何が書いてあるか、読めないかもしれないが。
私の「ノート」。
これに見ながら、イタリア人といっしょに「人生論ノート」を読んでいる。
何が書いてあるか、読めないかもしれないが。
私の「ノート」。
これに見ながら、イタリア人といっしょに「人生論ノート」を読んでいる。
中国共産党の20回大会が開かれた。2022年10月17日の読売新聞(西部版・14版)は、一面の見出しと前文。
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中台統一 武力放棄せず/習氏政治報告 共産党大会開幕/米に対抗 核開発強化(見出し)
【北京=吉永亜希子】中国共産党の第20回大会が16日、北京の人民大会堂で開幕した。3期目政権発足が確定的な習近平総書記(国家主席)は党中央委員会報告(政治報告)で、台湾統一について「武力行使を決して放棄しない。あらゆる選択肢を持ち続ける」と宣言し、台湾への関与を強める米バイデン政権と台湾の蔡英文政権を威嚇した。習氏は米国を念頭に核抑止力を強化する方針も示し、今後も強国・強軍路線を突き進む考えを鮮明にした。
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見出しは、前文を的確に要約している。どこにも「間違い」はない。
この見出し、記事(前文)を読むかぎり、中国は台湾統一へ向けて「武力を行使する」可能性がある、と読んでしまうそうになる。やっぱり「台湾有事」は起きるのか。中国が台湾に侵攻するのか。ロシアがウクライナに侵攻したように。たいへんなことになるなあ、と思ってしまう。
でも、この読売新聞の「要約」は正しいのか。
「政治報告の要旨(全文ではない)」が6面に掲載されている。そこでは、どう書いてあるか。(番号は、私がつけた)
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①「一つの中国」原則と「1992年合意」を堅持し、「台湾独立」に断固反対する。
②台湾問題の解決は、中国人自身が決める。最大の誠意と努力で平和的統一を実現するが、決して武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置をとる選択肢を残す。
③このことは外部勢力からの干渉とごく少数の「台湾独立」分裂勢力に向けたものであり、広範な台湾同胞に対したものではない。
④統一は必ず実現しなければならず、必ず実現できる。
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少しずつ説明する。
①習は「台湾独立」に断固反対する、と言っている。「台湾を統合する(中台統一)」とは言っていない。中国は「台湾」を中国の一部と認定している。「統合する」もなにも、すでに「ひとつ」である。これは、国連も認めているし、日本も認めている。習がいっているのは「台湾独立反対」である。だから、見出しの「中台統一」、前文の「台湾統一」ということばは正確ではない。
②「台湾問題の解決は、中国人自身が決める」というのは、中国と台湾の問題は「国内問題」であり、国民の「中国人自信が決める」という意味であり、これは当然の権利である。そして、その当然の権利を守るため(国内問題を国民自身で決定する権利を守るため)なら、「武力行使の放棄を約束せず」というのである。つまり、外国が(正確に言えば、アメリカが)台湾を独立させるような動きをするなら、「内政干渉」を理由に、それに対して武力行使を辞さないというのである。「内政干渉」ということばは読売新聞の要約には書いていないし、習がそう言ったかどうかはわからないが、これまでの習の発言から推測すれば、そうなる。
③は、私が②で書いたことを、補足説明するためにつけくわえたものである。「武力行使の放棄を約束せず」という文言だけを取り出して、アメリカやアメリカに追随する国が、「中国は武力で台湾を統一しようとしている」と主張することがわかっているから、そうではない、と念押しするために、つけくわえたのが③である。「このことは外部勢力からの干渉(略)に向けたもの」である、と断言している。「干渉」ということばが、ここにはっきり書かれている。読売新聞は、これを「わざと」無視して、記事の前文、見出しを「ねじまげている」。
もちろん、台湾にも「台湾独立」をめざすひとが、「ごく少数」いる。そのことは習も認識している。そのこともはっきり書いている。この「ごく少数」は習の「認識」であり、台湾の「実情」かどうかはわからないが、いまだって台湾の人々が権利を迫害されているわけではないのだから「ごく少数」だろうと私は推測している。
だいたい中国人は、金もうけ第一主義的なところがある。金さえもうかるなら、中国に統一されたってかまわないと考えるひとの方が多いだろう。現実に、台湾と中国を行き来している経済人がいる。中国が世界一の経済大国になれば、台湾は、ぱっと中国に統一・吸収されるだろう。
ちょっと余分なことを書いてしまったが、習は「中台統一のために武力放棄せず」とは言っていない。台湾を独立させようと「(内政)干渉」する「外部勢力」に対しては、それに対抗し「武力放棄せず」と言っているのである。
これは言い換えると、アメリカが台湾を独立させるために、台湾や台湾周辺で軍事活動をするなら、それと戦う。そのとき「武力放棄せず」と言っているのである。前文に「米国を念頭に」ということばがある。これは何も、アメリカ本土を攻撃するということを前提にした発言ではなく、台湾問題についてアメリカがどう行動するか、その行動を抑止するために、ということだ。
習は、【外交】という項目で、こういうことも言っている。これは先に引用した【祖国統一】という項目につづく部分である。
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中国は独立自主の平和外交政策を揺らぐことなく実施する。覇権主義、内政干渉、ダブルスタンダードに反対する。中国は永遠に覇権を唱えることも、拡張することもない。
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ここにはっきり「内政干渉」ということばが出てくる。「台湾独立」をそそのかすのは、「内政干渉」である。それは、アメリカの「覇権主義(台湾をアメリカの傘下に収める)」である。アメリカは、わざわざ中国のすぐそばまでやってきて、そこに軍事基地を造る必要はない。アメリカは、アメリカ国内におさまっていろ、と主張しているのである。
そう認識して読売新聞の「見出し」「前文」を読み直すと何が見えてくるか。「台湾有事」を引き起こして、戦争によって金もうけをしようとしているアメリカの思惑に、読売新聞は寄り添っているということが見えてくる。自民党も、アメリカの軍需産業をもうけさせるために「台湾有事」を期待しているのだろう。日本がどうなろうが、アメリカの軍需産業さえもうかれば、その利益が自分たちに流れ込んでくると考えているのだろう。「台湾有事」葉、アメリカが望んでいることだ。それは「ウクライナ有事」が、同様にアメリカが望んだことをも意味する。
荒川洋治「秋の機械」(「午前」22、2022年10月25日発行)
荒川洋治「秋の機械」は、『水駅』を思い起こさせる詩である。荒川の意図は知らないが『水駅』は架空の旅日記である。架空というのは、記憶を旅するということでもあり、そこでは、ことばが「いま」にしばられずに動くということである。
水車小屋には
伯父と、のけものの弟などが多い
羽のある伯父
アントンは郷里を出て東方へ
誰かが店長を呼ぶ 東方からも遠い声で
「水車小屋」は、「いま」ではない。しかし、それ以上に「のけものの弟」が「いま」ではないだろう。「水車小屋」によって「のけものの弟」が「いま」ではないことが緩和(?)されて、まるで「いま」のように迫ってくる。こういうところが、荒川のことばの絶妙なところである。「郷里」も「いま」ではないが、「のけものの弟」によって「真実味」が出てくる。「水車小屋/のけものの弟/郷里」の関係が、なんともいえず、おもしろい。「のけもの」という「ひらがな」もいいなあ。これが漢字まじりだったら、意味が強くなりすぎて「いま」が壊れてしまう。
「アントンは郷里を出て東方へ/誰かが店長を呼ぶ 東方からも遠い声で」の「東方」の呼応もいい。捨てた「郷里」でも、たどりついた「異郷」でも、誰かが呼ぶ。その声が「架空」のなかで出会う。ここは、美しい。『水駅』の響きそのままだ。
でも、それよりも。
私は二連目が好き。
秋の日、さほど遠くない地点から
何かの工事の機械の音
気体かと思われた部品が
郊外で身を起こし
羽のある伯父を求めてすべっていく
自然の海辺、郡名の浜辺を
「気体かと思われた部品が」。この一行で、私にとっては、この詩は「絶対的存在」になる。ほかに、ことばはいらない。それなのに、それを追いかけて「郊外で身を起こし」が動く。そのときの「郊外」の美しさ。さらに次の行の「すべっていく」。私は記憶力が悪いので、ものを覚えるということをしない。だから間違っているだろうけれど、『水駅』にも「すべっていく」があると思う。そのままではなく「すべる」かもしれないが。
「すべる」とは何か。いろいろ「定義」はできるだろうが、私にとっては、それは「なめらかさ」である。
荒川のこの詩のことばは、架空独特の「なめらかさ」を持っている。「いま」の「現実」との交渉を回避した「なめらかさ」である。
自然の海辺、郡名の浜辺を
この一行が、それを象徴している。そんなものは、いまどき、「羽のある伯父」以上に、架空の中にしか存在しない。
でも、いいのだ。
これは「架空の旅日記」なのだから。
詩は、まだまだつづくのだが、私は気にしない。詩に限らないが、どんなことばであろうと、全体を「要約」する必要はないし、全部につきあう必要もない。現実に接触のある人間の、現実のことばでも、百分の一も正直に向き合うことはない。私は荒川には会うことはないだろうから、全部のことばに対して感想は書かない。
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