詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇219)Obra, Joaquín Llorens

2022-10-22 20:58:59 | estoy loco por espana

En la obra de Joaquín conviven la potencia y la delicadeza. La fuerza y la delicadeza de su propio espíritu, así como la fuerza y la delicadeza de sus manos.
Esta obra es un buen ejemplo de ello.

Joaquínの作品には、力強さと繊細さが共存している。彼自身の精神の強さと繊細さ、さらには彼の手の強さと繊細さ。
この作品は、それをよく表している。

①La fuerza del hierro, y la fuerza de sus manos que transforman el hierro a voluntad.
②Este ángulo es muy interesante. El movimiento es rítmico y muy delicado. El espacio alrededor de la obra también parece muy puro.
③Este ángulo también es bonito. Tus delicados sentidos están vivos.
④Me gustan las formas complejas y al mismo tiempo el espacio complejo.


①鉄の強さ、鉄を自在に変化させる彼の手の強さを感じさせる。
②このアングルはとても興味深い。動きがリズミカルで、とても繊細だ。作品のまわりの空間も、とても純粋な空間に見える
③このアングルも素敵だ。彼の君の繊細な感覚が生きている。
④複雑な形と同時に、複雑な空間が楽しい。

Te he visto cuatro veces.
Siempre estabas con alguien que no era yo.
Nunca me miraste.
No estaba celoso.

Fuiste más fuerte que conmigo.
Fuiste más sensible que conmigo.
Eras más grande que conmigo.
Fuiste más amable que conmigo.

Hombro con hombro, el sol de invierno sobre tus hombros.
El viento primaveral en los dedos de los pies al dar los pasos de moda.
La playa de verano en la que llevabais la misma camiseta.
El atardecer de otoño cuando le estabas leyendo un libro a alguien.

Te he visto,  solo a ti, cuatro veces. .
Siempre andabas por la misma calle.
Pero tu sombra en la ventana era siempre diferente.
Estaba muy celoso.

私は君を四回見た。
君はいつも私ではない誰かといっしょだった。
君は一度も私を見なかった。
嫉妬はしなかった。

君は私といるときよりも強かった。
君は私といるときより繊細だった。
君は私といるときより大きかった。
君は私といるときより優しかった。

肩に組んだ、その肩の上に冬の太陽。
流行りのステップを踏む足先に春の風。
そろいのシャツを着ていた夏の浜辺。
本を読んで聞かせていた秋の夕暮れ。

私は君を四回見た。
君はいつも同じ通りを歩いたが、
ウインドーに映る君の影はいつも違っていた。
私は、ほんとうは嫉妬していた。

 

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藤山増昭『岸辺のパンセ』

2022-10-22 16:00:23 | 詩集

 藤山増昭『岸辺のパンセ』(編集工房ノア、2022年10月11日発行)

 藤山増昭『岸辺のパンセ』の表題作。

生を乱す死と
死に繕われる生の岸辺に
一茎の葦の 羨しき発光

 「一茎の葦」がパスカル「パンセ」を思い起こさせる。そして、藤山は「生と死」について考えている。そのことが直感できる書き出しである。この直感は、私の背を立ち上がらせる。背筋をのばさないと、読むことができない。私は「死」については何も知らない。だから、考えないことにしている。考えても仕方がないと思っている。これは、あくまで私の考えであり、藤山はそうは考えない。その考え方の違いに直面して、私の背はすっと伸びたのである。このひとは考え方が違うから、読んでみてもしようがない、という気持ちにならない。そうさせない「響き」がことばのなかにあった、ということだ。

羨しき発光

 「発光」。藤山は「生と死の出会い」のようなものに、光を見ている。それはそこに初めからある「光」ではなく、「発した光」、瞬間的に生まれてきた光。そして、その「発光」には「羨しき」ということばが重ねられている。「羨しき」は「ともしき」とルビがある。私は、こういう読み方を知らないし、このことばをつかったこともない。私の知らないことを、藤山は私の知らないことばで語り始めている。しかし、それが全部わからないのではなく「発光」という私の知っている(と思っている)ことばといっしょに動いている。
 私は本当に何かを知っているのか。知らずにいるのに、平気で、知ったかぶりを書いているのか。
 それが、これから問われるのだ。その問いの前で、私の背は伸びた。

流れ下る 冷えた石の川床
削がれる意識を入れた洞窟の闇
今も残像する悍しき夢幻の淵

  「発光」とは逆に、ここでは「闇」に代表される「光」の対極のものが書かれている。何も見えないわけではないが、見ていて「明るさ」を感じる世界ではない。この「あいまいな暗さ」を、藤村は、こう言い直す。

存在に付き纏う不可知と未在未生のかげ
堆積し続ける命の塔は  ゆらぎ傾き
系統樹の小枝の先端がふるえている

  私が「あいまいな暗さ」と読んだものは「かげ」である。(「かげ」には傍点が振ってある。)「かげ」は「実体(実在)」ではないもの、「実在するもの」に光があたったときに、その影響で生まれてくるものがあるが、ここでの「かげ」はそういう明瞭なものではない。ぼんやりとした「闇」の濃淡のようなものだ。この「あいまいな暗さ」のために「命」がゆらぎ傾き、ふるえている。これは「発光」というよりも、むしろ消えていく光、消滅する光の最後の姿に見える。

だが ふと 大空からのあおき反響
それは重々無尽の宇宙からの波動
劫初からの 澄みわたるいのちのこえ

 「こえ」にも傍点が振ってあり「かげ」と対応していることがわかる。「かげ(闇の濃淡、ゆらぎ)」の対極にあるのは「光」ではなく「こえ」である。「こえ」は「いのちのこえ」と書かれているから、「いのち」と不可分のものと藤山が考えていることがわかる。
 「光」と「声」に共通するのは、それが「波(波動)」であるということだろうか。
 「こえ」はまた「反響」とも関係している。呼応している。「響き」、それも単純な響きではなく「反響」。跳ね返ったもの。何が跳ね返ったものなのか。たぶん、藤山の「意識」、あるいは「声にならない声」を発したとき、それに答えるように「こえ」が跳ね返ってきた。
 その「反響」に「あおき」ということばが重なっている。「青き」だろう。これが藤山の言う「光」(発光)だろう。それは「白」ではなく、「あお」、そして「澄みわたる/あお」ということになる。しかも、それは「視覚」に訴えてくるだけではなく、「聴覚」に「こえ」として、つまり「ことば」としてやってくる。

「宇宙は私を包み 一つの点のように
のみこむ。考えることによって
私が宇宙をつかむ。」

 注釈によれば、これはパスカルの「パンセ」からの引用である。生と死の衝突の瞬間に、藤山は「発光」を見た。それは「ことば/こえ」として藤山のとらえた。しかし、それは生と死が藤山を「のみこむ」であると同時に、藤山が生と死を「つかむ」ということだ。
 瞬間的に、藤山はパスカルのことばにのみこまれ、包まれている。しかし、それは藤山のパスカルを理解する方法なのだ。「のみこまれ」た瞬間に、それを「つかむ」。パスカルが藤山をのみこむとき、藤山はパスカルをつかむ。
 切り離せない。
 この、私が「切り離せない」と呼ぶものを、藤山は、最終連で、こう言い直している。

感応のなかにも
外なる空と 内なる空とを
つかみ つなげるのだろうか?

 「つなげる」。それは「接触」ではなく「融合」だろう。
 藤山のことばは、少しずつ「意味」(定義)をかえながら、新しいことばになり、その変化のなかで、変化することでしか描けない「世界」をとらえている。その運動に、藤山が真摯に向き合っていることがつたわってくる。
 この真摯さのために、私の背が、すっと伸びたのだと思う。
 ゆっくりと読みたい詩集だ。ゆっくりと読まなければならない詩集だ。これは、自戒として書いておく。私は早く読みすぎる。

 だから。
 一息ついて、私は少し追加する。

「宇宙は私を包み 一つの点のように
のみこむ。考えることによって
私が宇宙をつかむ。」

 「宇宙と私」「パスカルと藤山」が「一つ」に融合するとき、そこに「考える」ということばが動いている。「考える」のは「ことば(こえ)」をつかって考えるのである。藤山は生と死の出会いについて、考えた。ことばを動かした。それが、この詩集ということになる。この詩集を読むためには、私は私なりに、私なりのことばを動かさなければならない。考えなければならない。この詩集は、考える詩集である。


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斎藤茂吉『万葉秀歌』(2)

2022-10-22 10:06:46 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(2)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな         額田王

 「こぐ」は「傍」の「人偏」が「木偏」。私のワープロでは出てこないので、ひらがなにした。(今後も、表記できない文字はひらがなで代用。原文は、万葉集か茂吉の「万葉秀歌」で確認してください。)
 この歌は、助詞の動きがとても論理的。五・七・五・七・七のリズムごとに論理(意味?)が完結しながら動いていく。その時系列が自然。その自然を「今は」と強調する。命令が端的につたわる。命令というよりも、いっしょに動いていく感じがする。「今こそ」という感じなのだが、「こそ」という強調がないのが、逆に強調になっている。
 万葉の歌には、こういう調べが多いと思う。つまり、強調なのに、強調のことばがない。その、よぶんなことばに頼らない分だけ、「声」そのものが強くなるのだと思う。
 「にぎたつ」というのは、たまたま、その土地の場所の名前なのだろうけれど、濁音があるところが不思議に興奮を駆り立てる。こことは違う場所という感じがする。結句の「こぎ出でな」の濁音とも呼応して、こころが騒ぎ立てられる。

紀の国の山越えて行け吾が背子がい立せたりけむ厳橿がもと         額田王
 
 「厳橿がもと」という音がとても強い。茂吉は「吾が背子がい立せたりこむ厳橿がもと」に執着がある、と書いている。くりかえされる「が」の音が印象的だし、その「が」から「もと」の「も」への響きが、私は好きである。この場合「が」は絶対に鼻濁音でなければならない、と私は感じている。鼻濁音だと「が」と「も」の連続感がなめらかなのである。茂吉や額田王が鼻濁音で発音していたかどうかは知らないが。

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