしかないことなのだが、こんなときこそ、他人と意見交換ができると、いろいろ新しいことも思いつくと思う。





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高橋睦郎『深きより』(20)

2020-12-19 09:44:28 | アルメ時代


高橋睦郎『深きより』(20)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「二十 流されつづけて」は「京極為兼」。

歌の師たる者の為ごとの第一は 歌の場を整へること
生まれる歌に新しい息吹を吹き込みつづけること

 そのためには何が必要か。常に歌が生まれるとき、そこにいないといけない。ところが京極為兼は追放される。それも一度ではない。
 しかし、

わたくしにとつて二度の遠島は むしろ二つの誉れ

 為兼は、これを「誉れ」と言い直している。
 為兼が追放されたのは、為兼の「歌の場を整へる」力、「生まれる歌に新しい息吹を吹き込」む力を、ひとが恐れたからだ。
 日本が、

歌の国 主上以下の歌の力により 政事たれる国

 であるならば、結局、「歌の師」が「政事」を先導・指導してしまうからである。しかも為兼には、それを「つづける」力がある。だれが「主」になろうが、その「主」のために「場」をととのえ、その歌に「新しい息吹」を吹き込む。
 その「連続性」をこそが恐れられたのだ。
 主が交代しても為兼がおなじ仕事をつづけるのならば、それは為兼こそが「影の主」でとして生きつづけることになる。
 だからこそ、都から遠い場所、「遠島」へ追放された。それは都とは「つづいていない」ところである。
 だが、そういうことをしても、歌はつづいていく、歌はつながっていく。人間と違って、歌は(ことばは)、「場」には拘束されない「息吹」だからである。つまり、「場」はいつでも生まれ、「息吹」はいつまでも途絶えることがない。「場」はいつでも整えることができるし、どんな歌にも「新しい息吹」を吹き込むことはできる。為兼は、そう知っているからこそ、運命を静かに受け入れる。
 「流されつづける」ことこそ、間接的に、為兼の「歌(思想)」の正しさを証明するからである。






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