5月27日の「五等分の花嫁記念日」で久しぶりに、『五等分の花嫁』のことを思い出したら、意外とあれこれ思いついてしまったので、せっかくだから書きとめておく。
なぜ、四葉エンドで終わったのか
あれだけ、一花や二乃や三玖を通じて伏線を撒きまくっていたにもかかわらず。
気がつけば、風太郎の傍らには五月が、まるで嫁のように、歯に衣着せぬ物言いをし、ええい!、この二人、もうつきあっちゃえよ!と、バカップルぶりまで発揮していたのにw
でも、最後は、「将来の夢はお嫁さん!」とうそぶく四葉がもっていった。
正直に言えば、高3の修学旅行くらいまでなら、四葉、まぁ、いいヤツ?ぐらいには思っていたのだけれど、最後のコミックで言えば13巻から14巻にかけての四葉は、こいつ、なんて泥棒猫なんだ!、と思い切り手のひらを返さないではいられなかった。
四葉の好感度はストップ安!という感じでダダ下がっていった。
でもさ、それくらい、風太郎が日の出祭で四葉を選んでからの展開は、杜撰だったんだよ。
確かに、いつかは四葉も本心を明かし、晴れて一花、二乃、三玖と恋敵になるとは思っていたし、そこから、二転三転のやり取りがあり、ついには五月まで重い腰をあげ、というか、遅ればせながら五月も自分の恋心に気づき、5人の姉妹の間の駆け引きになるとばかり思っていた。
ところが、四葉が選ばれた時点で、物語はあっけなく終わってしまった。
それも多くの伏線を残したまま。
なので、心ある真面目なラブコメ読書経験者たちなら、おいおい、全然話の辻褄があわねえじゃねいか、なんだよ、あの伏線どうなったんだよ?それともあれか、伏線ってのは全部、その場限りのミスリーディングだったのかよ、と悪態も付きたくなってしまうくらい。
アマゾンの14巻のレビューで、星を1とか2とかつけてるものをみれば、納得できるものばかり。
でもね、どうやら、そうした読者は(ここのサイトも含めて)、一つ、大きな見落としをしていたのだと思う。
それはなにか?
多分、作者にとって、五つ子は、最初から「一人」だったんだよ。
なにせ、一卵性の五つ子なのだから。
全員が基本スペックは同じ、いわばコピー体。
で、そのオリジナルが、作者にとっては「四葉」だった!というのが真相だった。
なにしろ、当初は、五つ子の全てのCVを作者イチオシのあやねるにやってもらう、という話もあったわけでしょ?
つまり、五つ子は、全員、実は「四葉」だったんだよ。
こういってよければ、四葉は、五重人格の存在だった。
あ、これは、あくまでも作者にとっての視点ね。
で、そう考えれば、終盤、唐突に選ばれた四葉が全てもっていった、というのも納得がいく。
なぜなら、作者目線で行けば、一花も二乃も三玖も五月も、みんな四葉の分身だったのだから。
つまり、作者からすれば、
四葉は、
一花として悪女お姉ちゃんを演じ、
二乃としてツンデレを演じ、
三玖としておどおどした奥手女子を演じ、
五月として憎めない腹ペコキャラを演じていた。
そうして、姉妹の姿を通じて、四葉は、風太郎と一通り、恋愛イベントをこなしていた。
少なくとも、作者目線ではそう見えていた。
だから、作者にとってのゴールは最初から明確で、とにかく、「姉妹の4人」という四葉の別人格が、風太郎と様々なシチュエーションで、あれこれのやり取りをすませてしまった後で、おもむろに風太郎に四葉を選ばせればよい。
だって、ラブコメに必要なアレコレの定番シーンは、姉妹というアバターで四葉はすでに経験してしまったから。
ついでにいえば、風太郎も。
なにしろ最初から、風太郎と四葉(とその別人格の一花、二乃、三玖、五月)の2人しかいなかったのだから。
四葉と風太郎の二人芝居だったのだよ、最初からずっと。
妄想の4人が、そこらへんを闊歩している、というのが作者視点から見た『ごとよめ』の世界だった。
・・・ってことだったんだと思う。
もちろん、これはあくまでも作者の頭をよぎった最初期の着想で、それをどうしたらマンガにできるか、と考えて、五重人格が五つ子に変わり、アニメにするならCVも5人分必要、ということになって、5人がきちんと個別の人格として確立されていった。
そう思えば、アニメにしたら竹達彩奈効果で二乃の人気が爆上げでビックリ!とか作者自身、思ってしまったわけでしょ?
そうして、五つ子のそれぞれが独立したキャラとして動き始めてしまった。
そもそも、連載の段階で、三玖の人気の急浮上にも作者は驚いていたのだし。
だから、作者と読者のボタンの掛け違いは、そのあたりで始まったのだと思う。
となると、本来はそのあたりの調整を図るのが担当編集者の役割だったはずだけど、結果を見れば、彼らが大して力を発揮できなかったか、単純に大した力量を持ち合わせていなかった、のどちらかなんだろうな。
少なくとも13巻と14巻を見る限り、とにかく、終盤が、色んな意味で、作者や編集サイドの思惑から外れて、バタバタと物語をたたむしかなかったことは明白だし。
ともあれ、作者からすれば、四葉と風太郎しかいない世界を作りたかっただけのことで、あとは、それをどう膨らませて、今までにない斬新なマンガのふりを装うか、というところに注力したのだと思う。
それが、花嫁当てミステリー、という装いだった。
でも、もともと、それは、一人の四葉と4つの別人格から始まった「五つ子設定」だったから、誰が花嫁かなんて問いは、ミステリーでもなんでもなく、ただの出来レースでしかなかった。
その理屈でいけば、風太郎にしても、京都で会った最初から「四葉」しか存在せず、一花を会っても、二乃と口論をしても、三玖とデートしても、五月とバカを言い合っても、彼女たちの顔の向こうに、同じ顔をした四葉しか見えてなかった、ということになる。
その意味では、五つ子ゲーム、というのは、そもそもゲームとして成立していなかった。
あれがひどかったのは、「四葉の森」ではなく「五月の森」にしたことで。
でも多分、あそこは、作者からしたら「四葉の森」にしたかったのだろうな。
そして、あそこを「四葉の森」にしておけば、実は、四葉エンドももっと穏当に迎えられていたのだと思う。
そういう意味では、過剰に、オリジナルは四葉しかいないことを隠しすぎたのが失敗だった。
随所で、夢や眠りのシーンが繰り返されたのも、本当は、夢の世界で、四葉が5つに分裂して、別人格の4人を生み出していた、ということを示唆してしたのだと思う。
ただ、そういうアナロジーは、大してうまくいかなかった。
だから、この作品は駄作というよりも、失敗作、という方が適切。
四葉しかいない世界、四葉の多重人格からなる世界、としてうまく読者にプレゼンテーションできなかったのだから。
つまり、偽装すべきジャンルは、恋愛ミステリーではなく、恋愛ホラーだった。
ある日突然、風太郎の目に、一花、二乃、三玖、五月の姿がブレ始めて、いつしか四葉のイメージと重なって消えてしまう。
だから、結婚式にいた四葉以外の4人も、新婚旅行についてきた四葉以外の4人も、みな、いわば一種の生霊のようなものだった。
あのマルオが与えたマンションに、四葉は、ずっとたった一人で住んでいただけなんだよ。
姉妹なんて、実は最初からいなかった。
全部、夢、白昼夢だったんだよ!
・・・というオチであるべきだった。
あるいは、平行世界の四葉が二重写しでこの世界に顕現していたのだ!とかw
だから、うーん、惜しかったね、としか言えない。
でもまぁ、ミステリーという(ファンタジーではなく)リアリズムの世界を選んででしまったのだから、ああいう終わり方しかできなくても、仕方はなかったってこと。
つくづく、なろう的なゲーム脳世代の作者、という気はした。
でもそう考えると、あの流れで四つ葉エンドで終えても、平然と、むしろ満足していいられるのもよくわかる。
だって、最初から、五つ子なんていなくて、四葉しかいなかったのだから。
前に、きっと四葉という名前は、『君の名は。』の三葉にあやかってつけたのだろう、って書いたことがあるけど、本当にそれだった、ということ。
もともと四葉しか、作者にはいなかったんだよ。
残りの五つ子はその分身でしかなかった。
だから、消えて当然だった。
だったら、風太郎が二乃や三玖の告白に対して謝る必要もないし、一花の卒業のことを描く必要もないし、五月の敬語離れを一回限りのネタにしても問題はない。
だってはじめから彼女たちは存在しなかったのだから。
少なくとも物語を紡ぐ作者にとっては、全て、夢の世界の話だった。
そう考えれば辻褄があう。
ただ、そんな幻想物語(ファンタジー)を犯人当てのようなリアリズムに基づくミステリー仕立てを装ったのが間違いだった、ということ。
なぜ、四葉エンドで終わったのか
あれだけ、一花や二乃や三玖を通じて伏線を撒きまくっていたにもかかわらず。
気がつけば、風太郎の傍らには五月が、まるで嫁のように、歯に衣着せぬ物言いをし、ええい!、この二人、もうつきあっちゃえよ!と、バカップルぶりまで発揮していたのにw
でも、最後は、「将来の夢はお嫁さん!」とうそぶく四葉がもっていった。
正直に言えば、高3の修学旅行くらいまでなら、四葉、まぁ、いいヤツ?ぐらいには思っていたのだけれど、最後のコミックで言えば13巻から14巻にかけての四葉は、こいつ、なんて泥棒猫なんだ!、と思い切り手のひらを返さないではいられなかった。
四葉の好感度はストップ安!という感じでダダ下がっていった。
でもさ、それくらい、風太郎が日の出祭で四葉を選んでからの展開は、杜撰だったんだよ。
確かに、いつかは四葉も本心を明かし、晴れて一花、二乃、三玖と恋敵になるとは思っていたし、そこから、二転三転のやり取りがあり、ついには五月まで重い腰をあげ、というか、遅ればせながら五月も自分の恋心に気づき、5人の姉妹の間の駆け引きになるとばかり思っていた。
ところが、四葉が選ばれた時点で、物語はあっけなく終わってしまった。
それも多くの伏線を残したまま。
なので、心ある真面目なラブコメ読書経験者たちなら、おいおい、全然話の辻褄があわねえじゃねいか、なんだよ、あの伏線どうなったんだよ?それともあれか、伏線ってのは全部、その場限りのミスリーディングだったのかよ、と悪態も付きたくなってしまうくらい。
アマゾンの14巻のレビューで、星を1とか2とかつけてるものをみれば、納得できるものばかり。
でもね、どうやら、そうした読者は(ここのサイトも含めて)、一つ、大きな見落としをしていたのだと思う。
それはなにか?
多分、作者にとって、五つ子は、最初から「一人」だったんだよ。
なにせ、一卵性の五つ子なのだから。
全員が基本スペックは同じ、いわばコピー体。
で、そのオリジナルが、作者にとっては「四葉」だった!というのが真相だった。
なにしろ、当初は、五つ子の全てのCVを作者イチオシのあやねるにやってもらう、という話もあったわけでしょ?
つまり、五つ子は、全員、実は「四葉」だったんだよ。
こういってよければ、四葉は、五重人格の存在だった。
あ、これは、あくまでも作者にとっての視点ね。
で、そう考えれば、終盤、唐突に選ばれた四葉が全てもっていった、というのも納得がいく。
なぜなら、作者目線で行けば、一花も二乃も三玖も五月も、みんな四葉の分身だったのだから。
つまり、作者からすれば、
四葉は、
一花として悪女お姉ちゃんを演じ、
二乃としてツンデレを演じ、
三玖としておどおどした奥手女子を演じ、
五月として憎めない腹ペコキャラを演じていた。
そうして、姉妹の姿を通じて、四葉は、風太郎と一通り、恋愛イベントをこなしていた。
少なくとも、作者目線ではそう見えていた。
だから、作者にとってのゴールは最初から明確で、とにかく、「姉妹の4人」という四葉の別人格が、風太郎と様々なシチュエーションで、あれこれのやり取りをすませてしまった後で、おもむろに風太郎に四葉を選ばせればよい。
だって、ラブコメに必要なアレコレの定番シーンは、姉妹というアバターで四葉はすでに経験してしまったから。
ついでにいえば、風太郎も。
なにしろ最初から、風太郎と四葉(とその別人格の一花、二乃、三玖、五月)の2人しかいなかったのだから。
四葉と風太郎の二人芝居だったのだよ、最初からずっと。
妄想の4人が、そこらへんを闊歩している、というのが作者視点から見た『ごとよめ』の世界だった。
・・・ってことだったんだと思う。
もちろん、これはあくまでも作者の頭をよぎった最初期の着想で、それをどうしたらマンガにできるか、と考えて、五重人格が五つ子に変わり、アニメにするならCVも5人分必要、ということになって、5人がきちんと個別の人格として確立されていった。
そう思えば、アニメにしたら竹達彩奈効果で二乃の人気が爆上げでビックリ!とか作者自身、思ってしまったわけでしょ?
そうして、五つ子のそれぞれが独立したキャラとして動き始めてしまった。
そもそも、連載の段階で、三玖の人気の急浮上にも作者は驚いていたのだし。
だから、作者と読者のボタンの掛け違いは、そのあたりで始まったのだと思う。
となると、本来はそのあたりの調整を図るのが担当編集者の役割だったはずだけど、結果を見れば、彼らが大して力を発揮できなかったか、単純に大した力量を持ち合わせていなかった、のどちらかなんだろうな。
少なくとも13巻と14巻を見る限り、とにかく、終盤が、色んな意味で、作者や編集サイドの思惑から外れて、バタバタと物語をたたむしかなかったことは明白だし。
ともあれ、作者からすれば、四葉と風太郎しかいない世界を作りたかっただけのことで、あとは、それをどう膨らませて、今までにない斬新なマンガのふりを装うか、というところに注力したのだと思う。
それが、花嫁当てミステリー、という装いだった。
でも、もともと、それは、一人の四葉と4つの別人格から始まった「五つ子設定」だったから、誰が花嫁かなんて問いは、ミステリーでもなんでもなく、ただの出来レースでしかなかった。
その理屈でいけば、風太郎にしても、京都で会った最初から「四葉」しか存在せず、一花を会っても、二乃と口論をしても、三玖とデートしても、五月とバカを言い合っても、彼女たちの顔の向こうに、同じ顔をした四葉しか見えてなかった、ということになる。
その意味では、五つ子ゲーム、というのは、そもそもゲームとして成立していなかった。
あれがひどかったのは、「四葉の森」ではなく「五月の森」にしたことで。
でも多分、あそこは、作者からしたら「四葉の森」にしたかったのだろうな。
そして、あそこを「四葉の森」にしておけば、実は、四葉エンドももっと穏当に迎えられていたのだと思う。
そういう意味では、過剰に、オリジナルは四葉しかいないことを隠しすぎたのが失敗だった。
随所で、夢や眠りのシーンが繰り返されたのも、本当は、夢の世界で、四葉が5つに分裂して、別人格の4人を生み出していた、ということを示唆してしたのだと思う。
ただ、そういうアナロジーは、大してうまくいかなかった。
だから、この作品は駄作というよりも、失敗作、という方が適切。
四葉しかいない世界、四葉の多重人格からなる世界、としてうまく読者にプレゼンテーションできなかったのだから。
つまり、偽装すべきジャンルは、恋愛ミステリーではなく、恋愛ホラーだった。
ある日突然、風太郎の目に、一花、二乃、三玖、五月の姿がブレ始めて、いつしか四葉のイメージと重なって消えてしまう。
だから、結婚式にいた四葉以外の4人も、新婚旅行についてきた四葉以外の4人も、みな、いわば一種の生霊のようなものだった。
あのマルオが与えたマンションに、四葉は、ずっとたった一人で住んでいただけなんだよ。
姉妹なんて、実は最初からいなかった。
全部、夢、白昼夢だったんだよ!
・・・というオチであるべきだった。
あるいは、平行世界の四葉が二重写しでこの世界に顕現していたのだ!とかw
だから、うーん、惜しかったね、としか言えない。
でもまぁ、ミステリーという(ファンタジーではなく)リアリズムの世界を選んででしまったのだから、ああいう終わり方しかできなくても、仕方はなかったってこと。
つくづく、なろう的なゲーム脳世代の作者、という気はした。
でもそう考えると、あの流れで四つ葉エンドで終えても、平然と、むしろ満足していいられるのもよくわかる。
だって、最初から、五つ子なんていなくて、四葉しかいなかったのだから。
前に、きっと四葉という名前は、『君の名は。』の三葉にあやかってつけたのだろう、って書いたことがあるけど、本当にそれだった、ということ。
もともと四葉しか、作者にはいなかったんだよ。
残りの五つ子はその分身でしかなかった。
だから、消えて当然だった。
だったら、風太郎が二乃や三玖の告白に対して謝る必要もないし、一花の卒業のことを描く必要もないし、五月の敬語離れを一回限りのネタにしても問題はない。
だってはじめから彼女たちは存在しなかったのだから。
少なくとも物語を紡ぐ作者にとっては、全て、夢の世界の話だった。
そう考えれば辻褄があう。
ただ、そんな幻想物語(ファンタジー)を犯人当てのようなリアリズムに基づくミステリー仕立てを装ったのが間違いだった、ということ。