詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

菅沼きゅうり「譲れないもの」ほか

2022-04-21 16:00:06 | 現代詩講座

菅沼きゅうり「譲れないもの」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2022年04月21日)

 朝日カルチャー講座で、菅沼きゅうり「譲れないもの」(「ココア共和国」2022年4月号)の作品と受講生の作品を読んだ。
 菅沼の作品は、第7回YS賞の受賞作である。「譲れないもの」の全行。

私はここ最近、オートミールに
頼りきっている。そして
冗談抜きで、カロリーとかもかなり
気にしている。
いわゆるダイエットってヤツをやってんの、と私は言う
知らなかったでしょ、そのこと
へえそう、とヨーコ
かなりきついわ。
こんなことしてたら、冨永愛だって
まいっちゃうんじゃないかしら、あるいは
ジジ・ハディットだって、と私
やめちゃえばいいじゃない、
やせすぎで死んじゃうかもよ。
それってかなりバカじゃなあい? とヨーコが言う
そうかもしれない、と私は言う
でも絶対にやめられないわ、と私は思う

そう、なにがなんでも
やめるわけにはいかないのだ
それは私にとって譲れないもの。
なぜならカレが、私が今、夢中に
なっているあのカレが
スラっとしててクールな子が好みだなんて
言うものだから。
ちょうどこの
クソたれのヨーコみたいな女のことを

 受講生の反応は。「エッセイか小説みたい」「好き。勢いがあって、歯切れがいい」「弱いところと強いところがある」「私には書けないし、書かない」「昇華されていない」「こういう会話は、いつでもどこでもしている」
 では、何歳くらいのひとが書いたと思う?「二十代後半かなあ」「冨永愛が出てくるから、冨永愛よりは年上ではないか。若い人は冨永愛をライバル視しない」
 あ、びっくりした。
 受講生は、いままで講座で読んできた詩とは違った世界なので、かなりとまどったようだ。私は、この作品が気に入っている。女性がよくする「会話」が書かれているらしいが、この詩は「会話」だけで成り立っているわけではない。書かれているが「話されたことば」と「話されていないことば」がある。一連目が「いつもの会話」であるために気づきにくいが(ことばの調子が同じであるために、受講生がつかったことばで言えば「昇華されていない」ために、見落としてしまいそうだが)、後半は「言われなかったことば」(書かなければ、他のひとにとっては存在しないことば)である。別な簡単なことばで言えば「こころの声」である。詩が「こころの声」であると仮に定義すれば、ここにはまさに「こころの声」があふれている。
 なぜ、こころのなかだけに存在し、会話(面と向かってのことば)にならないのか。そこには面と向かって言ってはならないことば(隠しておきたい秘密)があるからだ。

クソたれのヨーコ

 この最後の一行にあらわれた「クソたれ」。これはヨーコに向かっては言えない。前半を読むと私とヨートは「親友」のように見える。ダイエットの相談をしている。これは一連目には書いていないが、たぶん「恋愛相談」を含んでいる。
 そして、この「クソたれのヨーコ」がおもしろいのは、「クソたれ」という否定後を正直に受け止めるならば、それは「理想」ではない。だれも「クソたれ」になりたいとは思わないだろう。ひとから「クソたれ」と呼ばれたくないだろう。だが、その「否定すべきクソたれ」の、ある部分が私がいまめざしている「理想」なのだ。ここには「矛盾」がある。私は冨永愛やジジ・バディットをめざしているわけではなく(それはたぶん理想の彼方なのだろう)、ヨーコをめざしているのだ。「それってかなりバカじゃなあい?」と私のことを笑っている(否定している)人間をめざしている。
 これから先のことを書き込んでいくと、くだくだと長くなるだけだから書かないが、こういう矛盾を生きている。そして矛盾があるからこそ、そこに書かれていることばが凝縮と拡散をくりかえし、世界を生き生きと輝かせる。このときの「世界」とは主人公の周囲の世界(外界)ではなく、私の内面世界である。こころがいきいきと動いている。菅沼きゅうりがどういう人間か知らない。その姿を私は知らない。しかし、「こころ」は、いまはっきり見たと感じられる。このときの「こころ」とは「心象風景」のことではない。ただ動いている「こころ」である。どこに行くか、それもわからない。不定形の、動くことだけで、存在を告げている「こころ」である。

 受講生の作品のなかに「クソたれのヨーコ」のようなことばはあるか。それを探しながら読んでみる。

流れて  池田清子

白い雲 灰色の雲
間に 澄んだ水色の空

流れる雲にあこがれて
乗って遠くに行きたかった

良い流れにでもいい
悪い流れにでもいい
乗って ひたすら
流れて 流れて

にこっと笑っている
雲に会いたい

 「悪い流れ」の「悪い」がそれにあたるかもしれない。雲が流れる。それに乗って遠くへ行きたい。このときのあこがれは「澄んだ/清い」ものだろう。あるいは「明るい」ものだろう。「良い」に通じることばはほかにもある。「にこっと笑って」も肯定的である。もしこの詩に「悪い流れ」ということばがなければ、池田は、ただ「あこがれ」を生きている人間のように見える。けれども「悪い流れ」と書くことで、何か、「人生」を感じさせる。「良い」と「悪い」があって、そこから「良い」を選んでいるということがわかる。この「悪い」は「クソたれのヨーコ」と同じように、作品全体の「補色」のような働きをしている。
 一連目の「間に 澄んだ水色の空」の「間」と「澄んだ」は「補色」ではなく、ほかのことばを支える「同系色」(静かに他の色を受け止める)感じがある。「水」色から「流れ」が生まれてくるところも自然だ。

air a (2)  緒方淑子

悪意のように伴奏が鳴っていて
唄声が聞こえない

うたってる 唱ってる
夜空に虹(にじ)む白い月を見るように

会っていましょう
覚えていましょう

はい、聴いていましょう

 一行目の「悪意」。突然、否定的なことばからはじまる。歌の「伴奏」は歌を支えるものであって、歌よりも自己主張があってはならない。だが、緒方は歌を聞こえなくするくらいに伴奏が鳴っている、と書く。このときその「伴奏」はへたくそなのか。それともうますぎるのか。つまり、聞いている人は歌を聞くよりも伴奏に聞きほれてしまうのか。緒方は明確には書いていないが、ここでは「唄声」と「伴奏」は、本来のあり方から少しずれている。その「ずれ」は「唄」「うた」「唱」のなかに展開指定。さらに月の傘(月の虹)の二重を感じさせる光景、対話(ふたりでするもの)へともつながっていく。
 伴奏が「善意(歌を支える)」ものに徹していれば、この詩はまた違ったものになっただろう。「悪意」に目を向けたからこそ、この詩は動いている。

自画像  青柳俊哉

 あなたが自画像として描いたものは
 空間を 光とかげで象る
 太陽の 二重(ふたえ)の手 

生成の初め
黒い花の棘
まじわることのない 純粋・単独の閃光が射す
生まれても 脳髄に深くうずいている印
もとめつづけて みたされることのない
わたしたちの 未知の青空

 そして わたしが描いたものは 
 原色を無数に塗り重ねて うすく白い
 月の 美しい空っぽ

 作品の「補色」となっていることばはどれか。「黒い花の棘」と指摘する受講生がいた。私は、「脳髄に深くうずいている印」ものが、この詩の核であると同時に「補色」だと感じた。
 「あなた(実在)」と「自画像(イメージ)」。それを結びつける「描く」という動詞。あらゆるものは「二重」というか、「ずれ」によって認識される。(「ずれ」を青柳は「二重」ということばであらわしている。)「生成の初め(誕生)」と「黒い花の棘(死)」。「太陽」と「月」。「二重」は「まじわらない」ことであり、それは「もとめる」が「みたされない」という動詞(運動)へと動いていく。そのとき、その運動を支える起点が「脳髄」であり、その「脳髄の奥(深いところ)でのうずき」ということになるだろうか。「脳髄のうずき」が、認識のうずきが、世界となって展開する。
 「原色を無数に塗り重ねて うすく白い」はおもしろい。絵の具の三原色は重ねると黒になる。しかし光の三原色は重ねると白になる。そうした違い(ずれ)の中心にあるのが、青柳の場合、「こころ」というよりも「脳髄/精神」かもしれない。「こころ」と「の髄/精神」をわけることに意味がないかもしれないが。

 

 

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ワシントン発(情報の読み方)

2022-04-21 11:40:04 | 考える日記
 2022年04月21日の読売新聞(14版・西部版)1面。「露、製鉄所を集中爆撃/マリウポリ 地中貫通弾使用か/「人道回廊」設置合意」という見出しで、マリウポリの現状を伝えている。
↓↓↓↓
【ワシントン=田島大志】ロシアの侵攻を受けるウクライナ当局者らは19日、ロシア軍が南東部マリウポリで、ウクライナ軍が拠点とする製鉄所に集中爆撃を加えていると明らかにした。
↑↑↑↑
 大半の記事がそうなのだが、この記事もワシントンで書かれている。そして、この記事の場合、情報源は「ロシアの侵攻を受けるウクライナ当局者ら」である。「ら」が何を指すかはわからないが、もしかすると「ウクライナ当局者」以外の情報源もあるのかもしれない。「ウクライナ当局者」だけが情報源ならば、わざわざワシントンに行かなくても書けるだろう。日本にいても書けるだろう。なぜ、ワシントン発なのか。
 気になって、月曜日からの一面(朝刊)のトップ記事を見てみた。18日(月)ロンドン=深沢亮爾、19日(火)リビウ(ウクライナ西部)=倉茂由美子、ワシントン=横堀裕也、20日(水)ワシントン=田島大志、21日(木)ワシントン=田島大志。ウクライナで書かれた記事もあるが西部の都市からである。しかもワシントンの記者との「合作」である。どこまでが「現地取材」なのかわからない。
 こういう記事は注意して読まないといけない。倉茂由美子はウクライナ語かロシア語で取材したのかもしれないが、ロンドンやワシントンの記者はウクライナ語、ロシア語で取材したわけではないだろう。
 そこで、どんなことが書かれているか。(番号は私がつけた。途中省略がある。)
↓↓↓↓
①ウクライナのミハイロ・ポドリャク大統領府顧問は19日、ウクライナ軍と武装組織「アゾフ大隊」の兵士ら約2500人が拠点とするアゾフスタリ製鉄所を狙い、露軍が地中貫通型爆弾を使用したと指摘した。
②同爆弾は「バンカーバスター」と呼ばれ、地下に貫通後に爆発し、地下施設の破壊が可能とされる。製鉄所の地下施設には、兵士のほか子供を含む多くの一般住民も避難しており、人的被害の拡大が懸念される。
③ウクライナ軍幹部とされる男性は20日、SNSで、「我々は持ちこたえても数日だ。敵の人数は我々の10倍いる。ここには民間人が数百人いる。安全な第三国に出してほしい」と国際社会に救助支援を訴えた。
↑↑↑↑
 ①は「ウクライナのミハイロ・ポドリャク大統領府顧問」と情報源を公開している。だが、すべて正しいかどうかはわからない。読売新聞は慎重に、末尾で「指摘した」という表現をつかっている。読売新聞が「確認した」わけではない。だからこそ見出しにも「地中貫通弾使用か」と「断定」をさけて「か」という疑問をつけくわえている。
 ②は情報源が明らかにされていない。「バンカーバスター」の攻撃能力についても「可能とされる」とあいまい。「人的被害」のことも「懸念される」。
 よくわからない。このよくわからない「人的被害」を説明しているのが③である。
 ③の情報源は「ウクライナ軍幹部とされる男性」。ほんとうに「軍幹部」かどうかわからない。さらに発言の舞台が「SNS」。この情報と①の情報を組み合わせると、敵(ロシア軍)の人数は2500×10=2万5000人ということになる。もっとも、①の2500人には「アゾフ大隊の兵士ら」と「ら」を含んでおり、その「ら」が③の「民間人数百人」を指すのだとすれば、(2500-数百人)×10=2万人前後か。
 人数そのものもわからないが、もっとわからないのは「民間人」の気持ちである。「民間人」は何も発言していない。発言しているかもしれないが、その「声」は取材されていない。
 で。
 ここからは、私の想像。もし私がウクライナ人であり、マリウポリに住んでいたとする。ロシアが軍人か民間人か区別せずに攻撃してくる(つまり、虐殺される)と感じたとき、どうするか。
 ⑤製鉄所は地下に避難できるから安全だ。アゾフ大隊が守ってくれるから安全だ。製鉄所に避難しようと考えるか。
 ⑥ロシア軍はアゾフ大隊が拠点としている製鉄所を攻撃してくる(攻撃対象は民間人ではなく兵士なのだから)。製鉄所は危険だ。わざわざ攻撃されるところへ避難するようなものだ。なるべく製鉄所から遠くへ避難しようと考えるか。
 私なら⑥を選ぶ。
 それは、もし私がウクライナ兵だったら、戦闘に参加できない民間人はなるべく自分のそばにいてほしくない、と思う。民間人を守るために自分を犠牲にするのは、かなりむずかしい。それが兵士の仕事だとしても。民間人がいなければ、自分自身の安全を守ることができる。もっと早く逃げることができる。でも、民間人がいては逃げるわけにはいかない。
 ここから逆に、民間人を楯にすれば、ロシア軍は攻撃ができない。民間人を殺害したと非難されてしまうからだ。ここから、民間人を楯にしよう、という発想が生まれるかもしれない。
 だからこそ、問題。
 製鉄所にいる民間人は、アゾフ大隊が守ってくれるから安心だ、そこに避難しようと考えたひとだけなのか。アゾフ大隊は、どうして民間人を受け入れたのか。「ここは安全だ、絶対にみんなを守る」と呼びかけたのか。来るな、と言ったが、民間人が避難してきたので受け入れたのか。
 どんなときでもそうだが、すでにそこに「ことば」が存在するとき、その「ことば」がほんとうかどうか疑うのはむずかしいし、もしそこに嘘があるのだとしたらどんな嘘なのかを突き止めるのはもっとむずかしい。
 私は、ただ疑い続ける。わからない(知らない)ことはわからないままにしておいて、わかることを手がかりに自分を動かしてみる。
 製鉄所がロシアからの標的になっていると知っていて、それでもアゾフ大隊を信じて製鉄所に避難するか、危ないと感じて遠く離れるか。この問題を考えるとき、「民間人」に製鉄所がロシアから狙われている危険な場所であるという情報を「民間人」にどれだけ知らせるかも問題である。良識的な兵士なら、ここはいちばん狙われているところ、ここへ避難するではなく、ほかへ逃げろというかもしれない。さらに、民間人の命を守るのが兵士の仕事。このままでは民間人に犠牲者が出る。それは避けなければならない。だから投降しよう(降伏しよう)というかもしれない。どうも、読売新聞の記事を読む限りは、民間人の命を優先して考えるという兵士はアゾフ大隊にはいないらしい。「民間人が数百人いる。安全な第三国に出してほしい」という前に、民間人にここへ来るな、という呼びかけがなぜできなかったのか。あるいは、いまなぜ、民間人を守るために投降するといえないのか。
 私の勝手な想像だが。
 「民間人を死なせてはいけない。ここはいったん投降しよう。捕虜になって反撃の機会を待とう。ウクライナは必ずロシアに勝ち、奪われた大地を取り戻す」というメッセージとともに製鉄所から出てくる映像をSNSで発信すれば、世界の多くの人はウクライナの戦いをいっそう支持するだろう。NATO軍はどう思うか知らないが、一般市民は。
 現代は「情報戦」の時代なのだから、「負ける」ときこそかっこよくアピールすれば、「勝てる」はずである。
 絵空言の想像かもしれないが。
 
 
 
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