私のこだわってきたことを、当たり前に身にまとっている人は、私がこだわっていることに逆の視点からすると、なぜなのだろうと、不可解に思って居るのだろうなぁとおもう。
私も、反対側の立場で、そのことに対面したとしたら、こんなこだわりというよりしこりを残すことは無かったかもしれません。
出会いというものは、いろんな側面があり、いろんな出来事を持ってきます。
「もし、たら」とどう考えても反対の立場で会うことは無かったと思えるので、その出会いは、どうしてもそのしこりを作るしかなかったのでしょう。
それは、私にとって大きな苦痛であったけれど、大きな学びをもたらしました。
そして、密かに決めたことがあります。
あきれるぐらい物事にこだわらない夫にも、UB生活で、人生たった一つ胸の中にしこっているものがあるようです。
そのことは口に出せるものではないから、私の生活にまで影響していることが一つ有ります。
言ってしまえば、私は楽になれるけれど、悪者を一人作ってしまうことになります。
今は、まだ我慢できているけど。。。
しこりというものは、頑固なものなのだけれど、一つのキーワードによって、簡単に消える、あるいは、胸の中から追い出すことが出来る。
今回は消えたと思っていたら、小さい形になって舞い戻りそうになったのを押し戻して、消えたことにしている今の状態は、不安定です。
けれど、心が動いていれば、遠心力で吹き飛んでいくことでしょう。
遠心力といえば、今までは、モンゴル語を学び挫折したり、オルティンドーを習い手応えを得て、ほどほどの遠心力を獲ていたのですが、さらに強い遠心力が加ったのです。
詩吟を教えさせてもらっていることです。
母の介護生活に入って、忘れた振りをしていた詩吟を、介護が終わってもなかなか思い出して、手にとることができず、のらりくらりと過ごすうち、モンゴル生活が始まり、忘れた振りをしなくて良くなって3年。
帰国を目前にして、心が和らいだからでしょうか、テレビで風林火山という文字を目にして、詩吟を思い出し、手に取ることがきたのでした。
今日で、二度目の練習は、一人増えて三人のお弟子さんに恵まれました。
ありがたいというしかありません。
感謝