風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ゲル訪問

2007年02月11日 | モンゴル風景








トレッキングの途中で立ち寄ったゲルは、おじいさんがとてもいい顔をなさっていて、いつまでもここに居たい居心地の良い家族でした。
猫を代々飼っていることも珍しいことでした。
ザザに良く似た猫は、人に媚びないで、家族然としてました。

写真を撮るといったら、息子さんがメダルを出してきて、馬の額に飾ってくれました。
ナーダムで、何度も賞を取った馬だそうです。
ツァガンサルにもいろんなところで、競馬があるようで、今その準備に調教しているところだそうです。
金属の触れ合う音は、日頃耳にしない音ですから、慣れ親しんだ牧民さんでも嫌がってなかなか頭に飾れません。
戸外で、待っている間、バッテリーがへばってしまうので、ゲルに入ってストーブで暖めなおして来ようか、それともまだ大丈夫かと、はらはらして待っていましたら、何とか間に合いました。

馬だけを撮らせようと牧民さんが離れるのです。
近づいてという言葉が分からなくて、困りました。
この家の牧民さんは、おじいさんから孫まで、控えめで、それで居て自信に満ちていて、なんだか嬉しくなりました。


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乗馬クラブ

2007年02月11日 | モンゴル風景


             犬ぞりが行く


凍ったトーラ川を犬ぞりの集団が駆け抜けていきました。
初めての、光景に私たちは目を見張り、馬はおびえました。
川の氷に黒く筋があるのは、馬が滑らないように、土が撒いてあるのです。
そりが去って、馬のおびえが収まったら、この黒い線を踏んで、対岸に渡りました。

このあたりは、同行のIさんが定点観測をするところです。
毎週のように、氷の高さや、雪の様子、が変わっていきます。
出来れば、写真をお借りして、掲載したいのですが。。。

左側二枚の写真は、馬を下りて休憩中に撮った亮取られたりした写真です。
あくまでも青い空に、憂さがスコーンと飛んでいくのでした。


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SAVE THE CHILDREN UK

2007年02月09日 | チンゲル亭裏日記

今日の出発は、いつも同乗のトゥールさんとニコが居ません。
トゥールさんは、授業があるので来られないが、ニコはくるということでした。
ドルジさんは、ニコは授業があると答えました。
お互い、単語での会話しか出来ないから、それ以上の満足のいく答えは望むべくも無いので、後は、黙って自分の思考に沈む。

そして、職員室では、今日、先生の感謝の会が3時からあると急に告げられました。
昨夜、あれほど、トゥールさんに確認すようにといっておいたのに、電話が来ないから、無いものと思って来たのに。

子供たちが先週から練習をしていたと聞いているので、ぜひ参加したくて、そのまま残って時間まで待つことにしました。

ドルジさんには、トゥールさんが来たら電話をしますといって、このまま帰ってもらうことにしました。

ニコが居ないと、隣りの子供といたずらを始めないし、今日は11人だったので、とてもやりやすい授業でした。
トプシントルは、お兄さんぶって、ちょっと私語が入ると、しずかに!と注意を喚起してくれます。

おかげで、「とってください」が、スムーズに出来ました。
まず、お兄さんお姉さんの経験者に好きにやってもらいました。
興味深深で、目を皿のようにして、耳を傾けています。
小さい子供たちや日の浅い子供には、会話を少なくして、そばで耳打ちしながら猿さんと亀さんの会話をしてもらいます。

そのうち、お兄さんから、りんごをスイカに変えましょうと提案。
私の、気持ちを読んだかのような、反応に驚く。

折り紙は、黄色の折り紙で、猪を折りましたが、ちょっとてこずりました。
エルデントヤは、どうも折り紙は苦手です。
来週の課題です。

5分前になってもトゥールさんが来ないので、電話をしようとすると、ドヤーが鰍ッました。
あと1分で来ますと答えたそうです。
二人で、自然に窓にたって見ていると、塀の隙間からそれらしい姿が見えてきて、のんびり歩いている様子が見えました。

部屋に入ってきたのが、ちょうど2時。
平然とお茶を淹れて飲む様子なので、時間ですよ、日本人は5分前には着いていますといったら、隣にいた写真家のトヤさんは、私も10分前にそうしますといいました。
トゥールさんは、年上の彼女に対して、私に対するときには考えられないような、横柄な対応でした。

年長者を尊重するモンゴル民族の血は、どうなっているんだ?
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先生の日のお祭り

2007年02月08日 | SAVE THE CHILDREN




今日はSAVE THE CHILDREN UKで、先生に感謝する会を開いてくれました。

朝、突然今日3時からと知らされるのは、モンゴルではありふれてあることです。
午後の予定がない私は、そのまま居残って、参加することにしました。
今日は、遅れてくるトゥールさんは、その時はまだそれを知りません。

しかも、3時半までの授業のはずが、3時まででおわって、その会があることも知りません!!!

子供たちが、秘密で準備していたのは、
 ① 詩の朗読
 ② 昔話の朗読
 ③ 寸劇 
 ④ 一人ミュージカル
 ⑤ 合唱
 ⑥ 記念品贈呈

と、盛りだくさんの1時間のセレモニーでした。

子供たちは、とても多彩で、将来その道に進むかと思える子供も居ました。
サインザヤの心のこもったメッセージ付きのお人形、ザナバザルの絵葉書の裏に思い思いに書いてくれたメッセージは、私の子供からの思いがけない贈り物でした。

嬉しく頂きました。
そのほかは、今日始めて会った子供からの、剥製と絵のプレゼントには、驚きました。
これは、もしかしたら、今日欠席のドヤー先生への贈り物だったのかもしれません。

サインザヤのハートのチョコは、バレンタインのプレゼントだといって、他の職員さんたちが、やんやと私をはやし立てました。
昼食だけは一緒に食べたドヤー先生は、サインザヤの手紙は、私が訳すよりトゥールさんが来てから訳してもらってください、ほんとにすばらしい言葉です。と言いました。
 
こんなに喜んでもらって、ほんとに嬉しい。
メッセージの中に、私の名前だけは、日本語で書いてくれているのが、胸にしっかりと食い込みました。

みんな、ありがとう!
私の頑張りが、こんなに喜ばれているとは、思っても無くて、ほんとに良い土産が出来ました。




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オルティンドーの練習

2007年02月07日 | UBから

オルティンドーの練習に必ずもって行くものです。

ブスは、民族衣装のデールの帯のことです。長い布を断ち切っただけのものです。
人によっては、好みの幅に折って躾をかけている人も居ます。
私のは、躾をかけてありますが、端は断ち切りのままです。

発声練習の時も歌っているときも常に自分の口の形を見ているために、ピアノの上において、ちょうど口が写る位置に調節します。

ャbトには、ぬるま湯が入っていて、喉を潤しながら、練習をします。
甘いものは、喉によくないと先生はおっしゃいます。

歌詞をモンゴル語とカタカナで書いてあるノート。

カセットコーダー。

それに、筆記具。

ノートは、書き込みでぐちゃぐちゃになっています。

譜面は、ありません。
大学で習うには、楽譜があるのでしょうが、私の場合は、モンゴル語の歌詞とその発音をカタカナで書いてあるのが、私の大事な譜面です。

後は、テープに吹き込んだ、発声練習と先生の歌。
そして、私の悪い発声を上手にまねしたのも吹き込まれたテープは、財産です。

久しぶりの練習に、朝から、気を入れて練習をして、お昼ご飯はお腹いっぱい食べました。

先生は、紙を短く切って、さらに若くなっていました。
そして、声の響きが深くなっているような気がしました。
海外公演などで、大きな影響を受けたのでしょうか。

楽しく、厳しく練習をしました。




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完治といいつつ

2007年02月07日 | チンゲル亭裏日記

30日ごろから「風邪完治」といいつつ、週末は、消極的に過ごし、少し引きずっているような気がします。

明日は、見学のお客さんを連れてオルティンドーの練習です。
午前中はいつもより丁寧に発声練習をして、お昼はしっかり食べて出かけねばなりません。

明日は、ちゃんと眼を覚まして起き上がらねばなりません。
しっかりと意識を高めて、お腹にしっかりと力を入れて、喉や胸からは力の抜いて、オルティンドーの声を出さねばなりません。

スーパーボールの選手たちが、気合を入れて試合に臨むように、私なりのやり方で、気合を入れるのです。
そうでないと、オルティンドーを歌う意味がありません。

練習の前は、目いっぱい力が入っていますが、いざ、練習が始まると、力を抜いて、しなやかに、柔らかに、おだやかになるのです。

先週木曜日の子供たちとの再会が、立ち直り第一弾とすれば、明日は第二弾、これで、しゃっきりしなければ、週末の乗馬はまたキャンセルです。
私の都合で、日曜日に変えてもらいましたから、なんとしてでも参加したい。
ここまでくると、気の持ちようですから、自分で自分にカツを入れなければ。

ぐっすり眠るために、ワインを飲んだら、ほんの少しで、まっかっかになった。
はぁー、もう少し長家に強いと面白いのに。
却って、動悸が打って、目が覚めそう。。。

どうきといえば、明日の夕方は、同期会。
二年前の4月6日に、ウランバートル入りした大事な仲間です。
4月5日に任期を終え、それぞれ都合の良い便で帰国します。
5日の北京経由で、6日の仁川経由で、7日の直行便で、それぞれが帰国です。

同期だけで、会うのは、これで最後となるでしょう。
ほんとは我が家での、ホームパーティーをしたかったのですが、私の気力がいまいちの時、近くのレストランのボラボラで、日本から招いたバーテンダーの入れるカクテルと生演奏の特別パーティーがこの4日間催されるというので、ちょうどそれに乗っかって、お誘いしたら、全部で16人の参加という大盛況になりそうです。

演奏は、馬頭琴、二胡、ジャズの三部構成だそうです。
ジャズもどんな演奏なのか楽しみです。

さて、ぐっすり眠らねば、明日の声に差し支えます。
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東京マラソンあと12日

2007年02月06日 | 日本から
東京マラソン http://www.tokyo42195.org/index.html

マラソン初挑戦の長女、日本からの贈り物の中に、パンフレットが入っていました。
父の健康と体力と頑固とを受け継いで、頑固は関係なかった(^^♪けど、私の娘がマラソンとは、思いもかけないことで、喜んでいます。

こまごまと、リクエストしたものが入っていました。
「鬼は外グッズ」は、娘の気持ちです。
忙しい中を品物集めをして、豆まき前に送ってくれようとしていたことがわかります。
日にちがずれたことが、日本モンゴル間の距離を今更に思います。

 今日は、これらをテーブルの上に飾って眠ります。(^^♪
 

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のんびり週末

2007年02月05日 | チンゲル亭裏日記

予定の無い週末を過ごしました。
出好きの私と、出不精の夫は、週末特に乗馬の予定が入り始めてからは、土曜日は、「女房元気で外が良い!」という日々を過ごしていました。

風邪のため大事をとって乗馬をしなかったものですから、二日間料理を作ったり聡怩オたり、買物にも出かけない玄関のドアを一度も開けない週末でした。

散歩にも出かけないで、よくもまあといわれるのですが、夫は、まったく平気なのです。
私も、無理に外に出ては、という気持ちがあるので、夫のペースに合わせた二日間でした。
静かな、静かな、平和な、時間が過ぎていく。
そして、気がついたら爆睡をしているのは、おそらくあと10%ほど体調が戻ってないのだと思うのです。
なんだか、老人夫婦の生活のようで、張り合いが無い。
ただ、最近、「おいしい」というのは、努力目標らしく、以前より耳にすることが多くなったような。。。

決して、腕が上がったわけではなく,食材が、年々豊富になり、冷凍魚が夫の目にかなうものが出回り、魚料理が家で食べられるようになったことも大きいようです。
最近は、肉はもう食べたくない状態で、極たまーに突然肉が食べたくなると、あれこれしないで、カレーです。
日本から持ってきたカレールーも、後1回分を残すだけ。
韓国製日本もどきカレールーはスーパーで、売っているので、この次からは、それを買うことになるでしょう。

そして、若いモンゴル人のお嬢さんが日本料理を習いにくるものですから、より、おいしく感じるもののようです。(笑)

そして、ブログの更新が出来ないので、過去のブログや、前回こちらに来たときの『チンゲル亭便り』を読み返してみたら、なんだか、私にしては上出来と思うのです。
自画自賛の客観性の無いものですが、一生懸命に物事を行っているときは、そのエネルギーに圧唐ウれ、引き込まれるものなんだと、われながら、自分がかわいいと思えるのでした。

ほんとに、良い記念になるものを作ったと思うのです。
これさえあれば、あれこれ、物を見つけなくても、十分という気がして、帰国直前の自分へのお土産選びは必要なくなりました。

よほどのことがないと、来ることの無いモンゴルですから、あれもこれもと買い集めたい気分になるはずだったのですが、帰国準備の始まった今、良いタイミングで、気がつきました。
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一本の鉛筆

2007年02月05日 | UBから

「一本の鉛筆」
http://bunbun.boo.jp/okera/aaoo/ippon_enpitu.htm
松山善三作詞 佐藤 勝作曲 編曲

という歌を美空ひばりが歌っていることをつい先日知りました。

美空ひばりが好きだというモンゴル女性にプレゼントしようと思って、日本から持ってきた廉価版のCDは、とうとう当人には渡すことが出来ませんでした。

無駄になったかと、がっかりしているところに、演歌のCDを持っていませんかとの問い合わせに、どうぞどうぞと提供することになりました。

差し上げる前に、コピーをしようと中をあけてみたら、この歌があったのです。
私のイメージするひばりとは違う歌の題名に興味を引かれて歌詞を読み、聴いてみました。

全ての曲を知っているひばりファンならいざ知らず、テレビでしか知らないひばりが、反戦歌を歌っているとは、知りませんでした。

こちらに来てついた悪い癖は、CDを平気でコピーしてしまうこと。(^_^;)
お互いに不遇をかこつ間柄ですから、(笑)シェアしあうのです。
おかげで、ひばりの違った面を知ったわけです。

このCDは、歌手のエンフチャツラルトさんの手に渡るわけですが、まもなく行われるコンサートで歌いたいとのことでした。
どの歌を、このCDから選びどのように歌われるのか分かりません。
日本の歌を歌いたいという彼女の気持ちを大事にして、細かいことは、勘弁していただくことにしましょう。
ひばりファンの方にも、是非ご了承いただきたいのです。
コンサートに行くことができたら、その様子をお知らせできるかもしれません。



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千の風になって

2007年02月04日 | UBから
この歌が昨年暮れの紅白歌合戦に歌われてから、人気が急上昇して、クラシックのCDが記録的に売れたと、何かのニュースで言っていました。

おばあ様をなくされた友人に、この詩を教えてあげたのが、2年前のこと。
友人から、「紅白で歌っていた歌はなんだか懐かしいと思ったら、あなたから教えてもらっていたのですね」と、メールを頂きました。
2年前に知っていたのだから、私は、どうやってこの詞のことを知ったのだろうと、改めて新井満を検索してみました。

http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/1000wind/1000wind.html「千の風になって」

http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/door/land_door.html  「新井 満」

それによって、みつるではなくて、「まん」と読むのだったことを知り、そして、私は、2003年8月28日の朝日新聞天声人語の記事で知ったのを思い出しました。

その頃、夫は、単身でUBに住み、私は日本で、仕事をしていました。
鳥インフルエンザが始めて取りざたされたときの4月に10日間休みを貰って、初めてUB観光に来て、さらに、8月もぶっちぎりで1ヶ月の休みをとって、夫とモンゴル国内の旅行三昧でした。

日本に帰国してすぐに何日分かの新聞を読んでいた中に確か見つけたのではなかったかしら。
早速、CDと本を買い求め、何度も何度も聞いたのでした。
その年は、6月に母の1周忌を終えたばかりのときでした。

UBの夫が単身で住むアパートで、母の体温を感じるような夢を見たばかりだったのを、驚きとともに思いだし、母を感じながら聴いていました。
その頃は、まさか、私がUBに住むことになろうとは思いもよらないときのことでした。

そうなんだ、母はあの日当たりの良い、港を見下ろすお墓には居ないのか、私と一緒にモンゴルを旅していたのか、と思ったのでした。

その歌のことは、歌詞を備忘録に入れてきてありますが、一度ぐらい見たでしょうか、備忘録に何かを入れるたびに、タイトルの「千」はちらりと目をかすめましたが、そのファイルを開くまでにはいたりませんでした。
もう、体に入っていたから。。。

また、もう一度、満さんの声でなく、クラシック歌手秋川雅史の重厚な声で聴くことになるとは、あれから、どこをどのように回って、彼の手に来たのやら。

ニューヨーク事件のときは、娘の中国派遣の時だったし、慰霊祭には必ず歌われるというこの歌を再び聴いて、いろんなことを思い出しました。


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