鍋島幹夫『帰りたい庭』(書肆侃侃房、2022年07月20日発行)
鍋島幹夫『帰りたい庭』は遺稿詩集。
私は鍋島幹夫に二度会ったことがある。最初は「nobady あるいは浮かぶ人」という作品のなかに出てくる柴田基孝が、まだ柴田基典だったころ、柴田が引き合わせてくれた。大濠公園にあるレストランで昼食を食べながら、であった。「ここのパンはうまいんだ」と柴田がいい、三人とも(個別にだが)パンを選んだ。しかし、なぜか、鍋島にはご飯(ライス)が出てきた。このとき鍋島は、黙ってご飯を食べた。「パンがうまいのに」と柴田は、もう一度言った。「私もパンを注文しました」とウェイターに一言言えば交換してくれるのに、それをしない。とても静かな人だった。それしか私は覚えていない。それ以外、何を話したか、私は何も覚えていない。私は、なぜか奇妙なことだけを覚えている人間なのかもしれない。二度目は、どこで会ったのか、だれが一緒にいたのか、まったくわからない。
なぜ、こんなことを書いたかというと。
「帰りたい庭」に、こんな行がある。
子供たちの顔の上をすべっていく
草色の雲
この解像途中の あるいは 接続をやめた残像 みたいなものは
回線の向こう岸に見る 村々や校舎への 敵意のなごりだ
これは鍋島の意識かというと、そうとは言い切れない。すぐ「という人もいるが/それはちがうと思います」という行がつづくからだが、逆に、否定の形で印象づけようとしているとも言える。「意味」は、いつでも自由に変更できるものだからである。
私が、この部分を引いたのは、そこに「解像(途中)」「接続(をやめた残像)」ということばがあるからだ。
あらゆる現実は、ひとそれぞれの「意味」に従って「解像」される。そして、その「解像」というのは、何と「接続」するかによって違ってくる。鍋島は、そういうことを考えていたし、そういう「ことばの操作」を詩と考えていたのだと感じるからだ。
これは柴田のことばの運動にも似ているが、ただ「解像」も「接続」も、ことばの選択は違うね。
脱線したが「接続」は「切断」と切っても切れない関係にある。何かと接続するときは、他方でそれまでの接続を切断しないとできないときがあるからだ。その「切断」は「食卓」のなかで、こうつかわれている。
葉っぱ一枚で 世界はさえぎることができる
しかし 葉の裏に描かれた夏の回路は
ことごとく 切断されるであろう
ここには、同時に「回線」(「nobady」)に通じる「回路」ということばがある。「回路」は何かと何かを「接続」ものである。「接続」することで「解像」が進む。したがって、「解像」への「回路」に「接続」できなかったものは、「残像」として「切断(接続をやめた)」ものの先に取り残される。(なくなりはしない。きっと「解像」のための「現像液」のようなものだろう。)
「解像」は「ジャガイモ畑を越えて」にあらわれる。
見渡すかぎり乾いた土--解像度は良好。
しかし、これは、唐突でわかりにくいね。だから、鍋島は、二連目でこう言い直している。
蛍光色に光る目の中を、ネズミに追われて方向を変え、畑を越え、葉
裏沿いにのびていく一本の道。急に立ちはだかる陽炎の三叉路で、淡
色の枠に囲まれた謎が解かれる。
「謎を解く」。これが「解像する」ということにつながる。
すべてのことばは、切断と接続を繰り返し、あたらしいことばの回路をつくることで、そこに新しい世界像を浮かび上がらせる。謎に満ちた世界を、「解像する」。
では。
その「解像された世界」(解像)は、わかりやすいか。そうとは言えない。何かがわかるが、同時に何かがわからないものとして残る。残像にも、深い「意味」がある。
「雪玉ともち」は、このことを「童話」めいた「寓話」として語っているが、ちょっと「意味」が強すぎるかもしれない。
「犀を見た日」を引いておく。この詩集のなかでは、私はこの詩がいちばん好きだ。
白い山が動いた
砂の柱が歩いた
動けなかった
夏の日の正午
だれもいない檻の前で
母の乳房がかたい
祖母が揉みしだく
動けなかった
夏の日の昼下がり
女だけの家の中
熱い乳を捨てに行く
乳は谷を白く染めた
じっと見ていた
熱い熱い夏の日
水の中を動く犀
「解像」されたのは「犀」か。それとも「母の乳房」か。「残像」はどれか。谷を染めて流れる白い乳の柱か。「夏の日の正午」は「夏の日の昼下がり」へ、さらに「熱い熱い夏の日」と「回路」の描写を変えていく。
パンではなく、ご飯を食べた鍋島(これは残像か)を思い出すように、何年かたって、私が思い出すことばは、いったいどれだろうと想像してみる。