風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

合格!

2007年02月20日 | チンゲル亭裏日記

長女の、新しい仕事先の合格発表がありました。
4月からの配属先は、まだ分かりませんが、家から通えるところらしいので、一安心です。

私たちが帰国したとたん、娘が、本当の一人生活を始めてしまったら、ほんとにがっかりするのですが、まだ当分(かな?)、一緒に暮らせるなんて、うれしい結末です。

二度目にモンゴルに来た年に、次女が結婚して家を出て、鼓太郎との二人の生活が、思いのほか寂しく感じたのは、みんなが生活した記憶の有る家に一人取り残されたのだから余計に感じたことでしょう。
ほんとに留守番ありがとう。おかげで、何の心配もなく、モンゴルでの仕事、生活を全うすることが出来ました。
後、少し、よろしくお願いしますね。

日曜日は、マラソン完走の電話で私が、月曜日は合格発表の連絡をボランティアで不在だったので夫がそれぞれ受けて、娘の喜びの声を聞きました。
なんて幸せなことだろう!

いつも、特にモンゴルに来てから、娘たちから受ける幸せ報告で、元気を貰い、体が若返る気がしたのでした。
それは、帰国しても同じなのですが、ことのほかうれしく感じたモンゴル滞在期間でした。

持つべきものは友達であり、子供であり、なのでした。
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青少年活動

2007年02月19日 | UBから

青年たちの青少年活動のボランティアの一環で、孤児院訪問に参加させていただきました。

土曜日に打ち合わせをして、19日の月曜日はモンゴルの旧正月(ツァガーンサル)で休日ですから、訪問日に決めたのです。

この孤児院では、数年前から、ツァガーンサルの休日は外出禁止になって、子供たちは施設の中で、退屈しているそうです。

唄やギターの上手な方、幼稚園教師、など有志が10人ほど集まりました。
トゥールさんにも声をかけましたら、是非行きたいと参加してくれました。

施設には、日本人留学生の4人も子のボランティアとは別の活動で、参加されていました。

 トゥールさんも子供たちとよく遊んでいました。子供たちの部屋にも招かれていってうれしかったそうです。部屋が寒かったのが、気にかかったといっていました。


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6時間20分台

2007年02月18日 | 日本から
      第1回東京マラソン
           完走おめでとう!



インフルエンザにかかって、昨日は泣きの涙で、申し込みだけをしたというのに、
今日は、スタートだけでもと雨の中を出場し、10キロいける、30キロいける、これなら完走できると距離を伸ばして、めでたく完走したとのこと!


夕方のニュースを見て、「終わったねぇ、残念だったね」と言うつもりの電話の向こうから『お母さん、完走したよ!!!』と、とても元気な声。
冗談を言っているのかと思ったら。。。



なんてまぁ、健康なむすめだこと!
5時間台で走るつもりだったのに、このタイムは不本意だと、さらりと言ってました。
完走しただけでも、奇跡なのに。

連休に、一人暮らしのおばあちゃんに会いに行き、命日のお参りをして、親鸞の教えについて説教を頂いてきて。
その帰りの飛行機の中の乾燥した空気の中で、菌を貰ったと思えるタイミングでインフルエンザにかかり、仕事は20日まで出勤停止中なのですが。

お医者さんに、18日に走ってはいけません、残っている菌が暴れだしますといわれたそうです。
本人も観念して療養していました。
金曜日は、起きる元気が無くて、金・土曜日の二日間で申し込みをしてゼッケンを貰う予定でしたが、それも無理かなと言っていたのですが、、、

それでも何とか土曜日に受付に行ったそうです。
その時は、泣きの涙だったそうです。
それが、なんと完走したなんて、あきれると同時に、夫と手をたたいて喜びました。

ひいおじいちゃんとおじいちゃんが、娘をからかったのでしょうか。
そして、今日は、一緒に3人で走ったのでしょうか。
そう思うのは、娘が聴いたご住職のお説教は、『千の風』の考え方は、親鸞の教えそのものだということだったのです。

驚いたり、喜んだり、がっかりしたり、忙しい1週間でした。

ランナーに意識不明の方がいらっしゃるとニュースで聞き、まさかと一瞬思いました。出場してないのだから、そんなわけが無いと打ち消したのですが、あながち間違いではなかったのでした。

なんだか、狐につままれたような、まだ、本当と思えないような気持ちです。
電話の後、娘は、彼と焼肉を食べに行くと声が弾んでいました。
夫に代わろうとしたら、電車が着いたからと、いそいそと電話を切られてしまいました。。。。。

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すっきり解消

2007年02月18日 | チンゲル亭裏日記

ずーっと長い間、心にわだかまっていたことが、「お世話になり、ありがとうございました」の一言のメールでほぼ解消しました。

拍子抜けするくらいに、納得してしまった自分に、あきれました。
やっぱりその一言だけでよかったのだなぁ。。。
1週間早かったら、もっとうれしく、ありがとうを要求する心なんて書かなくて済んだのにと思ったことでした。
異国の厳しい環境の中で袖振り合った多少の縁は、それだけで、ありがたく大切なものとおもっていました。
ただ、このこだわりが、胸にちくちくといつまでも尾を引きそうでしたが、遅ればせでもこだわりを捨てることなって、ほんとうに良かった。

今日は、孤児院訪問の打ち合わせでした。
久しぶりの孤児院訪問ですが、多彩な人材が増えて、子供たちの喜ぶ様子が見えるようです。
今日は、若い人たちにおにぎりを持って行きました。
義母の作った7年物の種つき梅干を入れたおにぎりです。
海苔もたっぷりつけて、しかも、おこげごはんのおにぎりもあって超豪華版(笑)でした。

出し物の選定や、歌の練習、そして雑談に、久しぶりに若い人に会いました。Oさんの、夫の用事を済ませるついでにお見送りしていただいたので、土壇場になって、行きたくないにはならなくて、めでたくおにぎりも無駄にならなくて済みました。
目的が、子供のことだし、何度か慰問にご一緒した人たちなので、抵抗感が無かったのだと思います。

そのメールも、明るい気分にしてくれたものと思います。
私が人に会いたくなくなるなんて、思わぬ経験でした。
これで、脱出できたのかなぁ。。。

あさっては、孤児院で、楽しい時間を過ごして来たいと思います。
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関西吟詩文化協会

2007年02月16日 | UBから
NHKの大河ドラマは、ワールドプレミアムでも放送され、毎週楽しみに見ています。

その「風林火山」は、詩吟でも歌われます。
それ独立では歌われることは無くて、歌謡曲の武田武士の2番と3番の間の間奏で歌われます。

先週の乗馬でとてもいい気分だったので、武田武士になったつもりで、(笑)馬に揺られながら、これを吟じました。
ほんとにいい気分でした。
同行の方たちに褒められたのをいいことに、モンゴルに来たときにテレビで放映されていたいい記念にと、なんだか訳の分からないお誘いに、快く乗っていただいた、AさんとIさんが、詩吟の弟子になって下さることになりました。

その初回の練習が、今日でした。
久しぶりの、吟の教室に我知らずどきどきしていました。
私の所属する流派は、社団法人 関西吟詩文化協会で、東京にも支部があり、現在東京支部に席を置いています。
現在、7段、準師範を頂いています。
ここ10年余り、母の介護に続いて、UB滞在のため、練習会場に足を運ぶことが出来ず、昇段も、昇格も滞っています。

詩吟は、5言か7言(1行に漢字が五文字または7文字)ですが、この風林火山は、1行の文字が4文字しかありません。
5文字あるいは7文字用に組み立てられているメロディーの基本の形を4文字に当てはめて歌うのは、少々無理があるのですが、興味の有る詩からそして、カラオケでも歌える気楽なものの方がなじみ易いのではないかと思って、この詩から始めることにしました。

お二人とも、筋がよく、その気になって練習する気になってくれました。
来週も2回目のお稽古をすることになりました。

久しぶりに、練習をして、懐かしくうれしい気持ちでした。
次も、お願いしますと言っていただいて、一安心です。




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義理チョコ

2007年02月16日 | 日本から
ャeトチップチョコレート http://www.rakuten.co.jp/hokkaido-omiyage/457821/498415/
なる摩訶不思議なチョコレートを、しかも義理チョコでもらったと言う幸せなお方がいらっしゃると、さるサイトで知りました。

日本は、食べ物についても日々進化、贅沢、複雑になっているようです。
甘くてしょっぱい、ャeトでチョコレート、塩は伯方の塩・・・・・

帰国したら、私、それらのものに囲まれて、うろうろするんだろうか?
最初は、しらけそうだけど、いざその中に浸ってしまうと、はまりにはまってしまうかも。

食べ物にしろ、人付き合いにしろ、もろもろのことに、どう対処していけるか、ちょっと心配になってきた。
里心がついたのは、娘がインフルエンザにかかったから。
生まれてこの方、インフルエンザと縁が無く過ごしてきて、予防注射もしないできて、健康体のおかげで、マラソンにも挑戦しようと言う直前に。

菌は、きっと乾燥した飛行機の中で貰ったとしか考えられないなぁ。
行きの飛行機で貰って、田舎の母に移さなかったことがせめてもの幸い。
おばあちゃん思いの娘の、親孝行なのだろう。

はぁー、帰りたい。


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サローラさん

2007年02月15日 | SAVE THE CHILDREN
今日から、TISの日本語科3年生のサローラさんが、通訳に来ることになりました。
トゥールさんは、後期の授業が木曜日の午前中に入ったので、2時からの日本語の教室に専念することになりました。
昨日一日で、ガン先生がサローラさんを見つけてくださって、早速今日から通訳のお手伝いをしてくれます。

今日は、見学のお友達のKさんが来てくださったので、「取ってください」の会話をやりたい子供が増えて、今日は、何回も何回も繰り返しました。
手を上げる子供が多いので、せりふの無いりんご役、りんごの木役を増やしました。
りんごの木役の子供には、直立不動の姿勢をとらせ、りんご役の子供にはなるべく高くりんごの絵を描居たカードを持たせ、猿さんがすぐに手が届かないように持ってもらいました。

何度も着たことのある子供には、会話の数を増やし、まだ日数の浅い子供には、基本の会話を、初めての子供は、私と一緒に言葉を鸚鵡返しにしながらやりました。

折り紙は、インターネットで折り方を公開しているサイトで、Kさんにおさらいをしてもらいましたので、子供たちに手を添えて教えてもらうことが出来ました。

サローラさんも、自分の知らない言い回しが出てくると、すかさずKさんに質問していたそうです。
子供と同じように、サローラさんも楽しそうに、参加していました。
好調な滑り出して、来週もお手伝いしてくれるそうで、安心しました。

今日は、新しく参加した子供も居なくて、カメラも忘れてしまったので、写真のアップはありません。

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ありがとうを要求する心

2007年02月14日 | チンゲル亭裏日記


トゥールさんのSAVE THE CHILDRENへの付き添いはなくなりました。
それは先週からのことだったのですが、迂闊にも1回限りだと思ったのです。彼女は、毎週と言ったというのですが、今更水鰍ッ論です。

私の授業に付き合うのは、彼女にとって出る幕がほとんど無い為、居なくてもよい存在であると思ったようです。
その上、彼女は先週、施設の先生たちにトゥールさんが居なくても、私たちは十分会話を楽しんだとからかわれた事にもプライドが傷ついたようでした。
その一言の、通訳でどれだけ助かるか分からないこともあるのに。
それが、伝わらなかった。

お手伝いをしてくれている代わりに、彼女が始めた日本語の授業のための手助けを惜しみなくしていることも、卒論のために2冊の辞書を贈ったこともすっかり忘れていると言うより、なぜ贈られたか、いろいろしてあげているのかわかっていなかったようです。

出来るからする。してもらったことに始めは、ありがたく思っても、次の日になるともう、それが当たり前、さらにさらにと駄目もとで要求や欲望が増えていく。
それが、私にはあわよくばと映るのです。

わざわざ彼女のために出かけて行って本を借りてあげると言うことも、彼女にとって、できるからしてくれるのであって、出来なければ断られてもいい、それはそれで仕方が無い、一つの行動が次への何のつながりも無く、その場限りでおしまい。
実にさっぱりとしています。
あれで、これが、こうなってと複雑に物事を絡ませて考える私は、馬鹿みたい。
駄目なことは断ればよい、昨日はやってあげても今日は気分次第で断ったとしても何の恨みも無いと、あまりにさばさばしている考えに、唖然とするが、そこにこだわって、「してあげている」と言い張る私は、小さな人間なのだなぁ。

そうなれたら、ありがとうの一言だけがほしいとこだわっている私は居なくなって、とても楽になるだろう。
一回り大きい人間になれるだろうか。

小さいことにこだわらない夫も、別の件で今私の抱えている思いは共感してくれているから、やはりその出来事は特別なことと考えて良い事なのだろう。分かってくれている人が居るだけでよい。もう済んだこととして、さばさばと忘れてしまおう。

子供たちに「とってください」「ありがとう」を教えている私は、一体何?
空しくなってはいけない。がんばれすみこ!
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ビャンバジャルガル先生

2007年02月13日 | チンゲル亭裏日記

今日のオルティンドーの練習は、ことのほか気持ちよい出来でした。

先生からも、下で聞いている人たちが、すみこは最近モンゴル人の声になってきたと言っていると教えてくれました。

先生も上機嫌で、私も前回おなかに力が入らなかったのが、日曜日の乗馬で使った筋肉のおかげで、楽におなかに力が入るようでした。

先生の言うような声が出ると、ほんとに気持ちが良くて、快感。
聴いている人も同じような気持ちで居るらしいのです。

日本語は、喉から声を出すけれど、モンゴル語はハァーと言う息に乗せて出てくるもので、そのようにすると出だしの音が柔らかくそしてモンゴル語の発音になってくるのです。

今日は、エンヒメンディンバイルを久しぶりに歌いました。
やはり、ショロンカイがいまいちですが、前に練習したときとは、格段にそれらしくなってきました。

あの頃、どうして?と思うほど詩が出てこなくて、困ったのですが、今日は、滑らかに出てきて、いい調子。

シルシットは、目指していたところにずいぶん近づいた気がする。

思いのほか、早く、この日が来たと言う感じです。
今日、先払いのお金を支払って、サインを貰いました。
後、10回できるかなぁ。

先生には、十分眠ってないのではないかと言われました。
その通り、この3ヶ月と言うもの、寝つきが悪く熟睡したと言う感じがありません。

先生はなぜかと言うと、最初の音の取り方が悪く、探りながら音を出したり、音をはずしているのは、集中力に欠けているからだと思う。とおっしゃいました。

とてもそれは良く分かります。もともと、最初の正しい音を出すということになぜか、自信がなくて、ぽんと音が出せないのです。
ぽんと出せたらどんなにか気持ちの良いことか、もっと自信を持ちなさいと自分に言い聞かせて、10回に1回は出ているかなぁ。

それが治れば、言うことなし。先生も、ご自分の指導に納得されることでしょう。
何とか、3月終わりまでに、目標達成しよう。
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ホンゴルゾル

2007年02月13日 | UBから
 トメンエヘ所属の、オルティンドー歌手は、ビャンバジャルガルとホンゴルゾルです。

そのホンゴルゾルが、中国の演奏会から帰ってきたので、トメンエヘに挨拶に来ました。
そして、親しくしているビャンバジャルガルに会いに来ました。
1時間半の練習も終わりに差し鰍ゥるころで、へとへとになっていた私にとっては、助け舟でした。

こんなとき、練習をそっちのけで、二人の会話が始まるのです。
のりのりで練習しているときは、腹が立つのですが、今日は、有名なホンゴルゾルですから、私も上機嫌。

二人がとても仲が良くて、気持ちを通い合わせながらおしゃべりをしているのです。
そして、さりげなくホンゴルゾルがビャンバジャルガルの前髪に触っている様子は、さも可愛いといいたげに見えました。
どっちが年上なのkなぁ。

そして、ずうずうしくも、これからお近づきになるつもりの日本のオルティンドー歌手三枝綾子さんと親しいと聴いていたので、練習用のカセットにホンゴルゾルのメッセージを吹き込ませてもらいました。
そして、記念写真も。

帰国後、お目にかかるときの良い手土産になりました。
三枝さんあやこんさん、待っていてくださいね。間違って消してしまわないように、爪を折って置きますから。



さて、今日の練習は、観客(一人)も有って、ちょっと緊張でしたが、日曜日の乗馬のおかげで、腹と腰の筋肉への力の入れ具合が、容易に出来ました。

いつもより先生の笑顔がたくさん会った練習でした。

下で聞いている劇場の人たちも、モンゴル人のようになってきたといってくれているそうです。

モンゴルでは、生徒が上達しないのはひとえに先生の腕が悪いと言うことになっているようなので、ほんとに申し訳ないと思っていたところでした。
間もなく帰国をするというときに、ある程度の評価がもらえたことで、先生が一生懸命教えてくださったことへのせめてものことでした。

私も、SAVE THE CHILDRENの子供たちが、先生の日に感謝の気持ちを伝えてくれたように、私も先生に感謝と尊敬の念を帰るまでに伝えるにはどうしたらよいか考えるとしましょう。

夫曰く、SAVE THE CHILDRENの日も楽しそうにしているけれど、オルティンドーの練習の時がもっと心地よさそうに、していると。
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