熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

「民間でやれることは民間で」は正しい施策か・・・JR西日本の尼崎の大惨事

2005年05月09日 | 経営・ビジネス
   小泉首相は、「民間でやれることは民間で」と唱えて、道路公団の民営化や郵政民営化政策を柱に構造改革を進めて来た。
   サプライサイド経済学の信奉者竹中大臣を起用して、不良債権の処理等市場原理主義に基づいて果敢に経済政策を打ってきた。
   経済は一進一退、少しは不況から脱出して明かりが見え始めたが、小泉政権の経済運営宜しきを得て良くなったのかは疑問で、
「小泉政権が苛め抜き自力再生しか生きる道が無いと悟った民間企業が、血の滲む様なリストラとコスト削減、起死回生のイノベーションを追求し経営革新を実施した結果、企業業績から良くなり、米国や中国の好況に支えられて経済は少しは持ち直した」と言った分析が大方のところであろうか。
   ガルブレイスが、経済政策に関係なく、経済は、良ければ悪くなり、悪ければ何時か良くなる、と言っている。後知恵で、理論の構築は幾らでも出来るが、こうして経済は循環を繰り返してきたのである。

   所で本題だが、先日、TV番組で、ビル・トテン氏が、JR西日本の尼崎の大惨事について聞かれた時、「利益第一主義の民営化をしたから事故が起きたのだ。」とコメントしていた。
   至上命令である株主の為に何よりも優先して利益を追求する、これが資本主義の民間企業の使命であるから、違法すれすれ、安全や危険すれすれの綱渡り状態の利益優先経営を行うのが経営者の責任であるから、事故が起きて当然、何故、民営化したのだ、と言いたかったのであろう。

   ガルブレイスが、もう何十年も前に、「ゆたかな社会」の中で、ソーシャル・バランスの概念を導入して、官民のバランスの欠如・乖離について言及している。
   要らない物でも買わせる為に湯水の様に広告宣伝費を使える民間企業は伸びるが、誰も喜んで納めたくない税金で賄う公共部門は惨憺たる状態、たった一人の人間を運ぶのに華麗な尾びれの付いた6トンの鉄の塊が必要か?と言っている。

   社会の貧富の差をなくし皆が平等に豊かに暮らせるために厚生経済政策や、公害等の不経済要因を除去する為の政策などで市場原理主義を矯正しながら、資本主義は生き永らえてきた。
   しかし、再び、貧富の差の拡大や巨大企業の経営倫理の退廃等資本主義の矛盾が露呈し始めてきた。
   何が国民の幸せにとって大切なのか、それを守るためには如何にすべきなのか、国家が国民の安全と幸福の為に死守すべき公益や公衆の保護について、ジックリ考えてみる必要があると思われる。

   米国では、ブッシュ政権以降、本来公共部門として質の確保を優先すべき軍事や教育、医療・福利厚生の分野まで民営化が進み過ぎて問題を引き起こしている。
   日本の場合は、国家・官僚管理が進みすぎた社会主義国家(?)であったので、民営化を進めて競争原理を導入して経済に活を入れるのは極めて重要なことである。トテン氏の言う国鉄民営化は悪いとは思わないが、しっかりした定見の無いアメリカかぶれの、何でも「民間に出来ることは民間で」と言うお題目を唱えながらの無節操な民営化教を進められるのは迷惑である。
   
   不謹慎かも知れないが、道路公団の民営化と郵政の民営化については、どっちに転んでも、骨抜きにされてしまってそれほど変わらないと思うので、期待はしていない。
   しかし、今回、両問題を、国民の俎上に上げて、利益や競争原理など経済・経営原則を無視した政界と官僚仕事にメスを入れて、国民挙って問題点を認識しながら、少しは良くなったと言う機会を得た事実は極めて貴重だと思っている。
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