池田清子「生きてるっていうこと」、徳永孝「境界線」、緒方淑子「のんおあみゅるじんぐううるおあらくううんえにもあ」、青柳俊哉「どんぶり法師」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年03月14日)
受講生の作品。
生きてるっていうこと 池田清子
痛いっていうことは
生きてるっていうこと
怖いっていうことは
生きてるっていうこと
老いること
悔やむこと
恥じること
会いたくてたまらない人がいるっていうこと
こうして 詩が書けるっていうこと
数学の問題を味わうように
生きてるっていうことを
ゆっくり 味わうことができたらいいんだけれど
「生きてるっていうこと」が繰り返されているが、三連目にだけはない。省略されている。省略されても、わかる。その省略した分だけ、ことばが早くなり、ことばが多くなる。「老いること/悔やむこと/恥じること」には、また「っていうこと」が省略されている。ここも、なくてもわかる。この省略によるリズムの変化が、ことばを生き生きさせている。
最後の連の「数学の問題を味わうように」は、池田のひととなりを知っている人にはわかるが、知らない人にはわかりにくい。この連がないと池田の「個性」が出てこない、池田が書いた意味がないといえるかもしれないが、つまずく人が多いと思う。
三連目には池田の主張があふれているのだが、あふれすぎているかもしれない。少なくとも「ゆっくり 味わうことができたらいいんだけれど」の「できたらいいんだけれど」は言いすぎている。「生きてるっていうこと」でしめくくり、「できたらいい」は読んだ人に感じさせることが大切だと思う。
自分ですべてを語るのではなく、読者に任せてしまう。そうすると、詩が窮屈ではなくなる。
*
境界線 徳永孝
低く薄く広がる
マーブル模様の雲
天と地 あの世とこの世を隔てる
ガラスの天井
肉体有るものは通れない
お父さん 振亜(ツェンヤ)さん お母さん
いなくなった人達
みんなあの上に行ったのかな
毎日生きてゆくことが
誰にでも最後まで残された
一番大事な仕事
その仕事を終えた時
あの境界線を越えて
先立った人達に迎え入れられたい
けれども おまえは
そのような生き方をしているか?
徳永の詩も「生き方」をテーマにしている。受講生のなかから指摘があったが、最終連の質問は、「反語」的に響く。つまり、「そのような生き方をしているか?」という問いは、多くの場合「いや、していない」と否定の答えを誘導しやすい。その場合、それまでに書いてきた肯定的な響きが消えてしまう。「そういう生き方をしてきた、だから、私は先立った人達に迎え入れるはずだ」という肯定的な方向へ動いていくのはむずかしい。
「生き方」をテーマに書くと、最後を強い肯定で終わるのは「傲慢」という印象を与えるかもしれないと配慮しているのかもしれないが、詩には、こういう配慮はいらない。
人がどう思うかは、その人の問題。
詩を書く時は、詩は読まれるものということを意識すると思う。しかし、逆にも考えてみよう。詩を読むのは、他人の考えを読むだけではない。詩を読む時、書いた人のことばに自分のことばが読まれることでもある。読みながら、自分はどうなのかな、と考える。人間は、たいていの場合、他人のことは気にしない。どう見られるかは、気にしないで、ただ自分の書きたいことを書けばいいと思う。
*
のんおあみゅるじんぐううるおあらくううんえにもあ 緒方淑子
お洋服やさんに行きました
コートの中身はコーン
あったかいんですよ ~ えすでぃじぃず
なんです ~ 店員さんは うふふ
セーターは たぬき ひらがな
あったかいんですよ ~ 店員さんはうふふ
えすでぃじぃず? 害獣駆除?
飼ってるの?
そこまでは ~ 知らないんですよ ~
店員さんはうふふ
次のお店でも たぬき ひらがな
あったかいんですよ ~
そこまでは ~ 知らないんですよ ~
同じやりとり 店員さんはうふふ
でも さっきより 少し困ってる
たぬきなら
郊外 の5月 の明るい田んぼで夫婦
峠 の道端 のこは倒れてた
きょうは たぬき ひらがな
SDGs(エスディヘジーズ)とタヌキ、セーターの関係はわからないのだが、緒方が洋装店で体験したことを書いている。「たぬき」「ひらがな」、店員の「うふふ」。そのあと、「たぬき」から実際に見たタヌキのことが語られる。
分かち書きに、それまでの体験(少し変わったリズム)が反映されていて楽しいのだが。私は一か所、とても驚いてしまった。
「峠 の道端 のこは倒れてた」の「こ」と書かれていることば。私は「タヌキの子」と思った。直前に「夫婦」が出てくるから、その「子」と。しかし、緒方は「子」ではない、という。そこに倒れていたタヌキを指す、指示代名詞、という。
「どんなふうにつかう?」
「たとえば、犬を飼っている人が、このこはねえ、とか」
「それは、私がかわいがっている子どものような存在、だから子というのでは?」
「いや、そうじゃない。ポットを指して、このこは働き者、とか」
私は、この説明に、心底驚いた。指示代名詞として「こ」ということばをつかったことはないし、聞いた記憶もない。緒方が言った「ポット」の例ならば、「これ」とか「それ」ということばをつかうだろうし、もし「こ(子)」ということばならば、それは自分が非常に愛着を感じている(自分の一部/犬を我が子き呼ぶのに似ている)ための、一種の「誤用」として理解できるが、愛着をこめたわけでない指示代名詞としての「こ」のつかい方があるとは知らなかった。私は福岡県に住んで50年になるが、ずーっと、この土地で話される単純な(?)指示代名詞のつかい方を知らずにきた。
きっと知らないことばが、まだまだあるぞ、と思った。
詩から離れてしまったが、この詩について語り合った時、会話がそういうふうに動いたので、その記録として書き残しておく。
*
どんぶり法師 青柳俊哉
蝉の声が 黒い雲母にしみいるこの夏
どんぶりのお椀に乗った小さい法師が
頭に蜻蛉をのせて 津古の池水を渡ってくる
赤松の崖から青い蟇(ひき)が飛び込む 水の大梵鐘!
波うつ蓮の葉のうえで きょうも老いた河童が
酒に赤く酔う バラの友の河童も来ていて
どこへ行くのかと問う 玄海の胸像(むなかた)の王に
有明海の珍魚わらすぽを献上するのだ
わだつみの宮のテラスから 女神さまを
遥拝(ようはい)し みあれ祭を見物するのだとかえす
友は水の旅の無事を願って 法師のお椀へ
天の白いバラの花びらを吹きおくる
この詩について語り合った時、「連想」ということばが受講生のなかか飛び出した。「連想が、ここちよい」と。
緒方の書いていたタヌキのセーターと道路で倒れていたタヌキは、連想とはいえないかもしれないが、人の意識(ことば)は、あることをきっかけに別な方向へ動いていくものである。青柳の詩の特徴は、その連想が自律的なところにある。結論があって、それに向かってイメージを集めていくというよりも、ひとつのイメージが次々に新しいイメージを呼び、広がっていく。それが結果的にひとつの世界をつくりだす。
青柳は芭蕉の「岩にしみ入る蝉の声」「蛙飛び込む水の音」が一連目に反映していると語った。その芭蕉の世界にとどまらず、二連目、三連目へと想像を連ねていく。このとき、その「想像(連想)」を統一するものがあるとしたら、何だろうか。それは、ことばの伝統だろう。青柳は芭蕉を引き合いに出したが、あることばが動くとき、そのことばは一緒に「文学」というか、他人がつくってきたことばの影響を受ける。自分だけの体験でことばを動かすのではなく、そこには少なからずことば同士が交渉するようにしてつくりあげてきた「動き」がある。この動きにひとつの傾向があると(別な言い方をすれば、あるひとつの文学伝統の方向性があると)、そのことばは安定して感じられる。むずかしいのは、そのとき「方向性」がひとつに決定されと、わかりやすいけれど、退屈(わかりやすすぎる)ということが起きる。
また、緒方の作品への感想と同じように、また作品から離れてしまった。
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