斎藤恵子「つゆ草のあと」、近藤久也「親しく遠い縁者の外伝あるいはその予感」(「ぶーわー」48、2022年10月10日発行)
斎藤恵子「つゆ草のあと」の一連目。
今朝がた
点呼の夢をみた
もう一人のひとと
人数を数えているのだが
何度しても合わない
無駄なことです
だれかがいう
みんないるんだと思う
これが露草(たぶん、青い小さな花)と何の関係があるんだろうか。わからないけれど、あの、はうようにしてはびこる草の花を数えているのかと思うと、なんとなくおかしい。たくさんあるから、間違える。数が合わない、ということかな、とぼんやり思う。
つゆ草を抜く
葉も花も枯れ
のびて蔓だけになり
こんがらがる
根は干からび
地面に
古歯ブラシが置かれたように
苦もなく土地から離れる
「古歯ブラシが置かれたように」という比喩がなんのことか、さっぱりわからない。細い根っこ(抜いたときに姿をあらわす)が歯ブラシに見えたってこと? はいまわる茎が歯ブラシの軸か。
秋の真昼
つゆ草のあと
ほこほこ
しろく乾いた土に
泣いているように
淡いひかり
わたしのスカートのうえにも
よくわからないまま(省略した三連目に、全部のことばをつなげる何かがあるのかもしれないけれど)、詩は終わる。「ほこほこ/しろく乾いた土」が、露草を抜いたあとの地面の様子として、とてもおもしろいと思う。そのあと「泣いているように」という唐突な比喩。これが、「しろく乾いた土」と妙に交錯する。「乾いた土」に対して涙(泣いている)の対比が、美しい。
でも、何のことか、わからない。私は、その部分を美しいと感じたが、美しいと感じるべき行(ことば)なのかどうかもわからない。
そのままつづけて、見開き左ページの、近藤久也「親しく遠い縁者の外伝あるいはその予感」を読む。
とらわれた窓の小っちゃな視界
隠しもつしなやかな感性は
遠く旅立つ
彼方
ちからや法治の
(葫ニ似タ名ヲ知ラヌ草ノ戦ギニトマドウ)
これまた、何のことかわからない。わからないが、はっと、思うことがある。私は斎藤の作品を引用するとき、三連目を省略したのだが、それは実はこうである。
極北の監獄から
脱走したひとたちがいた
百年ほど前のこと
斬殺されたり
生き埋めにされたり
革命を考えたひとは
背後から斬られた
この三連目が、突然、近藤の詩とつながって見えるのである。たぶん「戦ギ」ということばのせいだ。「そよぐ」とひらがな(カタカナ)で書いてあったら、思い起こさなかっただろうが、この「戦ギ」が「斬殺」とつながり、斎藤のことばを引っ張り起こす。さらに近藤の詩には「名ヲ知ラヌ草」がある。斎藤は「つゆ草」と書いているが、あの花の名前を「露草」と知っているひとは何人いるか。(わたしの書いている露草が斎藤の「つゆ草」と同じものだと仮定してだが。)
で。
近藤の詩は、こうつづいていく。
ぐねぐね
おもいは暗い腸のように
リズム乱し自ら
収縮もしたのだろうか
(感ジルコト、動クコトハズット以前同ジダッタ)
ほら、露草の「ぐねぐね」とはい回る茎というか、根というか、それを思い出さない? 「暗い腸」がそれに追い打ちをかける。そして、近藤は(感ジルコト、動クコトハズット以前同ジダッタ)と書くのだけれど、これは「動クコト、感ジルコトハズット以前同ジダッタ」と言い換えてもいいかな。露草を抜く。そのとき「わたし(斎藤)」の肉体が動くと同時に露草の「肉体」も動き、そこから露草の感情を感じる。同じように、斬殺された肉体の動きを思うとき、感情も動く、といえばいいのか。
あ、斎藤と近藤の詩をごっちゃにしている?
そうだねえ。これでは、「正しい感想(鑑賞)」とは言えないかもしれない。けれど、私はもともと「正しさ」を求めていない。
寒々とした空白の異郷へ
迫りくる大陸へと
見知らぬひとの
ねじれた内臓を思わせる
不可解な罪
裁き、ふり払って
ぬからむ未知の細道を
闇雲に前進したのだろうか
(ソンナハズハキットナイノダ)
この部分など、わたしの感想では、完全に斎藤のことばを近藤が読み直しているとしか思えないのだが、
(ソンナハズハキットナイノダ)
でも、気にしないのだ。私は。四連目も引用し、ひとことふたこと、あるいはもっとつけくわえたいが、これではあまりに強引すぎるかも、と思い、ここでやめておく。
「つゆ草外伝」として、近藤の詩を読むと、おもしろいなあ、とだけもう一度書いておく。
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