今日の朝刊は、日経を筆頭に、グリーンスパンのウォートン・スクールのMBA授与式でのスピーチ草稿をFRBから受け取って、ほんの冒頭部分”I have more in common with you graduates than people might think. After all, before long, after my term at the Federal Reserve comes to an end, I too will be looking for a job." だけを読んで、退任を報道し、次の議長は誰か等誰でも知っている分かりきった記事で紙面を埋めていた。
Wharton alumni 、と呼びかけているので資格ありと思ってFRBのホームページから草稿をコピーして読んで見た。示唆に富んだグリーンスパン哲学の片鱗が垣間見えて興味深いので、纏めてみたい。
60年の自分の軌跡を振り返りながら、次代を背負う新MBAに対して、
「行動を規制するルールはあるが、ルールは人格の代わりにはなれない。これからは、人生やビジネスでの成功を決定するのは、誠実さ、思慮分別、その他人格の高貴さ等に対するレピュテーション如何になるであろう。自分達の子供達に、どんなに成功していても、それは正直に、そして、生産的な仕事(work)をした結果なのだと言うことを、そして、自分が遇して欲しいと思う通りに人を遇してきたのだと言えるようになって欲しい。」と言う。
最初から最後まで、倫理(ethics)をメインテーマに、過去のアメリカ資本主義を振り返りながら、今日のビジネス・エシックスを語って、餞としている。
情報技術の進歩によって巨額の金融資産取引が瞬時に的確に処理されるようになる前は、かなり多くの取引は違法に行われていた。取引の妥当性は、当事者のトラスト(信頼?信用?)に置かれていたのである。
商取引の必須条件としてのトラストは、19世紀に顕著で、正直に取引すると言うレピュテーションが価値ある資産であった。
多くの問題はあったが、倫理的な商行為が規範であり、企業統治に大きな問題がなかった故に、今日のアメリカの高い生活水準と生産性の高さが確保されてきたのである。
今日の企業不祥事は、雁字搦めの法制度でも裏をかくモノが居ることを示し、再び、ビジネス慣行におけるトラストとレピュテーションの重要性とその価値が浮上してきた。
企業不祥事が摘発されると、企業の信頼性が疑われてレピュテーションが地に落ち、市場は、その企業の株やボンドを暴落させて鉄槌を振るう、良い解毒剤である。
The Sarbes-Oxley Act of 2002は、会計原則に基づく証明だけでは不十分であったのを、CEOに、会計および情報公開手続きの健全性を証明する明確な責任を課すなど企業経営の健全化に大きく資した。
株主が会社の所有者であり、経営者は経営資源を最大に活用し株主に貢献すべきであるとの基本原則を強化した。
しかし、経済が成長し企業が大きくなると、一般株主のコントロールは消滅し、役員選任等は一握りの少数株主が握るなど、株主の目的は、本来の企業のオーナーではなく投資者に変わり、経営は益々CEOの双肩に掛かってくる。
ところが、IT革命による情報システムの進歩によって、企業の誰でもが重要情報にアクセス出来るようになって情報が拡散してしまい、今まで重要な経営情報を握って経営戦略を自分達だけで打ち立てていた特権を経営者から奪ってしまったのである。
その結果、CEOは、益々、これまで以上に注意深く経営を行いモニタリングしなければならなくなった。倫理規範が必須要件なのである。
高い倫理観と高貴な企業目的を持って、正直に誠実に正しく生きよ。今一番求めれれているのは、高い倫理観を持った経営者であることを、若いMBAに強く訴えたかったのであろう。
最後の、60年の経験を総てさらけ出してアドバイスをすると言って述べた言葉、
「I could urge you all to work hard, save, and prosper. And I do.]
蛇足ながら、
「自由市場資本主義システムは、経済の総ての当事者が、最善の結果を確保する機会が与えられなければ、十分効率的に機能しない。
総ての人々に機会を与えることに成功すれば、わが国富は、もっと豊かになることは殆ど間違いない。」
金融操作の卓越した舵取りグリーンスパンは、リベラルな自由平等主義者、案外、レッセフェール、金融を操作することではなく、人々の経済感覚、気持ちの動きを操作していただけなのかもしれない。