詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

唐作桂子『出会う日』

2022-10-25 20:44:20 | 詩集

 

 

唐作桂子『出会う日』(左右社、2022年10月11日発行)

 唐作桂子『出会う日』の「根も葉も」で、私は立ち止まる。

根も葉もなく
たっている

暴力をふるった ゆめの
なまめいたたかぶり
ひふをかきむしりつづける
かわいた音で目がさめた

もともと
根や葉などなかったのだろう


 「根も葉もない」は「根も葉もないうわさ」のようにつかう。「うわさ」は「うわさが立つ」というふうにつかう。だから「根も葉もなく/たっている」を読むと、「根も葉もないうわさが立っている」を連想するのだが、唐作が書いているのは「うわさ」だろうか。「うわさ」を超えるもののように私には感じられる。つまり「うわさ」を補ってしまうと、もう、それは詩ではなくなる。単なる「報告」になる。
 「うわさ」よりも、「うわさ」を生み出してしまう「欲望/本能」のようなものが「たっている」。そこにあるように感じられる。
 「うわさ」を生み出すものは、たぶん「ねたみ」だろうなあ。「うわさ」を立てることで、うわさの主役を陥れたい。この他人を陥れたいという欲望は、いろんな形であらわれる。たとえば「暴力」もそうなのだろう。相手より強いところを見せる。相手に被害を与える。そうすることで自分を相対的に「高める」。それは「なめまいたたかぶり」かもしれないなあ。一方で、それが「正しい」とは主張できなくて、何かが自分で自分の「ひふをかきむしる」ようなことも起きる。
 どんなものにも「二面性」がある。「二面性」があるから、それは「人」という漢字のように、差さえあって「立っている」のか。
 唐作は、そんなことは書いていないかもしれない。しかし、私は、そういうことを書いていると勝手に「誤読」する。「もともと/根や葉などなかったのだろう」が、そういうことを思わせる。「ある」のはどうすることもできない「欲望」だけである。ことばにすることのできない「欲望」。それは生き抜くための「本能」かもしれない。
 そう思って、そこに「ある」ものを見つめると……。

たっている
根も葉もてんでに

黄色くなりどす青くなり
ふれるふれる
中肉中背の肩に
虫が喰っている

 「てんで」に、がいいなあ。ほんとうはどこかでつながりがあるのかもしれないが、その「つながり」をはっきりとつかみきれない。それが「欲望」「本能」だろう。制御できない。それは、制御を乗り越えて、勝手に生きていく。それは「はつらつ」にではない。最終連で書いてあるように。
 妙に、重くて、粘っこくて、二度読み返した。
 でも、それが何なのか、よくわからない。わからなくてもいいのかもしれない。「青猫はうなる」の三連目。

うなじに湿気がまとわりつく
ふおんなかんじ
前線とか中央とかは
観念なのであり、

 あ、これかな、と思った。「中肉中背の肩」のかわりに「うなじ」が出てきているが、唐作は、「肉体」を「比喩」の根底に据えている感じがある。それがいい。で、そこから「ふおんなかんじ」と言ったあと「前線とか中央とかは/観念なのであり、」と飛躍するのだが、この「観念」というのは、「根も葉もない」の根や葉なのかもしれないとおもった。「根も葉もない」は「根拠がない」という意味だとおもうが、「観念」なんかも、やっぱり「根拠」ではない、と私は思う。それは作り上げた「うわさ」のようなものだ。「実体」がない。「中肉中背の肩」でも湿気がまとわりつく「肩」でもない。

ね このにおい
このにおい
このこのにおい
このね このにおい

 これは「青猫はうなる」の三連目だが、「観念」は「におい」にも似ている。「におい」は確かに存在するが、なぜか、においの中にいるとにおいに気がつかなくなる。そういう性質を持っている(と私は感じている)。「観念」もそれに似ている。出会った瞬間、その強烈さに打ちのめされるときがある。(そのまま、打ちのめされて、シンナーによったみたいに、観念におぼれて抜け出せない人もいるようだが。)でも、たいていは、慣れっこになってしまう。「脱構築って何だっけ」「実存? 古くない?」という感じ。それは「ね このにおい」と「この」をつかって、必死になって「焦点」をあてないと思い出せない類のものである。
 唐作は、そういうこともつかんでいるのだな、と感じた。

 

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Estoy loco por espana(番外篇222)Obra, Jose Javier Velilla Aguila

2022-10-25 17:07:41 | estoy loco por espana

Obra, Jose Javier Velilla Aguilar
Siria. Acrilico 150x120

 Vine tras la palabra, pero la palabra ya no estaba allí. Sin embargo, se sentió más cerca de la palabra que cuando la conoció. La mirada de la palabra permaneció aquí y allá en la ciudad. Inmediatamente supo lo que la palabra había visto. Permaneció en cada esquina como una tela de araña infestando una ruina. Las telas de araña, ya sin dueño, se agitaban con los restos azules que habían caído del cielo. Alto fuera de alcance. De repente, estaba pegado a su cara. A la sombra de una piedra fundacional, visible sólo cuando se gira la cabeza hacia abajo. Es el mismo paisaje desde hace 2.000 años. La palabra ya ha seguido a otra y otra, y aquí sabe que ha visto la misma luz azul y las mismas sombras. Todo se repite. Y sabe que son la misma palabra la que vino aquí, no importa cuánto tiempo haya pasado. Sólo existe la repetición. Como el vacío. Esa palabra, esta palabra, la palabra eliminada, la palabra añadida, son todas una palabra. Palabra que conoce la soledad y lucha por replantearla en su propia y única expresión. La palabra sintió la presencia de una nueva palabra que la perseguía. Debe desaparecer antes de ser encontrado. Aquí, la nueva palabra no puede encontrar nada. No puede ir al pasado ni al futuro. El día que leí que las palabras estaban escritas en los márgenes de una foto de una ruina, como un grafiti, con letras que nunca había visto. 

 

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斎藤茂吉『万葉秀歌』(4)

2022-10-25 10:50:13 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(4)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

 

 

香具山と耳梨山の会ひしとき立ちて見に来し印南国原          天智天皇

 「立ちて見に来し」と呼びかけられたのは「阿菩大神」だと茂吉は書いている。しかし、そのことばは歌のなかにはない。だから、私は、私に対して「立ちて見に来し」と呼びかけられたような気持ちになり、ちょっとこころが浮き立つ。それは「香具山と耳梨山」がけんかしたとき(戦争したとき)という「神話」でしかありえない世界に立ち会うおもしろさに通じるし、「立ちて見に来し」という動詞の「立ちて」が、山が「立って」(立ち上がって)戦争をしたと錯覚させるのも、とてもおもしろい。

渡津海の豊旗雲に入日さし今夜の月夜清明けくこそ           天智天皇

 声に出して読むと、とても読みやすい。茂吉は「入日さし」のあとに「小休止」があると書いている。なるほどなあ。茂吉は声に出して読んでいたんだなあ、と思う。実際に声に出さずとも、読むときに発声器官が動く。それをきちんと言語化できる。
 私は同時に「今夜」と「月夜」の重なりがおもしろいと思う。意味的には「入日さし」(夕方、まだ明るい)「今夜」(暗い)「月夜」(月に焦点が当たっている、明るい)と明暗の変化がある。夜が暗いからこそ、月が明るい。この変化がおもしろい。その転換点というか「夜」の文字の重なりで強調される。(原文も「夜」を重ねているかどうか、私は知らない。)
 それに、なんといっても。
 まだ日が沈まないうちに、夕日の明るさがあるうちに、満月(?)の明るさを想像するというのは、ものすごいことだなあ、と思う。夕景色をながめながら、それを超えて「宇宙」が広がる。いや、「時間」が広がる。「超(メタ)時間」と言ってもいいかなあ。とても「現代人」には持つことのできない「絶対的」な時間感覚だなあ、とも思う。
 「かっこいい」と思う。
 「歌」がかっこいいのか、歌をつらぬく「時間感覚」がかっこいいのか。これは、聞いている人に意味を考えさせないくらいの「大声」で読んでみたい歌だなあ。聞いているひとは「今の声は大きかったなあ」とだけ感じてしまう。歌の意味は忘れる。そういう感じがいいだろうなあ。

 

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