風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

おみやげ

2006年12月21日 | UBから
モンゴルのお土産には、頭を悩ませます。
何度か、行き来する人にとっては、数少ないものから選ぶのは頭が痛い!

今日、ノミンデパートで発見したもの。
それは、新しいお土産です。

ピンバッチのなかなか買う気をそそるものがありました。
色も抑え気味で、モンゴルらしい模様がたくさん!
ゲル、たて文字、馬、ラクダ、ツァムのお面、モンゴル地図をうまくあしらったものなど、大きさは2種類。写真のものは、直径6センチ、小さいほうは3センチくらい。
明日日本へ発つ友人は、小さいほうのバッチをたくさん買い込みました。(^^♪

私も、ついつられて、馬と車輪の付いたゲルを買いました。
すぐにでも使えそうです。
わーい、どこにつけようかなぁ。

それから、デパートで景品を出しているのを始めてみました。
先日、辞書などを買ったとき、1万トグルク以上買ったので、レシートにはんこを押してくれました。
モンゴルの友人と一緒だったので、レシートを見せると1階で景品をくれると説明があったそうです。

今日、その景品のデミタス カップ&ソーサーを受け取りました。
その他の景品は、モンゴルのお菓子、ワイン、くるくるドライヤーなどでした。


巨大ツリーがあちこちに出現したり、大々的に景品を出したり、UBって、儲かってるのかなぁ。
どこからどこへ行くお金が、流通しているんだろう?


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おばさんサンタ喜ぶ

2006年12月20日 | チンゲル亭裏日記

ビーズ手撃フクリスマスツリーを作りました。
去年、帰国したときに友達に勧められて、キットを持ってきたのです。

ここ数年細かい作業を避けて過ごしていたので、そのまま日本へ持ち帰ることを懸念していたのですが、気が付いたら、キットを取り出して作っていました。
ほんの小さなツリーを作るのに、丸一日かかりました。
その、困難さが、逆にどこかのスイッチを入れてくれたようでした。
手持ちのビーズで3個出来上がったときに、そうだ、あの人にプレゼントしようと思いつきました。

このところ、心のケアについていろいろと心配を頂き、話を聞いてくださった事務所の方です。
彼女に気持ちよく頂いてもらうには、事務所の女性全員に作らねばと思い立ったら、どこかのスイッチのLOWがHIGHに切り替わりました。

ビーズの調達⇒三地区⇒タクシー⇒夫を待てない⇒一人で頑張るしかない!!!
気が付いたら、あれだけ浮ュて一人で乗れなくなっていたタクシーに乗っていました。
去年見つけていたビーズアクセサリーの店に行ったら、ない!
仕方ない、軒並み探して回るしかない。無いなぁ、無いなぁ。。。。。

なぜ見つかったのか分からない位小さな小さなスペースにあった!
モンゴルには、神様が居るなぁ!

はぁー、望みの色も形もサイズもことごとく無い。
デモ、つくりたい!
クリスマスカラーと星の黄色、きらきら光るもの、そのほかにすぐには必要ではなくても、きれいだと思った色のビーズを買いました。

頭フル回転、試行錯誤。
できた!とりあえず、7個。
日・蒙すべての女性スタッフの人数を聞いたら、15人!
ひぇー、あと5個足りない、とりあえず、作ろう、足りない部品はまた後で調達。
セットされてものを作り方通りに3個作ったので、アレンジはとても楽しんで、出来ました。
作った、作った。出来た、出来た。(^^♪

はじめ、一日がかりだったのが、どんどん早くなり、後始末すべて入れて1個40分位で出来るようになった。
ものすごい達成感あり。背中も腰も満足じゃ!と申しております。

早速、空き箱にクリスマスカラーのハンカチを引いて、リボンを鰍ッておしゃれなトレーに仕立てて、配達。
ちょっと気の早いサンタ。

ツリーだから、早めに渡さないとねぇと行ったら、モンゴルは、お正月すぎまで飾りますとのこと。
季節限定のプレゼントの寿命が延びた。
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クリスマス

2006年12月20日 | UBから
   去年と違って、町には、大きなクリスマスツリーがあちこちに飾られています。
ノミンデパート、イフモンゴルレストラン、マルコメ[ロ、バヤンゴル、銀行、などなど。。。

彩の無くなる冬は、UBの人たちの目を楽しませているようです。
まだ、クリスマスよりは新年を祝うシンジリーンのほうがにぎやかで一般的のようです。デパートには人の買う気をそそるようなディスプレイがされたり、華やかになっています。

我が家の、ツリーは折り紙ですが、二つ目のツリーはクリスタルのビーズ手撃ナす。
その次は、モンゴルで買ったビーズのツリー、これらはプレゼント用に作りましたので、いずれはもらわれていきます。
それで、記念の一枚。


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大収穫その2 そのご

2006年12月19日 | UBから
11月26日にあおーい実の大収穫その2をお知らせしました。
その大収穫その2が、やっと熟れて赤くなりました。
完熟まであと一息!

       がんばれ!プチトマさん!



8月の日本の田舎、30度超のじりじりと照りつける太陽の下に熟れていた赤いプチトマトと、室温20度の鉢植えプチトマトと。

鼓太郎とザザを思う。。。

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四十九日

2006年12月18日 | UBから
川崎さんがなくなられて、四十九日がたちました。
ずいぶんと時間が発ったように思います。
事件のことは一日も早く忘れたいのですが、川崎さんのことは忘れません。

身軽な魂となって、さまざまな人のところにお別れにいかれたことと思います。
今、一番心残りの方のそばに寄り添っていらっしゃるのではないかと思います。

生前、控えめで面東ゥのよい方で皆さんに慕われていましたから、あちらでも得意の料理でお客人をもてなされるのでしょう。
モンゴルは、見通しがよいですから、そちらからよく見えますね。
心残りは、きっと昇華なさったでことと思います。

私たちは、本来の自分を取り戻す日も近いと思います。
見守っていてください。
ひとまずさようなら。


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ウヤンガさん

2006年12月17日 | UBから
1989年 作曲家ノジャンツンノロヴと馬頭琴奏者のバトチョロンが、女性の馬頭琴奏者を育てようと、3人の女性に白羽の矢を当てました。
そのうちの二人が、ジャンツンロヴの娘のオーガントヤとウヤンガでした。
ウヤンガの選ばれた理由は音楽一家に育ったことと、おてんばウヤンガといわれるくらい元気だったからだそうです。

1990年 音楽舞踏学校入学
1992年 国立馬頭琴交響楽団が民主化などで混乱している時期に創設
1993年 ウヤンガさんが入団

『彼女は、すばらしい楽器に出会って、ラッキーな人生です。
人生のすべてを表現できることは、幸せです。
モンゴル民族とともに歩んできたこの楽器は、今でも女性の奏者が少ないのです。
馬頭琴は、弦を押さえるのにとても力が要るので、男性には平気なことでも、女性には辛いことのようです。
そして、馬頭琴そのものの演奏法も、練習によるしかなく忍耐力が必要なのです。

馬頭琴を知ったことにより正しい道に進むことが出来、人生の豊かさを知ることが出来たと思います。』と言っていました。

2006年 女性として始めてのソロコンサート
    CD DVD発売
    
CD DVDについて、すべて生演奏 自分の選曲 魅力をすべて引き出している、1曲目の「モンゴルの調べ」は、1982年に場とチョロンが1回だけ演奏したことがあるだけで、
楽譜の無いところから、初めたそうです。
そのほか、モンゴルの音楽のほかに、「アベ・マリア」「シンドラーのリスト」など、海外のクラシックも楽団と演奏しています。

ウヤンガさんに、とても魅力を感じたのですが、字面ではあらわせないものや、私の表現力ではとても現せないすばらしさがあって、書けば書くほど遠くなってきました。

一度、彼女の演奏を聴き、お話をする機会を持てるとよいなぁとおもいます。
日本公演のときは、楽団を率いる指揮者のバトチョロンのほかに、ウヤンガさんも注目されたし。



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市民講座

2006年12月16日 | UBから
第17回 モンゴル・日本センター市民講座  ☆馬頭琴とその魅力☆

国立馬頭琴交響楽団の馬頭琴奏者B・ウヤンガさんの講演を聴いてきました。
モンゴルではとても珍しい女性のプロ演奏家です。

今年の5月にソロの演奏会に行ったあの、ウヤンガさんです。
彼女の人となりと、知性と、馬頭琴の魅力、そして、忍耐を持って馬頭琴を引き続け、こよなく愛されていることが伝わってくる、とてもすばらしい講演会でした。

もっとも、興味深かったのは、馬頭琴の弦は365本の馬の尻尾からつかられていると言うことです。
馬頭琴は2本の弦が引かれていますが、右の弦は雄馬から108本、左の弦は雌馬から99本そして、365≠P08≠X9=158本が汲ノ使われています。

雄は陽、雌は陰、108は仏教の煩悩の数、99は重陽のめでたい数、365は1年の日数になります。
このような成り立ちの馬頭琴を引くことによって、災厄を遠ざけてくれると言います。
馬頭琴を弾く人だけではなく、それを聞く人にも幸運をもたらすと言われ体ます。
馬頭琴は、人生を教えてくれ、人生を凝縮するものでもあると言います。

オヤンガさんは馬頭琴と言うすばらしい楽器と出会って、人生のすべてを表現できることそして人生の豊かさを得ることが出来て幸せですとおっしゃいました。

馬頭琴をこよなく愛し、人柄も明るくチャーミングなオヤンガさんワールドがそこにありました。
自然体で居るたおやかなウヤンガさんから、忍耐と言う言葉が出るとは思わなかったのですが、馬頭琴を弾きこなすのは、並大抵ではない努力が必要だそうです。
弦を押さえるには、力が必要で男性には平気なことでも、女性にはちょっと辛いことのようですが、その演奏振りはちっとも、感じさせませんでした。

講座を開いてくださったモンゴル・日本センターと、オヤンガさんに感謝。




馬頭琴についてより写真を頂きました。


珍しく、発行されて間近のモンゴル通信を読んでこの情報を得ました。
事務所に配達されるモンゴル通信は、足しげく通わないので、いつも発行からかなり日にちがたってから記事を読むことが多いので、今回は間に合って、ラッキーでした。
センターからのメールを受けるように手続きをしなくては、とあわてました。

講演は、そのほか、ウヤンガさんの所属する国立馬頭琴交響楽団のこと、馬頭琴の歴史
演奏について2時間にわたって、中身の濃いお話でした。

馬頭琴が今の形になったのは、1965年のことです。
その、始まりは、800年以上も前にあった形跡があるそうです。1930年代以前には、馬乳酒を混ぜるひしゃくに馬の腿の最も薄くて柔らかい皮を張っていたそうです。
ですから、馬頭琴は、馬の頭の彫り物があるから馬頭琴と言うのではないそうです。


馬頭琴の成り立ちについての民話は、数多くあります。
日本でもなじみのお話は、「スーホの白い馬」です。
そのほかには、フフナムジルの羽の有る白い馬の話し、ウヤンガさんの好きな民話は、仏様が作った馬頭琴の話だそうです。
そこには、人間くさい、失敗をして鬼に教えを乞う仏様が出てきて、最後には美しい音の出る馬頭琴を作るのですが、その最後の秘訣は松脂だったのです。

間に、2度の短い演奏を織り込んで、穏やかなかわいい声で語ってくださいました。
通訳さんの鮮やかさも加わって、満足と言うしかない講演会でした。

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平均寿命

2006年12月16日 | モンゴル通信から
            =2006年12月10日No.33から=

モンゴルの平均寿命は、64.5歳 
   (国連「人間開発機構」による)

中国鉱山会社、採掘違反
   亜鉛の採掘権のみを持つ中国の会社が違法に原油の採掘を
始め800万米ドルの原油を中国へ輸出した。

(その記事の下に)
中国からガソリン輸入
   今までは、ロシアからのみ燃料を輸入していたが、
中国石油社と燃料救急条約締結した。
   その結果、1トン当たり100米ドル安価になった。
   ガソリン代の値下げにより、日用品の値上がり問題を解決する。

そのほかには、誰に賄賂を渡すかと言う副題のもとに、ワースト10のグラフが、
1位 教師(39.3) 2位 医師(37.6) 3位 公務員(34.3) 4位 警察官(22.7) 5位 税関吏 (9.6)

その理由は、1位 自分のサービスを得るため (69.5) 2位 手続き簡略化のため(25.8) 3位 相手に要求されたから (18.6)

日本企業がGOBI社 落札
   GOBI工場は日本技術経済援助によって1981年創立。
   モンゴル最大のカシミアの会社で、多額の納税をしてきた。
   Securities社・都市宗研インベストバンク株式会社協力コンソーシ
アムが落札

穀物収穫の増加
   前年比穀物収穫 160% ジャガイモ 130% 野菜 110%
   総需要のやさい40% ジャガイモ 100% 小麦粉32.6%の供給
   これは、「緑の改革」により補助金、小型トラクター至急によるため
   また、今夏は雨がよく降り、草がよく生えたことも関係している

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専門分野

2006年12月15日 | チンゲル亭裏日記

夫の専門分野は、語学のように目の前で成果を確かめられません。
2年単位で2期勤めた後でも、手ごたえを感じることが出来るのかは、未知数でした。

このところの、国内の動きとあいまって、地球物理教室の卒業生の給料が年々上がってきて外資系ではなくても高額をもらうようになっていること、教室から5人も採用されていることから、私には分からない将来への手ごたえを夫は感じているようです。

指導した人が、条件のよい会社に引き抜かれていったり、知らない間に、アメリカや日本へ留学したり、がっかりすることが重なっていた中で、今、とても期待できる人材が大学に残って成果を上げてきていること、それから、夫がずっと提案してきた、日本では当たり前の産学共同が実現したことが、夫の表情を明るくしているようです。

教師たちの給料が、生活を支えることが出来ず、資産家の道楽か、あるいは賄賂を得るための手段になっている現状で、産学共同によって正しく高額の収入が得られること、学生の就職先をまったく考えないモンゴルの大学の教授連の刺激になること、学生がその将来性について考えたとき、地質の中でも地味な地球物理が脚光を浴びるようになること、そして、その子たちが、夫の指導による教師陣から知識欲を満たされ、将来のモンゴルを担ってくれるようになること。

夫の、目線は、来年には無く、遠いモンゴルの繁栄を今目の前にいる学生たちが一翼を担うようになることにしかないようです。

夫は、3月に終わる活動のレメ[トに次の指導者を要請しないそうです。
なぜなら、せっかく自立をし始めたところに人を送り込むと、彼らはすぐに手を抜いてその人を頼って本当の自立につながらないからと。

次の人が来れば、夫の築いた基礎の重要さが、わかるのに。
このままだと、夫のしたことが、彼らの中に埋もれてしまう。

誇り高いモンゴル人は、「おかげさま」感覚が無いんだから。
自分が頑張ったから、自分だけが偉いと思うはず。

夫の頑張りは、遠い先にしか実を結ばない。生きている間に出来るのだろうか。
それも、誰にも気づかれないまま。

これが、壮大な夫の夢なのね。
感謝だのおかげ様などを、望んではいないのですね。

せめて、私が夫に勲章を贈呈することにしましょう。
私は、毎週子供の笑顔をもらってる。その瞬間で消えてしまうけど。
それが夫と私の手応えのサイズ。
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絵本 とってください

2006年12月14日 | SAVE THE CHILDREN
子供たちがますますかわいくなってくる。
3月の別れを思うから余計なのかなぁ。
それとも、この子たちとの相性がよいのかなぁ。
ほんの少し慣れてゆとりが出来たからかなぁ。
去年と違うのは、はっきりと「いけません」と言えることです。
それでも子供たちは、退かないで理解してついてくることです。
こんなうれしいことを知ってしまったら、病み付きになるかもしれません。

この感覚は、何なのか、よく分からない。
快感、充足感、達成感、どれとも違ってどれもある。
こんな気持ちはどう表したらよいのかなぁ。
子育てのときの、あの幸せ感に似ているかもしれない。

今日は、トゥールさんは急用でお休みでした。
それでも、ニコはやってきます。ベビーシッターじゃないかと思う気持ちも有り、いいじゃないのと言う気持ちもあり、、、

ほかの場所の施設長のドヤーさんが3週間ぶりに顔を見せていました。
「昨日、日本の身体障害者のアヤさんの映画を見ました。震える両手でペンをつかみ、一生懸命本を書きました。その本は20万部印刷されました。25歳でなくなったアヤさんの話は感動敵で涙を流しました。」と語ってくれました。
彼女は蒙英辞書、私は英和と和蒙辞書を片手の会話です。
それだけの会話をするのに、大汗をかいて、20分くらいかかったのではないでしょうか。
トゥールさんが居たら、身体障害者について彼女がどのように考えているかを聞けたのに、残念でした。
その様子を、運転手のバットスフさんは、とても興味深げに観察していました。
きっと、運転手仲間に面白おかしく語ることでしょう。

今日の、「とってください」バージョンの会話は、「それは何ですか。」「それはおいしいですか。」が加わりました。
そして、りんごが「あかいりんご」
オリジナルは、「猿さんりんごを取ってください。」「ありがとう」だけです。


今は、かめ  猿さん、こんにちは
   さる  かめさん、こんにちは
   かめ  あれはなんですか
   さる  これは、あかいりんごです
   かめ  それは、おいしいですか
   さる  はい、おいしいです
   かめ  さるさん、りんごをとってください
   さる  はい、どうぞ
   かめ  ありがとう
   さる  どういたしまして
   かめ さる  さようなら

と、会話が増えました。
今日は、出席者6人でしたから、それぞれが亀さん役と猿さん役になって、一回ずつ練習しました。
この本を、娘が選んでくれたおかげでです。
どこまでも、膨らませることの出来るこの絵本は、これ1冊だけで、最後の日まで、続けることが出来ます。

「とってください」 福知伸夫 作 福音館書店 (本体価格 571円!)

とってくださいをやりますよと言うと、子供たちの表情が、変わるのがはっきり分かります。
猿さんをする人というと、はい!と手が上がります。
その言葉全体を理解しているわけではなく、「さる」の言葉で、何をするか分かるからです。

ですから、今日は、トゥールさんが居なくても、スムーズに進行しました。(^^♪
                


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