一昨年、イタリアを訪れた時には、目的はいくらかあったが、ミラノ訪問の最大の楽しみは、修復なったレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見ることとスカラ座のオペラであった。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会付属の修道院の食堂に描かれたこの「最後の晩餐」には、前後3回お目にかかっている。
一回目は、25年以上前で、光の全くない倉庫の奥のようなところに、微かに美術書で見た絵の輪郭を見て感激した。
二回目は、ヨーロッパに居た頃で、修復中で、半分、覆いが掛けられていて、修復部分に電光が当てられていたような記憶がある。
三回目は、昨年で、全く修復が終わっていて、淡い光の中で、パステル画の様な雰囲気であった。左右の小窓は閉められていて弱い間接照明だけで、薄ぼんやりと壁画が浮かび上がる。
今回は、入場が厳格で、何度も電話で予約を試みたがテープの音声が答えるだけで拉致があかなっかたが、ホテルに頼んで許可を取った。
幸いに、苔寺の予約と同じで、入場券を確保すると、限定された少人数の客に限定されるので、十分に楽しむことが出来て幸いである。
ブラマンテの設計した中庭と人気のないグラツィエ教会で十分余裕を楽しみ、入り口に入ると、狭い空間に大戦の被害状況や修復工事の模様、関係資料など重要なパネルが展示されている。
目的の食堂までには、関門式運河のように、空気を一定に保つ為か、いくらか小部屋を通過する。
長い長径の奥の壁面に幅8メートルのあの懐かしい、殆ど諳んじている様な「最後の晩餐」が現れる。
過去の修復による残滓を洗い落とした所為か、色が薄くなったような感じで、テンペラ画と言うよりはパステル画を見ているようである。
私には、何時も、この最後の晩餐は、宗教画と言うよりは、完全に二次空間に展開された壮大なオペラであり戯曲だと思って見ている。
シェイクスピアの舞台であったり、ヴェルディのオペラであったり、兎に角、静かな空間に、役者の独吟やオーケストラのサウンドが渦巻いてくる。
漆喰の乾く前にドラマを凝縮して描写を終えなければならないので、ダ・ヴィンチは、フレスコ画を嫌って、何回も加筆修正の利くテンペラ画法を採用してこの壁画を描いた。
これが悲劇となり、耐久性が劣る為、初期の段階から絵の毀損が激しかった。それにしても、馬小屋として使用された時期もあり、第二次世界大戦での壊滅寸前等の悲劇を経験し、それに、不幸な加筆や修復を受けながら、良く今日まで耐えたと思われる。
正に、数奇な運命を辿った不幸な、しかし、幸せな壁画である。
フランソワ1世が、剥ぎ取って持って返ろうとしたと言われている。
結局、フランソワによって、ダ・ヴィンチはフランスに招かれて、アンボワーズ城の山手のクロ・リュッセの館で晩年を過ごした。
この時に終生手元に置いて加筆を続けていたモナ・リザが今ルーブルにある。
このクロ・リュッセの館、陽光に照らされ、吹く風もどこかイタリア風と言うか、ロワールの畔であるが、中々、良い所で、ワインも料理も美味しい。
この館で、あの「最後の晩餐」を描いたダ・ヴィンチが寝起きした所かと思うと感激だが、ダ・ヴィンチが考案した複雑な飛行機や近代技術の模型を見ていると時代を超越してくるのが面白い。