熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・普及公演:能「俊寛」

2018年05月12日 | 能・狂言
   今日の国立能楽堂の普及公演は、次のプログラム。

   解説・能楽あんない 足摺する俊寛、しない俊寛 佐伯 真一(青山学院大学教授)    狂言 茶壺(ちゃつぼ)  茂山 宗彦(大蔵流)
   能  俊寛(しゅんかん)  宇髙 通成(金剛流)

   これまで、歌舞伎や文楽の近松門左衛門の「平家女護島」や能の「俊寛/鬼界島」などを何度か観ており、このブログでも書き続けていたので、今回は、ちょっと視点を変えて、平家物語を中心にして、「俊寛」を考えたい。
   今日、解説で、佐伯教授が語っていた菊池寛や芥川龍之介の「俊寛」にも、既にふれており、結構周辺情報は記述済みである。

   「日本古典文学摘集」を借用して、ところどころ、「平家物語」を引用しながら進めたい。

   まず、俊寛たちの島流しに合った原因は、「鹿ケ谷」での平家追討の談合
   「平家にあらずんば人にあらず」とおごり高ぶる平家に対する反平氏勢力が、後白河法皇を担ぎ上げて、平家打倒のクーデター構想を画策した「鹿ヶ谷の陰謀」である。
   「鹿谷」では、
   東山の鹿が谷というところは、背後は近江国・三井寺に続く見事な要害である `法勝寺執行・俊寛僧都の山荘がある `そこにいつも寄り合い、平家を滅ぼそうと謀略を巡らしていた `・・・
   新大納言は、・・・御前にあった瓶子を狩衣の袖に引っかけて倒してしまったのを法皇がご覧になり `どうしたのだ `と仰せられると、大納言は立ち返り `へいじが倒れましてございます `と答えられた `法皇は笑壺に入られ `皆の者、猿楽を舞え `と仰せられると、平判官康頼がさっと参り `ああ、あまりにへいじが多くて、酔っぱらってしまいました `と言った `俊寛僧都は `さて、それではどうしたらよいものか `と言うと、西光法師が `首を取るのが一番 `と、瓶子の首をもぎ取って奥に入った。
   まだ、重盛も健在であり、安徳天皇さえ生まれていない、上り調子の平家の絶頂期に、このような会合を持つなど正気の沙汰とは思えないのだが、当然、仲間の中に内通者が居てすぐに露見したのである。

   次の「鵜川合戦」で、
   もそもこの俊寛僧都というのは京極の源大納言雅俊卿の孫で、法勝寺法印・寛雅の子である `祖父大納言は武家の出ではないが、実に短気な人で、三条坊門京極の屋敷の前をめったに通らせない `普段は中門に佇み、歯を食いしばり、睨んでおられた `そんな恐ろしい人の孫だからか、この俊寛僧都も僧ながら気が荒く傲慢なので、つまらない謀反に加担したに違いない
    と、俊寛のキャラクターを紹介している。

   次の「足摺」は、藤原成経及び平康頼の赦免と俊寛の鬼界が島残留の章で、この能の舞台のシーンが活写されている。
   あまりにも有名であり、かなり、この能と一致しているので説明を省略する。

  「赦文」は、中宮徳子の懐妊と鬼界が島の流人に対する恩赦のところだが、
   (成経の赦免は当然として)、それで、俊寛と康頼法師はどうするのだ `と言われるので `彼らも同様にお戻しください `一人でも残されたのでは却って罪業となりましょう `と(重盛が)言われると、清盛入道は `康頼法師はともかく、俊寛はわしがずいぶん世話を焼いて一人前になった者だ `なのに、他に場所などいくらでもあろうに、東山鹿が谷の山荘に寄り合い、妙な真似をしたというから、俊寛のことは考えてもいない `と言われた
   すなわち、ハッキリと、俊寛は許せないと、清盛は断言しているのである。
  
   「少将都帰」で、藤原成経、帰京し、家族と再会が記されているが、島を去る直前に俊寛に約束した清盛への嘆願は空手形であったようである。

  その後、単身で、俊寛の召使の有王が島に渡って俊寛を探し出して、最期を看取る物語が、次の2つの章である。 
  「有王」 俊寛の召使、有王、鬼界が島に主人を訪ねる
  「僧都死去」 俊寛、断食により自決
   ここで、俊寛が、自殺をしようと思ったが、二人に頼んだ赦免の沙汰を信じて生き永らえてきたが、食料が尽き三十七歳で自決をせざる得なくなった苦衷を吐露して悲しい。
   有王が、父を慕って鬼界島へ連れて行けと泣き叫んでいた幼い子が天然痘で亡くなり、夫のことを思い煩い子の死去の悲しみに憔悴し切って北の方は隠れ住んでいた鞍馬で衰弱死したことを語って、残っている姫の手紙を渡すと、俊寛は顔に押し頂いてそのたどたどしさに涙に暮れて絶句。
   有王が帰京すると、この娘は、十二歳の尼になり、奈良の法華寺で修行をし、父母の後世を弔い、有王は俊寛僧都の遺骨を首に掛け、高野山へ上り、奥院に納めると、蓮華谷で法師になり、諸国七道を修行して歩き、俊寛僧都の後世を弔った と言う。

   先に、「平家物語」は、「俊寛は、僧ながら気が荒く傲慢なので、つまらない謀反に加担した」と非難しているが、「有王」と「僧都死去」では、人間俊寛を、しみじみと愛情をこめて語っていて、感動的であり、下手な小説よりはるかに面白い。
   「平家物語」は、「俊寛死去」の結文で、「このように人の思い嘆きが積もり積もった平家の末期が恐ろしい。」と語っている。
   
   「平家物語」で、他に、俊寛の描写があるのかどうかは知らないが、これらの関連した数章を通して俊寛のキャラクターなりイメージを掴まないと、正しい俊寛像は描けないと思う。(尤も、平家物語が一応、真実を語っているであろうと考えての話であるが。)

   佐伯教授は、「足摺する俊寛、しない俊寛」と言う話で、足摺は、地団駄踏むと言う意味ではないと言って、能舞台に寝転がって「足摺」を実演し、子供のようにもがいたのだろうと言う。
   銕仙会の解説では、「最果ての地で起こった悲劇。運命に翻弄される、ある非力な人間の物語。」と書かれていた。
   銕仙会の柴田稔師は、「平家物語」は虚構だとして、
   能の作者がテーマにしたのは、清盛と俊寛の人間関係ではなく、不信仰ゆえに平家物語の作者から嫌われた俊寛でもなく、俊寛が経験することになった生きながらの地獄、「人間の孤独」を私たちと同じ等身大の姿で描くことだったのではないかと思います。と言っている。

   私は、俊寛が弱いとか悲しい人間だと言う前に、ロビンソンクルーソーではないのであるから、あのシチュエーションに追い詰められれば、恐らく、誰もが、そうせざるを得なかった姿ではないかと思う。
   いずれにしろ、その後は、成経や康頼の執成しを信じて、「体力があった頃は、山に登って硫黄というものを掘って、九州とを行き交う商人に会って食べ物と交換して」生き永らえて来たのである。

   したがって、今回の能で、シテの俊寛は、最後の留めで、諸手でしおって、そのままの姿で橋掛かりから揚幕に消えて行ったのは、万感の思いの凝縮であって、今も余韻を引いている。
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METライブビューイング・・・「コジ・ファン・トゥッテ」

2018年05月11日 | クラシック音楽・オペラ
   今回のMETライブビューイングは、モーツアルトの「コジ・ファン・トゥッテ」。
   「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」や「魔笛」と比べれば、かなり上演回数が少ないようで、私も、ウィーン国立歌劇場とロイヤル・オペラで一回ずつくらいである。
   他のモーツアルトのオペラとは違って、オペラ・ブッファの精髄とも言われている喜歌劇で、ストーリー性と言うか実質に乏しい感じのオペラ。

   老練な哲学者アルフォンソが、二人の士官が、貴婦人姉妹と熱愛中なのに、女はすぐに浮気して裏切るとけしかけて、それが本当かどうか賭けをする。
   アルフォンソが指示して、二人の士官を戦場に送り込むと偽って出陣を装い、別人に変装させて二人の前に現れて、恋人役を入れ替わって姉妹にアプローチさせて、クドキにクドキ、自殺を目論むなど執拗にアタックさせて、必死に貞節を守ろうとする姉妹を陥落させる。
   アルフォンソは、小間使いのデスピーナの助けを借りて賭けに勝って、”コジ・ファン・トゥッテ 女はみんなこうしたもの”と言ってほくそ笑むが、最後にタネを明かして大団円。
   本気なのか口から出まかせなのか、歯が浮くような甘い愛のクドキで迫るのだが、上手く口説き落とせば、自分の恋人の心も心配だし、甘酸っぱい思いの熱演に、少しずつその気になって行く女心の帰趨が面白い。

   しかし、今回のオペラは、ナポリを舞台にしたクラシックな舞台ではなく、フェリム・マクダーモットの演出は、傑出していて、
   ニューヨーク市ブルックリン区の南端にある「コニーアイランド」の1950年代の遊園地を舞台に、火吹きや剣飲み、蛇使いなどプロの大道芸人が登場して芸を披露するサーカスのように派手に繰り広げられる現代劇オペラ。
   興味深いのは、これら10人ほどの芸人たちが、アルフォンソの助手として立ち働いて舞台展開をサポートするのみならず、達者な役者としても活躍していて非常に面白い。
   また、舞台は、ナポリの姉妹たちの大豪邸ではなくて、コニーアイランドにあるモーテル:スカイライン、
   以前に観た舞台では、変装した士官たちは、トルコ人かアラブ人の富豪の井出たちで登場していたが、今回は、ニューヨークの街にいるようなジャンパー姿のアンちゃん風の若者姿。
   
   キャストは、次の通り。

指揮:デイヴィッド・ロバートソン
演出:フェリム・マクダーモット
出演:フィオルディリージ(S): ナポリの貴婦人:アマンダ・マジェスキー
   ドラベッラ(Ms): フィオルディリージの妹:セレーナ・マルフィ
   デスピーナ(S): 姉妹に仕える女中::ケリー・オハラ
   フェルランド(T): 士官、ドラベッラの恋人:ベン・ブリス
   グリエルモ(Br): 士官、フィオルディリージの恋人:アダム・プラヘトカ
   ドン・アルフォンソ(Bs): 老哲学者:クリストファー・モルトマン
   
   ここ10年くらいは、ニューヨークにもロンドンにも行っていないので、出演者の舞台には接していないので、分からないが、素晴らしい舞台で、実質3時間、非常に楽しませて貰った。
   コミカルな演技で光っていたデスピーナのブロードウエー・ミュージカルのトップスター・ケリー・オハラは、先年のMETライブビューイングの「メリーウイドウ」で、伊達男カミーユが恋するツェータ男爵の妻ヴァランシエンヌを演じてMETにデビューしており、この時に素晴らしい舞台を観ている。
   第二幕のアリア「女は十五にもなれば・・・」は本格的、とにかく、自由恋愛大いに結構と姉妹を焚き付け煽り立てる。
   この役は、丁度、ファルスタッフのクイックリーに似たキャラクターで、昔ウィーン国立歌劇場でファッスベンダーの凄い舞台を観ており、この舞台でも、医者や公証人としても登場しているので、ズボン歌手が似合うキャラクターではなかろうか。

   今回の舞台では、結構、素晴らしいアリアがあって、楽しませてくれた。
   このオペラでは、舞台が遊園地なので、ゴンドラやメリーゴーランドや白鳥の舟なども登場して、歌手たちは、器用に舞台として演じ歌っているが、
   第二幕で、フィオルディリージが、舞台中空を遊泳する宙乗りの気球に乗って、素晴らしいリリック・ソプラノのアリア「不動の巌のように・・・」「許して恋人よ」をうたって感動的。

   流石にイギリス人でベテランのアルフォンソのモルトンはじめ、主役の6人がぜずっぱりの舞台だが、皆、昔と比べて、歌のうまさは当然としても、容姿にしろ立ち居振る舞いにしろ、芸達者で実に上手い。
   指揮のデイヴィッド・ロバートソンは、作曲家としても活躍するアメリカの才人指揮者だとか、序曲の浮き立つようなサウンドから楽しませてくれた。
   
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ジェイムズ・スタヴリディス著「海の地政学」(5)

2018年05月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本の最終2章は、「無法者の海 犯罪現場としての海洋」と「アメリカと海洋 二一世紀の海軍戦略」で、これまでの歴史展開を軸としむけられなかったのだ戦略であり、著者の並々ならぬ思い入れがよく分かって興味深い。
   前者では、海洋の深刻な問題として、「海賊行為」「漁業」「環境」に焦点を絞って書いている。

   海軍大将であった著者が、これまで、アイゼンハワー以降、陸軍参謀本部長が代々その地位についていたNATO欧州連合軍司令官に任命された時、連合軍の関心は常に地上戦とハイテク航空機戦術にあり、海には殆ど向けられなかったので失敗だと言われた。
   ところが、海軍士官にとっては、海賊の取り締まりは身近な任務で、NATOが、ソマリア沖の海賊行為に注目し、海賊対策が重要な任務になったのである。

   ソマリア沖の海賊は、ヨーロッパ企業に、そして東アフリカや北アラビア海を通過する製品のコストに大きな影響を与えるなど世界の輸送網に与える損害は甚大であり、地元のテロ集団アル・シャバブはソマリアの海賊に「課税」し、ソマリアや近隣諸国での過激な暴力行為をおこなう資金源にしたり、アル・カイダとの結びつきもあり、「イスラム国」に忠誠を誓っており、極めて危険な国際テロ集団である。
   著者は、協力の外交面を担って、NATO、EU、アメリカなどによって集められた緩やかな連合による28か国の軍艦を結集し、これに、ロシアや中国、勿論日本、インドやパキスタン、イランも加わって船舶を派遣して、グローバル・コモンを形成して、ソマリア沖の海賊対策に当たったと言う。
   
   軍艦は、NATO、EUの艦艇が3隻から5隻、他の国の艦艇も3隻から5隻あったが、しかし、現実は、たとえ15隻の軍艦があったとしても、ソマリアの対象区域はヨーロッパに匹敵していて、15台のパトカーで、西ヨーロッパ全域をカバーするようなもので、後手後手に回ることが多くて、海賊を何故全員捉えられないのかと言われても、無理だと言う。
   護送船団方式を取るなど、詳細に戦略戦術を語っているが、敵もさるもの、包囲されると攻撃梯子や銃を水中に投げ捨て、捉えれば「罪もない漁師たち」。証拠は殆どないので、そこは、文明人の悲しさで、欧米の一般的裁判手続きを用いるので釈放。
   海と空からの軍の対応に加えて、開運産業や保険会社なども海賊対策を積極的に進めているのだが、
   悪いことに、ソマリア沖での海賊行為が減る一方、アフリカの反対側、ギニア湾での海賊行為が頻発しはじめ、対応が必要になってきたと言う。
   ボコ・ハラムとの関りも心配され始めている。
   海賊討伐は、団体競技。海での他の犯罪同様、大切なのは協力的な取り組みだと言う。

   「漁業」の問題は、乱獲などによって、漁業資源が大きく減少し続けていること。
   魚種資源の90%は、「利用可能資源のほゞすべてを漁獲した状態、乱獲状態、資源減少状態、資源回復状態」のいずれかだと言うのが識者の意見だと言う。
   最盛期に比べると漁獲量が50%低下したマグロのように、多くの漁獲量は急速に減少していると言う。
   これは、日本にとっては、非常に重要な問題でもあり、考えるべき課題であろう。

   「環境」については、深刻な気候変動が、チッピングポイントを超えつつあると言うことで、地球船宇宙号の危機、人類の滅亡へのカウントダウンだと言う認識に立てば、その深刻さが明瞭であろう。
   この本では、かなり、緩やかな議論展開だが、アル・ゴアなどの主張で明確なので、多言を避けたい。

   海洋に関する問題で、最も深刻な点は、アメリカが、「国連海洋法条約」への署名を拒否していること。
   海洋管理のための真に世界的な枠組みを作り出す試みにさえそっぽを向いていると言うことである。
   
   ついでながら、TPPは兎も角、極端な保護貿易政策、第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で採択されたパリ協定(Paris Agreement)の拒否、イラン核合意の破棄等々、オバマのレガシーを悉く叩き潰して、無法状態も良いところで、アメリカは、自縄自縛で、覇権国家と言わないまでも、誇り高きグローバルリーダーとしての資質をないがしろにしている。

   最後の「アメリカと海洋」だが、再び、各海洋を俯瞰しながらアメリカの対応を分析しており、マハンだったら、どう考えるか、マハンの時代にはなかった新しい時代の流れなどを取り込みながら、アメリカの海軍戦略を展開していて興味深い。
   アメリカ自身の特定の戦略論であるので、コメントを差し控えたい。

   一つ興味を持ったのは、世界の海洋の底には、標準的な光ファイバーケーブルが設置されていて、世界の電気通信の99%が、このケーブルを毎日行き来していると言うことである。
   インターネットによる情報活動の圧倒的多数が海底ケーブルを流れていると言う事実は、こので脆弱性の強いケーブルを探知し、損傷し、破壊すれば、敵国の心臓部を壊滅させえると言うことを意味すると言うことである。
   技術的に対応手段はあるようだが、実際に、テロ行為などによってケーブルが切断されれば、国家機能が完全にマヒする。
   余談ながら、私は、将来の戦争においては、サイバー攻撃による戦争が最も恐ろしいと思っている。
   現実に、AIが、人知を凌駕しつつある時代に突入しつつあると言う現実を考えればなおさらである。

   海とは関係ないが、そんな思いをしながら、この本を読み終えた。
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ジェイムズ・スタヴリディス著「海の地政学」(4)

2018年05月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   興味深いのは、「北極海」。
   殆ど、日常生活とは縁遠い海洋だが、可能性と危険、謎が共存する場所で、今、北極周辺では、様々な対立が繰り広げられていると言う。
   地球最後の汚れなき場所が破壊されることを恐れる環境保護主義者と莫大な天然資源を求める開発業者、ロシアとNATO、科学者と観光業者等々。
   
   「北極 Arctic」と言う言葉も定義は様々のようだが、夏至の時に太陽が沈まない北緯66度45.9秒以北の「北極圏」と言うのが意味を持ち、この領域に領土を持ち北極海に接する5か国(ロシア、カナダ、ノルウェー、アメリカ、グリーンランドを自治領とするデンマーク)の間で、国や国際機関の利害が対立していると言う。

   私の最大の関心事は、地球温暖化によって、気温も水温も上昇して、毎年、広大な海氷域が、どんどん、減少しており、海水面の上昇で、地球上の広大な低地住居地域が水没し、何億人もの生命が危機に瀕すると言う途轍もない悲劇である。
   しかし、この点については、著者は淡白で、2040年には、1年中北極海は通行可能となり、更に、10年後には北極を覆う氷はなくなるだろうと言って、商業的、地政学的にも重要だと、北西航路や北極海航路の開通や、資源開発の可能性などについて論じている。
   尤も、地球温暖化の結果、北極海の永久凍土層が溶け、大量のメタンガスを放出する危険が高まり、莫大な炭素を環境に投げ込み、メタンガスの放出などによって、二酸化炭素排出が臨界点に達すると、地球の気温上昇のみならず、世界的災害を齎す触媒になりかねないと警告をしている。

   北極海は、米ソ対決の主戦場だと思っていたのだが、そうではないのにびっくりした。
   特筆すべきは、北極海は、ロシアにとってどれほど重要か、
   ロシアの人口の20%あまり400万人が北極圏で暮らしているのに対して、アメリカ人は実質ゼロ、カナダでさえ極僅か。
   ロシア沿岸の大部分が北極海に面しており、接する海岸線が最も長く、極北はロシア連邦の世界観の中心軸であり、
   世界の中でも、北極圏は、過酷な状況でも生き残る力を持つ粗野な個人主義の国家と言うロシア人のマインドセットやセルフイメージを象徴する場所であり、地政学的にも、主要プレイヤーとして、この地域を戦略的に利用する強い意志を持っていると言うのは当然であろう。

   これに対して、アメリカは、広大な大陸の支配を戦略的に大重視して、交易の拡大や地政学的責任から、世界への通路として、太平洋や大西洋に目を向けて来たので、北極海を重視したことはなかった。
   2009年まで、北極圏や北極海に言及したアメリカの政策は存続せず、初めて文書になったのは、その年の初め、ブッシュ政権の時だと言うから驚く。
   尤も、1897年、「北極熱」に沸いて、理想王国に米国旗を立てようと漕ぎ出した勇敢な多くの米国海軍人が氷に閉じ込められて命を落としたと言う悲劇もあれば、冷戦時代、小説「レッド・オクトバーを追え」のように米ソの潜水艦が、この北極海で追いつ追われつ、戦ったこともあるのだが、ロシアから、買い取ったアラスカを地政学的に利用しようと言う気持ちが、21世紀の始めまで、微塵もなかったと言うのである。

   したがって、北極海では必須の砕氷船も、3隻しか持っておらず、30隻以上の内7隻はアルクティカ号などの原子力砕氷船だと言うロシアとは雲泥の差であり、7隻ずつのフィンランドやスウェーデンなどには及びもつかず、中国さえ3隻を保有して更に建造中だと言うのである。
   それを嘆いている著者は、後半で、多くの紙幅を割いて、アメリカは何をすべきか、北極海戦略を、熱心に説いているのである。

   カナダは、世界最長の海岸線の65%は、北極海に面しており、環境保護の理想においても、地政学的枠組みにおいても、北極海の保護者としての役割も忠実に果たしていると言う。
   一方、ノルウェー、デンマークなどのヨーロッパの北欧諸国は、スウェーデンやフィンランド、アイスランドなども加わり、国力が限られているので、EU、NATO、北極評議会などを通じて、北極海対策を講じている。
   いずれにしろ、現在、北極海では、特に海の統治が混乱しているので、波乱含みだと言うが、開発が起動すれば、北極海航路など地政学的環境の大変化は筆致であり、例えば、ハルフォード・マッキンダー卿の「ハートランド論」が、どう蘇るか、世界は激変する。
   メルカトル図法の地図に慣れた我々も、北極を中心とした地図で、世界観を変えなければならないかも知れないのである。

   さて、北極海に対して、アメリカは消極的であり、有効な戦略戦術を保持していないと言う現状には、アメリカの安全保障や国防政策そのものに対しても、疑問を持たざるを得ないのだが、この北極海の将来については、ロシアが、重要性や役割を果たすことには疑問の余地はないであろう。
   この本を読んでいても、アメリカの軍事・国防や安全保障関係の本を読んでいても、ロシアや中国を仮想敵国扱いしているのだが、日本はロシアや中国に対して、欧米とは距離を置いており、かなり、その立ち位置が異なっていると思う。

   これは、余談だが、
   日本は、北方領土問題の解決も含めて、ロシアの極東アジアやシベリアでの開発や経済協力に参画して、ロシア経済圏を取り込むべきだと思っているので、勿論、地球環境保護が優先だが、日本も、大いに、ロシアの北極海事業に注目すべきだと思っている。
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ジェイムズ・スタヴリディス著「海の地政学」(3)

2018年05月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今回は、「カリブ海」。
   興味深いが、我々日本人にとっては、名実ともに、縁の遠い海域である。

   「カリブ海」だが、大航海時代の幕開けを開いたコロンブスの航海の舞台であって、アメリカの中庭なのである。
   私には、やはり、キューバの存在が一番大きく、カストロのキューバとあのキューバ危機。1962年キューバに核ミサイル基地の建設が発覚してアメリカ合衆国ケネディ大統領がカリブ海で海上封鎖を実施し、米ソが対立して一気に緊張が高まって、全面核戦争寸前まで行った、あのキューバ危機は忘れられない。
   しかし、著者が注目したのは、美しい天国のような風土に反した、カリブ海諸国の悲惨な歴史と貧しい現実である。

   私も何作か見たが、ジャック・スパロウが大活躍する映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』(Pirates of the Caribbean)は面白いが、これは、ピーターパンのフック船長同様ファンタジーの世界。
   しかし、コロンブスもそうだし、エリザベス女王の忠実なるナイトであった大海賊ドレイクなど、当時の大冒険家やコンキスタドール、大海賊の悪徳非道、その凄まじさは、筆舌に尽くしがたく、当時台頭しつつあったヨーロッパの列強、スペイン、ポルトガル、フランス、イギリス、オランダと言った国々が、このカリブ海近辺を舞台にして、植民地争奪戦に明け暮れていて、住民を奴隷化して搾取の限りを尽くし、その悲惨さは、今も痕跡を残して貧しく悲惨だと言う。
   中南米におけるスペインのカトリック教徒は、数百年にわたって、アメリカ大陸などに、大帝国を築くためにあらゆる手立てを講じ、先住民の改宗と奴隷化、金銀、貴重な宝石などの搾取、砂糖、タバコ等々、新世界が提供し得るあらゆるものの交易を独占、それに、新興の英蘭などが入り乱れての乱戦と言う、海洋帝国の凄まじい戦いと過酷極まりない植民地経営が行われていた。
   貧しい上に、ハリケーンや地震、火事などの自然災害は日常茶飯事、歴史的にも自然的にも、これ程持ち札に恵まれない海洋圏は存在しないと著者は言っているのである。

   人種差別、奴隷制、海賊行為、無秩序、小規模な戦争など、歴史と地理の致命的な結びつき、その結果の今日のカリブ諸国であり、中南米は、世界で最も暴力が横行する地域で、政治の統治力も弱く腐敗しているのだが、
   それでも、本来は「熱帯のシルクロード」で、周辺諸国の経済を結び、きらめく観光産業を支えており、英仏蘭などヨーロッパ先進国との強い結びつきも維持していると述べて、
   それ故に、アメリカは、カリブ海に対するアメリカの責任を認識して、その発展を積極的にサポートすべきだと7か条の提言を述べている。
   
   私自身、メキシコとベネズエラへは行ったことがあるが、カリブ海諸国は知らない。
   しかし、以前に、群馬県立女子大学で、ブラジル学を講義した時に、ブラジルの歴史を調べたので、その時に、この中南米のポルトガルやスペインの征服・支配とその凄惨さ、奴隷貿易等の三角貿易、カリブ海でのヨーロッパ列強の植民地争奪戦、海賊行為等々その凄まじさは良く知っていたので、著者の良識ある記述でほっとした。
   大学時代に、あの頃は、かなり左の本が多かったので、アメリカの多国籍食品会社が、中南米のプランテーションで地元民を奴隷のようにして搾取しているなどと、米帝国主義を糾弾する経済書を読んだ記憶がある。

   形は違っても欧米の弱肉強食文化は、同じなのかは分からないが、やはり、国は強くなければならないと、いつも海外では思っていた。
   私の場合には、丁度、エズラ・ボーゲルが、Japan as No.1を書いた頃に、欧米で仕事をしていたので、思う存分、活躍できたし、いくら、日本の悪口を言われても、徹底的に、反論できたし、
   ドナルド・キーン博士が、日本文学を勉強していると言ったら、何故猿真似の国の文学などをと非難されたと言うイギリス人に、源氏物語の凄さや英国よりももっと古くて豊かな日本文化を知らしめて留飲を下げたことがある。

   話が変な方向に行ってしまったが、この本は、海洋の歴史をシーパワーと言う形で紐解いているので、奥が深く、考えさせられることが多いのである。
   
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わが庭・・・ばら、シャクヤク咲き続ける

2018年05月06日 | わが庭の歳時記
   イングリッシュローズのプリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケントが咲き始めた。
   まだ、咲き始めたところなので、花弁がびっしりと詰まったディープカップ型には程遠い咲き方だが、しかし、イングリッシュローズの美しさは、この開花直後のオーソドックスな形の匂うような美しさである。
   
   
   

   先日、咲き始めたオリビア・ローズ・オースチンが、カップ咲きに完全に咲き切ったが、やはり、この花も、咲きはじめの美しさもほんのりと美しい。
   
   
   

   新しく買った鉢植えのミダス・タッチも、一輪だけだが、きれいな花を咲かせた。
   黄色いバラをと思って買った2株の内の一つだが、ミダス王の黄金をイメージするのかどうかは分からないが、鮮やかな黄色い花に満足している。
   先日の黄色いバラの快挙だが、これも、きれいに開き切ったが、咲きはじめも、風情があって良い。
   
   
   
   
   

   シャクヤクも、数株、開花し始めた。
   ここ数日の荒れ模様の強風に煽られて、一寸、可哀そうである。
   ぼたんもシャクヤクも豪華で美しいのだが、大輪でかなり薄くて華奢な花弁を開くので、日照りにも、強風にも弱いところが、惜しいところである。
   夫々、品種のタグが付いていたのだが、なくなってしまって、分からなくなってしまったけれど、何種類か庭植えしたので、当分、楽しめるであろう。
   
   
   
   
   
   
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デルモンテトマト苗・放任ミニトマト・めちゃラク!トマトを植える

2018年05月05日 | ガーデニング
   一年生になった孫息子に、観察を兼ねて、トマトをプランター栽培させようとして、
   ”ベランダなどでも育てやすいコンパクトな品種。芽かきも支柱立ても不要で簡単に育てられる。キュウリモザイクウイルスに強いのも特長。”と銘打った珍しいトマト苗”デルモンテトマト苗・放任ミニトマト・めちゃラク!トマト”をタキイのHPで観たので、これに決めた。
   矮性で、こまめな脇芽かきや誘引などを行わなくても良いので、放任栽培ができる品種だと言うことであるから、水やりと施肥程度の注意を払えばよいと言うことである。

   幸い、近くのケーヨーD2にあったので、早速2本苗を求めて、孫に、手を取って、プランターに植えさせた。
   タキイの通販では、6本単位での購入であるし、単価が480円と高く、幸い、ケーヨーD2では、1本300円であった。
   このトマト苗だが、良し悪しは別として、同じ品種の苗の価格が、通販でもそうだが、大きく差があって、一物一価でないところが興味深い。
   私が良く買う椿苗やバラの鉢植えの価格だって、品質や価格が、店によって、かなり差があって、これは、信用程度も含めて、経験や勘で慣れる以外に仕方がない。
   本当は、園芸店などで、実物を見て確認して買うのが一番良いのだが、そうもいかないところに問題がある。

   トマトの故郷、アンデスの麓では、どのように、栽培されているのか興味深いところだが、とにかく、放任栽培トマトが、どのように実を結ぶのか、孫ともども楽しみにしている。
   
   
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ジェイムズ ・スタヴリディス著「海の地政学」(2)

2018年05月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今回は、「大西洋」「インド洋」「地中海」について、印象に残っている論点について、感想を記す。

   まず、「太平洋」の章だが、大航海時代の幕開けから説いており、航海技術の画期的な進歩発展から、トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、タバコと言った動植物が入り込んで、ヨーロッパの食生活が変化した「コロンビア交換」「新世界交換」などについても論じているが、やはり、アメリカ合衆国の建国後のヨーロッパ列強との戦いや世界大戦に関する叙述が主体となっている。

   アメリカの国際外交について、注目したのは、アメリカは、第一次大戦後、大西洋共同体の構想を基本的に拒絶して、国際連盟にも参加せず、孤立主義と言う誤った考えを取ったことを、痛ましいことだと言っており、
   およそ、一世紀後の2016年の大統領選で、トランプが、発言の随所でこの誤った判断を繰り返したと指摘していることである。
   彼は、国民に広い世界に背を向けさせ、保護主義の壁を築き、メキシコとの間に実際に壁を築き、NATOを解体し、世界の同盟国と我が国との結びつきを否定しようとしているかに見える。
   これは、200年前から国民の心理に脈々と流れるDNAを反映したもので、二度目の世界大戦がはじまる前に見たことがあり、当然ながら、第二次世界大戦と言う恐ろしい結末を迎えたと言って、人類始まって以来の壮絶悲惨であったその後の大西洋交渉史を書いている。

   もう一つ、興味深かったのは、ドイツのUボートの脅威について書いて、そのUボートを敗北させたのは、勇気とイノベーションと兵站の結びつきだとして、長距離軍用機、Uボート探索航空機に搭載されたレーダー、水中爆雷とソナーの改良、イギリスの諜報・暗号解読技術(エニグマなど)、護衛艦配備に関する回避戦略、「リ・ライト」などの工学装置などのイノベーションだったと書いていることである。
   ドイツの科学者のヴェルナー・フォン・ブラウンのロケット開発もそうだが、第二次世界大戦中に生まれた軍事技術が、その後のイノベーションを誘発して、戦後の経済復興と画期的な経済成長の誘因となったことは否めないであろう。

   インターネットもそうだが、多くの軍事的に開発された技術が、アメリカ産業のイノベーション、ひいては、経済成長に大いに貢献していることは事実であろう。
   アイゼンハワー大統領が、退任演説で、その癒着と危険を警告した産軍複合体の位置づけも微妙だが、基礎科学の重要性は必須であって、やはり、強力な誘因と経済的余力がなければ、おいそれと生まれては来ないと言うことであろうか。

   皮肉と言うべきかどうかは分からないのだが、大恐慌後のニューディールなどの平等化政策や第二次世界大戦を経験したアメリカでは、ほぼ、1970年前半くらいまでが、最も経済的には平等で民主的であったと言うのが興味深い。

   「インド洋」の章は、太平洋や大西洋程、話題にはならないが、世界のイスラム教徒の90%が住む地域で、台頭しつつあるインドの動静など興味深い話題も多い。
   この章では、2004年にスマトラ島北西沖で発生したマグニチュード9.0の大地震で、国防総省で、危機対策チームを立ち上げて、昼夜を分かたず、救援物資の収集や人道支援や医療支援など、航空機や船舶やマンパワーを大動員して救助にあたった。
   6万トンの病院船マーシーとコンフォートの配備などソフトパワーを大量に動員して危機に対処すると言うことが、原子力空母を派遣する以上に安全保障の役割を果たしたのだが、このようなハードパワーとソフトパワーをバランスよく用いる「スーマート・パワー」の重要性を認識したと書いている。
   これは、日本の東日本大震災3.11での米軍のトモダチ作戦でも発揮されたので周知の事実である。
   ジョセフ・ナイがコインした「スマート・パワー」と一寸ニュアンスが違うが、著者は、その時の感動を記している。

   「地中海」は、ここから海戦が始まったと言うサブタイトルだが、文化文明の曙とも言うべき内海の歴史であるから、私には一番興味のあるところである。
   スペイン、フランス、イタリア、トルコ・・・何度か旅をして地中海やその沿岸の都市などや歴史遺産などを見ており、一番興味を持って歴史書や芸術書を読んで来たので面白かった。

   気になったのは、今、少し下火になっているのだが、イスラム国についての叙述で、「イスラム国が宗教戦争を起こしたいなら、ヨーロッパでローマ以上に格好の標的があるだろうか」と記して、「ヨーロッパの泣き所」を守るためにどうしたら良いか、とその対策を記していることである。
   ヨーロッパ列強が仕掛けた十字軍が、いかに凄惨であったか、それに、機関紙には、イスラム国はローマを倒すと言うのが主張の中心で、ジハードを示す黒旗が、サンピエトロ広場に翻る挿絵が添えられていると言う。
   意識にはなかったが、テロとしては、あり得る話ではないかと言う気がしないでもないのだが、そうすれば、これは、ハンチントンの「文明の衝突」である。
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ジェイムズ ・スタヴリディス著「海の地政学」(1)

2018年05月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
    「海の地政学──海軍提督が語る歴史と戦略 Sea Power: The History and Geopolitics of the World's Oceans」と言う地政学でも、シェイクスピアの「テンペスト」から書き起こした、海の地政学をタイトルとした本で、非常に、興味深い。

   まず、タイトルのSea powerだが、Encyclopaedia Britannica によると、militaryと言うことで、Sea power, means by which a nation extends its military power onto the seas. Measured in terms of a nation’s capacity to use the seas in defiance of rivals and competitors, it consists of such diverse elements as combat craft and weapons, auxiliary craft, commercial shipping, bases, and trained personnel.
   海上における総合的な軍事力ということである。

   アルフレッド・T・マハンの「海上権力史論 The influence of Sea Power」を念頭に置いた書物なので、「海上権力」と言った方が良いのであろうか。
   著者は、この本で、海洋の地政学と、それが陸での出来事にどのように影響を与えているのか、海軍提督としての経験を踏まえながら、海洋と言う独特の存在が国際社会にどのような影響を与えているのか、を説こうと言うのである。

   この本は、「海はひとつ」と言う序論から、太平洋から北極海まで7つの海について書き綴って、最後に、「無法者の海 犯罪現場としての海洋」と「アメリカと海洋 21世紀の海軍戦略」において、現実問題をビビッドに展開している。

   まず、「太平洋 すべての海洋の母」について、私なりに印象的だと思った諸点について取り上げてみたい。

   太平洋であるから、当然、日本に関する叙述がある。
   日本は、色々な意味で、イギリスと地政学的にもよく似た国でありながら、なぜ、「太平洋の大英帝国」にならなかっとのかと言う問いかけである。
   答えは、沿岸地帯を侵そうと言う侵略的な国は少なく、広大な距離を超えなければ侵略が不可能な太平洋が、東への天然の緩衝地帯の役割を果たしたこと。四面敵に隣接したイギリスと違って、広大な太平洋を渡ろうとせず、西の沿岸を守り続け、東からの攻撃を受けずにすむと言う恩恵に甘んじたからだと言うのである。
   、恵まれた環境下にあった日本は、太平天国を謳歌できたが、列強との対決に明け暮れたイギリスは、いわば、トインビーのチャレンジ&レスポンスが働いたが故に、大英帝国に脱皮できたと言うことであろうか。

   太平洋戦争の海戦は、米軍も苦戦続きで激烈を極めたようで、日本の真珠湾攻撃の衝撃で、その後のアメリカ海軍が生まれたともいえると言う指摘も興味深いが、ニミッツはじめ活躍した米海軍の提督は、海洋と言う広大な地形の持つ意味を理解していたため、島をめぐる広範囲に及ぶ大規模な作戦を構築でき、結果的に日本海軍に勝つことが出来たと言う。   ミッドウェー海戦が分水嶺になったと言うことだが、日本軍にとっては、真珠湾ではチャンスを逸し、ミッドウェーでは、15分違いの手違いで、2度米軍空母の撃沈に失敗したと言うことも大きいであろうが、結局、資源不足と産業力の劣性によって、日本軍の戦略的選択肢が次第に少なくなってきたのである。
   いずれにしろ、著者の記述では、米軍にとっても、この太平洋上の海戦は大変であったようである。

   我々は、「太平洋の世紀」に生きていているのだが、環太平洋諸国は、TPPを通してであれ、中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)であれ、この地域の潜在的可能性を解き放とうとしており、前者がすべての関係国が批准し、後者が責任ある行為者へ発展することを望んでいると言う指摘は興味深い。
   著者は、穏健なリベラル派のようで、次の大西洋の章で、自由貿易や国際協調に逆らおうとするトランプを強烈に非難しているのである。

   中国のことについてだが、中国の技術進歩は、高度な戦闘機、「空母キラー」として知られる中距離弾道ミサイルなどへの投資や空母艦隊編成の営みなど、サイバー攻撃と結びついて、現在の接近阻止・領域拒否戦略を超えるさらに積極的な防衛を可能にし、攻撃戦力の投射も改善され、この地域の情勢を根本から変えることになるだろうと言う。
   しかし、中国の空母は、「威信の象徴」程度で、太平洋の小国との海戦では有効であろうとも、根本的に状況を変えるものではない。いずれにしろ、アメリカの能力や海上での潜在的対応力を考えれば、太平洋地域で展開できる戦力は、依然、強力であり、特に、日本や韓国など同盟国の力を踏まえれば、中国は、アジアにおける勢力均衡を揺さぶるにしても完全に逆転させることはない。と言っている。

   この章は、太平洋への著者の旅立ちからはじめて、自分の経験を交えながら、太平洋にまつわる歴史的なバックグラウンドを紐解き、人々や国家間の関りや戦争などについて持論を展開しており、学術書的な地政学の本ではなく、物語風に書いているので、分かり易いし、興味深い。
   それでいて、しっかりと自論を主張しているので、考えさせられるし、現状を考えるのに非常に参考になる。
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わが庭・・・ばら咲き始める

2018年05月02日 | わが庭の歳時記
   蕾が膨らみかけたと思っていたら、一輪、綺麗な花を開きはじめた。  
   この花は、イングリッシュローズのオリビア・ローズ・オースチンなので、カップ咲きに咲き切るのであろうが、最初に優雅なピンクの姿を見せたところで、シャッターを切った。
   この春、デビッド・オースチン・ロージズから買って、6L鉢のまま、初めて咲いたので、一番花が終わった後に、大きな鉢に移植しようと思っている。
   
   

   もう一つ、開きはじめたのが、京成バラ園の快挙。
   淡い黄色の花で、殆ど枯れかけて諦めていたのが、回復したので喜んでいる。
   中心のほんのりとしたクリーム色が実に優雅で美しい。
   明日は、天気が崩れると言うので、綺麗なところで、写真にした。
   
   

   今、わが庭で、一番華やかに咲いているのは、雑草となって庭のあっちこっちに広がって、咲き乱れているのが、イモカタバミ。
   南米原産で、第二次世界大戦後に来日したと言うのだが、ブラジルにいた時には、咲き乱れていたのであろうが、花に関心がなかった頃なので、全く記憶にはない。
   密集すると、芝桜のような雰囲気だが、クローバーのような葉っぱで、茎がひょろりとしているので、花で敷き詰めると言う感じではない。
   しかし、庭に広がって咲くと、華やかで良い。
   夕方になると花を萎めて翌朝また開く。
   
   
   
   
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わが庭・・・シャクヤク、昼咲き月見草

2018年05月01日 | わが庭の歳時記
   ぼたんに遅れて、シャクヤクが咲き始めた。
   花木のぼたんよりは、多少華奢なようだが、同じように華やかである。
   植え始めて3年目なので、タグが外れて名前は分からくなったが、昨年、一番最初に咲いた花が、コーラルピンクであったから、そうであろう。
   ピンクの綺麗な花で、咲き切ると白色化する。
   赤い花は、名前が分からないのだが、深紅で花弁に艶があって美しい。
   
   
   
   
   
   
   

   ひょろりとした茎が伸びて、垂れ下がった尖った蕾が急に開花したかと思うと、パッと開いて陽を見上げて咲いたのが、昼咲き月見草。
   特に意識しているわけではないが、色々な草花や花木の根元から顔を覗かせて、風に揺れている。
   アヤメも咲き出した。
   蝶も姿を見せている。
   
   
   
   
   
   

    昨年と違って、打って変わったように沢山花をつけたのが、夏ミカンの木で、今年は豊作のようである。
   尤も、夏ミカンは、そのまま、カラスのえさになるのだが、果実の木は、隔年豊作と言うことで、木も、生命保存に一生懸命なのであろう。
   温かくなると、生命の営みが、一気に加速して、毎日、私の庭の姿も、変わって、素晴らしい変化を楽しませてくれる。
   それが、嬉しい。
   
   
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