小金沢ライブラリー

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1999年のミステリ遍歴

2021年09月12日 | 雑文
森博嗣との出会いが自分の運命を変えたと言ったが、それは2つのキーワードが関わっている。
メフィスト賞と講談社ノベルスだ。
森博嗣のデビュー作「すべてがFになる」は記念すべき第1回メフィスト賞の受賞作で、講談社ノベルスから出版された。森博嗣にがっちり心をつかまれ、メフィスト賞と講談社ノベルス作品にはまっていった。
そして当然アレに出会ってしまう。清涼院流水だ。

第2回メフィスト賞を制した清涼院流水の「コズミック」とシリーズ第二作「ジョーカー」はすごかった。
ネットの普及し始めで数も多くなかった感想でさえ「一枚ずつちぎって便所に流した」とか「一枚ずつ焼いた」とか書かれており、わくわくしながら読んだらそれも普通に納得するとんでもない内容だった。
しかし不思議な魅力も備えていて、自分はますますメフィスト賞及び講談社ノベルスにはまってしまった。ミステリは何をしてもいいという想像を絶する懐の深さが垣間見られ、新たな世界への扉が開いた。

新本格派の法月綸太郎、芦辺拓、麻耶雄嵩もこのあたりで読みだした。そしていいタイミングでとある傑作選が出版された。
鮎川哲也「五つの時計」と「下り、はつかり」だ。
島田荘司曰く「江戸川乱歩亡き後に本格ミステリを一人で守った鮎川哲也」である。今見ればオーバー過ぎる表現なのだが、それで名前を知りいつか鮎川哲也も読みたいと思っていたところに傑作選(それもお求めやすい文庫で)の出版である。これがもうすごかった。簡潔な記述とシンプルなトリックで作り出された不可能状況や密室の数々にメロメロになった。
すでに百冊以上のミステリを読んできて「パターンわかってきたよ!」と厚切りジェイソンみたいに思っていたところにこれである。パターンなんて無かった。ミステリの裾野はお前が測り知れるものではないと思い知らされた。こんな傑作がごろごろしているなら昭和ミステリも読まなければと強く感じた。

この頃から通い始めたブックオフで島田荘司の旧作を買いあさる一方、もう一つの出会いがメフィスト賞・講談社ノベルス方面からもたらされた。京極夏彦だ。
あの妖怪が描かれたおどろおどろしいクソ分厚い本はどうやらミステリらしいという情報を得て、思い切って買った。その後はもう説明不要だろう。あの頃、京極夏彦は紛れもなく全作家の頂点に立っていた。

この年は新本格派の作品を中心に読んだ。講談社ノベルスを手当たり次第に読んだので蘇部健一「六枚のとんかつ」や霧舎巧「ドッペルゲンガー宮」とかにもぶつかった。清涼院流水はカーニバルシリーズを完結させた。あれもあれでとんでもないのに、長すぎて(?)コズミック・ジョーカーほど評価も知名度も無いのは残念である。
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