詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岸田の所信表明演説

2022-10-04 20:41:10 | 考える日記

 ほんとうは、別のこと(物価高)について書きたかったのだが、そのことについて書くために岸田の所信表明演説を読んで、びっくりした。読売新聞(2022年10月04日、14版、西部版、3面)によると、
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 首相は就任後、3回行った国会演説では、過去の例に倣い、勝海舟やジョン・F・ケネディ元米大統領らの言葉を引用した。政府関係者によると、今回も先人の言葉を引いて「国難」を乗り越える思いを示す案が浮上していたが、「ただ愚直に仕事に打ち込む姿勢を打ち出した方が危機感が伝わる」との判断から最終的に外したという。
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 ということで、とても短くなっている。短くなったのはいいのだが、これはねえ、単に岸田のゴーストライターが「手抜き」をした、ゴーストライターさえも岸田から離れ始めているということじゃないのかなあ。だれかのことばを引用するには、そのことばを読んでいる必要があるが、岸田がほんとうに先人のことばを読んでいるとは思えない。「聞く力」というが、岸田はもともと「聞く力」などもっていない。他人のことばの「読み方」を知らない。
 それは、所信表明演説を読むだけでわかる。この所信表明演説もだれかが書いたものだが、それを読んで「このままではわからない」(順序を変えないといけない)という判断もできずに、岸田はそのまま読んでいる。
 そのことを指摘しておく。読売新聞の「章立て」にしたがって紹介すると、①はじめに②政治姿勢③経済政策④新型コロナ、という具合につづいていく。私が注目しようとした経済政策(物価対策)は、①物価高・円安対応②構造的な賃上げ③成長のための投資と改革と三つにわけて対策が発表されている。この③の部分に、岸田の「理解力のなさ」があらわれている。
 ここから、突然「カタカナ」が増える。まず、こう書いている。
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社会課題を成長のエンジンへと転換し、持続的な成長を実現させる。この考えの下、科学技術・イノベーション(技術革新)、スタートアップ(新興企業)、GX、DXの4分野に重点を置いて、官民の投資を加速させます。
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 「カタカナ」が増えるのは、官僚の作文の特徴だが、「イノベーション」「スタートアップ」には「技術革新」「新興企業」と、日本語(?)で言い直されている。なんとなく、わかる。でも「GX」「DX」って、何? よほど経済政策に関するニュースを読んでいないとわからないだろう。「イノベーション」「スタートアップ」はなんとなく英語からも見当がつくが、「GX」「DX」って、なんなのさ。「カタカナ」でさえない。
 その説明は、あとに出てくる。
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 第三に、グリーントランスフォーメーション、GXへの投資です。
 年末に向け、経済・社会・産業の大変革である、GX推進のためのロードマップの検討を加速します。
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 最低限「GX=グリーントランスフォーメーション」であることは、最初に「GX」ということばを発したときに言っておかないと、なんと言ったかさえわからないひとがいるかもしれない。で、そのグリーントランスフォーメーションって、なんなのさ。
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 その中で、成長志向型カーボンプライシング、規制制度一体型の大胆な資金支援、トランジション・ファイナンス、アジア・ゼロエミッション共同体。これまで申し上げてきた政策イニシアチブを具体化していきます。
 同時に、GXの前提となる、エネルギー安定供給の確保については、ロシアの暴挙が引き起こしたエネルギー危機を踏まえ、原子力発電の問題に正面から取り組みます。
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 「カタカナ」だらけで、これまた、わからない。でも、きっと、だれにでも「エネルギー危機を踏まえ、原子力発電の問題に正面から取り組みます」はわかるな。原発を増やす、と言っている。原発を増やさなければならないということを言うために、カタカナでごまかしている。これが官僚の政策なのだが、エネルギー源に原発を活用すると言わずに、変なことばで、演説を聞いているひとをたぶらかしている。
 「そのことば、わかりません。説明してください」「わからないのは、おまえが勉強していないからだ。何も知らない人間は、だまって、知識のある人間(カタカナことばをつかえる人間)の言うことを聞け」
 これが官僚の「口癖」のようなものだが、岸田も「聞く力」を発揮して、それをそのまま受け入れ、「書かれた文章」をそのまま読んで、知ったかぶりをしている。
 岸田自身が自分で文章を書いたなら、少なくとも「GX=グリーントランスフォーメーション」は最初に言う。何のことかわからないから、「質問」もできず、そのまま読んでいるのだ。
 「DX」は、こうである。
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第四に、デジタルトランスフォーメーション、DXへの投資です。
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 そうか、Dはデジタルの略だったのか。それならそうで、これもやはり最初に言うべきだろう。いまどき「デジタル」ということばを知らない人間はたぶんいない。最初に「デジタル」ということばを出すだけで、演説を聞いていて、内容が推測できる。そういう「効果」を岸田は知らない。
 でも、つづきを読む(聞く)と、どうか。(途中にマイナンバーカード活用のくだりがある。原発とおなじように、じつは、これが目的か。)
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 また、メタバース、NFT(非代替性トークン)を活用したWeb3・0(ウェブスリー)サービスの利用拡大に向けた取り組みを進めます。
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 これは、いったいなんなのか。何の説明もないまま、
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 産業のコメと言われ、大きな経済効果、雇用創出が見込まれ、経済安全保障の要でもある半導体は、今後特に力を入れていく分野です。
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 と、突然、だれもがわかるようなことばで視点をずらす。
 ということは、と私は、再び読み返し、考える。
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 また、メタバース、NFT(非代替性トークン)を活用したWeb3・0(ウェブスリー)サービスの利用拡大に向けた取り組みを進めます。
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 ここには多くの人が疑問をもっている「マイナンバー」以上に危険なことが隠されている。それを知られたくないから、教えない。「えっ、そんなことも知らないの? 遅れてるなあ。わからなかったら、知っているひとの言う通りにすればいいんだよ」がここに隠されている。
 これから問題になる「デジタル化」の問題は「メタバース、NFT(非代替性トークン)を活用したWeb3・0(ウェブスリー)サービス」と、私は、私の文書を読んでいる人に「警告」しておく。私はこういうことばに疎いから、実際にどういうことがこれから起きるか想像できないが、とても危険なことが「メタバース、NFT(非代替性トークン)を活用したWeb3・0(ウェブスリー)サービス」としておこなわれる。それは「マイナンバーカード」どころの騒ぎではない。
 この問題は、岸田自身も理解していない。理解していて、それでなおかつ隠している、隠蔽している、とは思えない。岸田は、何度でも書くが、とても口の軽い男である。(私は口が軽いので有名だが、たぶん、私の比ではない。私から見てさえ、岸田は口が軽い、のだから。)
 で、その「口の軽さ」は、この所信表明演説にもあらわれている。つまり、わかりもしない「GX」「DX」を、そのまま知ったかぶりをして最初に言って、あとからカタカナで言い直しているところにね。少し慎重なら、「GX=グリーントランスフォーメーション」「DX=デジタルトランスフォーメーション」と言っておこう、と思うはずである。

 で、ついでに書いておくと、この所信表明演説を書いたのは「ひとり」ではない。複数の人間が手分けして書いた。問題の部分も「前文」
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社会課題を成長のエンジンへと転換し、持続的な成長を実現させる。この考えの下、科学技術・イノベーション(技術革新)、スタートアップ(新興企業)、GX、DXの4分野に重点を置いて、官民の投資を加速させます。
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 はだれか「経済対策」のリーダーが書き、「イノベーション」「スタートアップ」「GX」「DX」は別人に割り振ったのだ。だから、前後の統一性がなくなっているのだ。具体的に「GX」「DX」の部分を担当した人は「前文」を書いたひとの部下。だから、上司に対して「GX」「DX」の説明は、最初に言った方がいいのではないでしょうか、と提言もできない。そういうことも、この所信表明演説からは見えてくる。

 思想というか、考えていることは、単につかうことばだけではなく、そのことばのつかう順序(文脈構成)からもわかるものである。岸田がどういう人間であるか(彼の思想がいかに他人任せの借り物であるか)がよくわかる「所信表明演説」である。
 こんなことは国会では審議されない。だからこそ、書いておく。こういうことは、書かれている「内容(テーマ、意味)」以上に重要である。なんといっても「思想」の根本にかかわるからである。

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇204)Obra, Laura Iniesta

2022-10-04 10:26:27 | estoy loco por espana

LAURA INIESTA in ART LONDON BATTERSEA ART FAIR,20-23 October

Cuando miro un cuadro, inevitablemente miro algo más que el "cuadro". Siento algo distinto de lo que se representa allí, algo distinto de lo que existe.
Por ejemplo, el trabajo de Laura. Este cuadro es probablemente una obra pequeña, pero parece que tiene más de tres metros de largo. ¿Por qué? Porque no siento que Laura esté pintando con las manos cuando pinta esta obra. Por supuesto, está sujetando el pincel con la mano. Pero no sólo mueve las manos. Siento que está pintando con todo su cuerpo.

Alain Delon practica la falsificación de firmas en "Full of Sunshine". Utiliza un proyector para que todo su cuerpo memorice los movimientos de sus brazos. Cuando las manos se mueven, las piernas y la espalda también se mueven. Cuando se copian los movimientos, las manos copian naturalmente la firma. Cada línea está relacionada con los movimientos de todo el cuerpo.

La fuerza y la vacilación de las líneas de Laura muestran el movimiento de todo su cuerpo. Aunque la mano esté ligeramente alterada, todo el cuerpo la corrige. Esta sensación de todo el cuerpo, la sensación de que el movimiento del propio cuerpo es el cuadro, hace que la obra parezca más grande.
Estoy seguro de que sus enormes cuadros son maravillosos. Creo que cuando pinta una obra de gran tamaño es cuando se abre todo su abanico de posibilidades.

絵を見るとき、私はどうしても「絵」以外のものを見てしまう。そこに描かれているもの、存在するもの以外のものを感じてしまう。
たとえばLauraの作品。この絵はたぶん小さい作品だと思うが、縦の長さが3メートルを超えている作品にも見える。なぜか。私は、この作品を描くとき、Lauraが手をつかって描いているようには感じないからだ。もちろん手で絵筆をつかんでいる。しかし、手だけを動かしているのではない。全身を動かして描いていると感じる。

アラン・ドロンが「太陽がいっぱい」のなかでサインの偽造の練習をする。そのときプロジェクターをつかって、腕の動きを全身に記憶させる。手が動くとき、足や背中も動いているのだ。その動きをコピーするとき、手は自然にサインをコピーする。どんな線も、全身の動きと関係する。

Lauraの線の強さ、ためらいのなさには、そうした全身の動きが感じられる。手が少し乱れても、全身がそれを修正する。その全身という感じ、肉体の運動そのものが絵になっているという感じが、作品を大きく見せる。
彼女には、きっと巨大な絵が似合う。彼女の力量が全開に開くのは、巨大な作品を描くときであると思う。

 

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