詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇226)Obra, Calo Carratalá y Lu Gorrizt

2022-10-29 18:35:19 | estoy loco por espana

Obra, Calo Carratalá
Interior . Baobab subiendo  la escalera , año 2020, grafito sobre papel

Obra, Lu Gorrizt
Blue saturday

¿En dónde ves el cuadro? Esto es una cuestión bastante difícil. Sólo miro cuadros en los museos (exposiciones). Sin embargo, también hay personas que poseen cuadros en privado y los ven en su casa. En estos casos, ¿cómo son los cuadros?

Muchos de los cuadros de Calo son de gran tamaño. Cuando vi sus cuadros en su exposición, me sorprendió la cantidad de espacio que atraían. Es muy difícil exponerlos y verlos en casa. Me pregunto qué haría con ellos. Sin embargo, recientemente los he visto expuestos en el interior. Esta vez, el cuadro está expuesto en la parte superior de la escalera. El árbol de Baobab. Hay una ventana a la derecha del cuadro, pero el cuadro parecía otra ventana. Pensé: Oh, más allá de ese muro (fuera de la casa) hay un bosque con un árbol baobab. Es la entrada a un espacio amplio. Pensé que seguramente podría ver el árbol baobab desde la ventana de la derecha. Si hubiera el Príncipito, podría decir: "Dios mío, debe haber varios elefantes para comer los baobabs".

La obra de Lu también es grande. Sin embargo, no es tan grande como el cuadro de Calo. No puedo tenerlo en mi casa, pero sí en una casa grande. Sus cuadros también crean espacio. Al exponer sus cuadros, la sala se amplía. Si no hubiera cuadros en las paredes, éstas estarían agobiadas y la habitación sería estrecha.

Sin embargo, sigo queriendo visitar el lugar y disfrutar del espacio, no de la foto. Las obras de los dos son cuadros que me hacen sentir así

絵をどこで見るか。これは、かなり難しい問題を抱えている。私はもっぱら美術館(展覧会)で絵を見る。しかし、個人で絵を所有し、自宅で見ている人もいる。そういうとき、絵は、どんなふうに見えるのか。

Caloの絵は、大きいものが多い。私は彼の絵を個展でみて、その絵が引き寄せる空間の大きさに驚いた。とても自宅に飾って見るのは難しい。どうするんだろう。しかし、最近、つづけて室内に飾ってあるのを見た。今回の絵は、階段をのぼったところに飾ってある。バオバブの木。その絵の右側には窓があるのだが、絵はもう一つの窓のように見えた。あ、あの壁の向こう(家の外側)にはバオバブの木がある森がある、と思った。それは広い空間への入り口なのだ。きっと右の窓からもバオバブの木が見えるに違いないと思った。星の王子様がいたら、たいへんだ、象が何頭もいないとバアバブの木を食べてしまうことができない、というかもしれない。

Luの絵も大きい。ただし、Caloの絵ほどは大きくない。私の家は無理だが、広い家なら飾ることができる。彼の絵もまた空間をつくりだす。絵を飾ることで室内が広くなる。壁に絵がなかったら、きっと壁に圧倒されて部屋が窮屈になる。

しかし、写真ではなく、やはりその場に行って、その空間を楽しみたい。二人の作品は、そういう気持ちにさせる絵である。

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Estoy loco por espana(番外篇225)Obra, Joaquín Lloréns

2022-10-29 17:38:59 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens
T.Hierro Título.Silencio.2016
(Si no vas a decir algo más bonito que el silencio callate.  J.LL)


Estoy en silencio porque
Porque mi corazón está gritando fuerte.
Sólo oigo los gritos de mi corazón.
Las mismas palabras.
Una y otra vez.
Tanto que ya no puedo ni hablar.
Incluso cuando tú estás cerca.
Y cuando no estás cerca.
No escucho nada más.
Incluso cuando me tapo los oídos.
No importa lo alto que ponga la música.
Sólo oigo los gritos de mi corazón.
Incluso cuando tú estás cerca.
Y cuando no lo estás.
Estoy en silencio porque
Porque mi corazón está gritando fuerte.

私が黙っているのは、
心が大声で叫んでいるから。
私には、私の心の叫びしか聞こえない。
同じことばを
繰り返し繰り返し
何度も叫んでいる。
もう声か出ないくらいに。
君がそばにいるときも
君がそばにいないときも。
私には、もう何も聞こえない。
耳をふさいでも、
どんなに大きな音で音楽をかけても
私には、私の心の叫びしか聞こえない。
君がそばにいるときも、
君がそばにいないときも。
私が黙っているのは、
心が大声で叫んでいるから。

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斎藤茂吉『万葉秀歌』(8)

2022-10-29 14:42:55 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(8)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

吾背子はいづく行くらむ奥つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ       当麻麿の妻

 この歌にも「らむ・らむ」。とても軽快。「奥つ藻のは名張へかかる枕詞」と茂吉は書いている。枕詞には、つぎのことばを呼び出す力がある。(私は「奥つ藻の」と聞いても、名張を思い浮かべないが。)つまり、ここでは、ことばが自然な形で加速していると考えていい。それが「らむ・らむ」をいっそう軽快にしているだろう。今の私が感じる以上に。

ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ    柿本人麻呂

 「ひむがしの野にかぎろひの」は「ひむがしの野に・かぎろひの」と「句割れ」であると茂吉は指摘している。そうなのだろうけれど、「ひむがしの・野にかぎろひの」と読むと、「ひむがしの」で視線が東へ向く感じがする。その視線の先に「野」のひろがりがあり、「かぎろひ」があり、さらに「月」がある。
 視線が動いていく感じがひろびろとしていていいなあ、と思う。

日並の皇子の尊の馬並めて御猟立たしし時は来向ふ           柿本人麻呂

 万葉の人が現代人と同じ発音をしていたわけではないと思うが、万葉の「ま行」「な行」は、私にはとても美しく聞こえる。聞こえるというか、むしろ、声に出したくなる音といえばいいかもしれない。前半「み」の音が繰り返される。「み」のなかには「い」の音が含まれる。それが後半に増えてくる。この「い」の音も、きっと現代と違うだろうなあ。あいまいな「い」ではなく、唇を横に強く引いて、鋭い「い」。英語で言えば「it」の「い」ではなく、「eat 」の「い」。それが「時は来向ふ」の「き」、特に「来向ふ」の「き」を際立たせるように感じる。

 


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