熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

蜷川幸雄の華麗な舞台・・・シェイクスピアも近松も

2005年05月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昨日のブログで、シアターコクーンでの蜷川「メディア」について書いたが、もう少し、蜷川演出について考えてみたい。
   
   イギリス人の聴衆の中で見た蜷川演出のシェイクスピアは、「マクベス」と「テンペスト」である。
   マクベスは、侍世界に置き変えた戦国の下克上を扱っていて、栗原小巻のマクベス夫人が秀逸であった。今回の「メディア」も栗原小巻だったらどうかと考えて見たが、もう少し時代がかったウエットなメディアが見られたかもしれない。
   
   テンペストは、佐渡の能舞台をセットにした幻想的な演出で、隣人の英人アーキテクト夫妻も感激していた。
   どこか歌舞伎を見ているような錯覚を覚えたが、白人の男性歌手だけで演じられたオペラ「パシフィック・オーバーチュアー」をイングリッシュ・ナショナル・オペラで見たのを思い出して、日本人役者だけでやっているから様になるのだと思った。
   
   この2作とも、日本の幽玄的な美しい舞台に置き換え、照明や音楽を有効に活用した蜷川の凝った演出だが、イギリス人には全く熟知しているシェイクスピアなので、日本語の台詞でも観衆の反応には全く違和感がなかった。
   シェイクスピアの場合は場面展開が速いので、英国ではセットに凝った舞台は殆どなく、極めてシンプルな舞台で、役者の台詞と演技で魅せるのが主体であるから、蜷川の様に幻想的でエキゾティックな美しい演出には、新鮮な楽しさと喜びがあるのであろう。
   
   真田が道化を演じていた「リア王」は、日本で見た。マクベスで来日していたサー・アントニー(アントニー・シャー)に、どうだったかと聞いたら「良いとは思わない」と言っていた。何故だと聞くのを失念したが、NHKのドキュメンタリーでも放映していたように、このリア王については、英国でも賛否両論があったらしい。
   英国のシェイクスピア役者に演じさせた日本的なフレイバーの効いた演出に違和感があったのかもしれない。
   
   ついでながら、アントニーに、素晴らしいマクベスを演じたのだから、次は、オテロですね、と聞いたら、オテロは色の黒い役者が演じることになっていて自分は出来ないのだと面白いことを言っていた。
   数年後に、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーと再来日した時は、素晴らしいイヤーゴを演じていたのでなるほどと思った。しかし、昔は、ローレンス・オリビエが演じていたのに。
   
   ところで、逆に、全く人種的な偏見が少ないのか、イギリスでは、RSCやロイヤル・シアターの舞台でも、かなり黒人のシェイクスピア役者が主役を演じていることがあり面白い。

  

コメント
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