![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/8b/afbba64fca776f01ef16b1661062be73_s.jpg)
新日本フィルの定期385をトリフォニーで聴いた。
ウォルフ-ディター・ハウシルト指揮のブルックナー交響曲第7番ホ長調と戸田弥生のベルクのヴァイオリン協奏曲である。
戸田弥生は初めてだが、93年にエリザベート王妃国際音楽コンクールに優勝した時、ブラッセルに居た同僚のアーキテクトが楽屋に詰めていたとか自慢話をしていたのをアムステルダムで聞いたので親しみを感じていた。
ベルクは、オペラ「ルル」も「ヴォツェック」も観ていないし、趣味に合わないと思って避けていたが、この協奏曲は、「ある天使の思い出のために」と言うタイトルが付いているだけあって、思いがけず、哀調を帯びた調べが美しくて流麗なので引き込まれて聴いてしまった。
戸田弥生のテクニックが抜群なのであろう、終曲の高いアーチを描くように哀調を漲らせたヴァイオリンのソロの何と美しいことか、天国からのサウンドの様に胸を打つ。
ブルックナー7番は、75分の大曲。
ブルックナーを始めて聴いたのは、何番か忘れてしまったが、アムステルダムで、コンセルトヘヴォウを晩年のオイゲン・ヨッフムが振った時である。その後、何度か聞いているが、比較的演奏されることも少なく、あまり強烈な印象は残っていない。
この新日本フィルでも、朝比奈隆のブルックナーを聴いているはずだが覚えていない。
昨日のブルックナー、やはり、血と地の騒ぎであろうか、生粋のドイツ正統派のハウシルトの棒は、新日本フィルから、限りなく豊かなサウンドを引き出しドイツの大地の蠢きを彷彿とさせる。
ワーグナーの訃報を聞いて書き換えてワーグナーチューバを用いた葬送行進曲が迫る。
新日本フィルの木管金管が素晴らしく咆哮し歌っている。音は外すは飛ばすは、特に木管金管がひどかった頃の新日本フィルを知っているので、良くここまで大成したと感激しながら聞いていた。
このトリフォニー・ホールを小澤征爾がロストロポーヴィッチを呼んで開幕オープンして、レジデント・オーケストラになった結果が花開き、それにアルミンクが磨きをかけている。
サイトーキネンには、およびもつかないが、それなりに小澤征爾のオーケストラになったと言うことであろう。
随分前になるが、アムステルダムに居た頃、休暇を利用して、ドイツとオーストリアを旅行した時、ウィーンから、ドナウ川沿いに車を走らせてブレーメンに向かう途中、リンツ近くのセント・フローリアン大聖堂に立ち寄った。
19世紀の教会音楽の大家アントン・ブルックナーは、このすぐ側の田舎で生まれて、13歳でここの聖歌学校に入り、その後補助教員、そして教師兼オルガニストとして勤めた。
後には、リンツへ、そして、ウィーンで音楽院の教師になるが、しかし人生の多くはここで過ごし、ここで音楽を学び多くの音楽を作曲して偉大な音楽家として大成してゆくのである。
閉まっていて入れなかったが、大聖堂の扉の隙間から、ブルックナーの弾いていたオルガンを長い間見ていた。
この大聖堂は、ドナウの岸からそう遠くない田舎の真ん中にある。ブルックナーの悠揚迫らぬ田園を思い出させるあの豊かなサウンドは、この大地が育んだものであろう。
遠い昔の、セント・フローリアンの田舎の風景を思い出しながら、ブルックナーの7番をじっと聴いていた。