詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

なぜ、ベネズエラ?(情報の読み方)

2022-04-19 17:55:31 | 考える日記

 2022年04月19日の読売新聞(14版・西部版)外電(国際)面に、「ベネズエラ人道危機/政情不安600万人国外へ」という見出し、記事がある。いま、世界中がウクライナの人道危機に注目している。読売新聞も1面で「露、300か所にミサイル/標的拡大 リビウ死者7人」とトップ記事で報道している。ウクライナの状況よりも伝えなければならないベネズエラの問題とは何だろうか。
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 南米ベネズエラから国外に逃れる避難民がここ数年急増し、人口の2割となる600万人に達した。世界有数の産油国にもかかわらず、政治的、経済的な混乱で暮らしが困窮。国際社会は支援に及び腰で、「忘れられた人道危機」になりつつある。(チリ北部コルチャネ 淵上隆悠)
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 「忘れられた人道危機」、つまり「忘れてはならない」という警告なのだが。
 それはそれでいいが、私はこのルポを読みながら、まったく違うことを考えた。このルポからは、ベネズエラの「今の危機」というよりも、「これからの危機」、もっとあからさまにいえば「ウクライナ以後の危機」が起きることを予告している。書いた淵上隆悠は意識していないだろうが、今後起きることが、予告されている。(もちろん淵上隆悠の狙いは「予告」ではなく、ベネズエラ政権への批判なのだが……。)
 このルポのいちばんの問題点は「世界有数の産油国にもかかわらず、政治的、経済的な混乱で暮らしが困窮」と書きながら、ベネズエラの「現実」が書かれていない。ベネズエラから脱出した難民をチリで取材して書いていることである。チリはベネズエラから遠い。なぜ、チリまで? ということも書いていない。
 逆に、
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 昨年、チリ警察が摘発した不法入国は前年の2倍強となる1万6879件で、大部分をベネズエラ人が占める。殺人に加担し逮捕された例もあり、国内では治安悪化への懸念が高まる。
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 という奇妙なことが書かれている。難民支援というよりも、これでは、難民によって遠く離れたチリでさえも「治安悪化」が起きている。大問題だ、というわけだ。これは、どうみても「難民」の立場に立ったルポではないね。
 では、何が狙いなのか。
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 ベネズエラは、14年間続いたチャベス政権を13年にニコラス・マドゥロ大統領が継ぎ、反米左派路線が維持されている。19年、独裁的な政権運営に反発した野党指導者が暫定大統領への就任を宣言するなど、避難民急増の背景には政治の混乱と経済の破綻がある。
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 マドゥロの「反米左派路線」が原因であると読売新聞はいいたのだ。マドゥロと野党との対立が「政治の混乱と経済の破綻」を引き起し、それが難民を急増させている。
 政治的対立のことは具体的に書かずに、読売新聞は、こう書いている。
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 原油は世界最大の埋蔵量を持ちながらも、米国などの制裁で輸出が厳しく制限されている。ハイパーインフレで物価上昇率は18年に10万%超に達した。1日2ドル(約250円)以下で暮らす「極度の貧困層」が、国民の76・6%を占める。
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 この部分を落ち着いて読めば、「経済破綻」が与野党の対立ではなく、アメリカの経済制裁が原因だとわかる。「世界最大の埋蔵量」の石油を抱えながら、輸出が制限されている。そのためにベネズエラには金が入ってこない。これが「貧困」の最大の理由である。版アメリカ政策がいけないのだ、と読売新聞はいいたいのだ。しかし、マドゥロが石油を売った金を独占しているわけではないのだ。石油があるのに売れないから貧困が拡大しているのだ。原因は、むしろアメリカのベネズエラ敵視政策にある。そう書かずに、あくまでもマドゥロに責任を負わせる。

 では、なぜ、いまこの記事が書かれたのか。
 これからは、私の「推測/妄想」である。ロシアの石油、天然ガスの「輸入」をアメリカ主導で、世界中が拒んだ。どうしても石油が足りなくなる。この石油不足を解消するにはベネズエラの石油に頼るしかない。でも、ベネズエラに対しては、やはり「経済制裁対策」がとられている。どの国も「輸入」できない。
 どうすればいいか。
 マドゥロの「反米左派路線」をやめさせる必要がある。マドゥロを追放する必要がある。アメリカの資本主義にそった形でベネズエラの石油を流通させる必要がある。
 でも、どうやって? 「難民」問題を取り上げ、マドゥロを批判する。マドゥロは、ベネズエラのプーチンだ、という「見方」を世界に広める。ウクライナの難民と重ねて報道すれば、マドゥロへの批判が高まる、ということを狙っている。
 でも、どうして、アメリカはマドゥロの「反米左派路線」に経済制裁を加えることになったのか。
 私はそういうことをきちんと調べたわけではないからテキトウに書くのだが、ベネズエラが「世界最大の埋蔵量の石油」を周辺国に安く売ってしまうと、諸外国のアメリカへの依存度が低くなってしまう。アメリカの言うことを聞くより、ベネズエラの言うことを聞いた方が石油が安く手に入る。脱アメリカ追随。この方が経済発展にも役立つ。中南米諸国がそう考えるとき、ベネズエラの「地位」が相対的に高くなる。アメリカの価値が相対的に下がる。これをアメリカは許せないのだ。ベネズエラに金もうけをさせるわけにはいかない。これが、アメリカの「狙い」である。
 これは、アメリカのロシア対策も同じでである。ロシアがパイプラインを建設し、ヨーロッパへ天然ガスを安く売る。日本へも安く売る。ロシアとヨーロッパの経済交流が活発になる。つまり、アメリカがヨーロッパで金を稼ぐ機会が減る。それを封じるための「経済制裁」。アメリカの利益を優先させる。最終的には、ロシアの石油、天然ガス、小麦などの「資源」の「流通経路」をアメリカ資本主義の下に組み込み、支配する、ということろまで進めたいのだと思う。

 ここからである。
 アメリカ主導の「経済制裁」がロシア(ウクライナ)で成功すれば、次は、南米で同じことが起きる。ベネズエラへの「経済制裁」をさらに強化し、ベネズエラの「石油」をアメリカの支配下に押さえる。アメリカが、その「流通経路/価格」を決定する。そういう世界をアメリカは狙っている。
 私は、そこまで「妄想」してしまう。
 アメリカが狙っているのは「アメリカ資本主義」の「世界制覇」である。すべての「経済」をアメリカ資本主義のもとに統一する。
 だから、いまアメリカの最大の競争相手である中国には、台湾問題をちらつかせて、脅しをかけている。「台湾有事」の「前哨戦(予行演習)」が「ウクライナ有事」である。そして、「台湾有事」をすぐに起こしてしまうのはかなり危険なので、ウクライナの後は、ベネズエラで「予行演習」をしてみよう、というのがアメリカの狙いである。そのために、自民党べったりの読売新聞を通じて、ベネズエラを「難民」を生み出す問題国としてアピールし、それを解決するという「名目」作り上げようというのである。
 ロシア制裁(ロシアを国際経済から追放)のあとはベネズエラ追放である。次に問題が起きるのは、「南米」である。そのことを読売新聞の記事は「予告」している。中国も問題だが、「地理的」にもっとアメリカに近いベネズエラ。そこをまず支配し、体制を固めた上で、最終的に中国をも支配する、というのがアメリカの狙いである、ということを読売新聞は教えてくる。
 読売新聞は、記事を、こうしめくくっている。
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UNHCRによると、ベネズエラ避難民を保護するため、22年は7億8000万ドル(約980億円)が必要だが、これまでに集まったのはわずか8%。国際社会では、ロシアの侵攻に伴い、ウクライナ避難民を受け入れる動きが広がる。
 「私たちを忘れないでほしい」。自由と豊かさに向けて逃避するパルガスさんの叫びが耳に響いた。
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 チリまで脱出した「難民」によりそうふりをしている。ベネズエラの「自由と豊かさ」は、アメリカが経済制裁さえ取らなければ、可能だったかもしれないということを指摘せず、アメリカの主張をそのまま垂れ流している。ベネズエラが、自由に石油を輸出さえできれば、経済は急激に改善するだろう。そういうことに目をつむっている。
 世界中で石油が高騰するいま、アメリカがいちばんほしいのはベネズエラの石油であるということを間接的に「証明」しているともいえる。金儲けのためなら、なんでもする。それがアメリカ資本主義だということを、忘れてはならないと思う。
 資源をもたない日本の物価はこれからどんどんあがる。円安も加速する。「資源大国」のアメリカだけが、もうかる。これが、これから永遠に続くのだ。

 

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荒川洋治「真珠」

2022-04-19 00:09:46 | 詩(雑誌・同人誌)

荒川洋治「真珠」(「午前」21、2022年04月25日発行)

 荒川洋治「真珠」を読む。感動した。そして、この感動は、もしかするとロシアがウクライナに侵攻したあとの「ことば」の状況が影響しているかもしれないと思った。たぶん、それ以前なら、こんなに感動しなかったと思う。
 「真珠」に、ではロシアのこと、ウクライナのことが書いてあるかというと、そうではない。喫茶店に、平日の四時ごろ、八十歳を過ぎた男女が入ってくる。男が小声で一方的に話している。そういうことが書いてある。こんなふうに。

野球の話では広島の新星・末包、
巨人の岡田とつづき 「使いものにならない」
選手の予想に飛び、根尾、今年もどうかとなり
転じて昔、西武から中日に移ったコーチ某は
現役で二年しか投げなかった、いつだったか
七回裏に逆転満塁ホームランを浴びて、など
異常なこまかさが世の根幹となる

 この「異常なこまかさが世の根幹となる」という批評が、とても鋭い。
 私は野球を見ないから、知っているのは、いまなら大谷くらいで、荒川が書いている選手など「ほんとう(事実)」がどうかもわからないが、世の中を支えているのは、たしかに荒川が書いているように「こまかな」事実なのだ。
 いま、新聞(私は、新聞しか読まない、テレビは見ない)では、ロシアの侵攻、ウクライナの悲劇が連日書かれているが、その報道には「こまかさ」がない。つまり、記者が自分で見た「事実(批評)」がない。だれが発表したかわからないことばが、「伝聞」として書かれている。いま、記事を書いている記者は「戦争」を知らないのだ。その場に言っていないだけではなく、「戦争」について語ったことばを聞いたことがないのだ。あるいは、読んだことがないのだ。たとえば大岡昇平の「レイテ戦記」とか。だから、「戦争」をどう書いていいかわからない。記者自身の「ことば」を書いていない。記者が入手した「ことば」がだれかの操作によって「整理」されているとしても、その「操作」を見抜く力がないから、そのまま書いてしまう。そのことに気づいていない。
 荒川が書いている老人の「ことば」は固有名詞が主体で、ほとんど何も書いていないなように見えるが、たとえば「七回裏に逆転満塁ホームランを浴びて」という具体的な事実を彼は見ており、その記憶が「批評」として働いている。無意識に、「コーチ某」をどう見ているかを語っている。そのために、このだれだかわからない老人が、生きている人間としてことばのなかを動いている。
 荒川は、こういうこと、自分が見て、それに対して自分なりの批評をする(自分のことばをもつ)ということが、「世の根幹」だと言っている。ここに、荒川の「ことばへの信頼」が明確に書かれている。
 たぶん、荒川は、新聞に書かれているロシア侵攻に関する報道、「非個性」の「ことば」を信頼していないだろう、と思う。そう信じさせる「ことばの落ち着き」がこの詩のなかにある。

突然、日本社会党の委員長のことになり
片山哲からだよ、鈴木茂三郎、河上丈太郎、浅沼稲次郎、
さらに佐々木更三(宮城の農村の出だよ)、成田知已とつづけ
江田三郎はね、委員長代理で終わったんだね、ほら
江田五月のお父さんだよ、国民服の北山愛郎もいたな、
まあ 昔から 絵があった
社会党は数の上ではたいしたことはなかったが、愛敬があったね、

 この「批評」を支えているのは何か。「体系」である。この詩の登場人物は、彼のなかに「体系」をもっている。「体系」があるから、社会党の委員長の「歴史」がきちんと整っている。そして、「体系」があるからこそ、その「体系」からはみ出して動くものもはっきり見ることができる。「絵がある」「愛敬がある」。こういうことは、社会党の歴史、政治の歴史では、どうでもいいことだろう。しかし、世の中を動かしていくのは、「歴史」から省略されてしまった「絵」とか「愛敬」とかの感覚である。そしてそれもまた非常に強い「根幹」である。ある人間が、別の人間に対して持つ「批評」の「根幹」。譲ることのできない感覚。どうしても動いてしまう感情。人間に信じられるものがあるとしたら、それは「知識」ではなく、こういう自然な「感情」だろう。
 こういう自然な感情が、ロシア・ウクライナの戦争報道にはない。記者の「実感」がない。記者の「体系(根幹)」から自然に発達し、枝、葉になった「ことば」がない。ただ、受け売りのことば(あるいは、権力者に迎合したことば、というべきか)が暴走しているだけである。
 どんなときでも、ことばは「個人的」でなければならない。
 荒川は、ふたび、荒川自身の「批評」を書く。

こちらが暗に付け足すとしたら三宅島生まれの浅沼稲次郎が
作家田畑修一郎が三宅島に来たとき、かかわったということぐらいで
この老人の静かな知識は
真珠のように輝くのだ

 「知識」が「個人の体系」になるとき、つまり「権力者の体系」ではなく、だれにも属さない「固有の体系」であるとき、それは「無力」である。つまり「無意味」である。しかし、それは「静か」である。それは権力によっておかされるということは絶対にない。そして、ただ「静かに輝く」のである。
 いま、ロシア・ウクライナの戦争報道で必要なのは、そういう「固有の視点/個人の体系」から発せられる「固有のことば」である。
 プーチンのことばでもなければ、ゼレンスキーのことばでもない、ましてやバイデンや岸田のことば、さらには安倍のことばではない。生きている市民、生きている兵士といっしょになって動いている記者の、「固有のことば」(固有の報道)である。ほんとうに「現場」で動いているのは、それなのだから。

 ロシア・ウクライナの戦争につながることを、荒川は、最終連で「ユーゴスラビア連邦共和国が解体して二〇年後のいまも」と、さっと書いている。荒川は、現在のニュースの報道のことばに対する批判を意図して書いたのではないかもしれないが、私は、厳しい批判がこめれらていると思って読んだ。
 そして、とても感動した。
 今年いちばんの傑作、全体に読むべき詩だと、私は確信している。

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