そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

報道が煽る

2009-03-25 | 政治と金

国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルが、昨年世界で執行された死刑人数を発表した。死刑を執行した国はわずか25か国で、2400人ほどである。これは公表された分だけである。

そのうち中国が断トツに多く、1718名で全世界の71%を占めている。前年度の470人から3.5倍になっている。北京オリンピックが終わるのを待っていたとの見方がある。当然ながら中国は、裁判の在り方なども問題になっている。

次に続くのが、イランの346人、サウジアラビアの102名、アメリカの37名、パキスタンの36名、イラクの34名、ベトナムの19名、アフガニスタンの17名、北朝鮮と日本の15名と続く。アメリカは07年が42名であるからかなり少なくなった感があるが、日本は9名であったから倍近くの人を死刑にしたことになっている。

20年ほど前までは、死刑の蛮行を容認する国家が100カ国を超えていたが、現在は54カ国にとどまっている。更に、上記のように執行している国は24カ国のみである。

日本では、凶悪事件の報道に当たっては質量ともにワイドショウ番組が圧倒する。被害者意識にすり寄る形で報道される場面が少なからずある。応報感情を煽る結果、国民に死刑は当然とする風潮を生みだしている。あるいは悪人を白洲に晒す快感を与えるようでもある。

量刑は犯罪抑止の他にこうした応報感情があって当然とは思うが、昨今の風潮はあまりにも人の命を無視する傾向が強い。日本には昔から国家が容認した「仇討」があった。荒木又エ門や赤穂浪士もそうしたものであろう。

日本には、終身刑がない。相当長い懲役判決を受けても、ほぼ間違いなく軽減されて出所することになる。さらには、時効の壁も設けている。判決を受けても社会に無罪放免されるし、一寸の期間逃げ通せると無罪になる。

人は行為においても、判断においても間違いを犯さない保証はない。間違ってしまった行為を、間違っていないように判断できる保証もない。事実冤罪は後を絶たないし、死刑失効後では取り返しがつかない。

人の命は地球より重いとされる。それの応報として犯罪者と同じく人の命を国家が奪うのは、どう考えても理不尽である。日本は、ばか騒ぎする報道が冷静な判断を国民から奪うような時代になってしまった感がする。

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