goo blog サービス終了のお知らせ 

風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

かがくのとも

2006年12月07日 | SAVE THE CHILDREN
  
今日の、作業は、かがくのともに載っている教材を作りました。
子供たちは、楽しくて楽しくてたまりませんでした。勝手に、おやすみなさいゲームと名づけました。
寄せ集めの子供たちが、なんとなく遠慮がちだったお互いの垣根が取れて、仲良くなった日でした。

その、立役者がトプシントルと言う男生徒です。
彼は、私の知っているAさんとも知り合いのようでした。彼女は、モンゴル語が上手ですから、もっと良いコミュニケーションをとっていることでしょう。
どんな話をしているのでしょうか。そして、彼はこのゲームのことをすでに知っていたそうです。

あっという間に作り上げ、また一つは、自分のノートを破いて、サイズを同じにしてそれぞれのところにしるしをつけて、もっと面白く、もっと丁寧な絵を書き込んでいました。
その絵は、この教室の子供たちの中から4人を選んで、良く似た顔を書き、名前も書き込んでいました。


 

身近に有るもので、さりげなく出来るもので、こんなに子供の気持ちをひきつけるものを創作する人がどんな人なのか、お目にかかりたい。
かがくのともさん福音館さんほんとにありがとうございます。
今日の教材は、「2001年 かがくのとも 12月号 ふしぎ?おもしろ てじなっこ」を使わせていただきました。





コメント

写真クラブ

2006年12月07日 | SAVE THE CHILDREN










SAVE THE CHILDREN 第2センターの写真クラブを終了して、テレビ ラジオ大学で写真科の学生であるダワー・ニャムさん 18才の写真集が出ました。
B6の小さな写真集ですが、とても、迫ってくるものがありました。
白黒の写真でも、これだけ見せることが出来るのかと、感動。




コメント

ゲルゲーのためにゲルゲーを

2006年12月07日 | UBから


三回目の冬を活躍中、愛用の湯たんぽに穴が。。。
もう先の見えてきた今、日本にもって帰らないものは買わないつもりでいるので、さてどうしよう。
ペットボトルで代用しよう、と思っていたら、今日は、昼過ぎから白いものが落ちてきて、どんどん積もり、世の中真っ白になってしまいました。

いつもより遅い帰宅の夫が、鼻先を真っ赤にして帰ってきました。
手には、スーパーの袋。
中から、湯たんぽが出てきました。

ゲルゲーとは、モンゴル語で奥さんと言う意味です。
壊れた緑色の方は、確かトルコ製で8,000トグルクしたと思います。
そのトルコ製品の高級食器、雑貨品を扱うお店は、とっくの昔になくなりました。
そして、今度のは、中国製「熱水袋」と書いてありました。3,500トグルク。

スーパーで、湯たんぽを探すのに、始めは「ハドン(熱い)サワグ(うつわ)」と言って尋ねたら、魔法瓶のところに連れて行かれたそうです。(笑)

そして、そのあたりで、湯たんぽを見つけました。色が違うのに、良く見つけられたねぇ!と感心。
聞くと、ゲルゲーと呼ぶそうです。

それで、「ゲルゲーのためにゲルゲーをかってきたよ」となるわけで、、、、、

ほんとに、奥さんと言う意味のゲルゲーなのと聞いたら、そうだとの答え。
一応信じておきましょう。それにしても、おもしろうておかしい命名だこと。

時は、雪が降り続いている暗くなってきた5時過ぎのこと。
スーパーの袋の中にまで、雪が入っていました。
ありがとう。早速、使いましょう。
昨夜、熱湯を入れて変形した  
ペットボトルは、一晩で、お払い箱になりました。
お疲れさん。  


コメント

ありがたきかなメール来る

2006年12月06日 | チンゲル亭裏日記

「私たちは
安全の中にいると思って下さいね。
ネガティブな感情が起きたら宇宙に捨ててしまえばいいですよ」

「私たちにはよきことが雪崩のように起きています。
「合いことば」です。」 お試しあれ!!

同時に二つ届きました。

呪文のように唱えると、なんだか、気持ちが晴れてきます。
ネガティブな感情は、うん、あれだな、よし、丸めてメ[ーーイ。
宇宙まで届いただろうね。
落ちてきたら、また、宇宙へ行け!と言って投げたらいい。

共感して、同情の気持ちを持って、心に添うてくれる人もありがたい。
さばさばと、まるで反対するみたいに、語ってくれた人もありがたい。
変に、おばさんぶって、訳知り顔をしないでいられることは、相手も作らないで真っ直ぐでいてくれるらしい。

楽しいことを楽しいと言って笑って過ごしていたけれど、ひょっと見過ごすところだった。胸がカラカラと音を立てていたのを。
今日、やっとそこに湿り気が戻ってきて、まともになってきたのかなぁ。

鼓太郎を抱きしめてやりたいなぁと思ったら、堰が切れた。
コメント

件pの神様は80さい

2006年12月06日 | モンゴル通信から
          モンゴル件pの神さま=ロブサンシャラブ=
  
11月23日作曲家のロブサンシャラブさんが80歳を迎えました。

「マーモー ナーシイル」(おいでよ あかちゃん)と言う歌は、彼が作曲してちょうど50歳になりました。
1956年、彼は、モスクワに留学しており、ラハマスレンがこの詩を持ってきたそうです。
ある日、彼の娘のハロオンスレンさんが6歳のとき、外で「マーモー ナーシイル、マナイド ホヨラートグロイ(おいでよ 赤ちゃん、一緒に家であそぼうよ)」と歌っていたのを聞いて、作曲したそうです。

この歌は話し始めた子供が必ず学び、しかもみんなが大好きな歌である。

同じ日、こども宮殿でこの歌之誕生50周年のコンサートが開かれたそうです。
最後にロブサンシャラブ氏は「この大歓迎が私を10歳若くした。私はまたこのような作品を作る。」と約束したそうです。

           ーモンゴル通信 2006年11月30日(第93号)ー


楽譜は、以下より参照させていただきました。

草原歌集~はじめてのモンゴル民謡ー  著者   横田 和子
                       楽譜監修 河井 英里
                       協力   のどうたの会



横田 和子プロフィール

 1973年生まれ 千葉県出身 早稲田大学大学院文学研究科修士課程終了(教育学)。
1995年から、2年間モンゴル国立大学留学(モンゴル国教育奨学生》。
2000年から、1年間、財団法人国際交流基金アジアセンターのプログラムによりモンゴルに研究滞在。
現地で、馬頭琴の双方を学ぶ。モンゴルの歌と言葉に関心を持つ。


  あかちゃん こっちおいで

赤ちゃん、こっちおいで    マーモー ナーシ イル
うちでふたりで 遊ぼ     マナイド ホヨウー トグリー
パパとママがくれた      アーブ エージ ホイリン
おもちゃがあるよ       アブチルサン トグロム ビーシュー
おうまにのってかけよう    モリ オナジ ダブヒヤ
車をうんてんしよう      マシン バリジ ヤウヤ
本や新聞を読もう       ノム ソニン オンシャ
草や木を植えよう       ノゴー モッド タリヤ

(モンゴル語は、日本語と同じことばの並びなので、一つ一つ言葉を照らし合わせて読むことが出来ます。)
コメント

12月のGOODS

2006年12月03日 | UBから
   メルクーリにて



     買物帰り

水を撒くとあっという間に氷が張ります。柵の中は即席のスケートリンクの作業中。

イフモンゴル レストランの前には、大きなツリーが、国立デパートの前にも立っていましたから、UBで2本目です。

     我が家では
冬の夜長を読書です。
手元を広く照らすために、スタンドカバーを即席手作りしました。
なかなかの出来と、一人悦に。。。


     ボルガンから
     

ボルガン《手元の地図では、UBから北西へ直線距離300キロ》のそのまた、先の村で村落開発の草の根活動をしている青年が持って来ました。
村の人に講習会を開き、村人が作ったフェルトの品々です。
座布団は、1枚1万トグルク 2枚で1万8千トグルク 丸い小さいのは、2千トグルクです。
一針一針しっかり縫ってあり、手堅い仕上げになっています。
何ともいえない、淡いブルーに染色されたその色が、お気に入りでした。

このほか、コースター、熱い飲み物の保温用コップカバー、小物入れ、ャVェット、手袋、魚や動物の小物飾り、ゲルの形の置物、銀製のピアスなどを持ってきていました。
なるべくたくさん売りたいと頑張っていました。
アンケートには、価格、デザインの良し悪しを尋ね、こんなものが欲しいなどと次へのステップに意欲満々な様子が見えました。

頑張れ Fさん!  フレーフレ!!!


コメント (3)

なぐさめ

2006年12月03日 | 出会った人
このところの慰めは、猫のブログ。

はっちゃん日記
もりわじん絵日記

まず、パソコンを開けるとそのブログの更新を確認し、メールを開き、自分のブログと日記の更新ページをとりあえず開いて回線を切る。
気持ちが落ち着いたら、再度回線をつないで、最近尋ねているところを訪問して、様子を見せてもらって、書き込みはせずに回線を切る。
メールの返事を書き、再度繋いで送信し、回線を切る。

猫のはっちゃんともりわじんさん、ブログのおかげで一方的に出会った猫と人。
はっちゃんは猫ではあるけれど、持ち主の暖かい視線が心地よい、美系の猫だから、一つ間違えると、こんなに毎日会いに行きたいサイトにはならなかったことでしょう。

とは言え、平面はっチャンは、生鼓太郎にはかないません。この夏、帰国して生鼓太郎のそばにいるときは、今感じているかわいさは、鼓太郎に集中していました。(^^♪
もりわじんさんは、なにやらおっしゃることが、時々胸にしみるお方で、その絵とともに、今日は何を書いてくださっているやらと、お目にかかりに行っています。
鼓太郎と言えば、大事なサイトを忘れていました。
鼓太郎を見つけたところです。

 あげ猫・たずね猫【里親募集中】 です。

次の猫を欲しいわけではないのですが、時々思い出しては、覗いています。
ここの宮川由美子さんのところからやってきたのが、一時ゴンザレス(!)と名づけられていた今は、鼓太郎です。    
コメント

2年間ご苦労様でした

2006年12月02日 | チンゲル亭裏日記

12月で、任期を終えて帰国される青年の送別会がありました。
いつもと違うのは、昼間1時から開かれたことです。

そして、いつもより静かな集まりでした。
おかげで、彼らの担当する事務所員からの送る言葉が、はっきり聞けたことです。
それぞれの活動の様子のエピソードを語られるのが恒例ですが、いつもは、それぞれのテーブルで盛り上がっているものですから、かき消される言葉の方が多くてせっかくの送る言葉が聴けなかったのです。
私たち、年を重ねた者にとっては、穏やかな送別会であったかと思います。
若い人たちにとっては、いまひとつ盛り上がらない会と思ったことでしょう。

テーブルで隣りの青年との話も盛り上がり、そして、いつも話題に出るのが、娘が彼らの先輩であったと言うこと、そのおかげで話の糸口を探さなくて済んでいます。

若者の、はじけた送る出し物と、シニアの唄上手の唄とで、会は一応の盛り上がりを見せました。
そして、相変わらず、「緑のものをたべなくっちゃ」と言う青年の言葉。
これから冬に鰍ッて、野菜が不足する青年の切実な生活状況です。

国境近い町に派遣されている青年は、電気をロシアから買っているという町から来ていました。
モンゴルが、お金を払わないときは、停電になるんですと言っていました。
お湯が出ないときは、鍋で湯を沸かして、体を拭くのだそうです。
そして、洗濯物をためてしまったら、手が凍え、絞るのが大変なのだそうです。
田舎のほうですから、洗濯機は無いようでした。
洗濯物を溜めがちな男性隊員が悲鳴をあげていました。

そんな苦労話を、お酒と緑色の野菜とで、吹き飛ばしてしまう彼らはバイタリティーにあふれています。

けれど、事件の陰は、色濃く残っていました。
具体的には書けませんが、しみじみこの日を無事迎えられたことを感謝しつつ、閉会されました。
二次会に向かう彼らは、いつものはじけたにぎやかさが無くて、悪酔いをしないようにと、心で祈りました。

今、ちょうど10時。門限と定められた時間に、それぞれ、家に、あるいは宿泊場所に着いているでしょうか。
コメント

2年間ごくろうさまでした

2006年12月02日 | チンゲル亭裏日記

12月で、任期を終えて帰国される青年の送別会がありました。
いつもと違うのは、昼間1時から開かれたことです。

そして、いつもより静かな集まりでした。
おかげで、彼らの担当する事務所員からの送る言葉が、はっきり聞けたことです。
それぞれの活動の様子のエピソードを語られるのが恒例ですが、いつもは、それぞれのテーブルで盛り上がっているものですから、かき消される言葉の方が多くてせっかくの送る言葉が聴けなかったのです。
私たち、年を重ねた者にとっては、穏やかな送別会であったかと思います。
若い人たちにとっては、いまひとつ盛り上がらない会と思ったことでしょう。

テーブルで隣りの青年との話も盛り上がり、そして、いつも話題に出るのが、娘が彼らの先輩であったと言うこと、そのおかげで話の糸口を探さなくて済んでいます。

若者の、はじけた送る出し物と、シニアの唄上手の唄とで、会は一応の盛り上がりを見せました。
そして、相変わらず、「緑のものをたべなくっちゃ」と言う青年の言葉。
これから冬に鰍ッて、野菜が不足する青年の切実な生活状況です。

国境近い町に派遣されている青年は、電気をロシアから買っているという町から来ていました。
モンゴルが、お金を払わないときは、停電になるんですと言っていました。
お湯が出ないときは、鍋で湯を沸かして、体を拭くのだそうです。
そして、洗濯物をためてしまったら、手が凍え、絞るのが大変なのだそうです。
田舎のほうですから、洗濯機は無いようでした。
洗濯物を溜めがちな男性隊員が悲鳴をあげていました。

そんな苦労話を、お酒と緑色の野菜とで、吹き飛ばしてしまう彼らはバイタリティーにあふれています。

けれど、事件の陰は、色濃く残っていました。
具体的には書けませんが、しみじみこの日を無事迎えられたことを感謝しつつ、閉会されました。
二次会に向かう彼らは、いつものはじけたにぎやかさが無くて、悪酔いをしないようにと、心で祈りました。

今、ちょうど10時。門限と定められた時間に、それぞれ、家に、あるいは宿泊場所に着いているでしょうか。
コメント

安全チェック

2006年12月02日 | チンゲル亭裏日記

安全担当の専門家が、事務所の職員3人を伴って、アパートにこられました。
外壁からの侵入に対する安全状態、ベランダの侵入状況、雨どい、門番、建物の入り口の施錠状態、部屋のドア、ドアの鍵、窓、寝室の鍵について、写真を撮りながら、ユーモアを交えて、たまに誘導尋問めいた質問を入れながら、大家さんの様子、それから、私の心理状態などを尋ねられました。

私たちは、その人の手の内であれこれと情報を探られたわけですが、こんな人に犯人だと思われたら、あっという間にすべての情報を持っていかれてしまうと思いました。
その分、100%安全と言うのはどこにもありません、ここは90%ですと言われたことで、逆に大変に安心したものです。
これで、ハード面は、合格。

ソフト面ではモンゴル大先輩の中村氏のモンゴルの安全に関してのレメ[トにもあるように、君子危うきに近寄らず、そして、隙を見せないと言うことでしょう。

午後からの安全会議ではモンゴルの法律は、犯人に関する情報は、裁判が結審されてからではないと公開してはならないと言うことになっています。
それは、大体1年くらいかかるそうです。

犯罪が起こったことの事実のみも知らされないわけで、私たちの、いらいらは募るばかりです。
報道に対するモンゴルの考え方も違っているため、真実は1年のあとに知らされるはずですが、それでは、あまりに遠すぎて、うわさが先歩きしてしまいます。
大使館も、モンゴルの法律が相手では、いたし方の無い状況のようでした。

モンゴルで、草の根活動をする若者たち、そのほかの外国人の安全と安心を確保してくださるように、モンゴル警察、モンゴル政府に心からお願いしたい。
コメント