五月七日から、半蔵門の国立劇場で、五月公演人形浄瑠璃・文楽が公演されていて、二部の目玉が「伽羅先代萩」。簑助が政岡を演じている。
出し物は、「竹の間の段」「御殿の段」「床下の段」だが、相当部分が「御殿の段」なので、簑助の独壇場の舞台で、悲劇の忠臣乳母政岡を実に感動的に演じていて、歌舞伎とはまた一味違った素晴らしい感激の舞台である。
傾城にうつつを抜かして国政を省みず、蟄居に追い込まれた領主の跡継ぎ・幼少の鶴喜代を、陰謀毒殺から守るために、必死で仕える乳母が、この政岡。
御殿の段の冒頭「飯炊き」の場は、幼い鶴喜代君と実子千松相手の一人舞台、竹本住大夫の名調子に合わせて、居間の茶道具で器用にご飯を炊いてお結びを作るのだが、外部からの食事の差し入れを一切拒絶しているので、空腹に苛まれる苦痛を必死にこらえようとしている幼い主君に涙する。
決して美声ではないが、人間国宝住大夫のなんと爽やかで若々しい若君と千松の語り口であろうか、それに、政岡の威厳と品格、その優しさを少し抑えた調子で語っていて、途中で、語りを忘れるくらいのめり込ませる。
政岡の赤い着物が目に痛いほど映える。
この何ともいえない二人の人間国宝の至芸、やはり、世界遺産である。
名調子の三味線に合わせてリズミカルに左右にスイングしながら米を洗う政岡の動きがせめてもの救いか。親雀が小雀に餌を運ぶのを羨み、チンがご飯を食べるのを見てチンになりたいと言う幼君をなだめ賺しながら主君としての誇りと自覚を促す、実に根気の要る役柄で、下手な役者がやれば完全にダレル舞台である。
歌舞伎では、芝翫と玉三郎の政岡を見たが、実に感動的であった。
後半の「忠義の段」八汐達の幼君毒殺の試みが失敗して千松が殺される修羅場の舞台は、政岡の命の起伏の激しい、本音と建前の相克の世界で、初めて、実子を見殺しにしなければならなかった理不尽な生き様に慟哭する。人間・政岡を、簑助は感動的に演じて場内を圧倒する。
若君毒殺の為に、栄御前と八汐が将軍からの贈り物と偽って毒饅頭を持って登場、若君に食べさせんとするが、日頃から主君の為に毒見を使命としている千松が現れて代わりに食べて倒れる。
毒饅頭の発覚を恐れて八汐が千松を押さえ込んで短刀で首を刺し、若君と政岡の面前でキリキリ刺しながら嬲り殺そうとする。忠義の為とは言え顔色一つ変えない政岡、急いで、若君を別室に移す。
皆が立ち去り一人になった政岡、初めて吾に返って、千松をかき抱いて号泣する愁嘆場、簔助の万感の思いを腕二本に託した至芸が政岡に乗り移り、忠君愛国の理不尽すぎる悲哀を、そして、何にも代えがたい親子の悲痛な命の叫びを語り尽くして余りある。
簑助の「うしろぶり」の素晴らしさ、人形にしか出来ない優雅で悲しい、しかし、実に美しい後姿になって苦しみをかきくどく。
最後に、姿を背にして千松を高くさし上げて別れを告げる政岡の慟哭。
敵役の八汐が、大変な役で、歌舞伎でも、立ち役の大役者が演じる。私は、団十郎と仁左衛門を見ているが、夫々に凄かった。
この文楽では、3人の人間国宝に次ぐ吉田文吾が演じていたが、これがまた入魂の舞台、政岡の介添えで死んだ千松に止めを刺される最後の場まで、息がつけない。
兎に角、素晴らしい先代萩であった。
残念ながら、後半の「桂川連理柵」は、私用があってみられなかったが、この舞台で十分であった。
次には、素晴らしい玉男と簑助の「冥土の飛脚」をご紹介したいと思っている。
出し物は、「竹の間の段」「御殿の段」「床下の段」だが、相当部分が「御殿の段」なので、簑助の独壇場の舞台で、悲劇の忠臣乳母政岡を実に感動的に演じていて、歌舞伎とはまた一味違った素晴らしい感激の舞台である。
傾城にうつつを抜かして国政を省みず、蟄居に追い込まれた領主の跡継ぎ・幼少の鶴喜代を、陰謀毒殺から守るために、必死で仕える乳母が、この政岡。
御殿の段の冒頭「飯炊き」の場は、幼い鶴喜代君と実子千松相手の一人舞台、竹本住大夫の名調子に合わせて、居間の茶道具で器用にご飯を炊いてお結びを作るのだが、外部からの食事の差し入れを一切拒絶しているので、空腹に苛まれる苦痛を必死にこらえようとしている幼い主君に涙する。
決して美声ではないが、人間国宝住大夫のなんと爽やかで若々しい若君と千松の語り口であろうか、それに、政岡の威厳と品格、その優しさを少し抑えた調子で語っていて、途中で、語りを忘れるくらいのめり込ませる。
政岡の赤い着物が目に痛いほど映える。
この何ともいえない二人の人間国宝の至芸、やはり、世界遺産である。
名調子の三味線に合わせてリズミカルに左右にスイングしながら米を洗う政岡の動きがせめてもの救いか。親雀が小雀に餌を運ぶのを羨み、チンがご飯を食べるのを見てチンになりたいと言う幼君をなだめ賺しながら主君としての誇りと自覚を促す、実に根気の要る役柄で、下手な役者がやれば完全にダレル舞台である。
歌舞伎では、芝翫と玉三郎の政岡を見たが、実に感動的であった。
後半の「忠義の段」八汐達の幼君毒殺の試みが失敗して千松が殺される修羅場の舞台は、政岡の命の起伏の激しい、本音と建前の相克の世界で、初めて、実子を見殺しにしなければならなかった理不尽な生き様に慟哭する。人間・政岡を、簑助は感動的に演じて場内を圧倒する。
若君毒殺の為に、栄御前と八汐が将軍からの贈り物と偽って毒饅頭を持って登場、若君に食べさせんとするが、日頃から主君の為に毒見を使命としている千松が現れて代わりに食べて倒れる。
毒饅頭の発覚を恐れて八汐が千松を押さえ込んで短刀で首を刺し、若君と政岡の面前でキリキリ刺しながら嬲り殺そうとする。忠義の為とは言え顔色一つ変えない政岡、急いで、若君を別室に移す。
皆が立ち去り一人になった政岡、初めて吾に返って、千松をかき抱いて号泣する愁嘆場、簔助の万感の思いを腕二本に託した至芸が政岡に乗り移り、忠君愛国の理不尽すぎる悲哀を、そして、何にも代えがたい親子の悲痛な命の叫びを語り尽くして余りある。
簑助の「うしろぶり」の素晴らしさ、人形にしか出来ない優雅で悲しい、しかし、実に美しい後姿になって苦しみをかきくどく。
最後に、姿を背にして千松を高くさし上げて別れを告げる政岡の慟哭。
敵役の八汐が、大変な役で、歌舞伎でも、立ち役の大役者が演じる。私は、団十郎と仁左衛門を見ているが、夫々に凄かった。
この文楽では、3人の人間国宝に次ぐ吉田文吾が演じていたが、これがまた入魂の舞台、政岡の介添えで死んだ千松に止めを刺される最後の場まで、息がつけない。
兎に角、素晴らしい先代萩であった。
残念ながら、後半の「桂川連理柵」は、私用があってみられなかったが、この舞台で十分であった。
次には、素晴らしい玉男と簑助の「冥土の飛脚」をご紹介したいと思っている。