風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

立山の滝

2004年05月17日 | チンゲル亭過去日記

NHKの朝の放送で、立山の雪解けを見せてもらいました。
称名滝とこの時期だけ現れるハノキ滝の二つが合流し、轟音を立てて流れ落ちる様子は、壮大でした。

潤うなぁ、日本だなぁ

モンゴルにも、ひとつだけ滝があります。
幅5から10メートル、高さ24メートルという日本ではこじんまりした規模ですが、当地では有名な観光地になっています。

海のないモンゴルでも、海は想像できても、轟音をあげて何十メートルも落ちる圧涛Iな水量を思い描くことができないのではないだろうか。

花ちゃんを、日本に連れて行って、滝の水しぶきの当たる場所に連れて行ったとしたら、どんな顔をするのだろう?

地質の調査などで、地方に出かけた時、川に出合うと、この先水があるかどうかわからないからといって、必ず水を汲んでいくそうです。
かなり濁っているのですが、沸かして飲むから大丈夫なのだそうです!

そして、汚れたものは必ず桶に水を汲んでから洗い、川には流さないで土に帰すのです。

UBでも、周辺には地方から集まってきた人たちのゲル集落があります。
そこには、水道の設備はないので、給水車の水を汲みに出かけ、限られた水で生活をしています。

空が曇ってきたら、日本では、あわてて洗濯物を取り込み、傘を取りに戻りますが、こちらでは、その必要はほとんどありません。
まず、雨は降らないし、降ってもぬれるほどは降らないのです。

地面は乾き、春の嵐が吹くと前が見えなくなります。
捨てられた、ャ椛ワが空に舞い上がります。
それでも、日本ほどの汚れがつかないのは、空気が乾いているおかげなのでしょう。汚れがこびりつかないのです。

モンゴルは、予想以上にきれいなのです。

朝、水のたっぷりの映像を見たと思ったら、お昼ご飯の支度をしようとしたら、断水です。
冷蔵庫の飲み水用のタンクから水をもらって、スパゲティをぎりぎりの水でゆでました。
茹で水で、お皿を洗いました。当たり前といえば、当たり前のことですが。

水の無いモンゴルに来ても蛇口をひねれば水の出る生活をしていると、つい、水のありがたさを忘れがちになっています。
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風邪に効く果実

2004年05月16日 | チンゲル亭過去日記

壜に詰めた1センチに足りないアメリカンチェリーの色をした果実を頂きました。
珍しく風邪気味の夫のために、4月にUBに来たばかりのTさんが、わざわざ持ってきてくれました。
実の様子は、チャツァルガンに似ているのですが、色がかなり濃いのでちがうものかもしれません。
彼女が指導している、モンゴルの生徒に教えてもらったと言っていました。

風邪などひいたことの無い夫が、同僚の風邪をもらったようです。
3人分の机を並べたら、一杯になる小さな部屋で、湿度40%以下で風邪薬を飲んでいる人と一緒に居たら、無理からぬ話です。

公共機関では一般家庭よりも早く暖房が切られるのですが、うっかり薄着で出かけたのです。
寒いくらいで風邪を引く夫の体ではないのですが。
部屋が寒いといって、早引きしてきました。
そのときは、すでに菌をもらって、寒気があったのかもしれません。
病気の経験の無い夫は、前兆を理解していなかったのです。

それで、昨日は楽しい企画があったのですが、欠席をしたのです。
たまたま参加した彼女が、夫の風邪を聞いて、心配して電話をくれたのです。

前夜から、お弁当用のおにぎりのために洗っておいた5合のお米を、どうしたものかと考えた末、暇に任せて、小豆を煮て、ぼた餅にすることにしました。

夕食後最後の煮詰めが終わったとき、こんなにたくさん作って冷凍しても、家の冷凍庫は、あてにならないからなぁーと、悩みかけたときに、もらった電話です。
よし、彼女に持っていってもらおう。

風邪に効く果物を若いお嬢さんが持ってきてくれたというだけで、娘恋しい夫にはてきめんの効果があるに違いないと思い、悪いなと思いながらも、好意に甘えることにしました。

彼女は、2週間ほど前にあったときより、少し顔が小さくなっていましたが、元気一杯の彼女の登場は、部屋がぱぁーっと明るくなりました。

風邪の菌をうつしてはいけないと、夫は奥の部屋に引っ込んでいたので、その、元気を直接もらうことはできなかったのですが、早速、そのすっぱい果実を甘味を加えることなく、ぱくりと食べました!

こういうのって、元気もらうよね!

あした、元気になーれ。
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モンゴルに来たら、南ゴビへ

2004年05月15日 | チンゲル亭過去日記

どこが一番お勧めですかと、モンゴルの人に聞いてみました。

一様に、『南ゴビ』と答えが返ってきます。
地平線から月が昇り、日が沈むのだそうです。
ゴビとはモンゴル語で、まばらな短い草が生えている土地という意味だそうです。
私もはじめは、ゴビ=砂漠と思っていました。
けれど、砂漠はほんの一部で山、森林、泉、大草原、砂地とさまざまな形で生態系が広がり、初夏でも氷が残っている場所があったり、2千メートルの山もあります。したがって珍しい動植物も多いということです。

恐竜の化石も多く、いろんな宝石を含む鉱石もたくさんあるようです。
飛行機で2泊3日でも、バスで2週間の旅もさまざまな楽しみ方があるようです。

こちらでは、個人的に人を集めてツァーを組み、サイドビジネスをする人が多く、職場でも、いろんな人から、お誘いがかかるようです。
また、ビジネス抜きで、長い夏休みを、家族や親戚、海外に出ている娘や息子の帰国にあわせて、旅行を計画する人も居て、その人たちからもお誘いが罹ります。
日本人が加わると、お金を出してくれるとの期待含みのある人、親しくなって、私たちを楽しませたいと純粋に思ってくれている人、様々です。

また、学生は、夏の間の通訳やガイドが唯一のアルバイトなので、旅行社に登録をするのですが、チャンスがあれば、個人的にも仕事が無いかと、懸命に探しています。
去年の今頃は、話のついでに通訳はないかと尋ねられたものだそうです。

知り合いの日本人が、車で3週間の旅を予定していて、通訳と運転の出来る若い人を探していたのですが、早速名乗りが挙がったようです。

日本のように、何ヶ月も前に予約をする必要が無いので、私たちはのんびりしています。
昨年は、サーズの影響で、観光業は打撃を受けました。
今年は、昨年来られなかった人がたくさん待ち兼ねていることでしょう。

乗馬の大好きな知り合いは、てぐすね引いて待っているらしいです。
彼女は、市内観光には目もくれず、直接馬に乗れるゲルに行き、一日何十キロも馬で次のゲルに移動するのだそうです。
乗馬の堪能な人のためのツァーは、随分前から盛んだったそうです。
このところ安全規制が強くなって、思うように馬を走らせられなくなったとぼやいていました。

さて、私たちの旅は、まず、どこに行くことになるのでしょう?
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あー、肝心なときに

2004年05月14日 | チンゲル亭過去日記

その言葉が聞こえないと、その場面のあの子の表情がみえないと、なんにもならないよーという場面で、テレビの画面がモザイクになり、音声が途切れるのです。

太陽の黒点の活動が激しくなると、衛星放送で受信しているNHKワールドプレミアムの番組が、受信不可能になるのです。
こちらに来たころは、確か9時とか10時ごろの番組に多かったのですが、最近は、朝のテレビドラマ、『天花』の時間にその現象が起きるのです。
たった一つの日本語のチャンネルの、毎日楽しみに見ている番組で、この現象が起きるとほんとに、癪に障るのです。

悔しがる私を、見ておもしろがる夫。
「黒点現象は、その場面を選んで活動が激しくなるわけではない」とあまりにまともなことを言うので、また、腹が立つ。

へいわだねぇ

逆に、肝心なときにというよりも、タイミングよく見せてくれるものがあります。
    松山道後温泉、ちんちん電車、倉敷、岡山後楽園、上野公園

朝のテレビでほんの少しだけの映像が、このところ思い出の地ばかりなので、どうして?と思いながら、懐かしんでいます。

その始まりが、記憶は無いのですが、生まれた地、八幡浜は、西宇和に近いことがわかり、そこはおいしいみかんの産地ということでした。
そして、赤ちゃんのときから、小学校2年生まで過ごしたちゃんと記憶のある松山、父の自転車に乗せられて、通った、道後温泉。
ちんちん電車に乗って、街までお買い物に行きました。

小学校4年生まで居た、倉敷、父の職場の近くの柳と川と橋。

学校と職場のあった岡山、一番活動的にすごしたところ。

そして、今朝の上野公園で体育祭の練習をする高校生の姿。
お花見に行ったこと、娘も数年前は、こんなことをしていたんだよねぇ。
娘の通った学校の体育祭は親も心弾んで、楽しみに待つイベントだったなぁ。

喜んでこの映像を見ていられるということは、気持ちのゆとりが出てきたということなのでしょう。

うん、よしよし。
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ねぎ

2004年05月13日 | チンゲル亭過去日記

近くのお店でも、ねぎを扱うようになりました。
外人用のスーパーでも、白ねぎを売っていますが、黄色くなりかけたり、しおれたねぎばかりで、なかなかおいしいのに出会わなかったのです。

わけぎをずんぐりさせたようなねぎが緑の色も鮮やかに並んでいるのを見たらうれしくなってしまいました。

ねぎは、ほんとにハーブだと実感したのは、まだ寒いときに、味噌汁を作り、青みが無いので、仕方なく、日本から持ってきたパック入りの乾燥した小ねぎを入れたとたんに、パァーッとねぎの香りが広がって、とたんに背筋が伸びる感じがして、頭がすっきりました。

私って、ちょっと元気が無かったのだと気が付いたことでした。
いつもまわりにあったものだから、日本ではねぎの効用なんて考えたこともなかったのでした。

あの時の様子を映像で表すとしたら、まず、白黒画面です。そして猫背で味噌汁を作っていたおばさんが、なにやら取り出して、なべに入れたとたんに、画面がカラーになり、背筋の伸びた美しい娘さんに変身!
そこで、『ジャパニーズ ハーブ ねぎ!』と、タイトルが出る。

ちょっと、お笑いでした。

さて、昨晩は、緑色のねぎのたぷり入った味噌汁は、夫は大いに喜び、うまい、うまいと言って、おかわりをしたことでした。  ≠ィわりー
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言葉がわからない、その2

2004年05月12日 | チンゲル亭過去日記

母の介護中は、自分自身の衰えや老いを感じる前のことでした。
老眼になって、初めて見えにくいということはこういうことなんだと感じ始めたころから、すこしずつ少しずつ、母の状態の理解が始まりました。

母が高齢出産(41才)だったおかげで、わたしは、若い体力のあるうちに介護が始まりました。
それは、私にとっては好都合なことだったのです。
体を崩すことなく介護を続けられたのはそのおかげもあったと思うのです。
けれど、母の側にたってみると、ちょっとした理解があるだけで、母にも私にも心理的には楽なことがあったろうと想像できます。

母は、いろんな思いがあったのだと思うのです。
しかし、今私が、感じたように、相手に伝えられる情報としての言葉と表現ができなかっただけで、母の頭の中にはたくさんの映像としての情報はあふれていたのだろうと思うのです。

あれ、それ、あのひと、あそこ、ほら、さっき・・・・・
今の私は、知り人の名前が出てこなくて、でも、頭の中にはその人の顔を思い浮かべたり、出会ったときの様子など、はたまた、その人にまつわる思い出などまで、一杯頭の中にめぐりめぐっているのです。
何とか、名前が無いまま会話を続けることができるのですが。。。

あの時、母の頭の中に在る映像を、映し出すことができていたら、いいえ、そこまでではなくても、母の頭の中が空っぽになったのではなくて、そこに何かあるということにさえ思い至っていたら、少しでも、母の歯がゆい思いをなくしてあげられたかもしれない。

そのときは、ちっともわかっていなかったんだなぁ。
そう言えば、父も、半身不随になって、言葉が出にくい常態になった時、私の目を見つめて、唇を震わせていたことがあった。

父は、私に、伝えたいことがあったのだ。
そのときは、なぜ、答えてくれないのと腹を立ててしまったのだった。

年を重ねなければわからないことが一杯あるなぁ。
これは、知識として知っていても、実感しなければわからないなぁ。

ゆっくりした時間の流れの中で、いろいろ思うことが出てくる。
その人がいなくなってから、自然に誤解が解け、理解が進むということもあるのだな。
今までには、思い至らなかったことがわかってきて、静かに悲しんだり、静かに後悔したり、しずかに安堵したりしています。

年を重ねたせいか、今おかれた環境のせいなのか、わかりません。
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ことばがわからない!

2004年05月12日 | チンゲル亭過去日記

テレビのチャンネルを回しているとき、素晴らしいモンゴルの絵が写された。
どうやら、近代作家のものらしい。
心惹かれ、実物を見たいと思ったのですが、あっという間のことで、ビデオを回す暇も無く、言葉も文字も読めない私には、誰にも説明のできない映像だけの情報を得てしまったのです。

あれは、どこで展示しているのか、国内にあるのか、展覧会の案内だったのか皆目分かりません。

誰か、美術の先生を知り合いの伝から伝で探して、教えてもらうのが今の私に考えられる方法です。

あの絵に、到達できるでしょうか?

話がとても飛んでしまうのですが、母の状態はこういうことだったのかと改めて思うのです。

その2へ続きます。
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修道院その2

2004年05月10日 | チンゲル亭過去日記

マザーテレサの教会は、最下層の人たちを助けることが使命ですから、特にその国の言葉を早く覚え、彼らのほんととうそを理解した上で活動をせねばなりません。

子供達は、片親の子がほとんどで、家族で一緒に住めなかったり、一緒にいることに意味を見つけられなかったり、この施設に来なくなったり、マンホールチルドレンの仲間になったり、また帰ってきたり、さまざまな子供がやってきています。

UBのある地域では、ごみの山で暮らしている子もいて、近々、彼女はその場所を訪れて、何がまず必要か見極める作業からはじめるそうです。

テレビを見ていると、ほんとに恵まれ、習い事をし、高価なおもちゃに囲まれているモンゴル人の子供も見受けられます。
ほんとに、貧富の差が大きく大きくなってきているようです。

マザーテラレサの教えの元に活動をしているこの修道院のほかに、UBにはいくつかの教会があり、その教会はそれぞれの活動を行っています。

この、修道院は民家を買って修理しながら、隣の家とつなげながら使っているので迷路のようです。
雨漏りがするので、その天井は、乾燥しているモンゴルではじめてカビを見ました。

去年塗ったばかりの、壁のペンキがぽろぽろとはがれたり、ペンキ職人にお金を渡して、ペンキ塗りの依頼をしたら、飲んだくれて、お金を使い果たしてしまって、恥ずかしくて二度とここに来られなくなった話も聞きました。

モンゴルは寒いから、冬は呑まずには、居られないせいもあって、お酒で身を持ち崩す人が多いのです。
自分自身も、飲みつぶれて凍傷になり、手や足の先を失う人、子供を犠牲にしてしまう人が後を立たないのです。

こちらに来て間もない彼女は、楽しげに話をしてくれましたが、本当は、これから何を手始めにしたら良いのかと、もしかしたら、途方にくれているのではないかと思いました。

どなたか、手助けをしてくださる方がいらっしゃったら、お願いしますともおっしゃっていました。

11月には帰国してしまう私たちには、何がしてあげられるのだろうと思います。

彼女は、手助け、物助け、心助け、お金助け、どれも大事です。
と、おっしゃっていました。
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植樹祭その2と修道院その1

2004年05月10日 | チンゲル亭過去日記

用事を終えて、もう一度会場の前を通ったら、作業員さんが軍の給水車から水をたっぷり上げていました。
ほっとしました。今の時期は、風が強くさらさらとした土に植えられた若木はたっぷり水を上げないと、すぐに枯れてしまいそうなのです。
この、空港からUBにむかうヤルマグの道路わきの公園は、トーラ川のそばにあるので、運ぶのは大変ですが、水は何とか確保できそうです。

ある程度育って根を張るまで、どうぞ、水を忘れないでくださいね。

植樹祭の後で、ご一緒した日本人に連れられて、その会場近くにあるマザーテレサの修道院に行ってきました。

日本人の修道女がいらっしゃって、その方にこの修道院の話を伺いました。
ここには、小学生が学校前に来て、食事をして、ここにおいてあるかばんを持って学校に行き、学校が終わったら、またここに来て宿題をして食事をして帰っていくそうです。

一つの部屋には、天井まで棚があって、かばんや上着が入っていました。それぞれの棚の一区切りには、名前が書いてありました。
反対側の壁には、制服がバーにかかっています。制服は強制ではないので、人数分はないそうです。

ここに、バスを3回も乗り継いでくる子もいます。
12歳までは、バスは無料だそうです。14歳までは100トグルクが必要なのですが、体の小さい子や、優しい運手さんにであったときはただで乗ってくるそうです。
運悪く、見つかっておろされてしまうと、また次のバスを待って、根気良くやさしい運手主さんに出会うまで、乗ってはおろされ、乗ってはおろされしながらも通ってくる子もいるそうです。

ここで活動を始めて、8年になるそうですが、一番年かさの子供が仕事を探す年齢になってきているので、いろいろと手助けをしてやりたいことがどんどん増えてきて、頭を悩ませることも増えてきているのです。

中の一人は、修道女になりたいという希望があるのですが、その勉強をするには、ローマ、韓国、フィリピンのいずれかの国に行って学ぶ必要があり、そのためには英語を習得することが先決だそうです。

この、修道院には、いろいろな国からの修道女が集まっていて、その共通語は英語です。
派遣されるのは、自分の意思ではなく教会からの指示によるのです。
彼女らは、母国語と英語と派遣国の言葉を覚える必要があります。
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植樹祭

2004年05月10日 | チンゲル亭過去日記

今年は、モンゴル国と日本の文化友好が始まって、40年になるそうです。
そして、ウランバートル市の365周年に当たる年です。

親善協会長の柳沢さんを中心とする日本人ボランティアが20名参加して、植樹祭が行われ、UBに在住の日本人は一人でも多くと参加を呼びかけられて、参列してきました。

大統領もいらっしゃるということで、どんなことになるのやら。
一応私は、パンツスーツで出かけたのですが、ご一緒した日本人の奥さんはセーターにジーンズ姿。
会場に到着して、回りを見回したら、背広姿、コート姿、Gジャン姿、皮のジャンパーの人、いろいろさまざま。

鉄のフェンスの中に、穴が掘ってあり、2種類(スピーチの中で200本といっていました)の木が用意されていました。

適当に、横断幕の前に集まっていると、やがて、黒塗りの車から大統領が降り立って、日本大使、親善協会長、大統領、UB市民議会代表の祝辞、謝辞がありました。

テレビや新聞の記者がメモを取ったり、写真を撮ったり、携帯の電話も平気、係りの人たちもデジカメを持って写真を撮る、そうそうたる面々のスピーチを通訳した女性が、くちゃくちゃとガムをかむ。

日本人(わたしたち)が、ぱちぱちと写真を撮る。
その辺の、小さな町の植樹祭のような雰囲気です。
日本から持ってきたテープのカットをして、植樹を1本したら、あっという間に式典は終わり、大統領は車の人になりました。
ちょっと違ったのは、耳にイアホンをして、サングラス黒服のいかにもSPらしい人が何人かいたことでした。

招待状の、日本語訳に書いてあったおそらく後援をしたグループと思われる名前を書き写してみます。

日本国モンゴル国親善協会
ウランバートル市民議員会幹部
ウランバートル市役所官房局
ウランバートル市長業務
モンゴル日本協力応援「TUNSHIIN HOLBOO」協会
モンゴル国ー日本国親善協会
モンゴル国平和友好団体連名
モンゴル国を植林する日本国の組織組合

日本から来た、ボランティアさんはまったくの手弁当でこられたという話でした。
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