今回、「竜王の顎」の登場に意外と驚いているのは、あぁ、これが上条当麻の本質なんだよな、ということを思い出さされたから。
いや、禁書って、もう10何年も続いているシリーズでしょ。
だから、最初の方の話とかもうほとんど覚えていないわけで。
その上、このシリーズ、無駄に登場人物の数が多く、しかもそのほとんどが初登場以降、再登場しないので、覚えてもいられない。
そのうえ、新約以降は、とにかく魔術の範囲や、魔術の系統が爆発的に増え、しかも、その説明を地の文で、呪文詠唱まで含めて詳細に書き込むから、正直、読むのもしんどい。
なので、いつの間にか、あれ、これ、なにしてたんだっけ?という気にさせられることが俄然増えた。
しかもそれが、一冊の巻の中でも、数冊に渡るシリーズとしても。
つまり、ものすごく読者のコミットメントを求めるシリーズになっていて。
しかも、極めて粘着的なコミットメントね。
だから、新約の後半は、はいはい、今回もこのパタンね、というぐらいにしか感じていなかった。
読む方の感覚も麻痺してきた、というか。
だから、簡単にいえば、超・惰性で読んでいた。
そのどんよりした雰囲気を、今回の「竜王の顎」のエピソードは、わりときれいに払ってくれた気がするんだよね。
多分、その原因は、新約の終盤まで行って、ようやくアレイスターの意図や学園都市の設立目的なんかが、明らかになってきたところで、物語当初のエピソードを見せられたから、というのが大きい。
つまり、今回の「竜王の顎」は、いわば「2周目の読書」に近い、ということ。
だってさ、禁書とかって、なかなか再読する気が起こらないから。
なにせ、総じて冗長だから。
でも、確かにその冗長さのなかには、魔術についての詳細な説明もあったりして、そういう意味では、ちゃんと設定集も兼ねていたりする。
ただ、そこに焦点を絞って読み直すのは、かなりの苦行であるのも確か。
なので、今回のように、動画でチラ見せだけでもされると、ああそういうことだったったけ、って納得感が高いんだよね。
まぁ、そういう点では、超電磁砲のマンガの作者が、情報密度のやたらと密度の濃い禁書本編の話を、いい具合に薄めて引き伸ばして、一つずつ説明してくれている、というわけで。
で、そうすると、新約の最後の方で、アレイスターも触れていたように、学園都市で言う「科学」って、要するにアレイスター流の新魔術である「テルマ」であることもなんとなくわかってきたりして。
つまり、美琴もアクセラレータもみんな、超能力者ではなく、ネオ魔術師だ!ってことなんだよね。
そのことが、今回の美琴の鬼化で、だいぶはっきりしたように思えて。
・・・ということで、ちょっとそのあたりのことも、いい機会だから見直してもいいのかもしれないと思ってきていたりもする。
なんといっても、アレイスターというのは20世紀初頭に実在したイギリス人で、彼が書いた『法の書』って、ホントにあるんだよね。
そんなこと、真面目に受け止めるのはさすがにバカバカしいのだけど、しかし、たとえば、同じように「現代魔術」を物語の軸に据えているお兄様たる『魔法科高校の劣等生』のほうが、いかにもソフトウェア科学の体系の安易な書き換えであることを思うと、禁書のほうは確かにかなりニューエイジっぽくてガチで危なっかしい。
ただ、ちょっと頭の整理をしてみてもいいのかもな、と思い始めてもいる。
なにしろ、禁書本編の方では、とうとう薔薇十字団まで登場してきているから。
しかもそれが、創約1巻では、ソフトウェアというかマルウェアというか、ガチでインターネット系の情報技術に即した形で提供されるようになってきているから。
つまり、お兄様的な魔術は、薔薇十字系の末裔のように考えることもできて。
そうなると、科学の源流までさかのぼって別系統、ということもできるのかもしれない。
・・・って、自分でもなに言ってるのかわからなくなってきたw
あぶない、あぶないw
ともあれ、そんなことをぼんやり考えさせられるくらいの一撃が『竜王の顎』にはあったということでw
でもまぁ、あまりシリアスに受け止めるのは控えるべきなんだろうなぁ、やっぱりw
いや、禁書って、もう10何年も続いているシリーズでしょ。
だから、最初の方の話とかもうほとんど覚えていないわけで。
その上、このシリーズ、無駄に登場人物の数が多く、しかもそのほとんどが初登場以降、再登場しないので、覚えてもいられない。
そのうえ、新約以降は、とにかく魔術の範囲や、魔術の系統が爆発的に増え、しかも、その説明を地の文で、呪文詠唱まで含めて詳細に書き込むから、正直、読むのもしんどい。
なので、いつの間にか、あれ、これ、なにしてたんだっけ?という気にさせられることが俄然増えた。
しかもそれが、一冊の巻の中でも、数冊に渡るシリーズとしても。
つまり、ものすごく読者のコミットメントを求めるシリーズになっていて。
しかも、極めて粘着的なコミットメントね。
だから、新約の後半は、はいはい、今回もこのパタンね、というぐらいにしか感じていなかった。
読む方の感覚も麻痺してきた、というか。
だから、簡単にいえば、超・惰性で読んでいた。
そのどんよりした雰囲気を、今回の「竜王の顎」のエピソードは、わりときれいに払ってくれた気がするんだよね。
多分、その原因は、新約の終盤まで行って、ようやくアレイスターの意図や学園都市の設立目的なんかが、明らかになってきたところで、物語当初のエピソードを見せられたから、というのが大きい。
つまり、今回の「竜王の顎」は、いわば「2周目の読書」に近い、ということ。
だってさ、禁書とかって、なかなか再読する気が起こらないから。
なにせ、総じて冗長だから。
でも、確かにその冗長さのなかには、魔術についての詳細な説明もあったりして、そういう意味では、ちゃんと設定集も兼ねていたりする。
ただ、そこに焦点を絞って読み直すのは、かなりの苦行であるのも確か。
なので、今回のように、動画でチラ見せだけでもされると、ああそういうことだったったけ、って納得感が高いんだよね。
まぁ、そういう点では、超電磁砲のマンガの作者が、情報密度のやたらと密度の濃い禁書本編の話を、いい具合に薄めて引き伸ばして、一つずつ説明してくれている、というわけで。
で、そうすると、新約の最後の方で、アレイスターも触れていたように、学園都市で言う「科学」って、要するにアレイスター流の新魔術である「テルマ」であることもなんとなくわかってきたりして。
つまり、美琴もアクセラレータもみんな、超能力者ではなく、ネオ魔術師だ!ってことなんだよね。
そのことが、今回の美琴の鬼化で、だいぶはっきりしたように思えて。
・・・ということで、ちょっとそのあたりのことも、いい機会だから見直してもいいのかもしれないと思ってきていたりもする。
なんといっても、アレイスターというのは20世紀初頭に実在したイギリス人で、彼が書いた『法の書』って、ホントにあるんだよね。
そんなこと、真面目に受け止めるのはさすがにバカバカしいのだけど、しかし、たとえば、同じように「現代魔術」を物語の軸に据えているお兄様たる『魔法科高校の劣等生』のほうが、いかにもソフトウェア科学の体系の安易な書き換えであることを思うと、禁書のほうは確かにかなりニューエイジっぽくてガチで危なっかしい。
ただ、ちょっと頭の整理をしてみてもいいのかもな、と思い始めてもいる。
なにしろ、禁書本編の方では、とうとう薔薇十字団まで登場してきているから。
しかもそれが、創約1巻では、ソフトウェアというかマルウェアというか、ガチでインターネット系の情報技術に即した形で提供されるようになってきているから。
つまり、お兄様的な魔術は、薔薇十字系の末裔のように考えることもできて。
そうなると、科学の源流までさかのぼって別系統、ということもできるのかもしれない。
・・・って、自分でもなに言ってるのかわからなくなってきたw
あぶない、あぶないw
ともあれ、そんなことをぼんやり考えさせられるくらいの一撃が『竜王の顎』にはあったということでw
でもまぁ、あまりシリアスに受け止めるのは控えるべきなんだろうなぁ、やっぱりw