石毛拓郎『ガリバーの牛に』(4)(紫陽社、2022年06月01日発行)
4篇目「天然の水」。
最果タヒの『さっきまで薔薇だったぼくに』を読んだ後に、また、石毛の詩に戻ってきた。ここに書かれていることばに追いつくには一呼吸も二呼吸も必要である。
一通の封書に 驚いた
「こんな土埃の砂漠に、みごとな虹がでるぞね!」
陽炎のゆれる白昼に そんな便りを受け取った
そのとき すでに彼は 爆風のなかに消えていたというのだ
そう! 予期せぬ砲撃なんですね
美しいという感想が適切ではないことは知っている。しかし、思わず美しいと思ってしまう。それは9・11のビルが噴水のように崩れ落ちるのを見たときの印象に似ている。なぜ、美しいと思ってしまったのだろうか。あのときから、私は自分のことばを信じないことにしたのだが、やっぱり裏切りのように私の肉体のなかから美しいということばが出てきてしまう。
砲撃で跡形もなく消えてしまう肉体。でも、その消えてしまった肉体の消え方、そこにあったのにという印象が「虹」に似ている、と錯覚し、「美しい」と思う。古い言い方だが、なんというか「生きざま」が虹になってその前に出現してくるかのように。しかも、その虹は実際の虹ではなく「こんな土埃の砂漠に、みごとな虹がでるぞね!」という手紙の中の虹なのだ。
言いなおすと。
土埃の砂漠のなかで、難民キャンプの過酷な現実と直面しながら、その現実のなかに生きている命の不思議な美しさに共鳴するこころをもった男がいた。彼は、砂漠の中の虹を見たとき「みごとな虹がでるぞね!」と、それを見えるはずのない友人に手紙に書かずにはいられなかった。
私たちの「肉体」のなかには、どんな現実のなかにいても、その現実とは違う肉体を生きているものがある。虹を虹と呼ぶことば。そして、虹を美しいとか、みごととかいうことばと結びつけて世界をつくってしまう何か。私は、それをとりあえず「ことばの肉体」と呼んでいる。「ことばの肉体」として生きているものが、「肉体」を突き破るようにして動く。それは、おさえることができない。過酷な難民キャンプで「みごとな虹」と言っているひまがあるなら、もっとするべきことがあるかもしれない。肉体にとって必要なことがあるかもしれない。たとえば、「天然の水を 飲み」というようなことが。
その一行は、こんなふうに出てくる。
「学校なんかに行くよりも 戦場に行きたい!」
親友が 涙を流しながら
死にもの狂いで 戦っている姿を見ると
「もう 学校にいるなんて いや!」
「ホントにおとなしい、どこにでもいる子どもでね。男親を失ったけど」
彼は よほど情にもろいのだ
天然の水を 飲み
玉葱を 丸ごと口にくわえて銃を撃つ
この「天然の水を 飲み」というのは、とても鮮烈だ。「玉葱を 丸ごと口にくわえて」というのも、「肉体」に強く働きかけてくる。思わず、それをしてみたいと私の「肉体」は叫んでいる。「ことばの肉体」は「肉体」を突き動かし、「肉体のことば」になることがある。その直後の「銃を撃つ」で、はっと、我にかえるのだが。「美しい」ということばを言っている場合ではない、と。
石毛の書いている「ことば」と、そういう揺らぎを誘い出す。結論があるわけではないというか、もし結論とか意味というものがあるとすれば、そうやって揺らいでいる「ことば」と「肉体」の関係が「現実」であるということだろう。
戦火の間隙をぬって 危険な仕事に
われを忘れて 働いている女の子を
髪はボサボサで 片腕をもがれた幼い弟を連れて
花と水を 売り歩いている女の子を
服は ところどころ破れて シミがめだつ
「なんかこう、胸がつかえてしまうね」
彼は最後に
「パレスチナの虹を 必ず見に来いよ!」
と 書いて遺したのだ
読めばわかることだが、彼が書き残したのは虹だけではない。「片腕をもがれた幼い弟を連れて/花と水を 売り歩いている女の子」も書き遺したのだ。それは、やはり「虹」なのだ。その「地上の虹」を見ることができる肉体だけが、ほんとうに彼が見た「虹」を見ることができる。
「肉体」と「ことば」とはそういう拮抗した戦いを生き抜いている。
明日の花をみるように 姉弟ふたりが
陽炎の中から 爆風の上空に架かった虹を
いたいけな眼で教えてくれた
そのとき彼は 虹の天橋をわたって
荒ぶる故郷の彼方へ そっと消えたというのだ。
「美しい」と言ってはいけない。しかし、私の知っている「ことばの肉体」は「美しい」と言うしかないのだ。言った後で、それを毎日少しずつ修正していくしかないのである。きっと修正し終わることができないのだが。
9・11の砕け落ちるビルを、噴水のように美しいと思ったことばを修正できることがないのと同じように。
私は矛盾している、と言うしかない。
最果の詩を読んで、そのことばを読んで、私は矛盾しているとは考えないが、石毛の詩、そのことばを読むと、しきりに私は矛盾していると感じてしまう。